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うつつの夢



 嫌な夢を見た。
 変な夢を見た、というのが近いか。兎に角、夢を見た。
 悪夢に耐性の有る自分の分析では、怖い夢という程ではなかったものの、少なくとも良い夢ではなかったと思う。
 夢見が悪く目を覚ました時は、寝直すのも寝直しづらく、また、寝付き難い。幾重にも被さった布団の塊の中、目蓋を閉じたまま、眉間の皺を寄せて「ふすり……っ、」細長く鼻息をいた。
 外はまだ暗い夜明け前の色なのだろう、布団の隙間から見えた室内は夜と同じ薄暗さだった。相も変わらず、起きるには早過ぎる。おまけに、季節柄も相俟ってとてつもなく寒い。ちっとも布団から出て行く気にはなれなかった。だから、そのまま布団の中に籠もったままで居た。
 けれど、夢見が悪かった直後に続け様に眠ろうとすると、嫌な夢の残滓を感じて、何処となく据わりが悪い心地がした。まだ眠気もある故に寝直したい気持ちはあるのだが、そうすぐには眠り直せそうにないか。
 暫し、もぞもぞと布団の中で身動いで、枕へ据えるポジションを探る。そうしていると、ふと枕元付近に人の気配を感じて、一瞬身動ぎを止めた。何時いつから居たのだろう。全く気が付かなかった来訪者の気配に、相手は誰かを勘繰っていたらば、徐ろに布団越しの頭上に声が降ってきた。
「――あんた、また夢見悪かったみてぇだな。よくもまぁ、そんな短期間で何度も見るもんだ。まぁ、そんな何重にも布団頭まで引っ被って寝てりゃ、重さや息苦しさで夢見悪くなったとしても可笑しくはねぇけど」
 少し棘のある口調の、皮肉を織り交ぜた、けれど此方を気遣ってくれている事は分かる優しい声音は、肥前忠広のものだ。
 肥前の声は、そのまま布団は捲られる事無く、布団越しの頭上より降ってきた。
「……ったく、世話が焼ける奴だな。そういう時は、少しだけ布団から頭を出すんだよ。そしたら、被さった布団で酸素が足りずに息苦しかったのがちったぁ楽になる。寒くて冷えるのが嫌で全部布団の外に出すのが嫌だってぇーなら、頭の先っぽ出すだけでも違うからやってみろ。頭の先端出してみるだけでも、体を覆ってる布団との間に僅かながらでも隙間が出来っから、新鮮な空気が吸える。布団の中の空気を少し換気するだけでも、だいぶ違く感じるだろ……?」
 肥前の指図する通りに、気持ち少しだけ頭まですっぽりと引っ被っていた布団を浮かせて、頭の先端を布団の覆いから出した。すると、僅かに空いた隙間から冷たい空気が入り込んできて寒い。けれど、嫌な夢に魘されかけていた熱が引いていくようで、ホッと心が凪いだ気がした。
 其れを聡くも察したらしい。何も言っていないのに、此方の意図を汲んだ彼が布団越しから言葉を落としてくる。
「な、違ェだろ……? 次、同じような事起きたら、今俺が教えた事を試してみな。少しは気分がマシになるだろうよ。気分が落ち着いたなら、もう寝れるだろ? あんたが起きるにゃまだ早ェ時間だ。大人しく寝直して二度寝に微睡むこったな」
 一人では屹度きっと対処し切れず、また夢の延長線を見るところであった。何気無い声かけとは言え、助かった。礼を告げたく思ったが、今下手に口を開けば、其れこそ折角せっかくの眠気が吹き飛んでしまいそうだった。ので、結局彼の言葉への返事もろくすっぽ返さず、そのままうつらうつらと夢の淵に意識を引っ掛けた。
 夢とうつつの狭間で、ふと疑問に思った事を薄ぼんやり脳裏に浮かべていたらば、またもや聡く気付いた様子の彼が布団越しに呟きを落とす。
「何でわざわざこんな時間に世話焼きに来たかって……? そりゃ、理由なんざ一つに決まってんだろうがよ。あんたの寝覚めが悪けりゃ、俺の寝覚めも悪くなるからだっての。……其れ以外に何かあると思ってんのか? 俺は彼奴・・程お優しくはねぇーぞ。分かったなら、余計な事考えずに早く寝ろ。仮にまたさっきまでの夢の延長線を見たとしても、俺が斬ってやるから……其れで良いだろ?」
 ぶっきらぼうだけれど、其処には確かに彼なりの優しさが詰まっていた。
 特別な言葉は何も口にしていないのに。何も言わずに察する辺りが、何だか世話焼きのお兄ちゃんの様だった。
 すっかり夢の残滓に対する恐怖は薄れて、気持ちがほっこりと解れた。この調子なら、穏やかに寝直せそうだ。
 うつらうつらと舟を漕いでいた意識が、とうとう夢の世界へとぷんっ、と沈んでいくのを感じる。恐れず、微睡みの淵より深くなる睡魔に身を任せ、眠る事へ体の意識を明け渡す。
 夢の淵を揺らいでいた遠くの意識で、傍らに付いてくれている彼の存在を感じていた。其れがまた安心材料となって、深い夢へと落ちていく。


 ――気付けば、ぐっすり寝入っていて。再び意識を覚ました時には、すっかり日が昇り切った後だった。
 今日は風が強い日なのか、吹き荒ぶ寒風で激しく靡く洗濯物に、隙間風でガタガタと鳴る障子戸や窓硝子の音が聞こえてくる。朝だ。其れも、うんと気温の下がった寒い冬の朝だ。
 もそり、布団から抜け出て、ボワリと息を吐き出した。カーペット以外の暖房器具を起動させていない冬の室内は、酷く冴え冴えと冷え切っていた。けれど、其れが逆に寝起き頭の覚醒を手伝ってくれて丁度良い。
 起き上がって、服を着替えて、温水で顔を洗って、保湿クリームを塗り込んで。髪を簡単に結い纏めたりと、一通りの朝の身支度が済んだら、いつものルーティンをこなすべく審神者専用に設えられた離れの部屋を出る。そして、その足で母屋の厨まで向かい、起きて一食目の朝餉を頂くのだ。
「おはようさんです〜」
「おぉ、主かえ。おはようさんっ! 今日は凄く寒いからまっことひやいき、温うせんといかんぜよ」
「うん、外見たら分かる。今日は朝からめちゃんこ風強いねぇ。窓からでもクソ吹き荒んどるの見えたから、こらこんだけ寒いと雪でもちらつきそうやなって思うとったところやわ」
「寒い日には暖かい汁物が欲しくなるよね! という訳で、今朝の献立はあったかホカホカポトフスープだよ……! 大きめにカットしたじゃがいもはホクホクだし、ベーコンの塊もゴロゴロ入ってるよ! 勿論、蕩けた玉葱に彩りの人参もたっぷりさ!! 熱々に温めた物を提供するからには、冷めない内に食べて欲しいな……っ!」
「わぁ〜いっ、みっちゃんお得意の野菜ゴロゴロ洋風スープだぁ〜。寒い日のポトフは神料理です……っ」
「君がそう言ってくれるだろうと思って、今回も張り切って作ったよ! いや〜、今季連隊戦でまた一振り刀数が増えたし、其れも同派・長船派で米処出身刀なもんだから、厨を回す厨当番にはうってつけ! お陰様で料理人役が増えて助かってるよ〜!」
「早速ごっちん大活躍で何より」
 厨へ顔を覗かせれば、忽ち厨処へ集まっていた刀達から口々に声をかけられた。其れに受け答えてやりながら、自分の朝餉分を用意し、膳が揃ったら冷めない内にと厨のすぐ隣の居間か大広間等で頂く。
 今日は酷く冷える故に、一秒でも早く何か腹に入れて温まりたかった。となれば、厨に隣接する形で在る居間で食べるのが一番最適だろう。居間なら、少人数の者しか集まれないスペース故に、あまり人目を気にせず食事を摂る事に集中出来る。
 こんがり焼けたトーストにたっぷりとマーガリンを塗ったくって、味変用の黒蜜チューブなども用意出来たら、膳は揃う。飲み物も忘れず添えて、隣の居間スペースで“頂きます”をしようと両手を合わせていれば。遅れてやって来た黒と赤色の頭をした脇差が一振り、厨へ顔を覗かせた。
「はようさん。飯まだ残ってるか?」
「勿論、ちゃんと君の分も残してあるから、安心して食べてね」
「きょうは、あるじのすきなポトフスープなのだぞ。さむいあさには、ぴったりのメニューだ。やさいもおにくもたっぷりにこんであるから、とてもじようのあるおいしいスープだぞ」
「へぇ。その主は? まだ寝てんのか?」
「主なら、今日は既に起きていて、其処の居間で朝餉を摂っているところだよ。今日は殆どの者がゆっくり遅く起きてきているから、大体の者達は大広間へと固まって向かって行ったが……。主は寒さに耐え切れず移動する手間を省いた様だよ」
「あぁ……彼奴、骨と皮だけの痩せぎすみたいな見た目してっから、この寒さは堪えるんだろ。あれじゃ、身が無さ過ぎて鶏んガラの出汁すらも出やしねぇぜ、屹度きっと
「おいおい……っ。言いたい事は何となく分かるが、仮にも女主人に向かってその口の利き方はまずいんじゃないか? なあ、肥前よ」
「滅茶苦茶納得した顔付きで頷きながら言う事じゃねぇーだろ、テメェ……」
「あんたから言い出した事だろう?」
「喧嘩は駄目だぞ〜っ。喧嘩するなら、朝飯は抜きだからなぁ〜? 幾ら気に入らない事があったとしても、仲間ちりなんだから仲良くかながなぁーとぅしないと駄目さぁ〜っ」
「チッ……わぁーってるよ」
 厨へ顔を出すなり、本丸の料理人として腕を振るっていた一振りの孫六兼元に突っ掛かりつつも、自分の分の膳を揃えるなりさっさと飯に有り付く事にしたらしい。
 丼物器に大盛り御飯を盛って、何気無い様子で居間のスペースへとやって来た肥前。其れに視線を向けて、口の中いっぱいに頬張っていたのをもぐもぐと緩慢な動きでたっぷりと時間を掛けて咀嚼したのちに、口を開いた。
「昨日……? というか、たぶん時間的には今朝方の事だから今日か。夢の中?――では、お世話になりました」
「あぁ? 別に……世話した覚えはねぇから、気の所為じゃねぇーの」
「でも……あの後、夢見悪くなる事無かったっぽいので、地味に助かりやした。あじゃじゃます……っ!」
「だから、そういうの面倒だから良いっての……」
「俺が個人的に嬉しかったので、御礼言いたくて言っただけにゃので……! 半寝惚けの意識であんまはっきりとは覚えてないけども、俺が特に何も言わんくても察して世話焼いてくれたの、何やお兄やんみたいやったわ」
「はっ……?」
 ぽちゃりっ、口へ運ぼうとスプーンで掬った人参が転げ落ちてスープの中へ戻ってしまった。中途半端にスプーンを傾けてしまった為に、掬った中身が溢れてしまったのだろう。
 何故か呆けた顔をして此方を見てくる彼の危なっかしい手付きが気になって、つい要らぬお節介を焼いてしまった。
「肥前君や……そんままやとスープ溢すで。余所見せんと、手元見て食べり」
「あんたが変な事言うからだろうがよ」
「えぇ、俺そないに変な事言ったかね……?」
「言っただろ、今。俺の事指して“兄やん”だとかどーとかって」
「うん、言うたなぁ」
「――は? 今、主の口から肥前のに対して“兄やん”って聞こえたか??」
「外野は入ってくんな、鬱陶しい」
「相変わらず、わしに対してだけは凄くまっこと不機嫌で当たりが強いのぉ〜……っ。で……? 何で肥前のが“兄やん”になるがよ、主?」
「おい、ヒトの話聞けっての」
 厨から耳をそばだてていたらしい陸奥守吉行が、ひょっこりと暖簾から首だけを出して口を挟んできたのに対し、肥前が辛辣な物言いで突っ返す。だが、同郷故か、其れには意に介した様子も無く、追及の言葉を此方へ投げかけてきた。
 陸奥守の好奇な視線を受けて、止めていた箸の手を再開させつつ、時々忘れず口も動かして頬張った物を咀嚼する。
「夢かうつつの事かは知らなんだがやぁ。ちっくと嫌な夢を見た気がしてな、このまま眠ったらまた嫌な夢の続き見るんちゃうかな〜って思うてたんやけど……。そしたら、枕元か夢枕かどっちかは不明やが、肥前君が世話焼きに来てくれたみたいでな。お陰様で、その後はようぐっすり眠れたようで……。何や、甲斐甲斐しく世話焼いてくれたんが、まるでお兄やんみたいやなぁって思うて……ただ其れだけの事やけども?」
「ほぉ〜……肥前のが、主人の世話をねぇ……」
「何で“兄やん”なんかって言ったら、一応別にもう一個理由があって。肥前忠広って刀は、元々坂本家が所有してた刀で、以蔵さんの元に渡る前は坂本龍馬のお兄様である権平さんが持たれてた物っていう来歴があるやん……? だから、肥前君は世話焼き特性持ちなんかなぁ〜って勝手に思ってて……。まぁ、脇差皆世話焼き属性持ってるけど、肥前君のはちょっと特別言うんかな? 何かそんな感じして……其れで、“兄やん”と称した訳でして」
「……肥前のが“兄やん”……! まっこと、まっことえい……!! 此れぞ和睦じゃっ!! 肥前のがわし等の“兄やん”…………!! 尊いッッッ!!」
「ばッッッ!? やめろ気色悪ィ!! 誰がテメェの兄やんになぞなるかよ……ッ!! 俺が兄貴分になるのは、精々主の奴だけで十分なんだよ!!」
「おっ? 否を唱えたかと思いきや、何だ。あんた自身満更でもなく思ってるんじゃないか。素直じゃないねぇ」
「うるっっっせえ!! 用が無ェならテメェ等こっからとっとと出てけ!! 飯食う邪魔だ!!!!」
「ほにほにっ。ほいたら、此処は主と肥前の水入らずで過ごさしちゃろ……!」
「邪魔したな」
「二度とその苛つく面見せんな、クソがッッッ!!」
 いつの間にか増えていた野次馬にガルルと牙を剥いた肥前が、茶化す二人を追い立て居間より追い出した。程無くして、居間には元の二人だけの空気が戻ってきた。
 互いにスプーンでスープの具を掬い、口へと運ぶ。自身は、スープに手を付ける傍らでこんがり焼いたトーストにも齧り付きながら膳の器を空にしていく。
 最終的、無言で完食し終え、二人揃って食器を片す為に隣の厨まで移動した。其処で、午前の仕事を始める前に洗い片付けまでやってしまおうかと考えていた矢先に、空にした膳を横合いから奪われ、告げられる。
「此処は俺が遣っといてやるから……あんたはさっさと朝の仕事に取り掛かって来い」
「良いの?」
「あんたが遣らなきゃならねぇ事は沢山あるんだから、一々こんな事に時間割いてる暇無ェだろ? 分かったら、あんたはさっさと執務室に行って今日一日のスケジュール確認してこい。んで、皆に伝達しなきゃならねぇ事項あんなら、ちゃちゃっと済ましてこいよ」
「あーい。じゃあ、後は宜しく頼んます」
 どうやら、食器洗いの役目は彼が纏めて引き受けてくれるそうな。此処は素直にお言葉に甘える事にし、一言任せる意図の言葉を返して出口へ向かう。
 完全に厨を後にする手前で一瞬だけ振り返った背中は、頼もしい限りの大きく広い背中だった。其れを見て、頼り甲斐があるのは、太刀や打刀などの大きな刀ばかりではないなと認識を改めた。
「あのさぁ、肥前君」
「あ……? 何だよ」
「また今日みたいに夢見悪い事あったらさ、同じように悪い方向行かんよう、良い方向に導いたってね。肥前兄やん・・・
「ッ――! ………………チッ。わぁーったから……さっさと行けオラ」
「ふふっ、頼りにしてるで」
 直接言葉にするのは恥ずかしかったりするから、あまり言えていない事かもしれないが。口にする以上に頼り甲斐のある存在だと思っているから。其れだけは忘れないで居てね。
 元坂本家之宝刀、且つ、現審神者之守刀の脇差こと、肥前忠広お兄やん。


執筆日:2024.01.24
公開日:2024.01.28