静かな秋の訪れ。
すっかり涼しくなってきた気温に、過ごしやすい日々が続いている。
こんなに心地好く風通る日は、お部屋でのんびり転た寝でもしたい気分なのだが…。
如何せん、政府から課せられた一定季節感の行事で遣らねばならぬ仕事がある。
故に、悠長に構えてもいられないのであった。
審神者を勤める彼女は、否応なしに、仕方なく机へと向かう。
幸い、本日の近侍は、あの長谷部だ。
主命ならば何でもこなしてみせますよ、な有能且つ事務能力も高い彼。
彼さえ付いていれば、一人では手こずる量の書類も捌けるだろう。
取り敢えず、今夜の深夜になるまでには、今日のノルマを片しておきたい。
『…てな訳で、この書類の仕分け宜しく〜。終わったら、私の方に渡して。』
「は…っ、この長谷部にお任せあれ。何でもこなしてみせましょう。」
『いや〜っ、政府から急に回された仕事だったから焦ったけど、今日の近侍が長谷部で本当助かったよ…。長谷部が一緒に手伝ってくれるんなら、これくらいちゃちゃぁ〜っと終わっちゃうよね?や〜、持つべきものは長谷部だよね!流石、出来る男は違うね…ッ!!』
「恐悦至極。」
こういう時頼りになるからと、ちょっと褒めたらはらはらと薄桃色の花弁を散らした長谷部。
(うんうん、今日もウチの長谷部は可愛いね。)
仕事始めに癒されて、早速仕事に取り掛かる璃子。
仕事に取り掛かり始めさえすれば、後は静かな沈黙が降りるのみだ。
特に二人の間で言葉が交わされる事は無く、あっても事務的な会話だけ。
お互いに自分に課せられた仕事を黙々と進めていった。
「主、此方の書類の仕分け、終わりました。ご確認を。」
『ん、ありがとう。今、確認するから、ちょっと待ってて。』
「はい、お待ちします。」
最初に言われた仕分け作業を終えた長谷部が、その書類を彼女へ差し出す。
受け取った彼女は、作業の手を止めて、すぐさま確認を行った。
『………うん、オッケー。大丈夫、ちゃんと出来てるよ。ありがとね。』
「いえ。次は何をしましょうか?何でもお申し付けください。」
『じゃあ、今度はそっちの書類の仕分け作業をお願い。』
「拝命致しました。では、出来上がり次第、お声がけしますね?」
一言二言、言葉を交わして、また自分達の作業へと戻っていく二人。
部屋には、紙と筆が滑る音と二人の呼吸音だけが響いていた。
それ以外の物音は特に無く、シン…ッと静まり返っていた。
「主、書類の仕分け作業、終わりました。ご確認を。」
『おぉ…ちょっと待ってな。丁度区切り付くから。』
「はい、お待ちしますよ。」
『…ん、待たせたな。あい、ご苦労さん。確認すっから、ちょいと待ってな。』
「はい。お願いします。」
姿勢を正して、お行儀良くちょこんと座る長谷部。
次は何と申し付けられるのか、ワクワクと期待した目を向け待つ。
待てが得意な彼は、主に忠実な忠犬だ。
『……ん、大丈夫だよ。ありがとう、長谷部。』
「なんの、これしきの事。次は何をしましょうか?どんな事でも構いませんよ?」
『ん〜っと、じゃあ、次は此方の書類の判子押しをお願い。量結構あるから、焦らずゆっくりで良いよ。』
「畏まりました。では、この書類の作業を始める前に、少し休憩を挟みましょう。作業を始めてから、そろそろ一時間半程経っているでしょう。喉が渇いてきているのではありませんか?」
『それもそうだねぇ…。ちょっと喉渇いちゃってるかも。』
「なら、此処で一度お茶休憩としましょう。俺が煎れてきますから、主は寛ぎながら待っていてください。」
『はぁ〜い、待ってま〜す。』
彼が腰を上げて部屋を出ていったのを合図に、姿勢を崩し、足を投げ出した璃子。
先程まではきちっとした姿勢で居た為、肩が凝る。
足を伸ばして、固まった筋肉を解すように柔軟で身体を伸ばした。
そうこうしていると、お茶と茶菓子を持って戻ってきた長谷部が、自分の位置に座った。
「お待たせ致しました。主、お茶と茶菓子ですよ。お茶だけ出すのもつまらないかと思いまして、軽く甘い物をご用意致しました。どうぞ。」
『わぁ、美味しそうなお菓子…!』
「燭台切が作った和三盆だそうです。」
『綺麗だねぇ〜…食べるの勿体ない。』
「食べない方が勿体ないのでは…?」
『そうとも言う。』
「では、召し上がってください。」
『んじゃ、頂きま〜すっ!』
はむはむと甘い砂糖の甘みを噛み締める璃子。
美味しいお菓子にふにゃりと笑みを浮かべた。
そんな彼女に、お茶休憩を申し出た彼は心底嬉しそうに微笑んだ。
彼にとって、彼女が時折見せるこの可愛らしい笑顔は、気を許してくれているという証拠で、ある種特別なものであり、彼女が見せる表情の中でも一等好きなものだ。
故に、主に仕える身としては不謹慎ながらも、つい綻んでしまうのである。
「お味は如何ですか?」
『うんっ、すっごく美味しいよ!和三盆の優しい甘みが、疲れた脳に染み渡るね…!』
「後で、湯呑みを片付ける時にでも、燭台切に伝えておきましょう。主が礼を述べていたと。」
『ふふ…っ、長谷部が煎れてくれたお茶も美味しいよ?お菓子にとても合うし、私に丁度良い温度で飲みやすい!』
「それは良かったです。主が以前仰っていましたからね。主は猫舌であられると。」
『覚えててくれたんだね?』
「当然の事です。主に仕える身として、主の事を把握しておくのは、臣下の務めですから。」
『えへへ…何か嬉しい…っ。』
気恥ずかしそうに眉を下げて、ふにゃりと笑う。
彼の胸の内で、きゅんっと音が鳴った。
小休憩を終えて、お茶を下げに行った長谷部は、ご機嫌な様子で光忠へ茶菓子の礼と感想を述べるのだった。
湯呑みと盆を受け取った彼が、長谷部が機嫌を良くしている意味が解らず、首を傾げてしまったのは言うまでもない。
そうして作業を再開し、暫く経った頃…。
ずっと動かし続けていた筆が、動きを止め始めた。
動きが止まりかけたかと思えば、ハタと気付き、また動き出す筆。
かと思えば、また止まり出す筆。
カクリ、彼女の頭が机上へと傾いだ。
「主…?」
『ハ…ッ。いかんいかん…っ、うっかり睡魔に持ってかれるところだった…。』
「お疲れならば、少しお休みになられては…?」
『いや…まだ大丈夫。同じ作業繰り返してたから、つい眠くなってきちゃっただけ。まだ頑張れるよ。』
「そうですか…。本当にお疲れになった時は、俺に構わずお休みになられてくださいね?」
『うん、解ってるよ。ありがとね、長谷部。』
うとりと眠たげな様子ながら、気丈に振る舞う彼女はそう言った。
彼も、あまり強く進言はせずに、彼女の気が済むままにと見守る。
また、二人の間に沈黙が降りた。
暫くして、再びカクリ、と彼女の頭が傾いだ。
筆は止まったままだ。
墨が滲んで黒くなった染みが、白い紙の上に広がっていく。
様子を見兼ねた彼が、自身の手を止め、腰を上げた。
彼女の持っていた筆を手から外し、筆置きへと置く。
カタリと置いた音と、彼が彼女の肩にそっと触れた感触に気付いた彼女が、ハッと傾けていた頭を元に戻す。
『うあ…っ、ごめん!長谷部…っ。』
「いいえ。それより、やはりお休みになられた方が良いのではありませんか…?先程から、あまり筆が進んでおられないようですから。」
『うゔぅ゙…っ、仰る通りです…。』
「もう随分と長い間、お仕事をなさっていたのです。お疲れになっていて当然ですよ。」
仕事中居眠りしてしまった事を咎めるでなく、やんわりとこれ以上仕事を続ける事を止めさせ、休むようにと言葉を選んで告げる長谷部。
本当、気が利くし、出来た臣下だと思う。
気遣いの行き届いた台詞に、休まざるを得なくなった彼女は姿勢を崩し、ごろりと横になった。
その場で、且つ、彼の膝元で。
思わず固まってしまった長谷部は、手を宙で彷徨わせた。
「え…っ?あ、主……?お休みになられるのでしたら、布団の上になさった方が良いのでは…っ?」
『ん゙ん゙〜…っ、まだ仕事残ってるから…此処で良い。布団で寝ちゃったら、たぶん完全に寝落ちる自信ある…。』
「で、でしたら…せめて、もっとマシな枕で休みましょう!俺の膝なんかではなく、座布団を枕にして…っ!」
『…やだ。長谷部の膝枕が良い。』
「男の膝など、固くて高い上に、首を痛めるか寝心地が悪いだけでしょう…っ!休まれるのなら、ちゃんと身体を休めれる場所で寝てください…!」
『もう動く気は無いのです…。これは主命です…。おやすみなさい。』
「寝ないでください、主ぃーっ!寝るなら布団で………ッ!!」
『スヤァ…。』
「…もう寝てしまわれた……。どうしよう。眠ってしまわれた主を無理に動かすなんて、俺には出来ない…ッ!」
あまりにも眠くなって思考が働かなくなった結果、璃子は彼の意思を聞かず、彼の膝を借りて枕にしたのだった。
それも、開始三秒で寝付いた彼女。
やはり、仕事に疲れていたのは事実だったのだろう。
早い眠りに動けなくなった彼は、心底困り果ててしまった。
「く…ッ、俺とした事が迂闊だった…!こんな事なら、もっと早く休ませていれば良かった…っ!!」
悔やんでも、もう遅い。
何れだけ後悔しようも、後の祭りなのだ。
彼女は、既に夢の中である。
忠臣とはいえ、臣下の前で安らかに眠る彼女は無防備だ。
それ即ち、彼女が完全に心を許しているという事を指し示す。
始めこそ、照れなどの感情が入り交じり、わたわたと慌て混乱していたが…。
いざ、落ち着いてきてみれば、意思とは反して桜の花弁を舞わせる彼。
あまりにも無防備且つあどけない寝顔に、思わず顔もにやけてしまい、手で覆い隠す。
はらはらと舞う薄桃色の花弁は、至極嬉しそうに彼の周りに降り落ちた。
その内、思考が追い付いてきた長谷部は、桜を乱舞の如く撒き散らすのだった。
それから暫く経って、夕飯時前に起こされた璃子。
起きた彼女は、睡魔に負けて半寝惚け状態だったにせよ、彼を勝手に枕にした事について謝った。
しかし、彼は気分を害する事も無く、寧ろ上機嫌で言った。
「いえ、あれしきの事、労働の内になど入りません。寧ろ、俺にとっては、ご褒美と言っても過言ではありませんから。」
『はぁ…。まぁ、怒ったり、気分を害したりしてないなら良いんだ…。や、まぁ、主の身としては、情けなくだらしない事だったとは思うけど。』
そのままの様子で、夕飯を食べに行った二人。
皆と一緒に御飯を食べる時、目の前の席に座る光忠にドヤって語った長谷部は嬉しげだったと言う。
そんな様子の長谷部に、光忠はポカン…ッとした後、口を尖らせて「へぇ…。」と呟いた。
内心、ちょっと嫉妬してしまった光忠なのである。
執筆日:2018.09.13