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甘美なる赤



『あー…。痒いと思ったら、またか…。』


ズボンの裾を捲り上げ見れば、左膝の内腿辺りに、赤い斑点が二つ程出来ていた。


『かゆ…っ。』


患部の触れるか触れないかの際どい所をポリポリと掻く璃子。

直接掻かないのは、掻くと余計に痒くなるからだ。

と、まぁ、蚊に喰われたと気付いた瞬間、無性に痒くなって止まなくなるのだが…。

キーボードを叩いていた手を止めて掻いていると、開けっ放しにしていた襖の柱からひょっこり顔を覗かせた一振り。


「あーるじっ!って…何やってんだ?」
『あぁ、貞ちゃんか。いや、蚊に喰われちゃってね。地味に痒くて…。』
「また刺されちまったのか…?本当、主ばっかり蚊に狙われるよな〜。」
『マジそれな。私ってさ、現世でも蚊に喰われやすいんだよなぁ…悲しい事に。何か他人から聞いた話だと、人によって、蚊の好む血っていうのがあるらしくて…。しょっちゅう蚊に喰われる私は、恐らく蚊の好む血ぃしてるんだろうなって事なんだろうけど。ちっとも嬉しくねぇよ、蚊に好かれたって。』


ハッ、と短く嘆息する璃子。

それを見た太鼓鐘は、苦笑して彼女の頭を撫でた。


「そりゃ災難だなぁ〜っ。よしよし。蚊に喰われてばっかで辛いよな?」
『うん。むっちゃ痒い。』
「そういや、蚊取り機付けてても、最近の蚊って死なねーよな?何でだ?」
『耐性が付いちまったんだろ…。藪蚊なんて全然効かんし。つか、何でいつも私ばっかなの。他の奴狙ったって良いじゃん。マジ痒いんだけど。』
「うんうんっ。主ばっか狙うなんて酷いよな!許せないぜ!っと…、痒くて堪らないそんな主には、キンカンだな!!」
『お、今丁度欲しいと思ってたんだよな。サンキュ。流石、伊達男。仕事が早いぜ。』
「へへ…っ、まぁな!それにしても…真っ赤になっちまってるな、そこ。」


太鼓鐘が指差す箇所は、彼が言う通り、真っ赤に染まっていた。

おまけに、痒みが酷いせいか、ぷっくり腫れ上がっている。

見ているだけでむず痒くなってきそうだ。


『あー…。蚊に喰われたら、いつもこうなってるよ?酷い時は、いつまで経っても赤みが引かずに、その部分だけ赤い事もある。おまけに、めちゃくちゃ痒くて、なっかなか治んない。』


受け取ったキンカンをひたすら患部に塗りたくる璃子。

余程痒かったらしい。

キンカンを塗った事で、徐々に落ち着いてきた痒みに、安堵の息を吐く。

その様子をじ…っ、と見つめていた太鼓鐘は、ふとポツリと呟いた。


「俺達は刀だから、人の身を得た今だから解る感覚だけどさ。人の身を得ると、蚊に喰われたり、痒くなったりするんだなって知るよ。でも、元が刀だからか、あんまり蚊も俺達を狙う事は少ないぜ?」
『何ソレ、羨ましい。』


初耳な情報を聞いて、内容が内容だけに、ぶすくれる璃子。

そして、未だ蚊に血を吸われた事の無い者等に対して、「今度喰われた奴は、キンカン塗った時の強烈な匂い吸って鼻もげろ。」と零した。


「にしても…蚊がこぞって狙う血なんだから、きっと美味いんだろうな…。」
『!?』


何かアブナイ空気を感じた台詞に、我が身に危機感を覚えた璃子。

故に、続く言葉を発しようとする前に、彼の言葉を遮った。


「なぁ、主…、」
『ダメだよ…っ!!』
「え?いや、俺、まだ何も言ってないし。」
『いや、ダメだからね!?いくら可愛い短刀で、伊達刀だからって…私の血を舐めてみたいとか飲んでみたいとか言われてもダメだからっ!!』
「いや、だから、俺何も言ってな…っ、」
『確かに蚊には狙われてるけど、それとこれとじゃ訳が違うし、そもそも私の血なんて美味しくないし!ちょっと斬ってみたいとかも、絶対ダメだからね…っ!?あざとくお願いしてもダメだかんね!?』
「……主…、もしかして、逆に期待してるか…?」
『ふぁい…ッ!?』


勢い良く捲し立てた彼女の様子に、短刀らしかぬニヒルな笑みを浮かべた太鼓鐘は、不敵に笑んだ。

反対にどこか誤魔化すように早口で喋り倒していた璃子は、彼の豹変に変な奇声を上げ、顔を真っ赤に染め上げた。


「そんな事言っちゃって…逆にして欲しかったりして…?」
『へえ!?』
「もし、俺が今、主の血を飲んでみたいって言ったら…どうする?」
『ぴぎゃ…ッ!?』
「なぁ、主…?」
『ああああああ…っ、ほっ、保護者ァアーッ!?鶴さぁーんッ!!みっちゃぁーんッ!!伽羅ちゃぁーんッ!!誰か貞ちゃん回収してくれぇえええー…ッッッ!!』
「はは…っ、主は恥ずかしがり屋さんだなっ!」
『やだ!この伊達男怖い…ッ!!』


最終的には、顔を全面的に覆い、伊達組保護者勢に助けを求めた璃子であった。

そんな彼女等の一部始終を実は影から見ていた一勢がいた。


「どうする?光坊。主が助けを求めているみたいだが…?」
「く…ッ、貞ちゃん…気持ちは痛い程解るけど、駄目だよ…!僕も同じ気持ちだから、痛い程解るけども…っ!!」
「嗚呼…気になっちまうよな、俺達刀としちゃ。血という単語に敏感に反応しちまうのは、刀の性分さ。それ故に、あんな言い方されりゃあ…気にならない訳ないよな…?」
「当たり前じゃないか…っ!もうっ、貞ちゃんの馬鹿…!!僕だって、ずっと前から我慢してるんだからね!主の血を一度でも良いから味見してみたいなって…っ。でもっ、そんな事したら、今まで抑えてきた物が抑えられなくなっちゃうから…!」
「うんうんっ。光坊の言いたい事は解るぞ?だが、堪えろ…っ!主に恐がられたくないし、嫌われたくないだろう?」
「そんなの解ってるよ…ッ!!だから、主の血を好き勝手に吸う蚊が許せない…ッ!」
「嗚呼…、アレは許すまじ。」
「まさかの伽羅ちゃんもかい…っ!?」
「俺だって伊達刀だぞ…。癪に障るに決まってるだろう。」
「あの伽羅坊までも怒らせる蚊って、逆に凄いな…っ!?」


物影からこそこそと覗き、小声で遣り取りするは、伊達組保護者勢。

これは、混ざれば、更なる混沌を生み出し兼ねない状況なのであった。

=保護者勢も頼りにならない。

むしろ、危険度割り増しでヤバイ。

軽く死ねる。

混ぜるな危険。


執筆日:2017.09.17