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用心棒は死出の旅路へと見送るお役目を賜る



 其れは、よく晴れた冬空のカラリと乾いた空気漂う日の事だった。
 前日の昼過ぎから夕方頃までかかりつけの病院へかかったり何たりと、程々に疲れも溜まっていたであろうに。開催中の催物イベント事が佳境だからと、疲れた身を押して目標として掲げるノルマまでの周回を終えたのが、催物開催期間の最終日たる今日へと日付を跨いだ後の事である。途中、周回疲れに薬による眠気も相俟って力尽きるように寝落ちていた所為もあるだろう。けれども、このところいつも寝る前には飲んでいた筈の頓服薬を飲まずに寝付いてしまったからなのか、はたまた、またぞろ夢見でも悪かったのか、思ったよりも早くに目が覚めてしまったらしかった。
 一度は寝付こうとしたようだが、上手く寝付けなかったのだろう。結局、夜が明けるまではとこに就いたまま、枕元に置いていたスマホ端末で読書でもする事で気を紛らわしつつ時間を潰す事にしたらしかった。其れを、今しがた起床を促しに起こしに来て、既に覚醒しきった様子で起きていると知るなり諸々を察してしまったのが、ついさっきの事だ。
 粟田口の某短刀みたいに、口癖のように具合はどうかを問えば、「悪くはない」と端的な答えのみが返ってきた。
 痩せぎすの身に、この冬の寒さは堪えるだろうと気を遣って入口そばの火鉢の火を熾してやり、綿の詰まった半纏を肩に掛けてやれば、「有難う」と言葉短めの礼を言われるのは、最早恒例となってしまっている。
 食後に飲まねばならぬ薬の為にも何か腹に入れるだろうと、食欲の有無を問えば、「まぁ、取り敢えず汁物一杯でも入れてから考えるよ」と返された。此れも、いつもの流れである。
 完全にとこから起きているのならば、自分は着替えの邪魔になるだろうと思い、控えめの遠回しに自分は部屋の外で待機しているとの旨を伝えて、審神者の私室兼寝室の敷居を跨ごうとした折だった。
 不意に、後ろから襟巻の裾を掴まれたようで、いきなりの其れに思わず「ぐえっ」と潰れた蛙みたいな声が出る。何だ何だと首だけを背後へと振り向かせて、視線を斜め下方に向けた。すれば、己の首を絞める原因を作った張本人が、悪びれた様子も無く、ともすれば、何処となく追い縋るような哀愁を漂わせた手付きで己の襟巻の裾をぎゅっと掴んでいた。
 そして、徐ろに、女が口を開いて言う。
「俺が死んだら、孫さんが俺の事見送って欲しい」
「――は…………?」
 いきなり何を言い出すのかと思いきや、縁起でもないそんな事を妙に真面目腐った風に至極淡々とした口調で言い放った。前触れない脈略も一切の無い其れに、一瞬言われた言葉の意味や意図を理解しかねて、寸の間の数秒間思考が停止した。そののちに、返事として漸く絞り出せたのが、疑問を呈する一音のみであったのは致し方ないだろうと我ながら自嘲気味に思う。
 一先ず、何故そんな思考に思い至ったのやら、訳を問い質すべく、一旦出て行こうとした体をくるり反転させ、踵を返すが如く跨ぎかけた敷居から室内へと足を戻し、戸を閉め切った。そうして、真後ろに立っていた女の両肩を些か強く掴んで、半ば強引に布団の上へ押し戻すように進む。女は抵抗する事無く、素直にされるがまま布団の上へと強制的に座らされた。
 ぺたんと座り込む女の姿は、寝起きも相俟って無防備そのものであった。場所が場所なだけに、このまま致そうと思えば、其れこそ事に及ぶには相応しい程条件が揃っていた。しかし、其れを時と場合を選ぶべしと、ムラッと湧き上がりかけた劣情を鋼の理性と精神で抑え付け。けれども、溜め息ぐらいはいたって罰は当たらんだろうと、憚らずに深々と長い溜め息を吐き出してから口火を切った。
「……何で起き抜けの朝っぱらからそんな大層な話題が上るのか、あんたの思考回路にはホトホト呆れるが……いきなり前置きも無く突然そんな話題を投げた其れらしき理由はちゃんとあるんだろうな? おい」
「初手からの圧が凄んい……」
「誰の所為でこうなってると思ってるんだ? 否定はせんし、一先ず話は聞いてやるから最後まで言え。そうでなくば此処から出さん。分かったなら、まず返事をする事。良いな?」
「其れは御免て……」
「大して悪くも思ってもいない癖してよく言う口だ。……其れで? 何で“自分が死んだら”なんて話に俺の名が出て来る事になったんだ? よくよくお聞かせ願おうじゃないか」
 警戒の欠片も無い様子でされるがまま無防備に座り込む女の目の前で圧を与えて屈み込みながら腕組みをして、あからさまに吐くまで逃がす気はないと行動で示す。そもが、端から逃げる気もないところから察するに、飽く迄も此方は“話すまではこっから一歩も動かんし譲らんぞ”との意図でしかないが。
 凄味を加えて圧を掛ければ、羽織るだけで立ち上がった際にずり落ちたのだろう半纏の片側を手繰り寄せながら、女が訥々とつとつと喋り出した。
「別に……そんないきなりって程の事でもないよ……。俺の中では、常々より考えていた事で、はっきりと口に出して言ったのが今初めてだったってだけで……」
「其れを世では通称的に“いきなり・唐突に・突然・前触れ無く・前置きも無く・急に”と言い表すんだ。……あんた、日本語分かる筈だよなぁ? 生粋の日本人だものなぁ? 頼むから、自己完結した物の喋り方はやめてくれ……っ。理解が追っ付かんから」
「其れはすまなんだや」
「全く以てすまないと思ってないだろう?」
「あはは、バレて〜ら」
「分からいでか。どれだけずっと側に付いていると思ってる……!」
「俺専属の用心棒だものね。まるっと一年も過ぎりゃあ、そりゃ行動パターンも把握されるわにゃあ。まぁ、その割にはまだまだ俺の事見失っておられるようですけれども」
「其れは其れ、此れは此れだ。話をすり替えるんじゃない。あんたの悪い癖だぞ」
「いひっ、癖も何もかんも見抜かれちゃあしょうがないわさ。言うて、今更隠す気なんざあらへんが」
「話の腰を折るんじゃないよ。とっとと本題に戻った戻った……!」
 急かすように先を促せば、話の軸を戻す気になったようで、再び訥々とした口調で話し始める。
「俺ね、前々から思ってたんだけど……俺、皆にはそれぞれに個人的な役割を当て嵌めて物事を考えてる節があるのね。例えで挙げてくなら……俺の武器として・・・・・の愛刀は、たぬさんだなって決めてて。一生添い遂げる、つまりは結婚するなら大包平が良いなって思ってたり。用心棒は言わずもがな、孫さんしか居らんし務まらんな……って、具合にさ」
「待て待て待てっ……初っ端から情報量が多過ぎて付いて行けんぞ……! 武器としての愛刀が同田貫なのは何となく理由も分かるから頷けるが、その後の一生添い遂げたい刀がどうのの部分は何だって?? あんた、平然とした顔しながらいつもそんな事考えながら仕事してたのか??」
「そうだよ。ヲタクも末期に至れば誰しも似たような思考に至るモンさね」
「いや分からん。何もかも急過ぎて情緒も置いてけぼりだよ、こちとら。というか、あんた一応は結婚願望的な思考は持ってたんだな……?」
「大包平が極めなかったら一生持たなかったかもしれんね」
「ふぅん……。まぁ、其れはさておくとしてもだ。末端とは言え、神に名を連ねる付喪神に対して、言霊を結ぶような事を迂闊に口に出すモンじゃないよ。特に、あんたの御魂そのものの一生を左右するような事を、そう軽々しく口にするモンじゃない」
「別に、自分の刀相手になら神隠しされようが構いやしないがねぇ」
「こら。言った側から忠告を無視するような発言をするな。後悔しても知らんぞ」
「其れこそ今更だろうよ。まだ二十数年余りしか生きてきてない、世の中じゃヒヨッコも良いところの小娘に過ぎんが、既にこの身は余り有る程の辛酸を味わってきてんだ。後悔なんぞ幾らでもあらぁよ。其れこそ、体がこんなに成るまでに……タラレバ言い始めたらキリが無い程にはな。だが、全ては済んだ事さね。俺が話してぇのは、これから先の“今”の話だ。過ぎ去った過去の話なんかじゃねぇよ」
 其れまで無防備に座り込むだけだった女が、徐ろに胡座をかいたかと思えば、片足だけ立てて、語り口調から顔付きまでも変えた。纏う雰囲気そのものが変わった事に、此方も相応の態度で聞くべきと判断して腰を下ろし、完全に話を聞く体勢へと移る。其れを見届けるなり、女は再び口を開いた。
「今までなら、孫さんには“用心棒”って役割だけを当て嵌めるだけで十分だと思ってた。けど、心変わりって言やぁ良いのかな……其れだけじゃ物足りなく思えてきて、ふと、その物足りなさを満たす答えに辿り着いた」
「……其れが、あんたが死した時の見送り人役に俺を抜擢したいって事の理由かい?」
「そう。用心棒を任せれるからこそ、頼める事だとも思ったんだ」
「死出の途への伴ではなく……? 以前、あんたが話した口振りから察するに、俺へのお役目として任せられるは、用心棒以外を除けば死出の途への伴ぐらいかと勝手に思っていたんだが。そうではなかったのか」
「うーんっと……自分でも、ちょっと微妙なところなんだよねぇ。けど……俺が死んだら、お見送りしてくれる刀は孫さんが良いなって、純粋な気持ちから思ったのは事実」
「一緒に死んでくれ、とは望まないんだな……」
「戦やってる身の上だから、いざ何かあった時は、そりゃ死なば諸共さね。俺の刀なら、其れくらいの気概無くばやって行けんだろう?」
「脳筋一辺倒の戦闘狂なゴリラ審神者なあんたの事だ。そんなこったろうとは薄々勘付いてはいたが……本気でその気のようだな」
「でなきゃ、お前ェさんみてぇな刀、早々に二振り目お喚び出来たりなんざ叶わねぇよ。なあ? 人斬りの花形たる最上大業物様よお?」
 争い事は好まぬ癖して、その実、内に飼い込むは血肉湧き踊るような戦狂いも戯けて笑うような熾烈なまでの殺意。今でこそ、基本、他ではなく自分自身へと向けてその身を滅ぼさんとするが。気概だけなら、戦場に立つ数多の武士や浪人達にも引けを取らない。伊達に六年と半年余り女だてらに戦場に刀の付喪を率いてきてはいないという訳だ。幾ら自身の身が壊れようが、常に戦の先を見て尽くせる手を打って向かい打つ。
 そんな儚くも勇ましい人の子に乞われて、焦がれぬ事が出来ようか。そもが、既にこの身の全てを捧げてでも守ると誓った身だ。その先を逆に乞われるなど、僥倖以外の何物でもなかろうとも。
 てっきり、しおらしくも“一緒に死んでくれ”と言われるかと期待していた。だが、予想の遥か斜め上を行く形で裏切られた。戦場で散るならば死なば諸共の覚悟は当然と言い切った。そうでなくば、人斬りの花形たる己のような刀を、死出の旅路への見送り人役にご指名したいとの事らしい。何とも、彼女らしいと言えば彼女らしい答えだった。“一緒に死んでくれ”と乞われれば、喜んでそのお役目請け負う覚悟で居ただけに、少しばかり物寂しく思わなくもなかったが。
 そんな気持ちが、面に出ていたのだろうか。女は勇ましくも挑戦的な態度を引っ込めて、代わりに慈しむような柔らかな眼差しで以て見つめ返して言った。
「どのみち、寿命の差的に俺は君等の体感時間じゃ瞬きの間でしか生きられんよ。百歳まで生きるなんて、端から願い下げだしね。俺は、そんなに長生きする気ないし。家系的にも、其処まで長生きするようなタチじゃない。そもがよ、こちとら審神者始めた時から自殺志願者だったんだぜ? そんな野郎が何時いつまでものさばってると思うかよ?」
「縁起でもない事を言うんじゃないよ、全く……」
「でもな。そんな俺でも、一つ思う事はあるんだ。俺が人としての寿命を全うしようがしまいが関係無しに死んだ先……遺された本丸の皆には、俺の代わりに、俺が生きれなかった分も生きて、戦い続けて欲しい。其れが、審神者として勤める俺の覚悟であり、身勝手な願いだ。――“刀剣男士たる者、何時いつ如何なる時でも、正しき歴史を守る存在であれかし”……。此れは、先人から学んできた教訓であり戒めでもある言葉だ。そして、この言葉は、刀剣男士だけでなく、審神者にも適用するものと考える。故に、俺が死した時、孫さん含めた本丸の皆は、俺の死を悼んで立ち止まるんじゃなく、俺が生きたという歴史が損なわれないように……失われないように、守って欲しい。その為にも、その刃の冴えを、鋭さを、殺さずに保ち続けて、刀剣男士としての誇りを忘れないで居て欲しいんだ。……歴史を変えたら、敵とおんなじになっちゃうからさ。其れだけは嫌だよ。そうなるくらいなら、潔く腹括って切腹した方が幾分もマシだね」
 人の子の一生は短い。其れこそ、彼女が言ったように、我等物の身からすれば瞬きの如く一瞬で儚く散ってこの世から居なくなってしまう。けれども、魂そのものは、其処で終わりではない。輪廻という長い年月を経て、生まれ変わり、再び生を受けるのだ。その魂が歴史修正主義者共に穢されるような事でもあれば、二度と輪廻転生の輪には戻れないし、人為らざる化生と化してしまう。其れはあってはならない事だ。彼女は、その事を危惧し、全てを分かった上で発言している。
 志だけで言うなら、「天晴、此れぞ審神者のかがみたるものだ!」と膝を叩いて讃える事だと思う。事実、審神者に成るべくして成ったのだと、審神者にあるべき相応しい志をお持ちだと。だが、同時に心の奥底で酷い女だとも思った。惚れた女が死した後、後を追うべきではないと予め釘を刺されたのだから。
 此れ程までに上玉の女に惚れ込まれたのなら、彼女亡き後、彼女の亡骸かその墓前にて折れて一緒になってやろうとさえ思っていた。常日頃から生と死の間で思い悩みながらも、必死に生にしがみつきながら生きる憐れな人の子が愛しくて堪らないから。其れくらいの身勝手な我が儘は許されるであろうと、心の何処かで勝手に思っていた。でも、良い意味でたった今、其れを裏切られた。“おのが刀なら、いつか来るその日まで使命を全うしろ”――言外に彼女はそう現実を突き付けてきた。何処までお見通しなのやら、恐れ入る観察眼だ。
 何故、今なのだろうか。其れを問うのは、野暮ったく思えて、結局全く別の言葉を紡ぐ事にした。
「……あんたの覚悟は、あんたの用心棒たるこの孫六兼元がしかと受け取った。きたる日が来た際には、言われた通り、見送り人としてのお役目を果たそう。だが……其れまでは、これまで通り、あんたの側で用心棒としてのお役目を果たしても構わないか?」
「無論。というか、そもが、用心棒は孫さん以外に任せる気ないし」
「護衛役だけで言うのなら、傭兵紛いの刀も居るが?」
「八丁君は八丁君で、別の役割を当て嵌めてるからね。あの子は、似た者同士の縁という事で、お互いに存在証明を探しながら、これからも末長く雇われ刀とその雇用主であれれば良いかなって」
「本刃がどういう腹づもりかは知らんから何とも言えんが……あんた、つくづく罪な女だねぇ。俺という者が居ながら、他の男の名を諸々理由を付けつつ挙げてくれるんだから……もしかして、妬いて欲しくてわざと煽っているのか?」
「まさか。例として挙げた話は、話を分かりやすくする為の、飽く迄も個人的な枠組みに押し嵌めた上での事さね」
「だが、全て本心なんだろう? 古備前の一振りを“一生添い遂げるなら”の枠組みに当て嵌めるとは……やはり、俺の主人は俺を煽るのが得意と見える」
 わざと分かりやすく言い含めた物言いで返せば、キョトンとしたのち、あからさまに好奇の色を視線に乗せて、何処ぞのご婦人方のように口元に手を押し当てて「あらあら、まぁまぁ」なんて言わんばかりに口を開いてみせた。
「え、何。孫さん、もしかして、仮にも伴侶候補に名前挙げてもらえなかった事に拗ねてんの? それとも、武器として・・・・・の愛刀に入れてもらえなかった事に拗ねてんの? どっち??」
「全部だよ」
「この欲張りさんめ……」
「そう育てたのは主人、あんただぞ」
「確かに、あっちゅー間にカンストまで育て切ったのは紛う事なき俺ですな! んで、何の縁か知らんが、乱舞用の二振り目を鍛刀キャンペでしか喚べん鍛刀不可な子にも関わらず、本丸史上最速で喚べた事に関しても何某かの縁あってこその話ですわにゃあ!」
「つまり……?」
「えーっと…………孫さんて、意外にも俺みたいな奴もお好みにゃんです??」
「狂犬らしく噛み付いても良いのなら、今のを完全な煽りと判定して噛み付くが良いのか」
「ハイ、駄目でーっす。アウトでーっす。寧ろ、何で許されると思った??」
「今の流れなら勢いでワンチャン流されてくれるかと思ったからだが」
「誰かーっ、この躾のなってない駄犬を躾け直してくれェー!」
「俺に首輪を付けたのも、俺の手綱を握るのも、飼い主たる主人のあんたしか居らんよ。だから、躾け直せるのもあんただけだ」
 そう言って軽く押し倒せば、途端にキョドキョドと挙動不審な様子を見せ始めるから愉快極まりない。“嫌よ嫌よも好きの内”とか何とか、読んできた書物の何処かに記された言葉があったが、今まさにそんな状況なのではないかと、朝っぱら盛り始めた男としてのさがが舌舐めずりをして顔を覗かせ始める。
 話は丁度一区切り付いたところだ。鋼の理性と精神で抑え付けるべき時と場合なる場面は過ぎた。ならば、一回くらい噛み付いたところで文句は言えまい。一応は立場を弁えて話を聞いてやったのだから、その褒美としての報酬は頂かないとな。
 そんなこんな無言で見下ろしつつ思考する事、コンマ数秒程。本気で嫌なら本格的に抵抗してみせるであろう癖に、口では何だかんだと述べつつ、されるがままを受け入れているところを見るに、本当は嫌ではないのが態度で分かった。素直でないところが、また愛らしくて堪らなくなる。
 一先ず、要らぬ悋気を煽ってくれた報いは受けてもらうべく、先達の某之定の言葉を借りるならば“仕置き”と称して、押し倒した細く柔い白首に軽く牙を立てる事にした。まさしく狂犬らしく、その喉笛を喰い破らんとするかの如く。けれど、飽く迄も傷は付けない程度の甘噛みで、付いても歯形程度の力加減で。がぶり、と噛み付いた後、戯れるようにガジガジと柔肌を食んだ。
 噛まれた側の女は、最初こそおっかな吃驚固まっていたが、此方が本気で害する気はないのだと知ると、擽ったげに喉を震わせてクツクツと笑みを漏らした。“仕置き”なのに笑われては堪ったものじゃないと、体裁ばかりはそのように取り計らおうと、咎めのていで噛み付く力を強めて、歯形の付いた跡へ舌を這わせて吸い付く。途端、子犬の鳴き声みたいな鼻から抜けた甘えた風な啼き声を発した事に、内心スッとした。精々、此方から与えられる享楽に善がり悶え転がると良いさ。


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 最終的に、何時いつまでも食事の場に現れない事から、心配で様子見にやって来た――初期刀殿の加州清光と、毎日の健康チェックとやらを記録している初泥刀の薬研藤四郎に加え、身支度その他諸々の世話を焼きに来た初鍛刀の前田藤四郎三振りに“お覚悟”という名の制裁を食らうのであった。煽ったのは、飼い主たる主人だというのに、“お覚悟”されたのは狂犬たる己だけだったのは、悲しきかな……日頃の行いが物を言うとは、まさにこの事。
「ったく、マジで油断も隙も無ェな、このヒト……ッ!」
「やぁ、お見事なお覚悟っぷりでしたなぁ」
「大将ももちっと危機感持とうや……。あんた、当事者なんだぜ? 一応」
「一応どころかガッツリ当事者の間違いですよ、薬研兄さん」
「此奴の処遇どうする……?」
「一先ず、歌仙の旦那か……新選組局長の刀だった長曽祢の旦那に預けるのが妥当なんじゃないか? 俺等じゃ手に余るし」
「何でしたら、いち兄も制裁役に加わってもらいましょうか。もしくは、スパルタ平安刀組辺りに協力を申し出ましょうか? その方が、盛った狂犬殿への灸を据える意味では相応な対応かと」
「なぁ、あんたの初鍛刀殿からの当たりがエラく辛辣なんだが……あんた、どういう教育したらこんな風に育つんだ??」
「ウチは、基本的に放任主義で通ってるから、前田君が情操教育方面に厳しく育ったのも、保護者勢によるものかと。俺は、そこら辺あんまり関与してないぞぃ」
「つまりは天然物の危険物……!!」
「追加の制裁をお望みですか?」
「骨は拾っといてやんよ」
「まぁ、旦那も程々にな」
「誰も俺の味方は居ないのか……ッ!?」
「ワンちゃんお呼びなら、忠犬へし公や江のわんわんズの他にも、君と深ぁ〜い縁をお持ちの特命調査刀こと先行調査隊として優秀な働きを見せた経歴もお持ちの番犬様肥前君もいらっしゃいますが、如何致しましょうお客様??」
「制裁なら今ので既にお腹いっぱいですので十分ですッッッ!!」
「よし、こうなったらとことん灸を据えよう。一文字召喚しようぜ」
「賛成します!」
「つー訳だ、旦那。御愁傷様」
「俺はこれから御飯にゃので、アディオスなのだ」
「薄情者ォッッッ!!」
「噛み跡付けといて何を今更(笑)。忠告はしたのに聞かんかった御主が悪い。じゃあの。精々お気張りやす〜」
「覚えてろよ、主人……ッッッ!!!!」
 その後、本当に召喚された、長時間遠征帰りでぐっすり寝ていたところを叩き起こされて機嫌の悪い一文字則宗を筆頭に、スパルタ平安刀組に袋叩きの刑に処されたのは言うまでもなく。


執筆日:2024.12.17
加筆修正日:2024.12.21
公開日:2024.12.21