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何でもない日常、されど何物にも代えがたい大切なもの



 其れは、寝起き直後の事だった。
 洗顔フォームで寝ていた間に浮かんだ皮脂をしっかり洗い流して綺麗になったところで、側に引っ掛けていたタオルを手に取って濡れた顔を拭う。そうして、朝のルーティンをこなすように水気を拭っていると、偶々起き抜け直後と分かる審神者と遭遇した同田貫が声をかけてきた。
「あれ。あんた、髪伸びたんだな」
 顔を洗う為にと一つに束ねていた丁髷ちょんまげ(或いは短い髪の毛の尻尾ポニーテールとも言う)の事を指した言葉に、顔に残った水分を拭いながらの不明瞭な声で「うん」と端的に返す。その答えに、彼は何を思ったのか、妙にしみじみと納得した風な顔付きで零した。
「あんた、生きてんだな」
 予想外も予想外。想像していた斜め上な方向へ着地した話に、審神者は若干怪訝そうな顔を浮かべながらも、当然だと言う口調で宣った。
「いや、そらそうでしょうよ。人間生きてりゃ髪も伸びらァ。まぁ、俺も顔洗う時に邪魔になってきたなぁ〜って試しに纏めてみたら、“あれ、結べんじゃん”って思って初めて気付いたんだけど」
 そう言いながら、審神者は水気を拭い切った顔に乾燥防止の保湿クリームを塗ったくり始める。
 其れが終われば、呆気なく束ねていた髪を解いたので、同田貫は小首を傾げて問う。
「何だ、もう解いちまうのか? 伸びた髪が広がるのが邪魔で括ったんじゃなかったのかよ?」
「いや、今寒いし。まだ其れ程邪魔ってくらいの長さ無いから、下ろしとく。首裏出しとくと、まだ寒いし」
「ふぅん……。まぁ、確かにまだ吹雪く程寒ィ季節だもんな。ただでさえ身が無ェ痩せぎすのあんたにゃ堪えるわなァ」
「うっせ。どうせ、俺は鶏ガラの出汁すら取れん程の痩せっぽっちですよぉ〜っだ」
「其処まで言ってねぇだろ。……まっ、あんたの好きにすりゃ良いんじゃねぇーの」
 解いたばかりで少し絡まっていたりする後ろ髪へ、戯れに手持ち無沙汰なのを紛らわすように無骨な手を伸ばして、触れる。猫の毛みたいに細い髪質は柔らかく、直前まで結わえていた所為か、ほんのり体温が纏わり付いて温かかった。
 梳くみたいな、存外優しげなその手付きに、徐ろに髪をわしゃわしゃとされた審神者は不思議そうな顔をして、首だけを振り向かせて問う。
「何ね?」
「……いや。別に、特別用って言うようなモンはねぇよ。ただ……何となく触れたくなったから触っただけだ。あと、微妙に絡まってるのが偶々目に入ったから気になっちまって」
「おぅ、そうかい。整えてくれてあんがとよ。後ろは鏡見ても自分じゃ分からんから助かるぜ」
「ん。絡まってたのは解けたぞ」
「あじゃじゃっす」
 気安い礼の言葉を皮切りに髪を梳く行為は終わるかと思いきや、意外にも彼の手はそのまま、するり、と肩に付く程伸びた襟足へ沿うように撫ぜた。まるで毀れ物でも扱うかの如き手付きに、擽ったさを覚えた審神者は小さく控えめな笑みを漏らす。
「たぬさんや……その触り方は、ちと擽ってぇよ。首回り弱い分、そんな風に触られちゃ堪ったモンじゃねぇーからよぅ。程々で勘弁してくれや」
「そうかい」
「こら。言うた側から悪戯すな。やめェ言うたやんけ」
「ははっ。あんたが面白ェ反応返すのが悪い」
「責任転嫁も甚だしいですな。遺憾の意を示します」
「……あんたは人間で、生きてるんだもんな。頼むから、下手な事して命削るような真似すんなよ。出来る事なら、あんたには大往生してから死んでもらいてぇからさァ」
「極めてからのにゃーさんみたいな事言うやんけ。まぁ、一応善処はするがよ。長生き出来るかの保証は出来かねるぞぃ」
「其処は嘘でも“努力する”とか言って終われよ。あんたらしいっちゃ、あんたらしいが」
「納得してんなら、其れでエエやんけ」
「……ったく、俺達の主様は相変わらずなこって」
「へへっ。そんな事よりかさぁ、今日の朝飯何?」
 朝のルーティンこと身支度を済ませた審神者は、何気無く彼の隣へと並び立って他愛のない会話を振った。此れに、同田貫も其れが自然且つ当然なように受け入れ、問われた事への返事を返す。
「えーっと……白飯と漬物の類と、豆腐と白菜と油揚げの入った味噌汁に、白花豆の小鉢が一品と……あと、枝豆がんもの入った煮物が一品だったな」
「白菜のお味噌汁……! やった! 俺、白菜のお味噌汁大好き! 冬の風物詩じゃん! いつも通り最初は、お味噌汁から食べて、その後は食べやすそうなのから食べよぉ〜っと!」
 なんて、他愛ない話をしつつ、今日の天気や気温を訊いたりしながら、二人揃って大広間へと向かう。
 本丸の日常の一幕であった。


執筆日:2025.02.19
公開日:2025.03.08
加筆修正日:2025.03.08