さわり、風が凪いだ。
開け放った戸から入り込んできた風だ。
今日は、珍しく涼しい。
ここ最近では、とてつもなく暑い日が続いていた。
故に、数度下がった気温と風の有無で、過ごしやすさが変わってくる。
暑さが苦手な主も、今日はいつもより元気そうで、最近はだれていた書類仕事も捗っているようだった。
僕自身も、東北出身という事もあって、あまり夏の暑さは得意ではないけれど、元が刀だからか、人である主程ではない。
「はい、冷たいお茶。仕事に集中するのは良いけれど、ちゃんと水分補給しないと水分不足で熱中症になっちゃうよ?」
『嗚呼、光忠か…。ありがとう。丁度さっき飲み上げちゃってたから、助かるよ。』
「どういたしまして。仕事、捗ってるみたいだね…?」
『ん…?まぁな、此処んトコ暑くてなかなか集中出来なくて、あんま進められてなかったからな〜。それに比べりゃ、結構捗ってるよね。片付けてなかった分、ちょっと溜まってるし…その分だけでも、今日中に終わらせられたらなぁ〜って思ってるよ。』
コトリ、と注いできたお茶を置くと、書面から顔を上げた主。
伸びてきた手は、すぐさま置いたばかりの湯呑みへと伸びて、口を付ける。
ゴクゴクと一気に半分程飲み干すと、一度湯呑みを置いて、ふぅ…っ、と息を吐いた。
「そう…それは良かった。でも、あまり無茶するのは良くないよ?今日はいつもよりかは涼しい方だけど、暑い事には変わらないんだから…。熱中し過ぎて、倒れないでね?」
『大丈夫だよ…!まとめて片付けるっつっても、大した量無いし、あともうちょいやれば終わる程度だから。そう心配しなくても良いよ。』
「だって…君ってば、放っておいたら色々と無茶しちゃうじゃない。そりゃ、心配もするさ。事実、この間、水分補給を怠って熱中症になりかけたのは、何処の誰だっけ…?」
『ぅ゙ぐ…っ、私だよね…っ。その節は、大変ご迷惑をお掛けして申し訳ございません…!』
「本当だよ…っ、全くもう。部屋でぐったりしてるのを見付けた時は、肝が冷えたんだからね…!?」
『あはは…っ、本当にすまん…。気を付けてはいたんだがねぇ〜。』
そう言って、苦笑いを浮かべた主は、気まずそうに笑って誤魔化した。
其処に、また、さわり、と風が凪いだ。
それに、髪と頬を撫ぜられた主は、言葉を止め、開け放った戸の方を見た。
『今日はよく風が吹くな…。』
「そうだね。おかげで洗濯物はよく乾くし、過ごしやすいよね。」
『扇風機だけで過ごせてるもんな。』
「うん。」
さわり、凪いだ風が、主の結んだ髪を揺らす。
そっと手を伸ばして、その柔らかな髪先に触れる。
「…髪、伸びたね…。」
『え?嗚呼…うん、そうだねぇ。』
「初めて逢った頃より、大分伸びたよね?」
『うん。もう暑くて鬱陶しくなってきたくらいの長さになったから、そろそろ切ろうかなって考えてる。』
「そうなの…?こんなに綺麗なのに、何だか勿体無いなぁ…。」
『だって、この長さだと、夜寝るのに暑いし邪魔で寝苦しいんだもん…。それに、あんまし長いままだと、汗疹出来ちゃう。』
「あ、長いと結ってもどうしても首に当たっちゃうもんね?それはそれで駄目だね。」
さらさらと何も弄っていない、黒いけれど何処か茶色くも見える髪を弄ぶ。
首に当たるのがこそばゆいのか、時折擽ったそうにクスクスと小さく笑い声を上げる主。
また吹いてきた風に、僕の前髪も遊ばれる。
緩やかで穏やかな時間が、今、この時には流れていた。
「ねぇ、主…髪を切るなら、どれくらいの長さにするんだい?」
『ん〜っとねぇ…夏だから、今回はそれなりに短く、ボブよりもちょっと短めで、ショートっぽく…?』
「ショートかぁ…。それじゃあ、もし首筋に痕付けちゃったりなんかしたら、見えちゃうし、隠せないね。」
『ちょっとちょっと…!お前は何を考えてんのよ!』
「え?君が常に首筋を晒すようになったら、その色っぽさに誘われて悪い虫が近付かないかどうか…?」
『考える事可笑しいでしょ!!つか、既に今絶賛晒してるのにか…!?』
「今はまだ長いままだろう?だから、まだ隠れてる処が多い。」
『十分見えてるから!切っても、今と変わらないから…!変な心配しなくて良いよ!!』
「えぇ〜…?君、無自覚に色々やらかすし、いつだって無防備過ぎるから心配になるよ…。」
そう。
僕の、僕達の主は、いつだって自然体で、無防備だ。
自分を作らないでありのまま接してくれるから、僕達も接しやすいし、僕達自身もありのままで居られる。
変に自分を作らないからこそ、ありのままの彼女を知れる。
自然体で居るという事は、即ち、心を許してくれているという事。
だから、こんなにも自分を偽らずに素のままを見せてくれる。
この本丸が心落ち着けられる場所になっているのならば、嬉しい限りだ。
「髪…どうせなら、僕が切ってあげようか?」
『え、良いの…?というか、出来るの?』
「嗚呼。伊達家に居た頃は、伽羅ちゃんや貞ちゃんの髪は、僕が整えてあげてたんだよ?」
『へぇ〜、そうだったんだ…。じゃあ、お願いしよっかな…?』
「オーケー、任せてくれ!格好良くカットしてあげるね!」
『いや、出来れば可愛くでお願いします…。ボーイッシュなのも好きだし、悪くはないけども。』
そうやって喋っている間も、ずっと彼女の髪を触り続けた。
触るだけでは飽き足らず、いつの間にか櫛を持ってすいていた。
『…ねぇ、さっきから何かずっと髪触ってるけど…。』
「ん…?」
『そんなに気になる?私の髪…。』
「うーん、まぁ…ね。綺麗だし、伽羅ちゃんや鶴さんと一緒で猫っ毛で柔らかいし、触り心地良いしね。ずっと触ってても飽きないよ。」
『そうですかぃ。まぁ、仕事の合間の休憩の間だけなら、別に構わないけど…。』
「なら、一度ほどいて、綺麗に全体をすいてから結び直してもいいかい…?」
『ほいほい、どうぞ〜。』
「ありがとう、主。」
髪を結い上げていたゴムを外せば、さらりと広がりふわり肩に落ちる髪。
またとして入ってきた風に、揺られ、甘い香りを漂わせる。
「風、涼しいね…。」
『うん。だから、髪下ろしても平気だよね。』
「あ、やっぱり夏は下ろすと暑い?」
『首に当たるからね。髪が当たってると、熱が籠りやすくなるし、蒸れるしな。光忠こそ、暑くない?襟足、長いでしょ…?』
「んー…今は平気かな?」
『そっか…。じゃ、暑くなった時は言って?軽く結ってあげる。汗で首にベタって張り付くよりも、結ってた方が楽だし。』
「それじゃあ、今度お願いしてみようかな…?結ぶ時は、格好良く結んでね。」
『あいさ〜、任されたー。』
間伸びした、ユルい返事が返ってくる。
相変わらず、外から入ってくる風と扇風機からの風だけでも涼しい。
涼しいから、心地が好くて、過ごしやすい。
『涼しいってのは良いね〜…。何だか眠くなる。』
「寝ちゃう?僕の膝使うかい…?」
『いや、まだ仕事残ってるから、それ片付けてからにするよ。終わったら、ちょっとだけの間お願いするね…?』
「どうぞ。君になら、いつでもいつまでも…。」
さわり、風が凪いだ。
穏やかな空気と景色が、心を落ち着かせてくれる。
さわり、風が凪いだ。
こんな穏やかな時も、たまには良いと思う。
何でもない日々に、穏やかな時を君と過ごせるのなら、それ以外幸せな事は無いだろう。
執筆日:2018.07.20