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重ねる想いと言葉は、積み重なる年月と共に重みを増す



「おはよう、大将。もう身支度終わってるか?」
「おー……終わってるぞー」
「よし。じゃ、いつもの検温と血圧測らせてくれや」
 そう言って、審神者の私室兼寝室となっている部屋へとやって来たのは、この本丸では古参も古参中の古株な一振りだった。
 名は、薬研藤四郎。刀工・粟田口派に打たれし短刀で、かの戦国時代で三大武将としても名高い織田信長の持ち刀であり、その信長公がいざ切腹せんとなった時に“薬研をも斬ったのに主人の腹は斬れなんだか”と言われた逸話がある。時の政府より公式発行された図録帳なる読本にも記載されてあるように、“戦場での斬れ味は鋭くとも、持ち主の腹は斬らない”と専らで、早い話が“人を生かす事に価値を見出した刀”である。
 そして、この薬研という刀は、当該本丸の黎明期より審神者につかえている重鎮役だ。顕現順で述べれば、上から数えた方が早い三番目――つまりは、初泥刀として顕現している。本丸発足した初日より審神者の側で共に切磋琢磨してきた、相棒にも相応しき刀。
 そんな刀が、何時いつからか、毎朝……というよりかは、審神者が起床したと分かると、必ず一言断りを挟んだ上で冒頭で口にした機器等を携えてやって来る。
(※ちなみに、此れは余談だが、この行為を行う時は何故かいつも内番着姿である。まるで、医者にでもなったかのような出で立ちだと思った事は、此処だけの内緒の話だ。閑話休題。)
 しかも、その日計測した結果は全て記録しているのか、諸々の項目を記した問診表のような紙をバインダーに挟んで持ってくるし、後々其れに記載した事柄は都度審神者の体調を記した帳面に記録する程マメである。尚、審神者の体調を記録する帳面が何時いつから存在しているのかについて、審神者は知らない。
 何故、そんな事をしているのかと言えば、話は簡単だった。審神者の体が生まれつき頑丈ではなく、何方かと言えば弱い体質で、季節の変わり目には必ずと言って良い程体調を崩すのだ。おまけに、審神者として就任した時より既に精神的に病んでいた事もあってか、今は其れが如実に心身を蝕む程に悪化している事も所以していた。
 そんな古参中も古参の重鎮役な薬研は、今や本丸の教育係を担う教育番長の肩書きを背負っていた。
 そして、何時いつからか始まった、その日起床してすぐの軽い問診と触診を慣れた様子で始める。
「熱は……平熱と、問題無しだな。次、血圧測るから腕出してくれ」
「はい」
「ん……血圧共に脈拍は正常値範囲内だな。今日の体調はどうだ、大将?」
「うーん……いつも通り、あんま変わんない感じかねぇ?」
「という事は、ここ最近ずっとある倦怠感やら息苦しさは継続してある感じ……って事だな。薬はちゃんと飲んでるな?」
「飲まなきゃやってられんからなぁ〜。食後は忘れずきちんと飲んでるよ」
「そうか。なら良い。……けど、月のもんが来てた事も少なからず影響してるんだろうが、以前よりも体調が悪化してる様に思えるのは……やっぱ、この間の発作・・が原因か?」
「まだ薬が効いてる間の事だった筈なのにねぇ〜。と言っても、飽く迄安定剤は抑えてるだけに過ぎないから、それ以上に強い不安感やら何やらの症状が突発的にでも出れば、必然的に効き目は弱くなるものだと思うよ。おまけに、かかりつけの病院が出せる限界の簡易的な物に過ぎないから……専門的な、ちゃんと体に合った薬は、専門分野にかからんとどうにもならんよ。まぁ、その為の御守り的頓服薬がある訳なんだがね。けど……其れも段々と効き目が弱くなりつつある事を踏まえると、いよいよなところまで来ちまってるんだなぁ〜とは思うかね」
「薬を飲んでいても尚抑え切れずに過呼吸を起こしちまった……ってんなら、そうなのかもな。かと言って、ストレスってのは完全に無くす事なんて土台無理な話だからなぁ……此ればっかりは専門家を頼る他どうしようもないか。ストレス性の過換気症候群……だっけか? 大将も色々と苦労してんな」
「人間、生きてる限りストレスとは向き合い続けにゃならんし、生きていく上での生活を送っていく以上は他人と関わらにゃならん。其れを得意としない人間からすっと、苦痛を覚えもするし、こうして体すら思うようにならん程精神病ませたりもすんのさ。まぁ、単に俺が何もかんも不器用過ぎるだけなのかもしれんがね。事実、世渡り下手だし、要領も悪いし、同時に複数のタスクこなしきれんからちょいちょいミス起こすし。そんなんやから、怒られてばっかで褒められた事なんか両手で数えられる程しかないわ。そう考えると、典型的に人として生きるのが下手なタイプの人間なんじゃろうなぁ……俺は」
 淡々と訊かれた事に対して答えた事を書き記しながら、表面上は平常を装って返事を返す。しかし、その内にひた隠す思いは、辛く悲しく、無力感に溢れていた。けれど、其れを面に出す事はせず、審神者へと余計な負担をかけないよう努めた。
 いつも通りに問診をして、軽く他愛無い世間話でもして、それとなく審神者の体調を気遣って、そうしていつもの日常が始まると考えていた折の事だ。ふと、審神者が自身の胸元を押さえるように触れ、俯きがちに口を開く。
「この辛くて苦しいしんどいのが早く治れば、前みたいに元気に歩き回ったり、思い切り声出して歌えたりするようになるんだけどねぇ。よもや、普通に日常生活を送る事にすら支障が出だすとは思わなんだや」
「其れだけ、今の大将の体は心底弱り切ってるってこった。頼むから、あんま無茶しないでくれ」
「ははっ……本当、現実とは儘ならんものよのぉ。周りを思うがあまりに己を抑え付け、我慢し続けていたら、このザマよ。審神者としても、ただの人間としても、まだまだ未熟やっちゅーんに……一丁前に気張った結果が此れとは、情けない事この上ない。人様に迷惑かけてばっかで、ホンマどうしょうもなくて草すら生えんわ」
「……そう、自分で自分を責めんでやってくれ。大将が十分頑張ってくれている事は、俺達本丸の皆は分かってるつもりだ。だから、これ以上無理して自分の体を、心を、蔑ろにして壊そうとしないでくれ」
 今しがた聞いた今日の体調についてを書き留めていた手を止め、薬研は顔を上げて審神者を見た。
 審神者は、上手く笑おうとして失敗し、苦々しげな笑みを浮かべていた。目元には、ここずっと染み付いて取れないままの隈がくっきりと縁取っていて、より一層彼女の顔色を悪く見せていた。
 元々、日の下にあまり出ないタチだったのに加えて、今は血色の悪さも相俟って白けている。おまけに、夏場の過多な心身的精神的負荷で落ちた体重も戻らず、頬も痩け、本当に骨と皮だけの痩せぎすの身になってしまっていた。
 其れを見て、彼女は「より見すぼらしくなっちゃったね。見るも絶えんような醜いモンを見せてすまなんだやぁ」と嘆いていた。違う、そんな事は誰一人だって思ってやしない。けれども、卑屈で捻くれた精神故に感情を歪ませてしまった彼女は、素直に他人からもたらされる言葉を受け取れなくなっていた。だから、何を言っても気休めにしかならない。
「はぁ…………。こんな事、君の前で言うのは禁句なようなモンだと分かってんねやけど……いっそ、死んだ方が楽になるんか思えてしゃーないわ」
「大将には悪いが、自殺なんか、したくてもさせないよ」
「はは。……本当、酷な事を言ってくれるよね、お前は。生きる事のが、死ぬよりも余っ程辛く地獄な事を分かっておいて、そう言うんだから」
「どうせ、死ぬも生きるも地獄なら、大しちゃ変わらんだろ?」
「俺の刀は、どうしてこうも俺を殺しちゃくれねぇ奴等ばっかなんだかねぇ」
「そりゃ、大将がそう願っちまったからだろうな。死にたいと口では言いつつも、本当は生きたいんだって。だから、俺達は大将の処に来たんだ」
「意地悪な神様やわ、ホンマに……」
「何度言われようと、俺は絶対にあんたを殺しはしないからな。折角せっかくこうして出会えたってのに、あっさり短くお別れするだなんて勿体ないだろ。俺達から愛されちまったからには、諦めて、少しでも長生きしてくれや」
 まるで、おのが懐刀だと言わんばかりに不敵に笑ってみせた薬研に、審神者もクツクツと喉奥を鳴らして含み笑む事で応える。
 本丸発足から六年と半年近く。お互い、既に気心の知れた仲だ。後発で新しく配属された刀達とは異なり、二人の間に遠慮は無かった。
「前田君と言い、薬研と言い、何でウチは俺を生かそうとする刀ばかりが初手で集まっちまったかね?」
「わざわざ口にせずとも、其れはあんた自身が一番分かってる事だろうに」
「けんどもやて。こうも生かされ続けちまったら、流石に文句の一つ言いたくもならぁよ。だって、俺が真剣に自殺する事を考えた矢先に君等図ったかのように物言ってくるし、あからさまに構ってくるやんけ。ちっとも死なす気あらへんやん」
「そら当たり前だろうが。本丸の要たる大将を、安々失う訳にはいかねぇからな。くだらん事で死なれたら困る」
「死なば諸共とは思ってくれんのかいな?」
「戦やってる身の上だからな。大侵寇の時みたいな襲撃受けて、闘った果てにそうなったとしたら、その覚悟はあるが。そうでない事であんたが死にそうになってんのなら、迷わず助ける。そもが、長谷部の旦那みたいな事念じながら修羅場乗り越えて今に至ってんだから、本気で死ぬ気ねぇだろ、あんた。“死ななきゃ安い、六根清浄”だっけか? 何処でそんなモン覚えてきやがったんだか」
「まぁ、色々と……? つーか、そうでも言わんとやってけなかったんだよ、コッチは! そりゃ、下手に死ねないでしょうが! こちとら審神者ぞ! しかも、当時丁度“対百鬼夜行迎撃作戦”中の事やぞ!? 戦も本丸も何もかんもほっぽり出して、そうホイホイ気安く死ねたら此処まで苦労してへんわいっ!!」
 審神者の言う事は、明らかに矛盾していた。死にたいと口にする割には、まるで、本丸に居る刀達の事を考えると死にたくとも死に切れないとでも言うようではないか。
 彼女にとって、本丸は心の拠り所であり、生きる為の寄す処だ。簡単に切り捨てられないのだろう。其れが、まこと愉快であった。屹度きっと、この場にかの天下五剣たる三日月宗近が居れば、そんな風な事を言って笑っていただろう。正宗秘蔵の刀たる、深窓にて微笑み佇む京極正宗ならば、屹度こう返している事だろう。「縋れる者には縋れば良いのです。その為にワタクシ達は居るのですから、どうかワタクシ達を頼ってくださいまし」と。
 この本丸には、審神者を突き放そうとする刀なぞ一振りとて居やしないのだ。皆が皆して、か弱い人の子を慈しみ、甘やかしている。全ては、少しでも長く共に在る為に。物から励起されし我等刀剣男士とは異なり、人の一生など瞬きの内に終わってしまう。そんな儚い命を、一欠片でも愛してしまったがのちには、手放せなくなるのだ。人に愛されてきた事で存在する付喪なるが故に。
 人の歴史と共に在ったからこそ分かる事もある。だから、彼等は願うのだ。人々の繁栄と幸せを。
 剣とは、本来人の願いの為に打たれた物だ。始まりがそうであるなら、終わりもそうでありたいと思うのは可笑しな話だろうか。
 物が語る故に、物語。審神者と刀剣男士達の物語は、そうして始まり紡がれていく。本丸の数だけ物語はあり、刀の数だけ数多の異なる物語は生まれる。全てが人の手より愛され紡がれてきたからこその話なのだ。
 だから、この薬研も何だかんだ言いつつも命を繋いで存在し続けている人の子たる彼女の事を、憎からず想っていた。其れが信頼から来る感情なのか、はたまた、恋慕の情から来る感情なのかは知らない。彼的に言わせてみれば、何方でも構わなかった。彼女を生かす事が出来るのならば、どんな感情であれ、注いで満たしてやる。彼女が自殺なんて真似をしないように目を光らせながら。
 不貞腐れたように膨れっ面を作る彼女の頬を、戯れに突付いてやりながら言い重ねる。
「どっちにしろ、大将は戦以外で死に切れるとは思えないぜ?」
「何でさね」
「大将が気に入ってる孫六の旦那、ありゃ新選組刀の中でも生きる事に長けた奴だ。その他にも、大包平の旦那だって、どっちかっつーとソッチ側だろ? 古備前派の祖たる鶯丸の旦那がソッチ側なんだから。琉球宝刀組の千代金丸の旦那達だってそうだ。そもそも、初期刀に加州の旦那選んでる時点で答えは決まり切ってんだ。末端とは言え、神様の端くれに一度でも愛情傾けられたら、其れが人には遥かに重いモンだって事、自覚しな」
「そんなのとっくに自覚しとるわい……っ!! 何度そういう現象にあったと思っとんのじゃ、ボケェ!! つーかなぁ、そんなん言うたら、人かて大概重たい感情持て余しとるんやで!? 完全ブーメランやて理解すんのはソッチの方じゃい!!」
「ははっ! そんだけ啖呵切れるんなら、暫くの内はまだ大丈夫そうだな。言っとくが、俺達からしてみれば、人から重い感情ぶつけられたって可愛いだけだし、寧ろ喜ぶのがオチだぞ。まっ、大将から向けられる感情なら、どれだけ重かろうとそうでなかろうと関係無く嬉しいモンだがね」
「喧しいわド阿呆ッ!!」
 照れ隠しか、ベシリッ、と勢い良く二の腕をはたかれた。可愛いものだ。
 何時いつまでも、こんな他愛のない戯れ合いのような時間が続けば良い。そう願わずには居られないのは、人と共に在ったが故のさがか。
 どうか、少しでも長く一緒に生きていられますように。其れは、審神者をも含めた本丸皆の総意であった。決して口にはしなくとも、想う気持ちは同じである。


執筆日:2024.11.20
加筆修正日:2024.11.22
公開日:2024.11.22