現代へ遠征した時の事だった。
或る店の前で嬉しそうな声を上げる女性が一人、友人と思しき女性と話していた。
道行く人々の喧騒の中、ただその人の声だけがやけにクリアに鮮明に聞こえた。
彼女は、何かを大事そうに胸元に抱いていた。
シックな柄をした包装の箱だった。
遠目だったが、何やら文字も書かれていたようで、何となしに目を凝らして見てみたら、驚きの内容だった。
【刀剣・燭台切光忠】。
僕の名前だった。
だからなのか、箱の外装が今の僕みたいに黒っぽく、落ち着いた色みの藍色だったのは。
でも、中身は何なのか、此処からの距離からでは分からなくて、皆が先を行く中、僕だけが歩みを止めた。
そして、彼女等の会話に耳を澄ました。
「アンタ、本当好きよね。刀剣乱舞。」
『うん!!だって面白いし、格好良いし、可愛いんだもん!!』
「その中でも、伊達組の光忠が好きなんだっけ…?」
『全てが格好良いからね…っ!私の嫁だよ!!』
「ハイハイ、それはもう知ってるよ〜。それにしても、まぁ…取れて良かったじゃん。ユーフォーキャッチャー。ただの刀のフィギュアでも欲しがるとか、アンタらしいっちゃアンタらしいけどさ。」
『だって、我が嫁なるみっちゃんだったんだもん…。これは現手持ち破産してでも手に入れねばって思うじゃん?つっても、私はユーフォーキャッチャーすんの下手くそだから、一人じゃ取れなかったけどね。アンタのテクニックがなきゃ取れてないよ。』
「まっ、普通のゲームは苦手だけど、こういうゲームなら得意だかんね。どうしても自分で取りたいって言うから、後ろから指南してやったんだから当然だしょ?」
『うん…っ!!マジでありがとね!愛してる!!』
「ハイハイ。その愛はその腕のフィギュアに囁いてやって。野菜を口説くお宅さんらしく?」
『勿論だよ!!お家に帰ってめいっぱい愛でてやるんだから…っ!!』
そう言って、彼女は胸に抱えた物を愛しそうにぎゅっと抱き締め、顔を綻ばせた。
その笑みと眼差しが、僕の心の奥底へ染み込んだ。
無意識に目を眇め思った。
“あの箱の中身が羨ましい”、と…。
本来、僕も一振りの刀で、物だ。
人に愛され、大切にされてきたが故に、人の心を持った。
それが、付喪神。
あの子は、僕が好きだと口にした。
なら、その腕のただの物言わぬモノではなく、本当に僕が現れたなら、喜んでくれるだろうか…?
ふとした瞬間に浮かんだ仄暗い考え。
それが途中で打ち消されたのは、仲間に名前を呼ばれた時だった。
「おい、燭台切!何をやっている?」
「っ…!あ、あぁ、ごめんね。つい、ボーッとしちゃってたや。」
「疲れてるのならさっさと歩け。帰還するぞ。」
「うん、ごめんね長谷部くん。」
まだぼんやりとした頭だったが、何とか振り払い、駆け足で皆の元へ合流した。
だけど、一瞬だけ彼女等の方を振り返って見つめた。
喧騒に紛れて見えなくなる、一瞬だけ。
そうして顔を正面へ戻し、何気無い風を装って皆の輪に戻った。
余韻だけが、頭の端に残って消えない。
―――。
――――。
家に帰宅して、いの一番に我が愛しき刀のフィギュアに「我が家へようこそ!」と言葉をかけた。
今の自分の顔は緩みに緩んで情けない顔をしているだろう。
悦っている事間違いなしだ。
絶対ェ人様に見せらんねぇぜ。
『まさか、みっちゃんに逢えるだなんてなぁ…。ユーフォーキャッチャー様に感謝だぜ。いや、このフィギュアを作った製作会社様にだな。取り敢えず!我が嫁なるみっちゃんが手に入ったんだ!例え、本物の刀じゃなかろうが、大事にするからなっ!!』
愛おしそうに箱を撫で、目を細めた。
目立つ場所に飾ると満足したのか、誰にともなく一つ頷き、その場を後にする。
(あ…せっかくだから、夜寝る前に箱から出して、中身眺めとこ…っと。)
「ふんふふ〜ん♪」と鼻歌を歌いつつ、夜が更けるのを心待ちにした。
―して、時は夜が更けたのだが、予定していた通り、彼女は寝台の上で箱を開け、中の刀のフィギュアを出して眺めていた。
『はぁ〜…っ。細工も細かく作られてるなぁ…。飾りの部分とか、刀剣乱舞のみっちゃんそっくり。最早クリソツだろ。え、何、ニトロプラスとコラボったの…?ナニソレ、美味し過ぎか。死ねる。有難う。』
口からは単なるヲタクのぼやきがダダ漏れた。
頻りに眺め倒しては独り言を呟く様は、はっきり言ってイタイだろう。
でも、気にしない。
だってヲタクだし。
もう頭なんてとっくに腐り切っちゃってるくらいイッちゃってるから、今更だし。
なんて思っていると、階下から風呂空いたから早く入れとの催促がかかった。
うむ、お呼びだな。
お…っと、そうだ。
良い事思い付いたわ。
『今日はみっちゃん抱いて寝ようか、アレだよアレ、けいおんの唯ちゃんみたいに…。だったら、尚更身体綺麗にしとかないとね!待っててね、みっちゃん…!』
ギターに添い寝ならぬ、刀のフィギュアに添い寝…。
寝相で踏んづけないか不安だけど、そこは愛の力で死守しよう。
パタパタと慌ただしく出て行った璃子。
さて、部屋は灯りが消えて暗くなった。
すると、何処からともなく、仄明るい光が浮かび上がって、姿を現した。
暗い部屋の中、ぼんやりと浮かび上がる黒い衣服。
燕尾服の裾がひらりと元の位置に落ち着いた。
―嗚呼、ついに来てしまった。
願ってしまった事だけれど、此処まで来てしまうと何故だか今更ながらに罪悪感のようなものが湧いてきた。
それでも、後悔はしていない。
ただ、彼女のあの笑みと眼差しが僕自身に向いて欲しいだけだから。
事が済んだら、ちゃんと在るべき所へ還るつもりだ。
その際、うっかり気に入って彼女を神隠ししてしまうかどうかは、僕の知らないところだ。
ふいに、キィ…ッ、と部屋のドアが軋んだ。
見遣れば、昼間見た彼女が部屋の前に突っ立っていた。
廊下から僅かな灯りが漏れて、部屋の中が照らされる。
それにより、暗闇の中にて浮き彫りになる彼のシルエット。
『はれ……?俺の目、とうとう狂った…?何か幻覚見えてきてない…?』
呆然と立ち尽くしながら、「ははは…っ、」と乾いた笑みを漏らす璃子。
『えー…っと?何かみっちゃんらしき人が見えるんだけど…幻覚だよね?俺の幻覚だよね?みっちゃんが居る訳ないもんね…?だって相手二次元だもん。大好きだけど、二次元と現実をごちゃ混ぜにはしないぜ…?』
フラリフラリと危なげな足取りで彼へと近付く。
そして、現実を確かめるように、彼の身体に手を伸ばす。
『幻覚なら、触ったりなんて出来る訳ないよね…?出来る筈、ないもんね…?いざ、チャレンジ………ッ!』
思考がごちゃ混ぜになりながらも、恐る恐る触れてみる璃子。
すれば、なんと衣服の感覚が伝わってきたではないか。
嘘やん、触れるやん。
『あ、あれれ〜…?触れちゃうんだけどー。触れちゃってるんだけどー…?おっかしいなぁ〜………??俺、頭だけじゃなく感覚も狂っちゃった訳ぇ…?大丈夫かよ自分????』
混乱するが故に、地の喋り方になっている事にも気付かない。
ついでに、一部分だけ某名探偵君が出てきちゃっているが、それにも気付かない。
ぺたぺたと不躾にも触りまくるが、相手は何も反応を示さない。
それどころか、どこか彼女の感覚を確かめているようであった。
一頻り触りまくって身を離した璃子は、一歩二歩と後退って顔を斜め上に向ける。
彼の顔が此方を向いていた。
彼の妖しく光る金色の瞳とかち合った。
「…昼間みたいに、僕の事を抱き締めたりはしないの?」
『ひぇ…っ!?しゃっ、喋った…!?』
盛大な驚きで、ビクリとその身を竦めた璃子。
うっそりと笑む彼は、「それ、」と指差すように人差し指をフィギュアに向けた。
その指先を追ってフィギュアを見つめた彼女は、再び彼の方を見遣る。
口許は、驚きのあまり半開きのままだ。
それを愛しげに見つめる彼は、目を細める。
『え…?抱き締めて良いんですか?寧ろ、触っちゃって良いんですか…??』
「勿論。物は、人に触れられてナンボだからね。」
『本当に良いんですか…?触っちゃいますよ…?撫でくりまわしちゃいますよ……?』
「寧ろ、大歓迎だよ。」
そう言って自ら本体を差し出され、そろりそろりと受け取った璃子は、仮にも付喪神の宿る刀だと慎重な手付きで触れた。
そっと壊れ物を扱うが如く優しく触れられた自身を見て、恍惚とした表情を見せる燭台切。
『うわ…、本物の刀だ…っ。重い………っ。』
きゅう…っ、と弱い力で握り締めてみる璃子。
黒い鞘がキラリと外からの光で薄暗く照らされる。
ふと、黒い手袋が彼女の掌に触れた。
『ひ…っ!?』
再び漏れる小さな悲鳴。
暗がりでも分かる、ほんのり赤みがかった彼女の頬。
彼女から漏れる吐息さえも、今の僕には愛おしい。
「もっと触れて良いんだよ?ぎゅってしてみても。」
『は、え…?でも、そんな畏れ多い………っ、』
「もっと強く触れて。胸に抱き締めて。君を感じれるくらいに。」
ひやりと冷たい何かが背筋を撫ぜた。
ふるりと一瞬震えた身。
訳の分からない感覚に首を傾げる璃子。
ふと、知らない匂いがすぐ近くを掠めた。
見れば、彼が自身の両手に触れているではないか。
途端にぶわわっと広がる熱と緊張。
パーソナルスペースとは何か。
人との感覚が違い過ぎて近過ぎる距離感だ。
しかし、彼からの視線が圧力となって、抗議のコの字も発せない。
彼の手は自身の腕にも触れ、彼の本体を抱くように動かされる。
そして、きちんと胸に抱く形になると、ポンッと一つ腕に触れ、満足そうに頷く。
訳が分からないなりにも、彼の考える意図が段々と理解出来てきた璃子は、その腕の中の刀をより内側の方へ寄せるが如く抱き締めた。
すると、どうだろうか…。
彼は、再び恍惚とした表情を浮かべて、自身の本体を見つめた。
「嗚呼…っ、君にずっとそうやって欲しいと思ってたんだ………!」
『へ、へぇ……っ、そうだったんすか…。』
「本体を通して、君の温もりが伝わるのが分かるよ…。やっぱり、人に触れられて使われる事こそが、僕達付喪神としては最も幸福なんだね。」
心の底から嬉しそうに呟く燭台切は、愛しげに本体を指先で撫でた。
「温かい、ね…。」
ホゥ…ッ、と零れ落ちた溜め息だが、そのイケメン力に完膚なきまでに叩きのめされている彼女は、ひたすら心の内で悶えていた。
今の状況をどうしろと?
だが、そんな思考も彼が零した二つ目の呟きに途中放棄させられる。
「そこにあるフィギュアみたいに、僕も君の物になれたらなぁ…。」
『…、え…?』
今、彼は何と言った…?
聞き間違いじゃなかろうか。
「君に、名前を呼んでもらえたら…君の物になれるかな…?」
意味の分からない言葉が羅列となって頭の中で復唱される。
彼は、何が言いたい…?
思考の海に沈みかけた意識が彼の手によって浮き上がらされる。
ぼんやりと靄がかった頭で、彼の金色を見つめる。
「―ねぇ…、僕の名前を呼んでみてくれないかい?」
『え…っ。しょ、燭台切、光忠…?』
「もっと…、」
『っ…、しょ、燭台切光忠。』
「もっと、呼んで?」
『!?しょっ、燭台切光忠、燭台切光忠…、光忠ぁ…っ!』
「もっとだよ。」
『み、光忠、光忠、みっちゃん…っ、燭台切みっちゃん……!!』
「君の名前は…?」
『み…っ!………へ?』
「君の名前。」
『え…、璃子…。花江璃子、ですけど…。』
「璃子ちゃん…ね。ねぇ、もう一つお願いしても良いかな…?」
半ばゴリ押しで強請ってくる彼の勢いに頷かざるを得ず、ぎこちなく首を縦に振る。
「僕の本体をめいっぱい抱き締めながら、“僕は君の物だ”って言ってみて…?」
『…うん?』
「言って。」
『ぉ、おぅ…。しょ、燭台切光忠は、私の物だよ……って、これで良いの…?』
恐る恐る彼を見上げて小首を傾げた。
すると、彼は、何処か不気味な空気を纏って、うっとりと璃子の目を見つめ返していた。
「嗚呼…っ、これで僕は君の物だね……っ!」
ぎゅっと握られた両手に、抱えていた刀が落ちそうになり、慌てて何とか支える。
『あ、あの…みっちゃん…っ?これは、どういう…、ッッッ!?』
言いかけている側から彼に抱き締められ、硬直する璃子。
直に感じる彼の体温に、身体が全機能を停止させてしまった感覚だ。
「僕は君のだ。反対を言えば、君は僕の物だ。だから…、」
“二度と手放さないし、離れない。君は僕の物だよ。”
耳元で、喉の奥から囁かれた低い声が、そう言葉を紡いだ。
言葉は言霊になって、頭の中で反響する。
「僕の璃子…。さぁ、おいで?誰も邪魔出来ない、二人だけの世界へ。そして、もっと僕の名前を呼んでよ。僕が君の物だと言う事を証明する為に。」
人為らざる者の甘い囁きが身体を支配する。
口許が三日月形に笑む。
「愛しい愛しい璃子…。君はもう僕の物だよ?」
金色の瞳が、妖しく耀いている。
「最初は、ただ君に触れてもらう為だけで、用が済んだら解放するつもりだったんだけど…やっぱり還す気なくなっちゃったや。」
弧を描く隻眼。
「だから、君の事、隠させてもらうね…?」
その奥に、仄暗い黒を覗かせて。
加筆修正日:2020.04.03