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願掛け



※『Log捌』収録の孫六兼元掌編『政府雇われの裏方処理班役の用心棒さん』の続編となるお話になります。
※書きたいところのみを書いただけのお話です故、前作との間にかなりの時間軸差を感じる仕様となっております。
※尚、作中にて、刀剣破壊及び負傷や本丸襲撃ネタを思わせる描写を含みます。苦手な方は、ご注意くださいませ。
※一応、単体でも読めなくもないですが、読んでいる途中で部分的に“何のこっちゃ”となるシーンが多々有ります。
※以上を踏まえた上で、どうぞ。


 ふと、彼女が髪を伸ばし続ける事の意図が気になり、問うた事があった。
「なぁ、あんた。俺が言えた口じゃない事は分かっているんだが……その伸ばしっ放しの長い髪、邪魔じゃないのか? 其れだけ長ければ、手入れも楽じゃなかろうよ」
 腰下をも遥かに超えて膝丈程もある長さの、一つに編まれた御下げ髪を指差して言う。
 すると、彼女から思いもせぬ答えが返ってきたのだった。
「あぁ……此れかい? 此れはねぇ、願掛けなんだ」
「願掛けとは、何とも大層な答えが返ってきたモンだが……。ところで、その願掛けとやらは、何の意味を掛けてのものなのか訊いても?」
「ふふっ……そいつぁ内緒さ」
「ちぇっ。其処まで教えてくれたなら、最後まで教えてくれたとて良かろうものだろうに。ケチんぼめ」
「ははっ。……まぁ、強いて教えてやるとするならば、嘗て昔、この髪を褒めてくれた物好きな奴が居たって事ぐらいかね」
「へぇ。もしかして、其奴は主人の昔の好い人か何かかい?」
「いいや。単に褒められたってだけで、別にそんな相手一人も居なかったよ。残念だったね」
「何だ。つまらん。揶揄からかい甲斐の有りそうなネタが出て来たかと期待したのに」
「ふふっ。そりゃ悪かったねぇ」
 その時は、何でもないように笑ったのちに、一瞬だけ憂うような表情を見せた意味が分からず終いであったが……今なら、あの時に見せた憂い顔の意味が分かる気がした。
(――髪を伸ばす理由は、義兄弟たる之定の歌仙への為だったんだな……。贖罪のつもりなのか、はたまた、律儀にも褒められた事を健気に想って伸ばし続けているだけなのか。“願掛け”と言うからには、恐らく、何方共の意味があるんだろうな……。此れだけの長さを綺麗に保つだけでも難儀だろうに。なんとまぁ、見かけによらず愛らしい事をするモンだよ……)
 最早染み付いて取れなくなってしまっている濃い目の下の隈を拵えて眠る彼女の――簡易ベッドに横たわった状態から床へとぞろびきそうな程に長い長い御下げ髪の先っぽを、毀れ物でも触れるかのように優しい手付きで掬い上げ、丸くなって眠る彼女の枕元付近へくるりと丸めるように纏め置いた。
 丸まって眠るのは、出会った時からの彼女の癖だった。起きている時は、凛とした雰囲気で居るが、眠る時ばかりは胎児のように小さく体を丸めて眠るのである。
 其れでは、疲れが取れんだろうと、敢えて体を真っ直ぐに伸ばしてやった事もあったが、寝相としての最終形態が胎児のポーズなのか、何度伸ばしてやっても結局は丸まってしまうのがオチだった。
 本人曰く、一番落ち着く寝方なんだそう。寝づらそうにしか見えないが、まぁ、本人が一番安心する寝方ならば無理に変えるのも悪かろうと思って以来は、そのままにしているが。
 何度見ても疲れが取れなさそうで心配になる寝方だ。絶対手足をきちんと伸ばして寝た方が疲れは取れると思うのだが……。何をしても最終的には胎児の形に丸まってしまうので、此方が諦める方が早かった。
 そして、彼女は眠る時でさえも、片時も守刀もりがたなの小夜左文字の本体を離そうとはしなかった。其れだけ、彼女の中では心的外傷トラウマとなっているのだろう。無理もない話だ。
 何せ、己の初期刀が自分を守り逃がす為とは言え、目の前で折れる瞬間を目の当たりにしてしまったのだから。
 その上、初鍛刀までも襲撃を受けた時に受けた傷から呪いに蝕まれ、顕現出来なくなってしまっているのだ。
 憐憫の情を抱くな、という方が無理だった。元々、自分は義理人情に滅法弱いタチだ。仮に主人と仰ぐ身分だろうが何だろうが、厄介事に巻き込まれた以上は最後まで面倒を見てやる腹積もりである。
(積年の想いとやらが、此処までの長さまで伸ばし続けさせるのだろうなあ……。少し羨ましく思うよ。この主人にして、其処までの想いを傾けられるという事が)
 任された以上は、どんな仕事であれ、お役目であれ、果たす所存であるが。しかしながら、男として、好いた女に想い慕われる事自体に、些か嫉妬じみた感情を覚えるくらいには、自分もこの人の子の心根に惚れ込んでしまっている事を自覚していた。
 流石に、折れても尚、義兄弟たる之定の歌仙の加護に守られる女を横恋慕する気は無かったが。
(何の因果かねぇ……義兄弟の縁ある兼元と相見え、仮契約とは言え、主従の関係を結ぶ事になろうとは……。枝葉が引き寄せた縁なのか、はたまた、そういう運命さだめにあったというだけなのか。まぁ、何であれ……報酬さえ貰えれば、仕事はきっちり果たすがね。其れが俺のお役目なのだし)
 眠る彼女の傍らに、近場に置いてあった椅子を適当に引っ張ってきて、其れに腰掛け、本体を片手に抱えたまま目を瞑って軽く休む体勢へと入る。いざ何かあった時の為に、何時いつでも動けるよう警戒は怠らず、意識は軽く眠るだけに留める。
 人間と違って、刀剣男士は完全に眠らずとも気力は回復出来る。だが、人間はそのようには出来ていない。だから、彼女が眠って無防備な状態である際は、決まって用心棒に徹していた。特に、小夜左文字の亡霊より彼女の過去を聞いてからは。
 眠りが浅く短いのは、深く寝入っている内に襲撃に遭う事を恐れて、警戒心が働き過ぎて神経が過敏になってしまっている為だろう。故に、酷い隈が常態化している。
 人間は、きちんと休まなければ体を壊してしまう。そうでなくとも、心が壊れれば、その内、体も壊れてしまう程に脆い。最悪、弱った果てに死んでしまいかねない。
 人の子の一生は、物の一生から見たら瞬きの内に消え逝く程に儚いものだ。託されたからには、守らねばなるまい。
 庇護欲的な感覚から、そのような意思を抱いていなくもない気がするが、用心棒が主人を守るのは当然の事として、半ば強引に自分を納得させた。
(頼むから……下手な事は考えてくれるなよ)
 表面張力ギリギリで正気を保っているような、危うさを孕んだ、曖昧で不安定な人の子を憂いて、彼女の用心棒を務める男は人知れず溜め息をく。


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 ――其れは、嘗て、昔、彼女がまだ政府所属職員でない、ただの本丸付きの審神者である時の頃の事だった。
 ある時、初期刀の男が呟いた。
「君の髪は、何時いつ見ても美しいね」
「えっ……そうかな?」
「あぁ。とても手入れが行き届いていて、綺麗な髪をしている。肩に付くか付かない程に短いのが惜しい程には」
「まぁ……一応、も花の乙女だからね! 髪は女の命とも言うし、適度な手入れは欠かさないかな」
「こんなに綺麗なのだし、伸ばしてみたら良いんじゃないかい?」
「う〜ん……腰近くまでなら伸ばした事もあるけども……あんまり長くなっちゃうと、手入れする時に苦労する事になるからなぁ〜」
「その時は、僕が君に代わって手入れを施してあげるよ」
「歌仙が?」
「君が嫌ではないのなら、是非」
「……そっか。じゃあ……頑張って伸ばしてみようかな……。審神者って、術とか使うので何かと髪とか入り用になったりするし。そういう意味では、もう少し長めにしておいた方が、いざという時に役立つかもね」
「そうと決まれば、手入れに必要な道具を揃えておかないとね。今度、万屋へ出掛けた時にでも見てみようか。髪の手入れに必要な物と言えば……櫛や、香油辺りだったかな? 折角せっかくなら、長く伸びた際に結い上げる為の髪飾りも揃えておこうか。君は、結えるくらいの長さになっても、いつもざっくばらんに適当に結わえる程度にしか纏めないから、雅に欠ける」
「本丸の外に出掛けない限りはラフにしてたって良いじゃない……っ」
何時いつ来客や招集が掛かっても良いように備えておく事に越した事はないさ。ついでに言っておくと、この件に関しては、燭台切や加州も同意見の愚痴を漏らしていたよ」
「ゔっ……そんなダメ出しされる程適当な格好をしてるつもりはなかったのだけど……改めて指摘されるとクるものがあるなぁ」
「自覚が有るのなら、結構。そうでなければ、性根から叩き直す勢いで教育指導するところだったからね」
「歌仙からの教育指導とか怖過ぎるんですけど……」
「何か言ったかい??」
「いえっ、別に何も言ってませんけど!?」
 余計な一言を言ったが最後、初期刀たる彼より仕置きという名の教育指導が入る予感がして、慌てて言葉を訂正した。其れに、眉間に皺を寄せつつも、一つ溜め息を吐き出す事で無かった事にした彼は、改めて口を開いて言う。
「もし、僕が君へ櫛を贈ったら、受け取ってくれるかい……?」
「勿論。歌仙からの贈り物だもの。貰ったら一生大事にする!」
「ふふっ……出来れば、飾らずにちゃんと使って欲しいところなのだけれど……。君の事だから、大切な宝物として箱の中へと大事に仕舞ってしまいそうだね」
「あはっ、バレてる」
「そうなると、贈った意味が無くなってしまうから、僕が君の髪を手入れする度に使ってあげるとしよう」
「んふふっ。それじゃあ、の髪が腰に届くくらいの長さまで伸びたら、お願いするね」
「嗚呼、任されたよ」
 その時の男は、至極嬉しそうに顔全体を綻ばせて美しく微笑った。まるで、愛しいものでも見つめる如く柔らかな目をして。
 その時の彼の顔が脳裏に焼き付いて以来、その後、本当に髪を伸ばし始めた審神者は、手入れの時に視界に入る髪の毛や櫛を見る度に思い出していた。


 ――時は、現在に戻り、審神者は休息から目を覚まして、覚醒を促しに洗顔しに洗面所へと立つ。
 そして、洗顔後、一度髪を解いて、櫛を通して髪を梳き、綺麗に結び直す。
 最後に、鏡の中に映る自分の姿を見て、彼女は自嘲気味に歪んだ笑みを浮かべた。
「……もうアタシに代わって手入れしてくれるヒトなんて、居やしないのにね。“願掛け”だ何だと理屈付けて伸ばし続けて……莫迦ばかみたいじゃないか。お前も可哀想にね。こんな持ち主に貰われちまったばっかりに、思い出したような時にしか使ってもらえなくなっちまったんだから」
 乾いた響きの自嘲気味な呟きを、洗面所の出口の壁に凭れるようにして用心棒をしていた男が聞いているとも知らず。


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 そんな事があったのちの数日後である。
 徐ろに、男は、ひょんな事を言い出した。
「なぁ、主人や。前にも言ったが……その髪、切らないのか? 其れだけ長いと手入れも面倒そうだし、頭も重くて、普通に邪魔だろう」
「ん〜……まぁ、此処まで伸ばしちまったからねぇ。もういっその事、このままでもいっかなって」
「なら、せめて手入れの時くらいは俺が手を貸してやろう。流石に、その長さを自分自身で整えるのも一苦労だろうし」
「確かに、このところちと面倒に思ってたくらいだから、有難い申し出で構わないけども……どういった風の吹き回しだい?」
「何。其れだけ長くて綺麗な髪をしているんだ。折角せっかくなら、ちゃんと整えておかないとな。あんたも歴とした女なんだし。女人の髪は触り心地も良さそうで、純粋に興味がある。自分のものは、男な所為か硬めだしな。あんたのは、見るからに髪質も柔らかそうだ。あと、イイ匂いがしそうで男心が擽られるかな?」
「何か……一訊いたら百返ってきたみたいで軽く引く……っ」
「あんたが拒むなら無理強いはせんよ。不用意に他人に髪を触られるのは、あんたとしても不本意だろう?」
「別に……整える意味で触られるぐらいだったら構やしないよ」
「それじゃあ、早速櫛の一つでも借りようか」
「物好きだね……」
 そう言いながらも、審神者は適当に近場の椅子を引っ張ってくるなり、其れに座って、結い上げていた御下げ髪を解いた。次いで、帯の内側に挿し込むようにして持っていた櫛を背後に立つ男へ後ろ手に渡してくる。
「ハイ。アタシが持ってる櫛は此れしかないけど、此れで良いのなら貸してやるよ」
「良いのか……?」
「何が?」
「其れ、相当上等な物だろう。しかも、随分と使い込まれているが、大層大事にされてきたんだろう事が見て分かるくらいには手入れが施されて、綺麗な形を保っている。あんたが基本使っている物は支給品が大半を占めるが、此れはそうじゃない。あんたの数少ない私物だろう? 其れを俺が使っても良いのか?」
「壊さなきゃ良いだけさ。物は使ってなんぼでしょ。大事コンコンと仕舞ってばっかじゃ、其奴にも失礼だしね。偶には使ってやんなきゃ、此れを贈ってきた奴も浮かばれないだろうしさ」
 彼女の口から直接其れらしき事を聞いたのは、此れが初めてだった。だからこそ、男は、慎重に慎重を期するように再度確認を取る言葉を重ねた。
「本当に良いんだな……?」
「だから、さっきから良いって言ってるじゃないか……っ」
「……では、失礼して、拝借つかまつる」
「何だい、妙に慇懃ぶった態度なんかして……」
「此れだけ大切にされてきた上等な物への敬意を払っての事だよ。誓って他意はない」
「……あっそう」
 素っ気ない返事をしたのを皮切りに顔を正面へと向けた審神者は、黙って髪の毛を男へと預けた。
 男の方も、其れを良しとして、三つ編み状から解かれて波打つ髪へと櫛を通していった。
 いつもキツめに固く編まれている御下げ髪であるが、こうして解くと驚く程柔く広がるものだと気付く。梳く時に髪の毛同士が絡んで傷めてしまうかもしれない事を危惧するも、不思議と髪は絡まず、櫛で梳く度に指通り良く纏まっていく気がした。
「改めて触れてみると、女人の髪の毛というものは不思議なモンだな……。男と女で、こうも髪質が異なるものなのか?」
「さぁね。アタシは、其れ程他人の髪の毛を触れる機会も無かったから知らない。まぁ……同性同士でも、人によって髪質って異なるから、何とも言えないとだけ返しておこうかい」
「左様で」
 一度梳いてみて分かったが、膝丈程まで長いと、櫛を通すだけでもエラく時間を要す。其れが面倒故に、入浴する時以外は常に御下げ髪で纏めたままを保っていたのか。その事に気付いた男は、これからは適度に時間の空いた時や暇を見付けた際に櫛で梳いてやる事に決める。勝手に、だが。
 審神者は、特に嫌がる素振りを見せる事無く、自然体で任せていた。男は、その事を内心嬉しく思いつつ、慣れた手付きで綺麗な三つ編みを作っていった。
 そして、完成した御下げ髪に、男はドヤ顔で「どうだ、会心の出来だろう!」と鼻高々に言い放つ。
 髪を梳き終わって結い上げも終わった自身の御下げ髪を体の前へ持ってきて先っぽを摘んだ審神者は、少しだけ驚いた風にキョトリとした顔をして、ポツリ呟く。
「アンタ……意外と手先器用だったんだね? アタシがやるよか綺麗に結べてんじゃないかい? コレ……」
「お褒めに与り恐悦至極」
「こんなに綺麗に結んでくれるんなら、次から結び直す時はアンタに頼もうかね……」
「お気に召して頂けたのなら何よりだ。主人さえ良ければ、俺もまた主人の髪に触れる口実も出来て一石二鳥だし、喜んで引き受けよう」
「じゃあ、頼もうかね。丁度、このところ自分で結び直すのも面倒に思えてきてたところだったから」
「拝命した」
 奇しくも、男はその日以降、暇を見付けては気紛れに審神者の髪を整えるようになるのだった。
 その度に、手の内に不思議と馴染む櫛からは、やはり、彼女の元初期刀と思しき霊力の残滓を感じ取って、遣る瀬無い思いに駆られていようとは、男と櫛だけが知る事である。


執筆日:2025.01.04
加筆修正日:2025.01.08
公開日:2025.01.08