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代わりに痕を付けるくらいならへし折って欲しかった



 気が付けば、明かりを消した薄暗い部屋の中で横になっていた。寝に就いた記憶があるから、たぶん、自分は布団の中に居るのだろう。
 事実、横たえた体は柔らかな敷き布団の上で、その上にはダブルの毛布や着布団といった温かく分厚い布団の山が乗っかっていた。
 恐らく、何かしらが要因で中途覚醒でもしてしまったのだろう。はたまた、寝惚けでもしているのか。寝起き特有のぼんやりとした意識だけが働いて、己の置かれた状況をそう分析していた。
 ふと、薄暗がりの向こう――見上げた先に見える筈の天井を、遮る形で誰かが覆い被さっている事に気が付いた。未だ眠気を引き摺る体をわざわざ起こしてまで確認する気は起きなかった為、視界に映り込む限りの情報で相手を判別しようと視線のみを動かす。すると、胸元上までしっかり着込んだ布団の上に、薄暗がりの中でも鮮やかに映える見覚えのある青色の布地が見えた。幅広で幾重かの布が重なり合った形で広がる狩衣の袖先が、どうやら布団の上を覆い被さるように散らばっているらしい。
 狩衣姿をした者なぞ、己が知る人物の中で極僅かの一部でしか居ない。極の修行より帰還して、より一層豪奢な貴族らしい装いになったと記憶している某刀――三日月宗近だった。
 何故、彼に寝込みを襲われるような形で布団越しに組み敷かれた絵図となっているのか。すぐにはその意味を理解出来ずに、ただぼんやりと薄暗がりの中、浮かび上がるシルエットを寝惚け眼で見上げていた。
 取り敢えず、相手が誰かという事は分かれども、何故彼が自分なんて存在を組み敷いているかの意図までは汲み取れなかった。
 そんなこんな半寝惚け状態の頭でポヤポヤと考え込んでいると、ふと、己を組み敷くシルエットが動くのを視界の端に捉える。大人しくされるがまま、動向を見守っていれば、顔を側まで寄せてきたのだろう。左頬近くを彼より吐き出された吐息が掠めるように触れた。
 生きた人の、生温かいものだった。仮初であろうと、刀剣男士として顕現した時点で人の身を器に戴いた者だ。まことの人と大して変わらないものなのだな……と、変に据わった肝が目の前の現実から目を逸らすようにそんな事を思った。
 不意に、左鎖骨より少し首に近い辺りへ、何か柔らかな熱が押し当てられた。たぶん、彼の唇とかそんなところだろうか。適当に当てずっぽうで見当を付けつつ、しかし、抵抗のての字すら見せぬまま、されるがままを保った。このまま、彼の気が済むまで好きにさせようか……。
 なんて事を考えている内に、徐ろに首筋を噛み付かれて、驚いた拍子に一瞬息を詰めた。あの、普段穏やかそのものという風に平安生まれらしくほけほけと爺生活を謳歌していたであろう三日月が、降ろされた男体としての性を発揮してなのか、己なぞに欲情して噛み付いてきている。夢と分かっていても、その事実に驚きを隠せなかった。そんな素振り、今の今まで一度たりとて見せた事などなかったであろうに。
 明かりも点いていない薄暗がりの中である事に加え、完全に覆い被さられて視界の隅からも外れた位置に彼の頭がある所為で、その表情を窺い知る事は叶わない。だが、せめて、彼が今わざわざ他人の寝込みを襲ってまで行為に及ぼうとしている意図だけでも知ろうとした。
 抵抗せぬ事は、其れ即ちこの先の行為を拒まず受け入れたも同義と捉えられたのであろう。彼は、此方の意識を絆そうと頻りに敏感で弱いと分かっている筈の首元を狙って口付けてきた。大体の人間が所謂急所とする場所を性感帯として認識している事を知っている上での執拗なまでの口付け。何処でそんな事を覚えてきたのやら……などと詮索するのも野暮過ぎて問う気もしない。
 自然と息が上がってくる感覚を覚えて、半寝惚けのぼんやりとした意識のまま、其れを悟られたくなくて首を反対側へと反らした。恐らく、向けられる猛りにてられるように、施される熱に、段々と感じ始めている事は気付かれている。変な直感だが、そんな確信が心の何処かにあった。
 さてはて、何時いつまでこうしていれば良いのやら。好意を向けられる事そのもの自体は満更でもない。が、其れに応えられるかと言えば、答えは“NO”だ。そんな自信、これっぽっちも持ち得ていない。ならば、何故自分のような者を相手にこのような真似を働いているのか、尚更気になった。
 けれど、完全に思考に耽ってしまう前に、彼によって思考を残らず全て持って行かれてしまった。意図的に首筋を強く吸われたのだ。堪らず、息を殺そうと努めるも、殺し切れずに鼻から抜けるような声が「ン゙ッ……、」と小さく漏れた。恥ずかしいにも程がある。いっそ、夢の中であろうと今すぐ穴か何かに埋まりたい気持ちに駆られた。
 其れを知ってか知らずか、尚も首元を執拗に狙う彼は、再び強く吸い付いてきた。今度は声すら発せずに悶えるように体を捩る。早くも熱に浮かされて、二度目か、三度目か分からぬ強めの口付けを首筋へと受けて、ふと逆に頭の奥が冴え渡るように覚醒した。どうして、こんなにも首元ばかりへ痕を付ける勢いで口付けてくるのか、分かった気がしたからだ。
 日付で言うところであれば、昨日の朝方頃、己は強く望んだではないか。辛く苦しい現実から一刻も早く逃避したいが為に、『この際、大包平でも、たぬさんでも、誰でも良い。自分の本丸の子達ならば、誰だって構わないから、今すぐ俺を本丸なり神域なりに隠してくれ……!』と――。そう、涙ながらに切に懇願したではないか。其れを踏まえれば、今のこの状況にも納得が行った。
 彼は――三日月宗近は、己の声に応えてくれようとしたのだ。一時的であろうと、夢という空間であろうとも。己の心からの叫びを聞いて、その手を差し伸べてくれたのだろう。現実の辛苦に己の生すら疎んで殺してしまいそうになっている己を何とか救い出さんとして。
 結果的に、寝込みを襲うような形となってしまったが、平安生まれの彼の事だ。夢渡りか何かしらの術を用いて夢を繋ぐ形で、一時的に彼の神域や或いは本丸の一室に連れて来られたのだろう。でなければ、実家住まいで姉妹で共有の部屋を使っている、且つ布団を並べて眠っている筈のところに、ただ己一人が眠るだけの布団一つのみだなんて事ある訳ないのだ。だから、やはり、此れは夢であるのだと理解した。そして、また・・、己の求めに応じて夢を繋いでまで報いてくれようとしたのだという事も。
 途端、何故だか込み上げてくるものがあって、目頭が熱くなった気がした。実際には、泣いてまではいなかったから、眦が涙に濡れる事も無かったのだが。
 未だ彼が強く吸い付き痕を残そうとしている場所に思い当たる節があった。其れは、昨日、咽び泣きながら切に懇願していた折の事だ。己は、ずっと、何かを飲み下すように、気持ちを押し殺そうとするかのように、無理矢理抑え付けようとでもするかのように、強く強く利き手の右手で首を握り込んでいた。いっそ、このまま絞め付けて、その圧で死ねたら良いのに。片手で本気でもない力を込めたところで、絞め付ける事など出来る訳がないし、死ねない事も分かっていた。でも、せめてもの現実への抵抗として、強く握り込んだ指の痕でも付けば、少しはマシになるか…………なんて事を、一瞬でも考えたのだ。
 彼が強く吸い付いている場所は、丁度、昨日自分が己の手で絞め殺そうと強く指を押し当てていたところだ。頸動脈の近く、絞まれば息苦しくなるのは必然の場所。
 気付いてしまった所為で、余計に悲しくなってしまった。まるで、憐れに思った己を慰めようと、代わりの痕でも付けようとしているかのようではないか。気付いたところで、何をするという事も無く、ただただ彼からの施しを甘んじて大人しく受け入れるのみだったが。
 そうして、気付けば深く寝入ってしまっていて、夢から醒めた自分は現実のいつもの布団、いつもの部屋で目が覚めた。体と心は未だ浮かばれやしないが、物は試しと称して、起きて洗面所の鏡でも覗き込んでみようか。果たして、夢で受けた場所に痕が残っているのか、否か、確かめてみようじゃないか。其れで何かあってもなくても、少しでも気が晴れるなら、別に何だって良い。出来れば、痕が残っていてくれる事を願うが……屹度きっと、何も残っていやしないだろう。何せ、飽く迄もアレ・・は夢の中での出来事だったのだから。


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 切っ掛けなど、些細なものだった。
 痕が残らんばかりに強く握り込んでいた光景が厭に鮮明に焼き付いて離れなかったが故に。強く握り込まれていた、指先が食い込む程に押し当てられていた場所をなぞりながら、代わりにでもなればと思っただけで。後の残りの感情は、ただ愛する人の子を慈しみ、慰めたかっただけに過ぎない。
 あわよくば、己の与えた神気が主の霊力として馴染み、少しでも生きる活力となればと思わなくもなかった。
 もしかしたら、僅かながらにも欲を……劣情を覚えての施しであったかもしれぬ。でも、浮かばれぬ彼女の心を救ってやりたかった。全ては、ただ其れだけなのだ。
 薄暗がりの中でも白く浮かんで見えた、細く抵抗もしない軟首をへし折る事など、やろうと思えば容易に出来ようとも。其れだけの力を俺は有している。なれど、そんな事出来るものか。出来る訳がないのだ。何せ、この手は慈しむ為・守る為にと誓ったからなぁ。其れだけは、どれだけ願い乞われても叶えてやれなんだ。
 すまぬな、主よ。許せ、とは言わんが……どうか、俺達を縋りにしてでも生きて欲しい。
 俺が願うは、主が生きる事なのだ。故に、同意無き無体も同然の行いを働いた事、申し訳なく思う。だが、俺の想いが届くのであれば、俺が夢を繋いだ事の意味を生きる指針にしておくれ。
 愛しき我が人の子よ、我等を慈しみ生きる為の寄す処とする憐れな人の子よ、どうか諦めずに強く生きておくれ。其れだけが、今、俺の望む願いぞ。


執筆日:2024.11.15
公開日:2024.11.16
加筆修正日:2026.02.23