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君のまろい額



 一日のノルマこと本日の業務を一通りこなしきった後、眠気に負けて近侍の前田君に一言断りを挟んで、皆で共有の憩い部屋に籠もらせて頂く。目的は、其処に常備してある人を駄目にする大きなビーズクッションに埋もれる為である。
 執務室の在る離れからぽてぽてと歩いて、母屋の中程に在る憩い部屋へと入っていく。片手には、一眠りするお供に必要な毛布を一枚持って。見ると、室内は伽藍としていて、今日は誰も使っていないようだった。という事は、部屋の隅に置いてある例の大きなクッションは空いているという事。嬉々として独占してやろうと、ぼふりと寝転がった。
 今日はお天気日和でカラリと晴れているからか、午睡に微睡むには心地良い日だ。春眠暁が何とやらも相俟って、絶賛滅茶苦茶眠い。人を駄目にするクッションを背に敷いて、自室から持ってきた毛布で肩から足先まですっぽり覆うと、程良い温かさでお休み三秒という速さでスヤァと寝付いた。

 ――それから暫く経ったのち、誰かの足音が憩い部屋へと近付いてくる音がする。力強く踏み締める足音は誰のものか。気持ち良くスヤスヤと午睡に微睡む己は気付かない。
 程無くして、憩い部屋の障子が引かれる音が響いた。次いで、武骨な顔付きの男もとい刀が顔を覗かせる。
「おい主、居るかァ? ……って、昼寝してたのか。ご丁寧に毛布まで着込んでまぁ、用意の良いこって」
 用向きがあって顔を出したのは、ウチの本丸では古参組に数えられる本丸設立黎明期から活躍している、打刀のたぬさんだった。すっかり眠ってしまっている此方に気付くなり発していた声のボリュームを落として、自分だけにしか聞こえない小さく潜めた声で呟きを落とす。
 急ぎの用では無かったのか、呼びに来たものの彼はその場に居座り。何なら、眠る己の側までやって来て腰を下ろし、手遊びに無防備に曝す額を擽ってきた。その実にむず痒い触り方に、堪らず眠りの淵から意識を浮上させ、ゆるゆると目蓋を開き見る。
「ん゙ん゙〜……っ、にゃんだよぉ〜ぅ……にゃにすんだよぅ……っ」
「悪ィ。起こすつもりはなかったんだが、起こしたか?」
「ん゙ぎゅぅ……人が気持ち良く眠ってるところに額をサワサワ擽られたら、何かザワザワして気になって眠れんに決まっとろうがい……っ」
「あんた、額に目でも付いてんのか」
「そうかもしれにゃいねぇ〜……」
「いや、付いてねぇーだろ。あんたは人間なんだからさァ」
「取り敢えず……人が微睡んでるところに額サワサワしにゃいでくだしゃい。何かムズムズしてきて“ん゙に゙ゃ゙ーッ!!”てなるから……」
「ふぅん……変なところ敏感なんだな。なら、額出しとくなよ。気になっから」
「何でや。俺、いっつも額出るように前髪分けとるから見慣れとるやろ。寝てる時だって一緒じゃ。変に弄くらんといて」
「んー」
「おい、やめぇ言うとるやんけ。聞けや」
「ははっ、あんたのデコッパチまろいなァ」
「ん゙に゙ぃ゙〜〜〜ッ! たぬさんの意地悪ゥ……!!」
 何故か言い重ねても聞き入れてくれない彼は、人の額を弄くり倒すのをやめない。何でだ。どうしてこうも強情を張るんだ。さっきから無性に擽ったくて堪らないのに、緩く撫ぜる手を止めないから、ゾワゾワムズムズが止まずに非常に据わりが悪い。
 やめろと言ってやめてくれないのなら、此方も攻撃に転ずるしかない。仕返しとばかりに此方を見下ろす彼の前髪へと手指を伸ばし、その下へ隠れた額を拝むべく前髪の暖簾を掻き分けた。下からひょいと軽く前髪の真ん中辺りを持ち上げただけだが、下から見上げる分には十分の抵抗だった。此方の意図に気付いたのか、仕返しとばかりに捲られた前髪にクツリと喉を鳴らして口角を上げて見る。
「何だよ、仕返しのつもりか? 其れにしちゃあ、随分手の緩い攻撃だなァ。可愛らし過ぎて屁でもねぇや」
「別に、俺が満足すれば其れで十分にゃので良いのだ」
「ふっ……あんたも物好きだよな。俺の額なんか見ても何も面白味も無ェだろうよ」
「そんな事ないよ? たぬさんは、いつも前髪で額隠れてる勢だから、普段隠れてる額覗くと新鮮だよ。特に、下からの眺めは左眉のところにある傷痕までよく見えて楽しいぞ」
「あんた、本当に俺の顔の傷痕好きだよなァ」
「んふっ。だって格好良いんだもん。THE・男の勲章って感じがして好き……!」
 にへらと衒いもなく言い放てば、照れたのか、元々表情の固い表情がスンッと削ぎ落とされて無の顔付きになった。分かりやすくて、いっそ愉快だ。良い気になって「ふはははっ!」と内心ふんぞり返って笑っていたら、たぬさんからの無言の逆襲に遭った。ただただ無言で只管ひたすらにわしゃわしゃと前髪を掻き乱され、思わず「お゙↓わ゙↑ぁ゙⤴っっっ!?」という色気の欠片も無い声を漏らす。女らしくないのは今更だが、それにしてももっとマシな声は出なかったのだろうか。気にしたところで今更なのは分かっているのだが。
 数分間ぐしゃぐしゃと掻き混ぜて気が済んだのか、パッと解放された時にはすっかり髪はぐしゃぐしゃになってしまっていた。元々寝ていたところ故に、既に寝癖で髪型が崩れていた為、更に崩れたところで何も問題は無いが。其れでも、視界不明瞭になるのは些か気になるので、手櫛で適当に梳いて整え見栄え良いように分ける。いつもの通りに額が見える形へ前髪を分け、視界も額の中央もクリアに戻す。
 すると、その様子を何とはなしに眺めていた彼が、再び己の額へと手指を伸ばし触れてきた。其れに擽ったく思いながらも嫌な気はしないから、されるがままに甘受して言葉を零す。
「んもぉ〜っ、にゃんなのさぁ……! そんなに俺の額が気になるのかい?」
「ん……何となく触ってたいと思っただけだよ」
「ふふっ、特別なものは何も無いよ。いつも通りだろう?」
「そうだな」
 ぽつりぽつり、と返ってくるは淡々とした彼の返事だ。彼らしい、気の抜けた風に気怠げな感じの穏やかな声音が耳に心地良い。
 そうこうしていたら、眠気が戻ってきたのか。ふわり、と欠伸が込み上げてきて。くあり、と猫みたいな欠伸を漏らして、むにゃむにゃと口元を動かして。尚も額を擽る手が煩わしくて、意趣返しにその手を掴み取って己の両手で抱き込むように押さえ込み、そのまま額を擦り寄せるようにして再び目蓋を閉じてやった。そしたら、手遊びに弄っていた手を塞がれた彼が上から声を落とした。
「何だ、また寝るのか。まぁ、構やしねぇけどさァ。仕事は良いのかよ、主様よォ?」
 その声に閉じたばかりの目蓋を押し上げて、にんまり不敵な笑みを作ってみせる。
「残念でしたぁ。既に今日のノルマは終わらせて来ておるのですよ〜ぅっ。勿論、ちょっくらお昼寝してくる許可は取って来とるから安心おし……!」
「そうかい。なら、まぁいっか」
 そう言って、己に掴まれた手を振り払う事もせずそのままに、何故か隣のスペースへごろりと横になってきたたぬさん。其れにキョトリとした顔を向けて、疑問符をぶつけた。
「そういえば、たぬさんは何かしら用があって俺の居る処に来たのでは……?」
「ん? 別に、大した用でもなかったし、急ぎでも何でもねぇから、一睡してからでも構やしねぇさ」
「そう。にゃら良いのだけれど」
「そういやァ、あんた、眼鏡はどうしたんだ? いつもなら、掛けてねぇと視えねぇからって掛けっぱなしにしてたろ。何処にやったんだよ?」
「初めから寝るつもりで移動してきたので、予め自室で外して置いてきました……っ!」
「あー、道理で近場に無かった訳か。用意が良いこって……。にしても、よくその裸眼の状態で此処まで来れたな?」
「一応、裸眼でもぼんやりとは認識出来るから、慣れた室内移動くらいなら然程支障は無いよ。流石に、外出る時は眼鏡無いと不安だけど。本丸内くらいなら、多少ぼやけた視界でも物の配置覚えてるから問題無いし、誰かに声かけられても声音で大方の相手は誰かって把握出来るしね。ちょっとばかし裸眼でも大丈夫なのだ」
「流石は俺達の主様、伊達に長く審神者勤めてねぇってか」
「ふふんっ、あたぼうよ……! 俺は自分の本丸の子達が大好きだからね……これからも変わらず皆引っ括めて大事にするし、愛情注いで絆を育んでいくよん」
 今度こそ午睡に微睡むのだと、押さえ込んだ彼の手はそのままに腕に抱いて目蓋を閉じた。彼も己に寄り添って寝る事にしたのか、横寝で寝転ぶ己と並ぶ形で寝る体勢を整え、彼の手を掴む己の手の甲へコツリと額をくっつけるようにして目を伏せた。そうして、二人仲良く一緒に午睡に微睡んだのだった。

 ――その後、八つ刻の時間だと起こしに来た前田君から控えめな声音で呼びかけられ、二人仲良くスヤピしていた事に対し微笑ましげな生温い笑みを頂いた。定期的に向けられる態度だっただけに、特に何も思う事無くスルーして、「今日もウチの子が可愛くて尊いなぁ!」と微笑み返すのであった。


執筆日:2024.03.21