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花冷えの季節、其れは塵紙とゴミ箱のセットと友達になる事と同義である。



 体調絶不調な時って、直前までは目が冴えてて眠くないと思ってても、活字を追いながらお布団の中で黙って横になっていると、気付けば睡魔が眠気を促していて舟を漕いでいる……なんて事が多々ある。
 ――此れは、そんな日常からありふれたお話である。


 今朝、目が覚めて布団から起き上がった直後から何だか調子が悪かった。やたら水っぽい鼻水がダラダラズビズビと垂れて止まらないのだ。
 時季的にまだ花粉シーズンであるし、花粉症持ちである自分は、この時季は薬を飲んでいても調子が悪い事があった。一応、いつも通り、朝食後に忘れずアレルギー薬を飲んで様子を見てみたが、何故か連発するくしゃみにむず痒さを訴える鼻頭に、蛇口が壊れたように止まらない鼻水に、「嗚呼……今日は駄目な日だ」と早くも悟った。
 噛んでも噛んでもキリがない鼻水に、完全なる洟垂はなたれ小僧状態である。今日は、ティッシュ箱とゴミ箱が手放せない一日になりそうだ。そう思いながら、食事が済むなり執務室へと向かう道中も、その手にはティッシュ箱と要らないチラシ紙で作った簡易的持ち運び用屑籠を携え、ブンブン鼻を鳴らす。すると、通りすがりにすれ違った者達から心配と憐れみの目を向けられた。
「主、大丈夫? 何かめっちゃ鼻噛んでんじゃん」
「今日はい゙づも゙以上に゙花粉症が酷い゙」
「うわ、ひっどいダミ声……滅茶苦茶鼻詰まってるみたいだけど、ちゃんと息出来てる?」
「起きでがら゙ずっとこん゙ら゙感じで、蛇口壊れ゙たみ゙だぃ゙に゙ズッビズビで止ま゙ん゙に゙ゃい゙の゙……お゙陰でじん゙どぃ゙……」
「あんましんどいのなら、無理せず仕事休みなね〜?」
「あ゙ぃ゙……」
 寝起きからずっと鼻を噛んでばかりだから、屹度きっと今の自分の顔は酷い有様だろう。噛んでも噛んでも止まらない鼻水の所為で、丸めた塵紙が大量発生し、早くも移動用にと作った持ち運び式簡易屑籠が満タンになりそうだ。
 みっともなく情けない事この上ないが、事情が事情故にティッシュを鼻に押し当てたまましおしおに萎れた顔を引っ提げて居たらば、朝食後の朝のパトロールに出ていたらしい刀のお巡りさんと出会でくわした。
「相棒……って。どうしたんだ、その有様は……っ?」
「花粉の゙所為でぢょっど鼻水が酷ぃ゙だぇ゙な゙の゙だ」
「うわ……朝餉の時から何か調子悪そうには見えたが、そんなにもだったのか……」
「薬は飲ん゙だん゙ら゙が、一向に゙止ま゙る゙気配が無い゙……っぢゅー事だがら゙、今日の゙俺は使い゙モ゙ン゙に゙な゙り゙ばぜ…………へっ、くし! ぅくしっ! あ゙ぁ゙〜ぢんど……ッ」
「本当に大丈夫か……?」
「全然ダィ゙ジョバナ゙ィ゙……頼む゙がら゙誰が俺の゙蛇口止め゙で」
「まさかだが……その状態で仕事する気か、相棒?」
「仕事は待っでぐれ゙な゙い゙がら゙な゙……体調的に゙きづぐでも゙、遣ら゙ね゙ば溜ばる゙……そぇ゙は避けだぃ゙」
「そんな状態でまともに仕事が務まると思ってるのか……?」
「思っでら゙ぃ゙けど……仕事溜め゙ん゙の゙やら゙……」
「今すぐ寝ろ」
「あ゙ぇ゙……俺の゙お゙巡り゙ざん゙が冷だぃ゙……」
「良いから寝ろ。そんなあからさまに体調悪い時まで仕事してろなんて酷な事を言う奴は、この本丸には居ないだろう? 何事も体調優先で、仕事なんか二の次だ。相棒は、今すぐ即行で布団に横になって寝ろ」
「仕事ぉ゙〜……」
「却下だ。大人しく寝てろ」
 社畜時代の名残りで、この程度の不調ならば普通に仕事する気で居たら、朝のパトロール中だった刀のお巡りさんに確保される形で執務室の奥の間にある寝室へと連行されてしまった。
 連行される間、此方が抵抗出来ないようにの措置か、問答無用で俵担ぎにされて運ばれた。今、顔を下向けたら余計に鼻水が垂れてくるから、控えめに言っても止めて欲しいと頼んだが、聞き入れてもらえず。ティッシュの重ね技で何とか道中耐え忍ぶ事が決定した。
 寝室に着けば、敷きっ放しの寝具の上にそっと降ろされ、早く布団へ横になるよう促される。渋々手に持っていた装備を枕元へと置き、鼻に押し当てていた塵紙は適当に丸めてゴミ箱へと捨ててから、眼鏡を外し、大人しく布団へ横になって頭を枕に据えた。
 此方がきちんと寝る体勢になったのを確認すると、肩が出ないようにしっかり毛布と掛け布団を重ねて掛けられる。そして、“体調不良の相棒を寝床まで移送する”という任務を完遂し切った刀のお巡りさんは、何処か満足そうな笑みを浮かべて布団の上からポンポンと叩いた。
「此れで良し……っと。ほら、具合が悪いんだから、無理せず寝とけ」
「……ざっぎ起ぎだばっがだがら゙、眠ぐな゙ぃ゙ん゙ら゙が……」
「目を閉じたら、その内、眠くなるかもしれないだろう? 俺は、あんたが寝付くまで傍に付いていてやるから、構わず目ぇ瞑って寝ろ」
「目ェ゙冴ぇ゙ま゙ぐっでぅ゙がら゙、寝れ゙る゙気がじね゙ぇ゙よ゙……。活字読ん゙でだら゙眠ぐな゙ぅ゙がも゙じぇ゙ん゙が……」
「ふー……しょうがないな。なら、スマホなり何なりで本を読む事ぐらいは許可してやろう。だがしかし、他は駄目だからな?」
「あ゙ざざま゙じゅ……」
 布団へinした状態であらば、本を読む事の慈悲を頂けたので、スマホ端末でお気に入りの電子小説でも読みながら眠気が訪れるまでを待つ事にした。
 布団へ横になった自分のすぐ傍という位置には、添い寝するような形で刀のお巡りさんも体を横たえている。勿論、大人しく寝付くまでを監視する意図も含まれた行為なので、彼は自身の腕を枕にするように肩肘を付いて頭を支えながら、じっと此方を見ていた。
 お互い敢えて沈黙を良しとした先からは、余計な口は利かぬまま、静かな時間が流れていく。気付いた時には、あんなに冴えていたと思っていた頭は嘘みたいに霞み始め、活字を追っていた筈の目蓋が自然と重みを増して、勝手に閉じかかっている事に気付いてハッとした。だが、其れを何度も繰り返していく内に、画面がスリープ状態へと移行して真っ暗になるくらい、目蓋が閉じている間隔が長くなっていく。次第に、体が完全に微睡み始めたのを察したところで、徐ろにスマホ端末を没収するように手から抜き取られた。
 手の中にあった筈の重みが消えた事に、微睡みかけていた意識を浮上させて、目蓋を押し開いて薄目で行方を追えば、気付いた刀のお巡りさんが敢えて此方の目を閉じさせるように掌で視界を覆い隠してくる。
「こーら。眠くなったんなら、そのまま大人しく寝てろ。スマホは枕元に置いておいてやるから」
「ん゙ぅ゙……」
「ん、良い子だ。おやすみ、相棒。ゆっくり休めよ」
 既に微睡む思考故に、眠る事を促された事で眠気は加速して、そのまま抗えずに深く寝入ってしまった。体は正直と言うべきなのか、分かり切っていた事ではあったが……やはり、本調子ではなかったようだ。一瞬だけ浮上しかけた意識も、刀のお巡りさんが優しく頭を撫でてくれた手付きが心地良くて、其れもまた眠りを促す作用をもたらしたようである。
 自分がすっかり寝付いた事を確認した刀のお巡りさんは、その後、静かに部屋から退室して、自分が目を覚ました時に飲めるようにと、水分補給用の水差しを用意しようと厨まで向かおうとした矢先で、薬研藤四郎と遭遇した。しかも、奇遇な事に、彼は、丁度刀のお巡りさんが用意しようと考えていた物のセットが乗せられているお盆を手にしていた。
「よぉ、大坂貞宗さんよ。大将の具合はどんな感じだ?」
「酷い鼻詰まりと止まらない鼻水の所為で凄いダミ声状態で……とてもじゃないが、あのまま仕事を強行するのは目に余る行為だと判断して、半強制的に寝床まで連行させてもらったよ。今は寝かし付けが無事成功して寝付いたばかりだ」
「そうかい。まぁ、旦那の判断が正しいだろうなぁ。俺も、朝餉の時の様子を見てて、“ありゃやばそうだな”と思ってよ。飯食い終わったら、補給用の水分差し入れに行ってやろうと準備やら済ませたりとかそうこうしてる内に、旦那の肩に担がれてドナドナされていく大将を見たっていう目撃情報が耳に入ってな。本丸に来てまだ数ヶ月しか経たねぇってのに、すっかりウチの空気に染まったというか、何というか……まっ、早くに馴染んでもらえた事は良い風向きだと思ってるぜ。仕事中毒ワーカーホリック気味の大将には、旦那くらい強気で押さねぇと響かねぇからな。大将の世話焼いてくれて有難うな」
「礼には及ばないさ。寧ろ、感謝したいのはこっちの方だよ。丁度、今、相棒が起きた時の為にと思って水を取りに行こうと思っていたところだったんだ」
「おっ、そいつァ良かったぜ。すれ違いにもならず、タイミング良く会えたのも何かの縁だ。此れ、寝てる大将の枕元近くにでも置いておいてやってくれや。目が覚めたら真っ先に水分摂るだろうからよ。脱水予防の為にも、水分補給は大事だからな」
「了解した。相棒を起こさないよう、抜かりなく」
「ははっ、頼りにしてるぜ。大坂貞宗さんや?」
 短刀ながら何処までも漢前な薬研藤四郎は、持っていたお盆を託すなり、ヒラリと手を振って元来た道を戻るように母屋の方へと去って行った。
 母屋と離れとを繋ぐ渡り廊下の中程でお盆を受け取った刀のお巡りさんは、その足で再び自分が眠る寝床まで戻ると、枕元から斜め上の位置に静かにそっとお盆を下ろした。次いで、布団の中で丸まったように眠る自分の様子を確認した刀のお巡りさんは、ふっと顔を綻ばせて微笑う。
「……体調が悪い時くらいは、無理せず周りを頼れよ。あんたの傍には、俺が居るんだからさ……なんて、ぐっすり眠ってるあんたに言ったところで聞いちゃいないか。……今回は、安堵し切った寝顔が見られただけで良しとするかね」
 誰にも聞こえないであろう小声でボソリとそう独り言を呟いた刀のお巡りさんは、そのまま自分が目を覚ますまで番剣役として傍らに寄り添い、安眠する様子を見守るのだった。


執筆日:2026.04.01
加筆修正日:2026.05.17
初出日:2026.05.17
公開日:2026.05.20