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煩悩百八打ち消すどころの話じゃない



 今年も残りほんのあと僅かという年の瀬となった頃。本丸では、毎年恒例年末年始の冬の連隊戦に駆け摺り回り、最早脳死しながらそれぞれ疲労と眠気と戦いつつ、目標の御歳魂十万個を目指して周回していた。周回の為に駆り出された出陣部隊の者共は、審神者の采配を受けるなり立ち入れ替わり編成の通りに本丸と冬季限定戦場とを行き来する。戦場へ出て行く時も、また、帰城した時も、皆揃って審神者の元へ訪れて一言声をかけていくのも、一種の風物詩であった。
 今もまた、本日何周目の周回か忘れてしまったが、出陣していった三部隊分の者達が一言審神者へ声をかけて出て行った。其れに対し、審神者は部屋に籠もったまま、雑でぶっきらぼうな端的な返事のみを返して見送る。
 審神者と出陣していく周回部隊皆々様方の遣り取りを傍から眺めていた、傍観者兼近侍で暇刃の孫六兼元は、ノルマをこなす為とは言え、時間が経過する毎に窶れて口数の減っていく審神者の様子を見兼ねて、ポツリ零した。
「なぁ、主人よ。あんたが置かれているであろうこの多忙を極める現状は、本当に毎年の事なのかい……?」
「そうだが……? 何か問題でもあるかね?」
「いや……確定報酬の為に周回に集中するのは別段構わないんだがな。時間経過と共にあんたの窶れ具合が加速していくんで、どうしたものかと思って」
「どうもせんくて良いて……。最早毎年恒例の事やし。今年は弱小回線問題が解決しただけでもだいぶ周回が楽になってるから、去年の時と比べたらクッソマシやで」
「俺がまだこの本丸に来ていない時の頃の事は知らないが、そんなに大変だったのか……。いやはや、そんな大変な環境の中でもこれまでも今と同様に戦い続けてきたのかと思うと、感慨深いね。涙ぐましい努力とやらの結晶が、本丸に所属する刀数に表れている訳か」
「あ゙ー……まぁ、そういう事になるなぁ……」
 ホログラム投影されたモニター画面から目を離さず、行軍するか否かの指示を半ば流れ作業の如し様子で行い、画面を見続けて疲労と眠気の蓄積した据わった目付きで相槌を返す審神者。たぶん、半分くらいは上の空で適当な返事を返していると思われる。しかし、わざわざ其れを指摘するような真似はしない。
 代わりに、審神者が周回の指示を飛ばす作業スペースとして収まる炬燵の向かい席から慰労の意味を込めた視線を投げて寄越して微笑む。
「さっきから返事が雑になってきているな。さては、あんた、既に相当眠気がキテいるだろう? 休憩は挟まないのか?」
「今日のノルマ分終わるまではぶっ通しでやらないと後が詰まる……っ」
「だが、見たところ目の充血も酷いようだし、結構辛くなってきているんじゃないか?」
「最悪気休めでも良いから目薬点して其れでリセットするわー……。まぁ、今の疲労度と眠気をグラフ化したら、確実に限界に近いだろうけども。正直今休むと周回に差し支えるからちょっと困る……っ。でも、目がかなり重くなってきてんのは事実で、控えめに言ってしんどい…………。誰か追加のカフェインを頼む」
「珈琲とやらで良かったかい?」
「単体ブラックは俺苦くて飲めないから、二種類ブレンドした上でミルク追加お願いします……。少しでも胃に優しくありたい……ッ」
「眠気覚ましの飲み物とは聞いているが、飲み過ぎには注意しろよ? ただでさえ主人は胃腸が弱いんだ。胃を荒らすものの摂取は極力控えて欲しいところだが……現状そうも言ってられんか」
 錬度が上限に達してからは、カンスト組として一旦前線から退き内番や遠征をこなす等の後方支援部隊へと役割を移された孫六。その分、本丸から離れる事が減ったので、審神者と接触する機会は増える。現在進行形で近侍を担っている事もあって、審神者の現状を逐一把握出来る事は嬉しく有難いが、審神者が無理をしないよう見張りも兼ねている為、油断は出来ない。
 眠気覚ましの珈琲のおかわりを所望した審神者の為に、備え付けで置かれたインスタント珈琲の類から二種類の物を手に取り、お湯の代わりに電子レンジで温めてきた牛乳を空のカップへ注いで、珈琲の粉末を投入した。スプーンでよく掻き混ぜて程良く冷めたぐらいで審神者へと手渡してやるところは、出来た男だ。審神者の好みや猫舌加減を把握する程近くに居る事が窺える。
「ほらよ。主人ご所望の珈琲だ」
「あざーっす……ミルクたっぷりめの珈琲が沁みるゥ……ッ」
「ははっ、大層お疲れな様子だな。まぁ、程々のところで切り上げるようにしろよ。あんたが倒れては元も子もない」
「うっす……」
 猫舌故か、ズズッ……と音を立てて啜る審神者。冬の寒さは室内に籠もってさえいれば、炬燵等の暖房器具という便利な利器があるので、暖まれる。絶賛二人揃って炬燵に足を突っ込んで、その抜け出し難い暖かみに嵌まり込んでしまっていた。その上で、審神者は疲労と眠気が蓄積していたので、炬燵で温められた下半身がポカポカと眠気を誘って仕方ない。故の、反抗へのカフェイン摂取である。まぁ、所詮気休めに過ぎず、疲労度が限界を突破したら否が応でも意識は落ちるだろう。そうなった時は、寝落ちた審神者の回収をするべく近侍の出番である。
 疲労の蓄積でショボショボとした目を手元の端末へ落としながら操作を続ける審神者が、ふと徐ろに口を利いて呟きを落とした。
「……そういえば、今日って大晦日だっけ」
「あぁ、現在の暦上で言うなれば、今日がその今年一年最後の日というやつだな。其れがどうした?」
「大晦日と言えば、昔、子供の頃に除夜の鐘撞きに行ったなぁ〜って……」
「あぁ……人の子が嘗て昔から続けてきている習わしのようなものの事か。主人にも、そんな過去を懐かしむ感傷があったんだな」
「まぁ、今は絶賛感傷に浸る云々よりもまずは一周でも多く周回をこなす事ですがねぇ〜……」
 ズズリッ、また一度ひとたび牛乳で甘さたっぷりの珈琲を啜ってうにゃうにゃとした返事を返す。眠気も相俟って半寝惚け状態にも等しく思える口調だ。此れは、寝落ちるのも秒読みか――なんて考えている時である。
 再び口を開いた審神者が脈略も無い呟きを落としてきた。
「百八と言ったら、煩悩の数だったよなぁ……」
「は……? 何だって?」
「孫六さん……数で言ったら、百八振り目での実装及び顕現だったから……まさしく煩悩の数に等しき皆が大好き性癖の特盛ハッピーセットじゃん。よっ、流石は百八振り目に来た男〜! 色男加減も憎いくらい良い男で、全審神者が色めき立って沸く訳だよ……。スタンディングオベーションも然る事ながら、性癖祭り過ぎて内心ワッショイからの脳内処理追っ付かんてね〜」
「いやいや待て待て待て……っ。突然煩悩の数が何だと言い出したら、今度は俺の事へ話題が飛躍して驚きを通り越して俺の脳内処理が追っ付かんのだが??」
「最早煩悩百八打ち消すどころの話じゃないって事だよぉ〜……。まさに欲の塊みたく実装された刀が来て、此れで狂わない審神者が居ようものなら会ってみたいものだわさ。関の孫六の沼、計り知れん程深いぞ……。一度落ちたら底無し沼かってくらいずぶずぶ沈んで上がって来れませんでイヤッホイ」
「主人、主人や……もうその辺でやめておきな。本気でやばい状態だぞ……っ。あんた、既に支離滅裂な事を口走ってる自覚が無いだろう? たぶん、自分が何を言ったかの意識も残ってないな?」
「煩悩の数をほしいままにした孫六さん、最強説……!」
「駄目だ、こりゃ……。てんで俺の声が届いてない……っ」
 突然支離滅裂な事を口走り出したのを見るに、深夜テンションでハイになっている時と同様の状態にあるようだ。恐らく、今の審神者の状態をスキャンして分析して表示する事が出来るならば、確実に“状態異常”表示が示されている事だろう。分かりやすく言い換えれば、赤疲労も通り越して疲労困憊を表していた。
 己の主人の精神が眠気と疲労の所為で半壊状態なのを見越して孫六は頭を抱える。
 疲労が限界突破したのか、無駄にハイなテンションモードに突入してしまったらしい審神者が、その横で窶れた顔をしたまま不気味なくらいにニコニコと笑みを浮かべて鼻歌を歌い出す。
「せっきぃのま〜ごろっく、凄い奴〜♪ この世で切れない物は無し〜♪」
「……主人、」
「あい、にゃんで御座いましょう」
「今すぐ寝ろ」
「あい……すいましぇん……」
 両肩に掴み掛かって凄んでみせれば、鼻歌をスンッ……とやめて萎々と萎れて勢いを無くす。
 丁度、連隊戦へ出陣させていた部隊もキリ良く難易度・乱を難無くこなして帰城してきたところだ。この辺りで休ませる事にしよう。
 眠気も過ぎれば、幾らカフェインを摂取しようと寝落ちてしまうものだ。最早眠気もピークに達してまともな思考回路すら持ち得ないのだろう審神者が、その場で丸く蹲って寝ようとするものだから、其れを回収し、奥の寝室まで甲斐甲斐しく運んで寝かせてやる。次いで、眠過ぎて着替えも儘ならないらしい審神者に代わって、よこしまな感情は一旦思考の端に追い遣ってテキパキと寝間着へと着替えさせてやった。
 寝間着となって服の締付が緩んでより眠気が加速したようで。布団へごろりと横にならせた途端微睡み初めて、早くも夢の世界へ片足突っ込んでしまっているらしい。布団の端を抱き締めるついでに世話を焼いた近侍の手までも抱き込み、顔の下に敷いてスリリと頬擦りをした。
 流石の疲労度MAXも限界突破したような疲労困憊状態な相手に手を出す程飢えてはおらず、また理性も保っていた孫六は、深々とした溜め息をきながらも審神者の甘えを許した。
「全く……こうも疲れた顔を貼り付けられちゃあ、手の出し様も無いじゃないか。限界突破までしてお疲れなところを抱く程、俺は無節操でも無いぞ。頼むから、次が訪れる時はもう少しまともな体裁を保っている時にしろよ……? そうでないと、俺も男が廃るってもんなんでね」
 まぁ、ほぼほぼ夢の淵に居る相手に向って何を言い募ったところで一つどころも覚えちゃいないし、屹度きっと何一つとして届いてはいない事は分かり切っているので、其れ以上何かを口にする事は無かった。代わりに、求められた分には応じてやろうと、寝に就くのに邪魔な装備を全て取っ払い、眠る審神者の横に体を滑り込ませて、懐へ抱き寄せ共に寝付いてやるのだった。


執筆日:2024.01.28