ふと気付かない内に、蚊に刺された。
何時刺されたんだろうと、段々痒みを訴えてくる患部を見て思う。
さっき、洗濯物を取り込むので外に出た時だろうか。
確かに、何かちょっとだけ足元がムズッとした気がした時があった。
もしかして蚊が寄ってきたのかなと思って、数回手で払ったつもりだったのだが。
虫除けスプレー等の対策をしていた訳ではなかった為、刺されたのだろう。
私は、何時もそうだ。
何故か、本丸でも現世でも実家でも私ばかりが狙われて血を吸われる。
そんなに美味いか、私の血…。
一度、私ばかりが狙われる事に本気で恨めしく思って、貞ちゃんにぶちまけた事はあった。
反応は、何かいまいち宜しくないものだった。
刀故だろうか…。
あまり血に関する話はしない方が良いと判断した出来事であった。
ので、私の血が美味しいか否かは、話題にする事はしないようにしている。
という事で、この痒い蚊に刺されに対処するべく、現世から持ってきていたキンカンなる物を取り出し、塗っておく。
やはり、虫刺されに一番効く薬は、コレである。
頼るべきは、キンカン様だ。
毎年、お世話になってます。
変な感謝をキンカンに捧げながら、痒い足元の患部に塗っていく。
すると、痒みを感じるのは足元だけでなく、首元もだった。
『え、やだ。首も咬まれたの…?うわ、やだぁ〜。何でいっつも私ばっか狙われるかな。』
一人、鏡を覗き込みながら、愚痴垂れる。
鏡に映った自分の首元を見遣ると、同じような場所に小さい赤い点が二つ出来ていた。
幸い、此方はあまり血を吸われなかったおかげで小さい腫れで済んでいるが、足は結構吸われたのか、大きく腫れていた。
『蚊に刺されって面倒なんだよね…。首元あんまり吸われなかったのは良かったけど、何で目立つトコ吸うかなぁ…?せめてもうちょい目立たないトコにして欲しいよ。』
鏡で見ながら、さっきと同じように首の方にもキンカンを塗り付けておく。
こうすれば、薬が効いてすぐに治る。
『薬も塗り終わったし、元の場所に仕舞っときますか。』
仕舞っていた薬箱の中に戻し、片付ける。
「おーいっ、誰か手空いてる奴、手伝ってくれー!」
丁度そこで誰かに声をかけられたので、そちらへ向かう。
『ほいほ〜いっ、何ざんしょ?』
「おお、大将か。悪ぃが、これ運ぶのちょっと手伝ってくれねぇか?遠征部隊が持ち帰った資材なんだ。」
『いいとも〜っ!お安い御用やで。』
「すまねぇな、助かる。」
私を呼んだのは、薬研だった。
手に何か抱えているところを見て、それを運ぶのを手伝って欲しいという事だろう。
薬研は短刀で小柄だが、力持ちだ。
しかし、見た目が小さい為、あまり多くの荷物や大きな荷物は一人では運べない。
よって、お手伝いで呼ばれた私は、幾つかの比較的軽そうな荷物を請け負い、一緒に運ぶ。
持ち帰った資材は、一ヶ所に纏めて置いておく決まりにしてある為、其処へ全部運び入れておくのだ。
『荷物は、これで全部?』
「嗚呼。後は、もう全部他の奴が運び終えてくれた。」
『そっか。じゃあ、これでお手伝いは終了だね!』
「ありがとな、たいしょ。おかげで、すんなり終わったぜ。」
『ふふふ〜っ、また何時でも頼ってくだせぇや!』
「ははっ、そうさせてもらう。」
資材置き場から出て、今度は夕餉の手伝いをするべく、手洗い場へと足を向ける。
そのまま一緒に歩いていたら、ふと何かに気付いた薬研が、足を止めて口を開いた。
「あれ…大将、その首どうした…?」
『へ?何?』
「首だよ、首。首元の此処んとこ、赤くなってるだろ?」
『ん?あー、これ…。』
自身の首元をトントンと指で指し示した彼の言わんとする事に気付き、少し困ったように笑った。
『偶々、さっき気付いたんだけどね。蚊に刺されたみたいなんだ〜。』
「何時やられたんだ?」
『ん〜、たぶん、洗濯物取り込んでた時だと思う。何かむず痒かった。毎年この時期は刺されるんだよね〜。やんなっちゃうわ。』
「まぁ、俺っちも、畑なんかに出てると狙われるな。今年は、夏が暑過ぎたからなぁ…。今時期に狙われやすくなってるんだろう。」
『本当、マジそれな。殺人的に暑かったおかげで、蚊も夏バテして、やった!あんまり刺されない〜って喜んでたのにね。つって、私、ほぼ毎日レベルで蚊に刺されてたけど…。何でだ。蚊取り器付けてたのに…っ。』
「蚊も生き物だからな。三十五度を超えると活動が鈍るらしい。今年の夏は、三十五度超えなんて当たり前だったモンだから、それでだろ。」
『秋になって涼しくなったから、活発に活動し始めたってか…?嫌がらせかよ。こちとら、夏の間だって変わらず刺されてたんだぞ!』
「まぁ、自然の摂理だ。文句言ったってしょうがねぇよ。」
私の文句に、からからと笑う薬研。
確かに、自然の成り行きでそうなってしまったのだから仕方がない事なのだが、狙われる対象である私からしてみれば、文句の一つや二つ零したくなるのである。
一人ぶすくれていると、ふと黙り込んだ彼は、ジッと見つめてきた。
ジッと見つめる視線は、私の首元に向けられている。
眼鏡の奥に映る色素の薄い眸が、一瞬ギラリと光った気がした。
急に静かになった彼の熱い視線に気付き、声をかける。
『ん…?薬研、どした…?』
「いや…何でもねぇ。」
『そう…?何か、私の方ずっと見てる気がしたから、何かあるのかと思ったのだけど。』
「いや、ずっと見てたのは大将じゃなくて、正確に言えば、大将の首元だな。」
『…そんなに気になる?』
「んー、まぁ、首元だからな。」
『ゔ〜っ、やっぱり目立つよね?これ…。場所が場所だから、赤いとアッチの方向に勘違いされそうだよね〜…。』
「アッチ、っつーと…?」
『え…?そりゃあ、アッチですよ…。キスマークだとか、そういう痕的なものに見えちゃうんじゃないかって事ですよぅ。』
少し恥ずかしい内容故に、チラリと一瞬視線を外す。
すると、何となく解っていたのだろう彼は、意味深な視線を投げかけながら相槌を返した。
もうこの話題は終いだと先に歩き出せば、後から付いてくる薬研。
背丈的な部分は、私とあまり変わらないから、何か弟が出来たみたいで可愛い。
そんな風に一人クスリと内心微笑んでいたら、何故か急にピタリとまた足を止めた薬研。
どうしたのかと後ろを振り向きかけた瞬間、グイッと引かれた腕に、一瞬止まった思考。
瞬きの間に、気付いた時は、視界は薬研の白衣の襟元だった。
え…何が起こったし。
訳が解らず、瞬きを繰り返していると、首元を擽ったい感触が這った。
『え……っ?ぁ、あの、薬研さん……?』
内心では、既にどういう状況に陥っているのか理解出来ていて、パンクしそうになる頭。
真っ赤に火照ってくる顔を他所に、固まってしまって身動き出来ない身体をどうにか動かそうと思考を働かせる。
一瞬の感覚の後、離れた薬研に、瞬時に身を離した私は、恐らく彼が付けたであろう箇所を手で押さえながら壁際まで後退した。
効果音を付けるとしたら、ズザザザッ!ビタンッ!!だ。
わなわなと身を震わせつつ見つめると、彼は、ぺろりと自身の唇を舐めていた。
誰だ、コイツ。
最早、短刀の枠じゃねぇ…!!
「すまん、つい首元にあるのが虫刺されって解ってても、ちと妬けちまってな。キスマークじゃないのは解ってたんだが、首元に赤い痕があるってのが…何か無性に気になっちまってな。俺っちの痕を付けさせてもらった。まぁ、反対側は、本当に虫刺されだし、目立つトコでも誤魔化しやすいだろ?」
初な反応を見せる私が面白かったのか、からかいを交えた視線を寄越しつつ、離れた分近寄る薬研。
その表情は、短刀らしかぬ男らしさで妖艶にも見える不敵な笑みだった。
「それに…俺っちの印を付けてりゃ、虫も容易にゃ寄って来んだろう。」
私が押さえる手をスルリと退けて、付けた痕を黒い手套を着けた指先でなぞる。
彼の言わんとする意味が解って、漸く肩の力を抜く。
『…あぁー、そういう意味ね…っ。吃驚したぁ…今マジ焦ったわ〜。』
「うん…?そういうのって?」
『え?ほら、薬研て付喪神だから、一応神様じゃん。だから、神様が付けた印付いてる奴なら、そう簡単には蚊にも狙われなくなるだろって事でしょ…?』
「……うん、まぁ、そうだな。そういう意味だな…。(俺っちが言った“虫”っつーのは、“悪い虫”っつー意味も含んでたんだがなぁ…鈍い大将にゃ伝わらないか。)」
その後、微妙な空気が二人の間を漂ったが、スルーする方向でそれぞれ無かった事にするのだった。
―以下、厨にて、お手伝い中の出来事である。
「あれ?主、その首どうしたんだ…?」
『え…?』
「ほら、その首の赤いヤツだよ。」
隣でボウルを掻き混ぜていた獅子王が、私の首元に気付いて、指差す。
「あれ、本当だ…右側と左側にちょんちょんって、赤い腫れっぽいのがあるよ?」
獅子王の言葉で気付いた光忠も、続いて問うてくる。
まぁ、誰かしらに訊かれるだろうなとは思っていたから、前以て考えていた事実を口にしようと開く。
すると、言おうとした事を、今気付きましたとばかりに診断する目で首元に向けた薬研。
眼鏡の奥の目が、「俺っちに任せておきな。」と物語っていた。
『あぁ…コレ、』
「虫刺されだな。」
「え…?」
『そっ。虫刺されだよ。さっき洗濯物取り込んでた時に蚊に刺されちゃってねぇ〜。すぐキンカン塗ったから良いけど、本当嫌だよねぇ、蚊って。』
「はぁ…。蚊に刺されたってだけなら、良いんだ…。すぐに薬を塗ったなら、善くなるのも早そうだね。」
平然と言葉を返した私に、納得した二人は作業に戻る。
ぎこちないながらも、何故か安堵の溜め息を吐いた光忠に、意味深な視線を向ける薬研だった。
執筆日:2018.09.23