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布団の上で囁く愛のメロウ



 水無月の初頭。本丸設立共に審神者就任七周年を迎えた月初めの事だった。
 激しい気温変動を経て漸く迎える事となった梅雨の時節。柔らかな雨音が、庭先に咲く植物達に朝露を垂らすように降っていた。
 諸々の物事が足早に過ぎ去っていく最中、無意識に気を張っていたのだろうか。予想を付けていた筈の予定日よりも少し遅れてきた月のものに、鈍く重い頭を枕に擦り付けるようにして目覚めを迎えた。
 すぐ隣には、自身よりも高い熱を帯びた刀が人の姿を模して居た。所謂、恋仲にある相手であった。
「起きたか」
「……ん゙ぅ゙、」
「見れば分かるから、無理に返事を返さずとも構わん。月のもので体が辛いのだろう? 寝付いた時間から逆算しても、あまり眠れていないだろう。俺には構わず、もう少し寝ていろ」
 寝起きの良い男は、先に起きて此方の様子を眺めていたらしい。付き合い初めたばかりの頃に呟いていたが、朝の楽しみなんだとか。頭の天辺から爪先まで美しい造形をした彼とは異なり、不細工な人の寝顔など眺めて何が楽しいやらと思うのだが、恋をするとその思考回路も変わってしまうようだ。逆の立場に立って考えてみると、確かに自分も同じ事をしてしまうかもしれないと考えたところで、羞恥心から抱く“見るな”という言葉を口にする事を諦めてしまった。
 男とは反対に寝起きの悪い自分は、朝にも弱く、目覚めてからもなかなか覚醒し切らない。故に、もだもだと布団の中でごろごろ寝返りを打つのを繰り返し、愚図る。その様を、始終此方が覚醒し切るまで見守るのが、この男のルーティンだ。
 未だぼんやりとして働かない頭を何とか起こそうと唸り声を上げて、顔をうつ伏せ額を枕へ擦り付ける。すると、顔を横向けた際に伸びてきた手に頬を触られた。毀れ物を扱う如く優しげな手付きで、熱く大きな掌が髪を避けるように顔の横を撫ぜるみたいにして滑っていく。其れが擽ったくも心地良くて、猫みたく擦り寄る。寝起きの覚醒し切らない頭の内は、無意識な行動が多い。そんな行動を甘えと捉えたらしき男が、頭上で吐息を零すように微笑む。
「相変わらず、寝起きのお前は体温が低いな。生温いくらいの温度だが、体調の方に変わりはないか?」
「……ん゙ー」
「なら良い」
 慈しむような慈愛に満ちた視線が絶えず降ってくるのを感じて、寝惚け眼を開けば、地金のような鈍色の瞳と合った。男の眼差しが、緩やかに細められて、米神こめかみへと口付けが降ってくる。寝覚めを促す意図なのか、寝覚めを祝福したい意図なのか、どっち付かずではあったが。恐らくは、半々の意図を含む行為なのであろう。
 耳朶を擽る吐息にむずがるように身を捩れば、ふはりとした笑いが降ってくる。撫ぜる掌が、絶えず注がれる視線が、全部が全部訴えかけてくる。“お前が愛おしくて敵わない”――と。其れが、何時いつまで経っても慣れなくて、心の底からむず痒くてしょうがない。だから、言外に見るのを止めろと枕へ顔を押し付け隠した。正直に言って、照れ臭いのだ。こんなにも誰かに愛されたのは、人生で初めての事だから。“愛される分を報いたい”との気持ちから施される情愛が、溢れに溢れて、擽ったくて仕方がない。だから、唸り声が漏れ出たって大目に見て欲しい。
「む゙ぃ゙〜……っ」
「ん? 何だ、どうした。何か不満か?」
「ん゙ん゙……っ、流石に見過ぎだと思うのですが…………」
「愛する者を眺めて何が悪い?」
「ぅ゙ん゙ッぐ、悪びれもしない、だと……??」
「どうして悪びれる必要が有る。好きな気持ちに正直に愛する者を愛でるのは、恋刀としての特権だろう? 素直に受け取っておけ」
「愛も過ぎれば毒と成り得るのよ……」
「そうか。ならば、いっその事、俺という大包平からの愛に毒されてしまえば良い。そうすれば、他の刀に目移りする暇も有るまい?」
「自己肯定力の高さが富士山……否、エベレスト並みに高ェ゙〜……」
「自信を持って何が悪い? 俺はお前に愛されている。此れは真実だ。そうだろう?」
「寝起きからする問答じゃねぇ事だけは確かだわ……。何だ、この甘ったるい空気ェ゙……ウチは何時いつから砂糖製造工場と化したんですかねぇ〜?」
「飽きる事がないのだから、しょうがなかろう」
「観察は、うぐの専売特許だろ……」
「だが、愛し愛される事は俺達の専売特許だろう」
「あー言えばこー言うの繰り返しかよ……」
「お前が起きる気配を見せたのでな。少しは覚醒してきたか?」
 猫の子のように布団にくるまったまま片目だけを開いて見上げれば、愛しげなまなこが愛に満ち満ちた眼差しを向けてくる。そんなに見つめられては、穴が開くか、溶けてしまいそうだ。けれど、嫌気は一切感じない。其処が罪深く思う。愛に溢れた男に愛されて、底辺にあった自分の自己肯定力も自然と引き上げられていくのを感じて、少しばかり複雑だ。良くも悪くも影響し合っているのは、相手が自分の刀だからか、はたまた、恋い慕って仕方のない相手だからか。恐らくは、何方共なのだろう。
 次第に覚醒してきた頭が、冴えてきた思考回路から、とある言葉を弾き出して口にする。
「……愛され尽くされた果てに腐るなら、お前が良いなァ」
 突如脈略もなしに口説かれた男は、一瞬だけキョトリとした顔をしたが、次の瞬間には其れに対しての返答を口にしていた。
「お前がそう来るならば……俺は、果てるなら、お前と何処までも往きたい」
 相思相愛とは、この事を言うのだろう。朝っぱらから馬鹿みたいに口説き合いながら目覚めて、何方ともなくクスクスと笑い出す。さながら、“口説き愛”だろうか。
「起きるか?」
「うん、起きる。起きて、朝飯にしようか」
「その前に、身支度を整えるのが先だな」
「せやね。流石の寝癖まみれのぐっちゃぐちゃんまんま皆の前には出れんだろうよ」
「俺が整えてやろうか」
「いや、良い。自分の身支度くらい自分でさせませい。俺をこれ以上自堕落にさすな」
「フッ……其れは残念だ」
「何も残念なこたねぇよ」
「常に俺はお前から愛されているのだから、少しはその分のお返しをしたって良いだろうが」
「其れ今じゃなくて良いっつの。是非とも、また別の機会にしてくだせぇ」
「む……なら、せめて髪を結い上げるくらいの事はさせてくれ」
「物好きだのぅ……」
「お前の事が好きで好きで仕方ないのだから、諦めてこの大包平に愛され尽くされていろ」
「とんだ殺し文句じゃん……梅雨のジメジメとした湿気も蒸発して逃げてく勢いじゃん」
「憂鬱な空気など、この俺が吹き飛ばしてやろう」
「太陽属性も此処まで来れば圧倒的過ぎて勝ち目無いじゃん。強ッ……」
「だが、そんな俺の事が愛しくて仕方がないのだろう?」
「…………ノーコメントでオナシャス」
「そう言う時のお前は、大概照れ隠しで、心の中では本当は肯定しているのだと知っているぞ。故に今更だ」
「心情バレバレ過ぎてワロエぬぇ〜〜〜」
 口説き文句から惚気文句まで全て、布団を畳み押入れへと仕舞いつつ、互いにそれぞれ身支度を整えながらで交わしている。朝っぱらから交わす会話ではない気がするが、今更気にしては負けだと敢えて触れないでおこう。
 寝起きのトイレを済ませた後、寝間着から服を着替えて、髪を梳かし、男たっての希望で結い上げる作業を任せ、洗顔を済ませて、化粧水も忘れず付ければ身支度は完成である。
「さて、行くか」
「今日の朝飯は何じゃろにゃあ〜」
 私室の在る離れの間を出て渡り廊下を抜ければ、百振りを超える刀剣男士達の宿舎棟が集まる母屋へと出る。古備前派の部屋から出て来たであろう兄と弟二人とも、大広間へと向かう道中で顔を会わせる。
「やぁ、今日も二人仲良く出勤か? さては、昨夜はお楽しみだったか?」
「変な揶揄からかいは止めんか、鶯丸め。馬鹿を言うのも程々にしろ」
「馬鹿と言う奴の方が馬鹿なのではなかったのか? 何だ、今更怖気付くお前ではなかろうに。何か問題でも起こったのか?」
「そもが、毎晩毎晩主と閨事に勤しんでいると思うな。……遅れていた月のものが来て体調が優れぬと言う主に、無体など働けるものか。俺は其処まで飢えてもいないし阿呆でもないぞ」
「成程、そういう事だったか。いやはや、此れは失礼した」
「雇い主も包平の兄さんも、おはようございまぁ〜っす!」
「うん、おはよう。八丁君もうぐも変わらず元気そうで何よりだの」
「その髪型、包平の兄さんがやったの?」
「せやで。凄かろう?」
「わぁ、積極的に自慢してくるじゃん? 雇い主ってば、本当に包平の兄さんが大好きなんだねっ!」
「まぁ、当然やにゃあ」
「ぐッ……!」
「ほぉ?」
「にゃんだ、その顔は」
「いや、何。気にするな。今日も大包平が愛されているようで何よりだと思っただけさ」
「良かったね、包平の兄さん!」
「ええいっ、二人寄ってたかって弄ってくるな……!!」
「今日も大包平は朝から喧しいのぉ。元気がよろしい証拠で何よりだが」
「誰の所為だ、誰のッッッ!!」
 そんなこんなで、今日も一日が始まっていく。愛する人と共に朝を迎え、夜を迎えて一日を終えるまでの日々が。愛しくて、楽しくて、かけがえのない事が堪らなく、やっぱり愛しさに溢れている。そんな日常が、今日も始まるのだ。


執筆日:2025.06.07
公開日:2025.06.10