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八丁念仏の懊悩



 其れは、己が顕現及び実装するに至った八周年たる年が終わりを告げようとしていた末の事である。
 そもが、自分は末広がりを冠して実装許可の下りた刀だった。まるで、冗句ジョークのような言葉遊び。けれど、其れのお陰で晴れて刀剣男士としての顕現が叶ったのは事実である。故に、その期間限定下での契約期間のみ己の刀としての力を揮えるのだと思っていた。だって、例え冗句であろうと、あれ・・は、混ざり物の多い自分が存在するには、そのように在れ――との、遠回しのお達しだったのではないのか。確固たる答えを聞くのが怖くて、雇い主である審神者にすら聞けず終いで居るけれど。
 未だ、自分がどのようにして在るべきか、答えを見付けられた訳ではないけれど、少なくとも何かしらを見出だせればとは頭の隅で常日頃より思っていた。だが、自分がこの本丸で顕現し続けれる契約期間の終わりが近付くにつれて、明確な焦りを覚えていた。其れは、日常生活の中でも滲み出ていたのか、つまらないミスをし、程度は軽いものの怪我をした。人間で言うところであれば、日常生活を送るだけでも多少なりとも支障が出るレベルの、小さな怪我。
 内番仕事を任せられ、馬の世話をしていた折の事だ。半ば上の空で行っていたのが、馬へと伝わってしまったのだろう。自身が馬上筒の訓練でよく使用していた祝八号が、不意に暴れて、後ろ足で思い切り蹴飛ばされてしまったのだ。その際に、不覚を取って、盛大に後方へと吹っ飛ばされ尻餅をついた。馬上筒の訓練中にも、時折気分が乗らなくて暴れられる事はあったけれども、ただのお世話中に暴れられたのは今回が初めてである。遂には、馬にすら見捨てられてしまうのか。
 己と同じく八周年を記念して本丸へやって来た神馬の祝八号は、通常、普段は比較的温厚で暴れる事自体があまりない個体の馬である。其れが、この時ばかりは何故か妙な形で突然暴れ出し、明らかに世話をする事に身の入っていない自分を手酷く蹴飛ばしたのだ。馬は臆病な動物だが、その分感情というものには聡い生き物である。故に、己が平然を装っている事を見破られたのだろう。だから、蹴飛ばされたのだ。
 幸い、吹っ飛ばされた方向が馬へ遣る為にと用意していた餌の草山へ突っ込んだ事で、大量の草がクッション材となり衝撃を吸収して大事には至らなかった。しかし、予想だにしていなかった事で受け身を取り損ね、足を捻ってしまったらしかった。其れ以外に怪我という怪我は見受けられなかったので、共に当番をしていた包平の兄さんこと大包平に祝八号を宥めてもらい、心配の声をかけられるも、その場は適当に誤魔化して“大丈夫、心配は要らない”と言い張ったが……。出陣以外での怪我は基本的には手入れの対象外扱いであるのもあって、必要以上に話を広げる事もせず。薬研藤四郎からこっそり湿布薬を貰うだけ貰って自分で手当をし、後は自己治癒するに任せたのだった。
 その時の足の怪我が思った以上に長引き、一週間経った未だに完治せずのまま、鈍い痛みを引き摺っていた。最初の時よりもだいぶ痛みはマシになったものの、冬という気候故に血液の巡りが悪くなっている所為か、想定以上に治りが遅い。其れ程酷く捻った覚えは無かったのだが、負傷の程度を見誤ってしまったのだろうか。しかし、今更誰かを頼るのも気が引けて、やはり自分で何とかしようとそのままにしてしまっている。
 祝八号にそっぽを向かれて、あれから一週間が経過した。怪我の事は誰にも伝えてはいないし、足を捻った程度くらいなら人間とは異なる刀剣男士である自分にとって、然程日常生活には支障を感じておらず。普段通りを装って生活していた為、誰にも気付かれてはいないのか、再び内番仕事が回ってきた。今回もどうやら馬当番らしく、相方となるのも身内の片割れこと古備前の兄さんである。ただ、前回と異なるのは、その相手が鶯の兄さんこと鶯丸であった事だけだ。
「そういえば、この間の当番の際に、祝八号が急に暴れ出してお前の事を盛大に蹴飛ばしたと、大包平から聞いたが……大丈夫か?」
「あ〜……たぶんっ? 俺、祝八号に対しては、しょっちゅう馬上筒の訓練に付き合わせちゃってるからさ。もしかしたら、其れで機嫌損ねさせちゃったのかも……っ。一応、お世話だけは普段通り行う予定だけど……もし心配なら、鶯の兄さんに代わってもらおうかなぁ〜とは考えてます」
「一週間前の話だったとは言え、祝八号の機嫌が直っているかは分からん事だしな。今日のところは、俺が担当するとしようか」
「んじゃ、宜しくお願いしま〜っす!」
 事実と建前を織り交ぜる事は、これまでも幾度となくやってきた甲斐もあり、特に怪しまれる事もなく受け入れられた。嘘で塗り固める訳ではないけれど、今更口にするのも何だか憚られる。変に気を遣われるのも違う気がして、結局本当の事には蓋をして、いつも通りを装って馬のお世話に精を出した。
 けれど、やっぱり馬という生き物は賢いのか、此方が己の気持ちに蓋をして偽った振る舞いをしていると分かるのだろう。どの馬に対してもそっぽを向かれ、ブラッシングをしてやろうと近付けば拒絶され。ならばと、年末近くの大阪城周回での報酬でやって来た青馬の世話をしようとしたら、またしても蹴飛ばされてしまった。
 咄嗟に受け身を取るも、前回の内番で捻挫した足に響いたのか、体勢を崩して尻餅をつく。慌てて鶯の兄さんが暴れかけた青馬を宥めに駆け寄って来てくれて、其れ以上の被害を出さずに済んだ。何かしらを感じ取った鶯の兄さんが真面目な顔をして、静かに口を開く。
「八丁、お前は今日のところは後は馬房周りの掃除をするだけに留めておけ。どうも今日の馬達は皆機嫌がよろしくないようだ。俺相手ならそう珍しくはない話なんだが……まぁ、馬だって生きているからな。そういう日だってあるだろうさ。そう気を落とすなよ」
「うん……何か御免なさい……っ。俺、今日何も役に立ててないや……」
「そういう日もあるさ。一先ず、俺達は暫く馬当番から外してもらった方が良さそうだな。白馬や周年記念報酬で貰った馬達を除いた奴等は、皆連隊戦に駆り出されているからそうでもないんだろうが……お前の事を足蹴にした新入りの青馬を含めた奴等は、あまり戦に出してもらえていない分、ストレスが溜まっているんだろう。何時いつぞや、新刃の孫六兼元が当番だった際に当時近侍だった和泉守へ報告を上げていた件もある……。あれから一月半程経つし、度々荷物引き等はさせているが、また遠乗りやら何やらで疾走らせる必要がありそうだな。諸々含めて、主への内番終了報告は俺から伝えておこう。ある程度片が付いたら、お前は先に上がると良い」
「何だか申し訳ない気がするけど……今日のところは大人しく従っときます……っ。じゃあ、悪いけど、後の事は任せるね」
「あぁ」
 そう告げて、自分は馬房内の外へ出て、掃除をするだけに集中した。程無くして、其れも終わり、言われた通りに自分は先に上がらせてもらう事にした。丁度、前回の当番で捻挫していた足がまた熱を持ったみたいに痛み出していたから、助かったと思う事にする。もしかしたら、一度捻った足をまた捻ったのかもしれない。まだ治りかけだったのに最悪である。
 痛む足を引き摺って、何とか部屋まで戻り、着替えもそこそこに怪我の手当を行った。見ると、湿布薬の上からテーピングを巻いて固定していた足首の付近が赤く腫れていた。此れは、暫く安静にしていた方が良いかも……。取り急ぎ、医務室まで行こうとズボンの裾で隠し、部屋を移動した。
 痛む足を庇って歩くと、どうしても不恰好な歩き方となるのが否めない。かと言って、普段通りに歩こうとすると、二度同じ場所を捻った所為か酷く痛み、体重の負荷を掛けるのも辛い。ので、結局片足だけ引き摺るような歩き方となってしまっていた。此処まで来ると、最早誤魔化しが効かない。
 医務室へ向かうまでの道中で目的の刃物じんぶつの行方を探すも、現在連隊戦へ出陣中で不在である事を通りすがりの刀から聞いて、途方に暮れた。勝手に医務室を利用する事は可能だが、薬の配置までは其れを扱う専門の者が居なければ分からない。下手に触れるのも憚られて、取り敢えず医務室まで来てみたは良いものの、どうすべきか分からず部屋の中心で突っ立っていたら、ふと閉め切っていた入口の戸が開く音がして振り向いた。
「あれ……誰か先客が居る?」
「あっ……えっとぉ、」
「あぁ、もしかして……薬が必要で来ていたのかな? 薬の事だったら、薬研程ではないけれど、僕にも少し知識があるから。良かったら話を聞こうか……?」
「それじゃあ……お願いしようかなっ。丁度、頼りにしようと思った相手が不在で困ってたんだよね!」
「薬研は今、連隊戦の方へ駆り出されているからね。僕は既に錬度が頭打ちとなっているから、出陣の任は下りていないけれど……。出陣する以外でも、人の身で遣りたい事は沢山あるからね。薬の分野についても、元の主関連で偶々少し扱えるというだけで、本丸に来て長い薬研と比べたらまだまだだけれどね」
「そうだったんだ……。えっと、君は、実休光忠……で、合ってたよね? 俺は、八丁念仏。本丸に来たのは今から大体一年程前で、君より半年程先輩って感じの者になるのかな? 実は、足の捻挫の治療薬として湿布薬を貰いに来たんだけど……」
「湿布薬だね。湿布薬なら、確か市販薬の常備が箱の中に仕舞われてたと思うから、今出してあげるね。一応、手製で作れなくもないけれど、そっちは匂いがキツイだろうから……。薬研から処方について何か聞かされてたりするかい?」
「一応、一通りなら……」
「そうか。なら、改めての説明は要らないかな。でも、念の為患部の具合を診ておこうか。其処の椅子に座って、捻挫した方の足を見せてくれるかな?」
「はぁい」
 自分の後からやって来たのは、実休光忠という刀であった。自分より半年程後から本丸へやって来た後輩刀である。そして、同じく焔に焼かれた経歴を持つという点においても、似た者同士なのかもしれない。ただ、燃えたというだけについてなら、彼の方は二度も焼けているから、比べる事も烏滸がましい気がした。燃えた後でさえも、使える刀で居たいと思うのは、屹度きっと自分だけではない筈だから。
 どう接するべきか考えあぐねるよりも、まず先に捻挫の手当を優先せねばと思い改め、素直に言われた通りに従い、大人しく椅子へと腰掛け痛む足を見せた。すると、壊れ物を扱う如く優しく触れて患部の状態を確認した彼が僅かに顔を歪めて呟く。
「此れは……随分と酷く痛めてしまっているね。捻ってしまったとの話だけれど、具体的にはどういう風に捻ったかを聞いても良いかい?」
「えっと……実は、捻ったの一回だけじゃなくて……一週間程前に一度同じ場所を捻挫してて、まだ完治してなかったんだよね……っ。さっき、馬当番中に体勢を崩した際にまた同じところをやっちゃったみたいで……其れで悪化しちゃったみたい?」
「痛かっただろう……。捻挫は甘く見ると治りが悪くなったり、下手をしたら余計に悪化させてしまったりするから気を付けてね。取り敢えず、処方として湿布薬を貼って様子を見る事にしようか。あと、そのままだと辛いだろうから、固定用のサポーターも巻いておこうか。完治するまでは、暫くは安静にした方が良い。無理は禁物だよ。治りが悪くなるだけでなく、最悪歩けなくなってしまうかもしれないから」
「うーん……こういう時、人の身って不便だよね〜」
「でも、そんな不便さに負けじと人間は器用に生きてきたんだ。逞しいよね。僕も見習わなきゃな」
 そう言って、彼は患部へと丁寧な処置をしてくれた。お陰で、自分で手当する前よりも幾分か楽になった気がした。これなら此処へ来る前のように変に足を引き摺って歩かなくても良くなるかもしれない。改めて彼へと向き直り、御礼の言葉を告げる。
「処置してくれて有難う。薬研居なくて困ってたから助かりました……!」
「ふふっ。お役に立てたようで何よりだよ」
「手当してくれた御礼に何か手伝える事ってある? 医務室に来たからには、そっちも何か用があって来てたんだよね?」
「あぁ、うん。良い薬草を見付けたから、摘んだ後に此処で煎じてみようかなって思っていたところだったんだ。流石に、足を悪くしているところに摘む作業を手伝ってもらうのは申し訳ないから……。代わりとして、摘んだ薬草でハーブティーを作ろうと思っていたから、その味の感想を聞かせてもらう事にしようかな」
「えっ……そんなんで良いの? 別に、足を捻挫してるだけで動けなくはないんだけど……」
「無理は駄目だよ。安静にしてて。ハーブティーは趣味で作ってる物だから、其れに味見役で巻き込むという意味では、僕としてはとても助かるんだ。だから、手伝ってくれるって言ってくれて有難う」
「はぁ……、」
 何とも楽なお手伝いを頼まれて拍子抜けしたけれども、自分が何かしらで役に立てるのなら其れに越した事はない。変に気遣われて遣る事を奪われるよりは余っ程マシだった。
 その後、実休さんが淹れてくれたハーブティーの味見役をして、のんびりのほほんとした穏やかな時間を過ごした。あったかなハーブティーを飲んだ事で体が芯から温まった気がして、何だかホッとする。機会があるのなら、また飲みに声をかけてみても良いのかもしれない。切っ掛けはほんの小さな事だけれども、同じく焔に焼かれた者同士、どう接するのが正解か迷っていたから、今回の出来事は良い切っ掛けとなった。
 あとは、古備前の兄さん方へ何と言い訳をするか……。あの場は誤魔化しが効いたが、びっこ引く歩き方をした場面を見せてしまったからには後で追及される事必至だろう。全てを正直に話すのも、逆に余計な気を遣わせそうで気が引けるし……さて、どうしたものか。
 そんなこんな部屋まで戻る道中、諸々について考えあぐねていると、向かい側から審神者がやって来る姿が見えた。其れに、脳裏に未だ聞けずに居る事柄が思い浮かんで、何となく気まずくなりそうになるも、かぶりを振って余計な思考を吹き飛ばし、愛想の良い笑みを浮かべて声をかける。
「やっとい主……っ! これから何か用事?」
「おや、八丁君じゃないか。内番お疲れ様。今しがた、うぐから内番終了報告を聞いてきたところだよ。当番の最中、馬が暴れて蹴られたんだってな。大丈夫かい?」
「あ゙〜、早くもお耳に入っちゃってましたか……お恥ずかしい限りで」
「そう謙遜するこたないだろ? 誰だって失敗する事はあるんだし、其れを恥じる必要は無いんだから。で……怪我の有無は? うぐから一応報告は上がってるが、本刃の口から直接聞いておきたいんでね」
「えっと……本当、大した事はないんだけど、利き足を少々捻りまして……っ。あ、でも! ちゃんと処置してもらったし、この後暫くは安静にしときますんで、ご心配無く……っ!」
「其れなら良いんだけど……怪我した時はちゃんと言ってね。手入れするレベルの傷じゃなくとも、怪我した時は痛むだろうから、相談してくれれば内番とかだって調整するからさ。今後は捻挫した際には報告する事。じゃないと、知らずに采配ミスって君達を失う事になったら、目も当てられなくなるから」
「たかが捻挫一つに大袈裟でしょうよ……っ」
「分からんじゃないか。何せ、俺達は戦してる最中だ。いつ何時襲撃を受けるとも知れん。故に、非常事態に備えておく事に越した事はない。注意を怠って何か遭ってからでは遅いからな」
 断言する言い方が、何だか包平の兄さんみを帯びて見え、醜い嫉妬心から無意識に口を開いていた。
「今の雇い主、何だか包平の兄さんみたいな口調だったよ」
「えっ……全く意識してなかったから自覚無いんだけど、マジすか」
「マジマジ。なぁんか、悔しいなぁ〜。包平の兄さんばっか格好良くて」
「うぐも同じく極めた身だろう。そんなに思うところあるのかい……?」
「だって、包平の兄さんは雇い主と似た気質だからか、重用されてるでしょう? だから、何となく悔しくって。俺も、認めてもらえるようにもっと強くならなきゃなぁ〜」
「君は十分に強いし、俺としては既に認めているつもりなのだけども……。というか、俺と彼奴が似てるとか、マ? どっちかっつーと、俺は君との方が気質諸々含めて似てる気がするけどなぁ」
「えぇっ……雇い主は俺程ウジウジしてなくない?」
「そう見えてるんだったら、少なくとも俺は審神者らしく在れてるって事だな。良い事を知れた」
 そう言ってわざとらしく不敵な笑みを浮かべた雇い主は、敢えて今の自分に合わせてくれたように思えた。深くは追及してこないけれども、上辺だけでも寄り添ってくれようとする姿勢が垣間見えて、無性に泣きたくなってしまった。流石に、雇い主の前で泣くとか無様過ぎて堪えたけども。
 ふと、雇い主がキョトンとした顔をした後、すんすん、と鼻を言わせて匂いを嗅ぐ仕草をして言う。
「うん……? 八丁君から、何だか薬みたいな透き通った匂いがする……」
「あぁ、もしかして匂いが服に付いちゃったのかな。さっきまで医務室で実休さんの淹れたハーブティー飲んでたから……たぶん、其れかも」
「ハーブティーか。オシャンティだねぇ。そういや、実休さんは薬とかに詳しいから、ハーブティーとか作るのも好きって言ってたな。俺、ハーブティーは苦手で飲んだ試し無いけど」
「そうなの? 俺も今回初めて飲んだけど、案外美味しかったよ。外での作業をした後で冷えてたけど、体も芯からあったまってポカポカしてるし。ほら」
 何気無く手を差し出してみれば、其れに触れてきた彼女がぱちくりと目を瞬かせながら頷く。
「本当だ! めっちゃポカポカしとる……!」
「反対に、雇い主の手は冷たいねっ!」
「あ、何か御免……」
「いやいや、謝られる程の事じゃないから……っ! 良かったら、手握るだけじゃなくハグとかしてみます? ……なぁんてねっ」
「え……良いならハグしちゃうけども?」
「えっ?」
 ほんの気紛れに冗談のつもりで言ってみた事だったのに。どうやら本気と捉えたらしい雇い主が両手を広げて構える。其れに一瞬動揺したように戸惑う声を発してしまうも、彼女が思った以上に乗り気であるのを察して、今更否定するのも何だか申し訳なく思えてきて。おずおずと受け入れる体勢を取って返す。
「じゃあ……ハイ、お好きにどうぞっ」
「では失礼して……。えいっ」
 此方が受け入れ態勢なのを認めると、一つ意気込んだのちに懐へぽふりっ、と小さな音を立てて飛び込んできた。其れを、鍛えた体幹で以て難無く受け止める。己よりも小柄で細い華奢な彼女は、懐へ収めると思ったよりもすっぽりと収まった。ぎこちなく背中へと回した手で、何となくポンポンッ、と軽い力で以て叩くと、懐へ顔を埋めた彼女が愚図る子供みたいに額を擦り寄せる。珍しく甘えたな姿に、不覚にもキュンッと来てしまった胸を誤魔化して、咳払いをして口を開いた。
「な、何か凄く甘えたというか……いつも凛として格好良く振る舞ってるつよつよな雇い主にしては珍しくないっ? 何かあったん?」
「ん゙み゙ぃ゙……っ。逆に、何か無いと甘えちゃ駄目にゃんです?」
「えっ? いや、そん……な事はない、と思うけども〜……っ。何で俺なのかな、とは……」
「其処に居たのが偶々甘えたい相手だったからに過ぎませんが何か……?」
「ん゙ん゙っ……! そういう事、不意打ちで言うの狡いんよ……ッ。というか、可愛い事されながら言われると漏れ無く来ちゃうものがあるから、控えめに言ってやめてください……っ」
「え……俺何かしたかいな」
「まさかの無自覚とか余計に狡いんよ……! 控えめなのが、またあざと可愛い感じして何か悔しい!」
「八丁君が謎の葛藤を抱えながら悶えてるの可愛い」
「もうっ! ダメ雇い主って言っちゃうよ……!?」
「可愛いから寧ろ言ってくれ。主許しちゃう」
「もう〜っ! 本当に勘弁して……! 俺で弄ぶの禁止ッ!!」
「ふふっ。はぁい、分かったよ。変に絡んで御免ね。連日の脳死周回で疲れてんのよ」
「う゛っ……其れは其れで何とも返しづらい反応……っ」
「ははっ、御免御免。もうちょい充電させてもろたら離れるから」
 そう言って再び己の懐へ擦り寄った彼女の目元には疲労の色が滲んでいた。疲労しているというのは事実なんだろう。自分相手に充電が出来るのかどうかは不明だが、甘える相手に選ばれた以上は彼女の気が済むまでこのままで居た方が良さそうだ。
 手の置き処に迷った挙げ句、彼女の頭を撫でるという方向性で頭の上へぽむっ、と置いた。そうして、彼女が嫌がらない程度に優しい手付きを心掛けて頭を撫でる。すると、懐へ抱き着いたままの彼女が擽ったそうに笑ったが、拒絶は見せずに心地良さげに受け入れた。こんな事で疲れが癒やされるというのなら、存分に甘えて欲しいところだ。連日連隊戦の為に脳死周回を続ける審神者の苦労は、この一年の様子を見ていて其れとなく理解しているつもりである。自分のような刀でも、彼女が甘えるに足る刀であると判断したのなら、其れは嬉しい限りだ。
 一頻りハグと撫で撫でを堪能して回復したのか、満足したらしい雇い主が懐から離して顔を上げる。
「有難うごじゃいやした……っ」
「少しは充電出来た?」
「うん……この後も引き続き頑張れそうです」
「其れは何より〜っ。また甘えたくなったら何時いつでも言って。俺で良かったら、ハグでも何でもしちゃうから!」
「じゃあ、また疲労した時はお世話になりに行くね」
「了解で〜すっ!」
 その後、まだ仕事が残っているからと雇い主とは別れて、自分は部屋へと戻った。
 一人部屋へと戻り、残りの一日もいつも通りに過ごして夜になり。床へ就いて目を瞑った時、ふと日中抱き締めた彼女の温もりと匂いとが忘れられなくて、寝返りを打った。次いで、明かりを消した薄暗闇の中、布団に入ったまま、一度だけ目を開いて目の前へ置いた何も無い掌を見つめて思う。
(昼間に抱き締めた雇い主……ちょっと冷たかったなぁ。ハグを受け入れたのって、もしかしたら寒かったのもあるんかも……? 明日会ったら、もっとあったかくしないと駄目だよって教えてあげなきゃ……。風邪引かないように、あっためてあげなきゃ……。ただでさえ、人の子は脆いんだから…………俺の手で、守ってあげなくちゃ……。守ってあげる為の、手足がある内に――)
 人の身を得て抱く懊悩は、一先ず置いておいて。そのまま目を瞑って睡魔に身を委ねた。


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 ――それから幾らか経った、或日の事だ。
 息抜きに休憩を挟んだ雇い主が、本丸の皆で共用の憩いの場にやって来ていた。
 その日、非番であった俺は、足が治るまで絶対安静と言われていたのもあり、暇で退屈を持て余していたのもあって、偶々遊びに来ていたのだった。先程まで一緒に遊んでいた太閤っちこと太閤左文字と笹っちこと笹貫は、他に呼ばれて居なくなった為、今は自分一人である。
 共用の炬燵の中にすっぽり収まってのんびり携帯型ゲーム機で遊んでいたところでの彼女の来訪だったので、ちょっと吃驚したのは此処だけの内緒だ。
「お仕事お疲れ様〜っ。休憩に来た感じです?」
「うん。とりま、今日の分のノルマは終了したので、ちょっくら息抜きでもしようかなって思って」
「何する? 此処、無駄にいっぱいあって迷うけど」
「この間プレイし始めたゲームの続きでもやろうかな」
「ちなみに、どのゲームか訊いてもオッケ?」
「全然良いよぉ。ちな、俺が今からやろうと思ってるのはニーアです。まだ始めたばっかで殆ど進んでない上に、序盤も序盤のところなんだけどね。一人プレイ用だから一緒にプレイするのは難しいけども、良かったら横で俺がプレイしてるところ見るかい?」
「おっ? じゃあ、遠慮無く腕前拝見させて頂きま〜っす! 俺、この本丸に来て何度かゲームは触ってるけど、雇い主と一緒にゲームするのは初めてかも」
「ははっ。俺はそんなに上手くない方だし、どっちかっつーと初心者レベルの腕前だけど。ゲームプレイすんのは元々好きな質だから、其れなりに動かせる筈だよ。其れでも、多少見苦しかったりグダるような場面をお見せする事になるかもだけど」
 そう言って、彼女は慣れた手付きで置き型タイプのゲーム機を起動させて、プレイ画面を表示し、これまた慣れた手付きでメニュー画面を選択していった。タイトルその物は知っていたが、まだ自分がプレイした事のないゲームというのもあって、何とはなしに画面の方へ興味津々の視線を投げた。すると、セーブポイントから動き出した雇い主の操作するキャラクターが広大な荒野を駆け出す。画面の中でスムーズ且つ滑らかに駆けていくキャラクターの操作性を見るに、言う程其処まで下手ではないのだろう事が窺えた。
 チラリ、画面を見つめる最中、横目の流し目で盗み見した彼女は、本当にゲームが好きなんだろう――プレイに夢中であるといった感じの表情をしていた。審神者として戦の指揮を取る時とはまた違った表情に、何となく、素の彼女が垣間見れたようで、無性に嬉しく思った。変に浮かれるのもアレだったから、敢えて普段通りを装ったけれども。
 ゲームの世界観は王道のファンタジー物で、自分達が今居る二二〇五年よりもだいぶ先の未来という設定の物語だった。人類は地球から月へと逃げ、地球に残ったのは自然と少しの野生動物と機械生命体。人類に悪影響を及ぼす機械生命体を排除するべく、地球へ降り立ったのが機械生命体とは別に生きるアンドロイド部隊だ。ゲームのプレイヤーが操作するのは、基本的にアンドロイド側で、機械生命体は謂わば敵対勢力であった。
 雇い主が操作する画面上に数多の敵が湧き、キャラクターへ襲い掛かってくる。戦闘開始の合図だ。雇い主の纏う空気が、俺達が戦場で闘う時の其れと同じような空気となる。途端、コントローラーを操作する手に熱が入る。各ボタンを素早く連打し、画面上に出現した敵性エネミーを排除していく。ある程度は自動オート化された設定で処理された動きなのだろうが、其れ以外はプレイヤーである彼女の操作する範疇だ。慣れた手付きで倒されていく敵に、あっという間に画面上はクリーンとなった。お見事なり。
 思わず、称賛の拍手と共に感嘆の言葉を漏らしていた。
「凄ッ……今の滅茶苦茶格好良かったんですけど!!」
「本当、このゲームバトルシーンが滅茶苦茶格好良いよねぇ〜! 俺も、このバトルシーンが見たくてプレイしてるクチだから分かるわ〜」
「いやっ、俺が言ったのは雇い主の操作レベルの事だったんだけど!? 確かに、このゲームのキャラクターやバトル構成とかについても同意の納得感だけども……!」
「あぁ、そっち? 御免、てっきりこのゲームの醍醐味とも言える超絶格好良さを誇るバトルシーンの事を指して言ったんかとばかり……。言うても俺の操作レベルは、ごくごく普通の一般人レベルだよ。ゲーム好きの初心者なら大体同じくらいなんじゃないかな?」
「いやいや……っ、本当に初心者ならもっと操作感覚束無い手付きでしょうよ」
「じゃあ、中級者レベルって事で」
「いや、適当過ぎない?」
「だって、世の中ゲーム上手い人とか五万と居るもの。俺なんかまだまだ足元にも及ばんね」
「成程。上には上が居るっていう事での謙遜でしたか〜っ」
「まぁ、そんなところかな」
 他愛無い会話を挟みつつ、画面上のストーリーは進行し、攻略すべく迷宮ダンジョンへ到達したのか、何やら必要な物を捜索しつつ入り組んだマップ内を進んでいく。途中、何度も敵と遭遇し、その度に素早い身のこなしで敵と応戦し次々に葬っていくキャラクター。勿論、操作はずっと雇い主であるので、最早雇い主の分身みたいに思えてきた。
 其処で、ふと思い付いた事を喋ってみる。
「そういえば……雇い主って、剣タイプ以外の武器はあんま使わないね。今使ってるの、おもに剣タイプばっかだよね? 他にも何種類か武器持ってるみたいだけど、使わないの?」
「あー……俺、基本近接がおもなタイプだから。その内、遠距離攻撃可能な武器とかも入手出来るっちゃ出来るんだけど……俺はあんまり得意じゃないからなぁ〜。やっぱ得意の武器のが操作するのも楽だし難しい事考えずにバトれるから、近接武器専門且つアタッカータイプかな」
「へぇ〜、成程。其れで大剣とか剣タイプばっか使ってたんだぁ」
「槍も持ってるけど、槍はおもに刺突がメインだから一点集中型の攻撃範囲狭めになっちゃうんだよね。武器レベルや合成の仕方によっちゃあ今よりも強くなるし扱いやすくなるんだろうけど、まだ其処まで強化してないし、基本武器の方の強化もまだまだだからなぁ。取り敢えず、攻撃範囲広め且つ扱いやすい事で剣タイプを選んでるかな」
「まぁ、ぶっちゃけモーション格好良いもんね! こう、大きな武器振り回すのって、憧れちゃうし……っ!」
「そうそう! 連撃重ねられた時の爽快感とか堪んないし、衝撃波も付いて敵が思い切り吹っ飛んでくれるのとか最早最高と言っても良いよね!!」
「分かる〜っ! 普通にバトるだけでも戦闘モーション格好良過ぎて見てて楽しいもん〜!」
「はははっ! 俺のプレイレベルでもそうやって言ってもらえるんだったら、何時いつでも歓迎するよ。つって、イベント期間中はあんまり他の事に時間割けないんだけどな」
 華麗に空中回転を決めての大技を決めたキャラクターが、戦闘を終了して画面が探索モードへ切り替わる。再びマップ上を駆け出したキャラクターが先へと進んでいくのに合わせて、雇い主の視点も画面上のキャラクターを追ってあっちへ動きこっちへ動きと忙しない。其れをまたチラリと横目に眺めながら、合間にズズズッ、と湯呑みのお茶を飲んだ。淹れたのはもう随分前の事だったから、すっかり温くなってしまっていたけれど。
 其処で、ふと彼女の分の飲み物が何も無かった事に気付き、慌てて卓上に伏せられた予備の湯呑みを手に取って何か飲み物を淹れようと腰を上げた。
「御免っ! 今気付いたけど、雇い主の分の飲み物何も用意してなかったね……! 今何か用意するから、希望あったら言って!! お茶なら、急須に鶯の兄さんオススメのお茶っ葉入ってるから、其れ飲めるけども……っ!」
「あー、うん。有難う。けど、別にそんな焦って用意してくれなくとも大丈夫よ〜っ。俺も飲み物の存在忘れてゲームに夢中なってたし」
「なら、良いんだけど……。ところで、希望の方は何も無い感じ?」
「ん〜。じゃあ、寒いからあったかいのという事で、ミルクティーにしようかな。ココアとも迷ったけども、ココアは時間経つと沈殿しちゃうからゲームやりながらだとちょっとね」
「了解です……! ミルクティーね。ちょっと待ってて〜っ」
 お軽く飲めるインスタント類を纏めたスペースを漁くってお目当ての物を見付ける。スティック状のミルクティーの粉を手に取ったら、其れを湯呑みへ開封して、卓上ポットからお湯を注ぎ、スティックスプーンで掻き混ぜる。
「ハイ、お待たせしましたぁ〜っ。ご注文の八丁特製愛情込みのホットミルクティーで〜っす!」
「ふはっ、何その追加コメント。ウケるんだけど」
「ウケて欲しくてわざと付けましたっ!」
「あ〜もう、ウチの子が可愛い。そんなん言われたら、普通に猫可愛がりしちゃうから」
「えへっ。俺はもう新刃でもなくなっちゃったけど、これからもずっと可愛がってくれたら嬉しいです……!」
「ふふっ、当たり前じゃん。こんなに可愛い子を早々手放す訳がないだろう?」
 何気無く零された言葉にピタッと思考が止まって、ついでに変に動きまでも止まってしまった。ゲームに夢中な彼女は其れに気付かず、受け取ったミルクティーを飲もうとして猫舌故にまだ熱過ぎたのか、手に取った湯呑みをそっと卓上へ戻して再びコントローラーを握り、画面を操作する。そんな彼女に対して、敢えて踏み込みたく思ったのか、不意に仄暗い感情が鎌首をもたげて口を動かしていた。
「ねぇ、さっき使用武器に関しての話題投げちゃったけどさ……アレ、俺への変な気遣いとか含んでたりした?」
「え……? 何で?」
「ほら、ゲームで武器と言えばさ、当然銃火器のタイプだって出て来る訳でしょ? 其れなのに、敢えて直接話題に挙げなかったのはわざとかなぁ〜って!」
「いや。単にまだその手の武器持ってないから、実際のプレイ感覚を持たないが故に下手に会話繋げんのも微妙かと思って触れなかっただけだけど? あと、俺、過去に別ゲーで銃火器メインのヤツプレイした事あっけど、アレ結構ムズいからな。俺が基本プレイするのは三人称視点物で、全体を把握しやすいのが利点で好きなんだけど……メイン武器が銃タイプってなると、必然的に視点がFPSタイプの二人称視点になるから、正直苦手なんだよね〜」
「へぇ……其れは、謙遜とかでも何でも無く?」
「此れはマジな話。前に一回だけプレイしたけど、FPS視点は慣れないとメチャクソ難しい。上手い事標準合わせなきゃなんないしで、オートスコープ使ってもエイム下手くそだし。だから、基本的に自分がゲームする時に使うのは剣タイプが多いのよ。剣タイプは大体初心者にも優しい設定だし。自ら敵に突っ込んでバッサバッサ斬っていく感覚がスカッとして堪んないんだよね〜。ので、仮にこのゲームで射撃戦闘始まっても極力銃タイプ扱うのは避けたい。まぁ、ストーリー進行上避けるの無理なんだけどな! このゲーム、始まって初っ端いきなり射撃戦闘からスタートだったし……っ!! 苦手分野から逃げられない運命だよ、ドチクショウ!!」
「あれっ……そうだったの? 俺はてっきり、俺が銃属性持ちだけどむっちゃんみたく扱えないから触れないようにって、敢えて避けてるのかとばかり……」
「普通に何も考えずに喋ってたよ。今の俺、完全にゲームの事しか頭考えてないから、八丁君が思ってるような事は何も考えてなかったんだぜ。つか、八丁君の中で俺ってどういう位置付けされてんの?」
「えっと、審神者として、各刀剣男士達を客観的に全体的に監督しつつ見守ってる感じのポジション……?」
「えぇ……君ってば、そんな風に考えてたの? 俺、ぶっちゃけ言うけど、君が思ってる程何も考えたりしてないよ。元々難しい事考えるの得意じゃない脳筋思考だし。とか言いつつ、度々変に難しく物事を考えてたりする事もなくはないけども。ゲームやってる時は目の前の事に集中しないと、操作が覚束無くなって下手したら操作選択ミスるからなぁ。其れで何度もミスってきた人間だし……。そもそも俺は、君達の事は基本的には当刃等の遣りたいように任せてるから、自分達が好きに在りたいように在れば良いんだよ。俺もそうしてるし。自分偽るより、自由に有りの儘の自分を出しちゃえば良いんじゃないかな? 少なくとも、俺は其れを否定とかしないよ。君は君が居たいように居れば良い」
 契約期間も末になって漸く貰えた欲しかった言葉に、胸の奥底から熱いものが込み上げてきて、つい言葉に詰まって何も返せなくなった。けれど、彼女は何も気にしないまま、素の感情で以ての言葉をくれる。
「まぁ……要するに、俺も大概放任主義だから、君がしたいようにすれば良いと思う、って事を言いたかっただけだよ。俺も基本的には自分のしたいようにやってるしね。例えば、一人称についてだとか、分かりやすい振る舞い方だとか。敢えて女らしくしていないのも、俺の個性そのものを表してるからね。そういう意味では、此処は何者だろうと否定されないから肩身が広くて楽かな。浮世じゃまだまだ理解が乏しくてそうも行かんからねぇ。まっ、審神者業界なんざ、人間ばかりが相手ではないから当然っちゃあ当然か。普通に亜人やら人外の類がうじゃうじゃ居るし」
「えっ、其れ初耳なんですけど……っ!?」
「たぶん、その内お目に掛かる機会やお会いする機会もあるだろうて。演練やら会合の際は各本丸の人達が一同に集まるからね。俺もまだそんなに見てきてはいないけども、チラッとだけなら面布でお顔を隠した如何にも人外らしい審神者さんを審神者会議の時に見掛けたかね。珍しいかもだけど、人間よりも霊力とかそういうのには長けてるだろうから、普通に重宝されてると思うよ。まぁ、俺は所詮凡人故に、幾らでも代わりが利くという末端も末端の盤上に置かれた一兵士の駒に過ぎんから、関係の無い話だがね」
 そう話を締め括って一区切りとした彼女が、ポーズ状態に画面を設定し、握っていたコントローラーを安置した。そして、少しばかり冷めたであろう湯呑みを再び持ち、再度飲む事へチャレンジする。お試しに一口ズズリッ、と音を立てて啜ると、やはりまだ熱かったのか、舌先を出したまま顰めっ面を作った。しかし、多少の熱さならば我慢して飲めない程でもないようで、ちみちみと少しずつ上澄みのみを啜るように口を付けていく。そして、温かな湯呑みを両の手で包み込むようにして触れ、ホッと一息く。
「うん……甘くて美味しくて、あったかい」
 繕われる事無く零された言葉は、ストンッと音のまま胸の奥底へと落ちていった。一瞬、皮肉を含んだ棘のある声音で言われた“代わりが利く”との言葉にヒヤリとしたものが胸中を占めるも。次に落とされた彼女の何気無い呟きに、冬の寒さに悴み凍えるあまりに閉ざしかけていた心の壁を、緩やかに溶かされていくのを感じた。穏やかな熱が、温度が、一度焔に焼かれて使い物にならなくなった事へ怯える心をくるみ、解していく。有りの儘で居て良いのだと諭す言葉は、御仏からの御告げのようですらあった。最早、菩薩なのではなかろうか。
 間の抜けた顔を浮かべながら、ポロリと何も取り繕っていないままの言葉を独り言ちる。
「……雇い主って、前世は菩薩か何かだった……?」
「はっ? 何じゃいきなり」
「あっ……いや、ごめっ……今の無し! 何でも無いから、今の忘れて……っ!」
「いや……いきなり脈略も無い意味不明な事言われて気にするなって方が無理ゲーなんだけど」
「本っ当御免……! 今のはマジで何でも無いからっ……忘れてください……ッ!!」
 唐突に変な事を口にした自覚が後からやって来て、妙な恥ずかしさを覚え、慌ててその場を取り繕う言葉を捲し立てた。其れを訝しみつつも、深くは追及する気は無いのか、言われたままにこれ以上触れてくる事はしなかった。代わりに、此方へくれていた流し目を画面へと戻し、まだ熱いミルクティーをまた一口程音を立てて啜って言う。
「君が何を思うかは自由だから、其れを制限するような事を言うつもりはないが、変な事だけは考えるなよ。あまり俺の口から言えた事ではないがな」
「え…………」
「君は、この本丸へやって来た時点で俺の刀だ。此処で顕現した以上、他所へ遣る気など一ミリ足りとも無い。そもが、譲渡という仕組みは、この業界においては跡目への継承を除いて例外は無い。君が何を考えているのかは知らんが、あまり考え込み過ぎるなよ。人の思考というものは、考えれば考え過ぎる程ドツボに嵌まる。其れを悪いとは言わんが、変に考え込み過ぎると、己を破滅させるような事まで考え出す。例えで言うなれば、俺のやらかし話とかな。俺の中では、当時の事は既に過去の事として消化し、其れを経たから今があるのだと腑に落ちている。故に、今更過ぎ去った過去の事を兎や角言うつもりもない。持ち出したところで、過去の悔恨を思い出して辛くなるだけだしな……。今は泣きたい気分とかでもないから其れをする気にもならんが」
「つまり、何を言いたいの……?」
「あ゙ー……すまん。言語化するのが苦手で回りくどい言い方をした……。要するに、あまり考え込み過ぎるなと言いたかっただけなんだ。君が何を考え思うのかは、思想の自由であるから制限する気は無い。好きなだけ考えたいだけ考え、その先を歩めば良い。だが、破滅の道だけは辿ってくれるな。お前は既に俺の刀なんだから、下手に失う事になって欲しくはない。其れは、他の刀等にも言える事だ。俺は、自分が所持する刀剣等を一振りとて欠かすつもりはない。己の命と言っても過言ではない程の宝物だ。仮に、己の命と共に天秤に掛けるならば、当然お前達が生きる道を選ぶ。……頼むから、俺のようにはなってくれるなよ」
 彼女の言葉が痛いくらいに心へと響いて、自分の顔がくしゃりと歪むのが分かった。けれど、其れを押し止める術を今は持たない。
「俺……ずっと聞けなかった事があるんだけど、聞いても良い……?」
「何だい」
「……俺は、八周年を記念して実装された刀であると同時に、名前にちなんで末広がりを冠する刀でもあるよね。でも、もうすぐその時も終わる訳だから、俺の契約期間は終わるんでしょ……? もし、俺の末広がりの意味が、雇い主の審神者就任八周年を迎えるまで契約延長が可能って意味だったなら、あと三年は契約期間残ってるんかなっ? 其れなら、まだ遣り残した事いっぱいあるから、其れを一つずつこなしていく時間に押し当てられるし、助かるけど……」
「は――? お前、何つった……?」
 途端、声のトーンを一段階も二段階もガクンと落として声低く問うてきた彼女の声が刺さる。ついでに、態度を変えた痛い視線までもが突き刺さって空気がピリピリとする。其れに臆さず喉に詰まりかけた言葉を必死に絞り出そうと喘いで口にした。
「だって、そうでしょうよ。その為に、俺なんかに“八周年”という重みと“末広がり”という験担ぎみたいな意味を掛けてきたんでしょ? じゃなきゃ、燃えて使い物にならなくなった上に混ざり物の多い俺なんかが喚ばれる訳ないっしょ」
「其れは違う。いや、違くはないんだろうけども……っ。少なくとも、君が“必要ではない物”という意味ではないぞ。つか、その辺は完全に政府の所為だから俺の責ではないんだが……っ。あーもうっ、ただでさえ個性闇鍋状態な中でも埋もれない個性を発揮する刀だってのに、政府が無責任な真似するからこういう事態が起こりかねんのだよ……!」
「え……や、雇い主……?」
「取り敢えず、端的だけでも言っとく。俺は、この本丸に来た奴は一振りとて手放す意志は無いからそのつもりで。そもそも、八周年のみ限定顕現とか無いからな? さっきの俺の就任八周年までが云々とかについては、たぶん、大包平辺りに吹き込まれた事が原因だろうが……っ。大包平四周年だとかの事に関しては、当時まだウチが設立して半年経ったばかりの頃だった事と、大包平を入手したばかりの頃とかが諸々重なって後から知った事だ。まぁ、一応審神者就任記念を五年目も超えた今じゃ、大包平もウチに来て同じ時を過ごした事になるが……。別に、大包平の言った言葉にお前が思うような意味は全く含まんと思うぞ? 彼奴はただ、其れくらい長くこの本丸で馴染んだ上で存在証明を果たせという意味で言ったんじゃないか? 飽く迄も、俺の自己解釈で悪いがな」
「俺の、存在証明…………?」
「不安に思う気持ちは分からんでもないよ。俺も、審神者になる前からずっと今も変わらず自分の在り方を……存在証明の方法を探してる。俺には、審神者という役職しか自分を証明出来るものを持っていないからな……。其れを失くしたら、果たして俺に残るものとは何なのだろうか、と……思わぬ日々は無いよ」
 まるで男の如し振る舞いで、まさしく“男前”という言葉が似合うような、そんな勇ましく逞しいつよつよ審神者である彼女でさえも、未だ自分の在り方に答えを見付けられずに居るのか。ならば、人間始めて今年で二年目へ突入するばかりの自分が分かりっこない筈だ。既に生まれてこの方三十年近く生きていても尚、生きる事に懊悩を抱えて生きている彼女でさえ分かり得ていないのだから。まだまだ未熟で青い自分が分からなくて当然であったのだ。そんな事にすら気付けないとは、余程余裕を失っていたようだ。道理で上の空ばかりで雑務に身が入らず、挙げ句の果てに無様にも怪我などしてしまうのだ。
 悩みの種が紐解けた途端、何だか馬鹿馬鹿しく思えてきて、苦い笑いが込み上げてきた。流石に情けなさ
過ぎる顔だけは見られたくなくて、卓下へと俯き、「はッ……、」と短く息を吐き出した。
 何だ、こんなあっさりとも答えを貰えるのならば、もっと早くに聞いておけば良かった。そんな事を思いながら、グスリと緩んだ涙腺から溢れてきた涙と鼻水を啜る。すると、ギョッと目を剥いた雇い主が、湯呑みを置いて慌てて側へと寄ってきた。涙目となっている顔で恥ずかしいからと隠す手に、ならばと頭を引き寄せられて肩口へと押し付けられる。そうして、抱き込んだ己の頭や背中をゆるゆると撫で、宥めるように柔らかな声音で耳元へ囁いた。
「君が悩んでいるだろう事には気付いていながらも、自分自身で答えに辿り着いた方が良かろうと思って敢えて何も言わなんだったが、其れが逆に作用してしまったか……。すまなんだや、八丁君や。けれど、一度足りとも君を蔑ろにした事はないから、其れだけは分かっておくれ。分からない事で悩んで辛かったな。すまんかった。俺という人間は言葉足らずの人間故に、多くを語る事を拒むでな……。なれど、語らねば伝わらん事もあると分かっていて、結局この有り様なのだから世話無いのぅ。人間やって何年なんだと、笑っておくれ」
「ッ……、雇い主って……度々思ってたけど、本当は幾つなの……? 時々今みたいに爺臭い……って言ったらアレだけど、妙に年寄り臭い言い回しするよね……。何で?」
「さぁてな。其れが俺たらしめる事だと思ったが故に吐き出しておるだけよ。……まぁ、審神者になってから其れなりに長く平安の刀共と語らう場面が多いでな。自然と移ったのやもしれん。あとは、単に俺が田舎の出で、この喋りが板に付いてしもうたのが原因かの。ちな、俺の歳は三十路手前である事に偽りは無いぞえ。そもが、たかが歳一つどころにサバを読んだところですぐに知れるところであろ? 嘘をく必要性を感じんよ。俺は己の歳などあまり気にせんのでな。疾くと昔に成人を迎えて其れなりに経つ、其れだけ分かっていれば十分であろ」
 見た目にそぐわず老齢とした言葉遣いでクツクツと喉を鳴らして笑みを零す。己の在り方を決めるのは己自身だが、その身に齢以上のものを抱えて身をやつしてまでそう在ろうとするのは何故なのか。自分の存在意義すら定まり切れていない己が口を挟めた事ではないか。
 ただ、今は、与えられる人の温もりを享受する事だけを考えていよう。そう思って、中途半端に捻った体勢だったのを全て彼女へと委ねる形へ向き直り、背中を丸めて彼女の体へと縋り付く。傍から見たら超絶格好悪い姿に見えるだろうけども、今は二人きりだし。偶の一時くらい、こうして雇い主へ甘えてみたって良いだろう。普段はあまり甘えるという事をしない分、だいぶ不恰好に見えるだろうけども。
 そうこう雇い主へ正面から抱き着くみたく居たら、不意に居室の入口の戸が開けられて、第三者の視線が注がれる。
「やぁ、此れは此れは……何とも珍しいものを見たな」
「ぇ……その声は、鶯の兄さ……ッんぐ、」
「良いだろう良いだろう。お宅の可愛い弟分が珍しく甘えたなところを見せてくれたんだ。いやはや、此れ程嬉しい事はあるまいよ」
「羨ましい事この上ないが……一先ず、貴重な場面という事で、一枚――否、何枚と言わず写真を撮っても良いか? 記念に記録しておきたいんだ」
「良いぞ。俺が許す」
「ちょっ……! 雇い主っ!?」
「うははっ、俺の可愛い刀が折角せっかく甘えてきてくれてるんだ。こんな機会なかなか無い分、邪魔だけはしてくれるなよ」
「成程。主の方も満更ではないという事か」
「当たり前だろう。俺が欲しくて堪らなかった中、早い段階で来てくれた御刀様だぞ。あまり他人へ甘えたがらない甘え下手な質故に、なかなか俺へも甘えてくる事が少ないんでな。この場を代わってはやらんぞ」
「ふふっ。わざわざ可愛い弟分である八丁から主を取ったりなんて真似はせんさ。一先ず、今日の日記への筆が早速進みそうで俺は嬉しいぞ」
「待って、頼むから離して、お願いします、これ以上は恥ずか死ぬから許してぇ……ッッッ!!」
「にゃんだ、もう終わりか……残念だ」
 そう言って、漸く解放してくれた彼女の腕の中から抜け出し、ぷはりと息を吸って乱れた髪もそのままに赤らんだ顔を更に赤らめて告げる。
「そんなに言うなら、また甘えさせてもらうから……! 今日のところは勘弁してくださいっ!!」
「……おい。聞いたか、うぐよ」
「バッチリ聞いたな」
「言質取れたぜ。どや」
「面白い流れになってきたな。よし、大包平を呼んでこよう。ついでに、彼奴の事も構ってやってくれ。最近は、新刃の孫六兼元や其れ関連の連中ばかりを構い倒していたから、妬いているんだ。変に拗ねられこじれる前に甘やかしてやってくれ」
「おう。了解した。ばっちこいや」
「ふふっ……いやぁ、愉快愉快っ」
 親指をグッと立てて主張する雇い主に頷いた鶯の兄さんが、今しがた開けた戸を閉めて出て行く。その手前でまた一瞬撮影機カメラのレンズを向けられて、すっかり赤く染まり切っているであろう顔を撮られた事に、内心穴があったら埋まりたい気持ちに駆られるも。今は其れをしたら逆にドツボに嵌まりそうな気がして押し留まった。
 代わりに、再び二人きりとなった空間に安堵して、先程埋まっていた彼女の懐へ改めて頭を埋める事にした。すると、頭上から擽ったそうに微笑む雇い主の含み笑む声が降ってくる。
「何だ何だ、どうした……? 本格的に甘えてくれる気になったってか?」
「こうなったのは雇い主の所為だから……っ。責任、取ってください……!」
「おやおや、まぁまぁ。何とも可愛らしい事を言えるようになったじゃないの。君が成長してくれて、見守る側としちゃこんなに嬉しい事はないよ」
「ッ〜〜……そういうの、今は良いんで……っ! ちゃんとハグしてください!」
「はははっ、ハイハイ。ハグなんてお軽いもので宜しいのなら、幾らでもどうぞ」
「言ったね……? 二言は聞かないから、俺を辱めた責任を取るという意味で覚悟しておいてね。雇い主っ!」
「えっ……?」
 幾ら可愛い弟分だろうと部下だろうと、男女に変わりはないのだから、あまり油断という隙を見せられていたら、己とて男なのだ。鋭く尖った牙だってある。謂わば、狼にも等しい者をそんなにも緩く懐へ招かれては堪ったものではない。
 故に、此れは、ほんの気紛れが引き起こした戯れに過ぎない。すっかり油断し切っている彼女へ抱き着くと見せかけて、両肩を掴み、首筋へ顔を寄せてかぷりと甘く噛み付き牙を立てた。その上で、噛み付いた箇所へ控えめなリップ音を鳴らして口付け、最後に耳元でトドメの囁きを落とす。
「可愛がってくれるのは嬉しいけど……俺も男なんで、あんまりこういう事されると身が持たないから控えてもらえると嬉しいなぁ〜、なぁんて。以上、雇い主の可愛い傭兵さんからの忠告でした……っ! 此れに懲りたら、あんまり揶揄からかわない事っ。俺だって狼なんだから、期待させるような真似続けられたら、ぱっくり行っちゃうかもしれないからね? 次は外さないから。雇い主のハートを狙い撃ちしちゃうかも。バキュ〜ン!――ってねっ」
 そう言って身を離せば、さっきまでの己と負けず劣らずの赤さ加減で顔を真っ赤にした彼女が固まった状態で見つめてくる。其れに可愛いながらも雄の顔をチラ見せながら不敵に笑って返してみせるのだった。
 己の存在意義が定まった暁には、彼女を手放す事はしないと己の色で染め上げる覚悟を決めた。最早残りは秒読みで数えるのみである。自分と同じ青色に染まった彼女はどんな風に映るのだろうか。早くこの目に焼き付けてみたいと、反対に彼女を抱き寄せて懐へと閉じ込めた。

 ――その後、遅れてやって来た包平の兄さんから、雇い主に抱き着く様を見た上で次のような感想を頂いた。
「何か……聞いていたのと違う気がするんだが……気の所為か? 鶯丸の奴から聞いた話では、主の懐に収まる形で丸まっていたと聞いたんだが……。何か、児啼爺こなきじじいみたくなってないか、コレ??」
「おや、本当だな。さっきまでとはまた違った光景になっているが……まぁ、此れは此れで面白いからそのままにしておこうじゃないか」
「其れもそうだな。八丁が誰かに甘えているという、貴重な機会に変わりはないしな」
「ちょっと待って。見てないで助けてよ御二方。君達も大概身内に甘い事は知ってるけど、さっきと状況が変わったんだって。頼むから気付いて察してくれよ古参刀……ッ!!」
「いやぁ、折角せっかく八丁自ら甘えてきているんだ。其れを邪魔するのは惜しい」
「そもそも児啼爺て通称背中にへばり付いた図を言うんだろ。八丁君のコレは正面からだから些か異なるんだけど、その点は無視か?」
「細かい事は気にするな」
「頼むから気にして!! 八丁君何気力強くて苦しいから助けて!! あとこの図普通に恥ずかしいのですがッ!?」
「大方、主が余計な一言でも言ってそうなったんだろう? 素直に認めて大人しく八丁からの甘えたを享受していろ」
「このままじゃお前の事も可愛がってやれないから一旦助けてよ、ねぇ!?」
「可愛い弟分が主と戯れ付いているところを見るだけでも十分癒やされるぞ。そういう意味では、この事を教えて呼んできてくれた鶯丸には感謝するぞ」
「真面目な顔して何惚気けた事言ってんだ、この弟馬鹿ァッッッ!!」
「目に入れても痛くない程可愛い弟分を可愛がって何が悪い」
「此奴開き直りやがった、だと……っ!?」
「其れはそうと、俺達ばかりに構っていて良いのか? 八丁が餅を焼くかもしれんぞ」
「そんな馬鹿にゃ……っ、あぐえぇ……! ちょっ……はっちょく、締まってる締まってる……ッ! タスケテ……!!」
「相変わらずフラグ建築士のフラグ回収の早い奴め。学習しないな」
「あにょっ……本当の本気でヘルプミー……ッ!! 色んな意味で泣きそうにゃんだが!?」
「おっと、其れは流石にまずいか。主を泣かしては、過保護なガチ勢が殴り込んで来かねんしな。程々で解放してやれよ、八丁」
「はぁ〜いっ」
「ちょっと、今の今まで聞いてたのならちっとくらい緩めてくれても良くなくって!?」
「ん〜……此れは、さっきの問答に対しての俺なりの証明だからぁ。雇い主は今は大人しく俺からの重い愛を受け取っててくださぁ〜いっ」
「ひぃんっ! 刀剣男士定期で重い愛ぶつけてくるやんけ!! 許すけど!!」
「其処で許しちゃうから甘いって言われちゃうんだけどなぁ〜。……ま、いっか。忠告はしたし、次からは本気で攻めるよって宣言もしたし。少しは意識してもらえるよね」
「え゙ッ……待って、超待って」
「もう待たないよ。雇い主も覚悟決めてよね? 俺に本気で狙い撃ちされる覚悟っ」
 そう言ったキリ呼吸を止めた彼女は、現実逃避という宇宙猫の旅に出てしまったらしい。あんまりにも静かになってうんともすんとも言わず動かなくなったから、腕の力を緩めて閉じ込めていた中を見遣れば、いつの間にか意識を飛ばしたらしき雇い主が目を回していた。ちょっと攻め過ぎの遣り過ぎかなって反省したけれども、其れくらい自分達から向けられる愛情は重たいんだって事を理解してもらえたら嬉しい。
 だって、もう俺は逃げないから。自分の気持ちと向き合って、確固たる存在証明を探し出してみせるから。雇い主の存在証明も纏めて引っ括めて背負ってあげる。其れが、今の俺に出来る唯一の事だから。
 俺は、八丁念仏。今の雇い主の求める声に応じて顕現を果たした、末広がりを冠した刀だ。実戦刀らしく、彼女の行く末の未来も守れるように、薄暗い焔なんかに飲まれず刃を振るってみせる。其れが、彼女の刀としての答えになるから。
 狙った獲物は外さないよ。絶対撃ち抜いてみせるから、今だけは見逃してあげる。その内、本気で囲って離さないけどね。


執筆日:2024.01.13