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爪紅



珍しく、彼奴が小洒落た事をしていた。

片手、利き手とは反対の左手の指先だけ、赤く彩っている。

普段そういう事には頓着せず、特に着飾る事をしない彼奴が、珍しいものだと思ったものだ。

どうせ、何かの気まぐれだろうと思ったが…其の珍しいものが目に留まって、思わず目を瞠った。

意識が惹かれるようにフラフラと奴の元へと近寄る。

すると、気配に気付いた奴がピクリと反応し、首だけを振り向かせた。


『ん…?どうした、何か用?』
「いや…用という用は無い。ただ、少し気になったから近寄って見に来ただけだ。」
『うん…?あー、もしかして…コレ?』
「嗚呼…アンタにしては珍しいな。」
『ん〜、まぁ…確かに珍しいわな、私がマニキュア…というか、爪紅してるのは。実際のところ、爪紅したのも実に久し振りで、軽く十数年振りだもの。』


左の指先を見つめて問えば、奴は其の左手をひらひらと振って翳して見せた。

赤く彩られた其処は、何時になく光って見え、どこか艶かしく映った。


「じゃあ、何故唐突にそんな物付けたんだ…?普段のアンタなら、付けもしないだろう。」
『強いて言うなら…単なる気まぐれ?まぁ、たまには私もちょっとくらいお洒落しよっかなぁ〜って思っただけかな。小さなお洒落ですけど。』
「赤色…という事は、初期刀である加州の色か。」
『うん。この爪紅くれたの自体、清光だしね。ほら、あの子、何時も綺麗に可愛く着飾る上で、毎日爪紅塗るの欠かさないでしょ…?それで、“たまには主も女の子らしく着飾ったら?”って言って、コレくれたの。』


奴は、文机の片隅、仕事をしていた端末の傍らに置いていた小瓶を手に取って揺らせて見せた。

成程、確かに今片手の指先に塗られた物と同じ色をしている。

揺られた小瓶の中で、赤い液体がちゃぷりと揺れた。


『この爪紅、“ピールオフマニキュア”って言って、塗ってもその内乾いたボンドが剥がれるみたいにペロペロって剥がれちゃうタイプの物なんだって。すぐに剥がれて剥がれやすい物なんだったら、せっかくなら塗ってみようっかな?ってなったんだよね。』
「…普通、そういうのは剥げにくい物を塗るんじゃないのか?」
『うーん…そんなしっかり塗る気も無かったから、丁度良いかなって思ったんだ。普通のだと、塗ったら一時は剥げないし、その内所々剥げて斑模様になっちゃうし。あと、ちゃんと落とす時は除光液使わなきゃいけなくなっちゃうからね。其れは面倒だったから、どうせならすぐ剥げちゃうヤツにしちゃおうかと。』
「しない割には、色々と知ってるんだな…。」
『子供の時は遊びの一貫で、あと一丁前にお洒落して大人ぶってみたいっていう子供心から、一時期上の姉ちゃんとやってたんだよ。と言っても、うんと小さい頃の小学校にも上がる前の頃の話だけどね。小学校に上がったら、校則とか色々と決まり事があったから。…って、あ゙ー…そう言っても、刀である伽羅には解らないか…ごめん。』
「いや…何となくは解るから、別に気遣う必要は無い。」


自分で説明しておきながらも、いざ俺達には解らないだろう話になると口許に苦笑いを浮かべて、頬を掻いた。

別に、完全に理解しようがしまいが、俺としてはどうでも良いのに。

俺は俺が思ったように考え、行動するのみだ。

だから、奴がどう思おうと勝手である。


「…で、何で、左手だけなんだ…?」
『え…?嗚呼…偶々、塗りやすかったのが左側なだけで、試しに塗ってみただけだから片側だけでも良いかなってなって…。塗るの久々過ぎてめっちゃプルプルしたのと、何か慣れないから片手だけにしとこうってなったのもあるけど。それに、爪紅って塗った後一旦乾かさなきゃいけないしね〜。その間何も出来ないのは困るので、片手のみという結果に…。今度暇があったら、両手に塗ってみても良いかなぁ〜とは考えてるけど。』
「それでか…。」
『あはは…っ、でも私不器用過ぎて、部分的にはみ出ちゃったりしてるんだよねぇ…。単純に慣れてないからってのもあるんだろうけど。故に、上手く塗れてなくて塗りムラあるんだよなぁ〜…。ムムム…地味にムズいな、マニキュア塗るのって。予想上では、もうちょい上手く塗れるかと思ってた…けど、上手く塗れなかった。何か悔しいぞ。』


そう言って、奴は一度上に翳して見た掌を引き戻して、塗った指先の出来加減を見つめて俯いた。

そして、眉根を寄せて、小さく唸る。

どうやら、奴本人からしてみては出来が気に入らなかったようだ。

うんうんと唸りながら、近くに置いていた書類が目に入ると、中断していた仕事に手を付け始める。

其れを側に寄り添ったまま眺めた。

やはり、視界に映る赤が目に付いて、其処へ意識が向く。

加州の物よりかは明るみのある、少し薄めの赤色が、奴の指先に踊っていた。

色付いた指先がやけに視界に入って、身体の内が熱くなる。

加州の色であり、俺の色でもある赤が奴の爪を彩っていると思うと、何故か無性に内側の熱が渦を巻いた。

堪らず、奴の名を呼んで、赤色の踊る左手を掴んだ。


「璃子…ッ。」
『っ…、な、何……?』


思ったよりも熱の込もった声に、突然手を掴まれた事もあって驚いた奴が、ビクリと肩を揺らして此方を見る。

奴も何も知らない子供ではない。

俺が熱を持て余しているという事くらい、空気で察しているだろう。


「…アンタが、変に爪紅なんか塗ってるせいで…欲情した。」
『はぁ…っ!?単に爪紅塗ってるだけだぞ…!?それも、左手だけっていう何とも中途半端な片手だけに!紅引いてる訳でもないのに…!!』
「そんなの俺は知ったこっちゃないな。アンタが塗った色が悪かった…ッ。」
『うわ…っ!?』


掴んだ左手を引き寄せて、そのままの勢いで爪紅を塗っていない方の手もまとめて奴を畳の上に縫い付ける。

奴を組み敷いた拍子に机の上の書類が舞ったが、どうせ元々散らかっていたんだ…少しくらいまた散らかっても問題は無いだろう。


『おいおいおいおい、ちょっと待てよ…っ!もしかして、この流れのままヤる気か!?』
「そうだが…何か問題でもあるか?」
『ありまくりだわ!!まだ昼間だぞ…!?それに、仕事も途中…っ、』
「関係無いな…。」
『あるわ、馬鹿野郎…っ!明日の締め切りモンだってあるんだぞ…!?今片付けとかないと、夜寝ずに遣らなきゃならない羽目になる…って、何処触ってんだ阿呆!!おいコラ、やめな…っ。』
「うるさい。アンタがいらない色香なんて纏うのが悪いんだ。」
『無慈悲…っ!!おまけに、飛んだ理不尽だ!!神様ならもう少し慈悲をくださいよ…っ!!』
「良い加減黙れ。」
『んむ…っ!』


未だ無駄に抵抗する奴の閉じない口を塞いで、捩じ伏せる。

後は、流れに身を委せるのみだった。


―暫く経って、すっかり薄暗くなった部屋で奴が床に就きながら、ふとポツリと呟いた。


『…次塗る時は、マニキュアよりペニキュアの方が良いのかなぁ…。』
「何の話だ…?」
『ん…?今度塗る時は、手より塗りやすそうな足に塗ろうかなぁって思っただけの話。もし塗るなら、次は別の色にしようかな…?今度清光にオススメ聞いてみよ。何色が良いかなぁ……?ちょっと派手だけど、金色とか?そういや昔に塗った事あったよな…。』
「……………。」
『…何だ、その視線…。もしかして、また次塗った時も襲う気か…?』
「ふ…っ、其れはアンタ次第だ。」
『うわ、ムカツクな此奴…っ。そう何度も襲われて堪るかっての…!』


初心のように恥じらい顔を赤く染める奴を見て、気分が悪くなる筈がない。

寧ろ、逆に元気になる程だと、無意識に誘う奴に言い聞かせてやりたい。

無意識に上がる口端はそのままに、奴の名を愛しさを込めて呼んだ。


「璃子…。」
『……何。』
「此方に来い。」
『…やだ。もうヤんないからね。全力で拒否るからね…!』
「……ヤらないから、此方に来て抱かせろ。」
『今の間が非常に怪しいんだが…まぁ、抱き締められるだけなら…。』


大概、奴も甘い事だ。

俺が手を伸ばせば、大人しく胸元に身を寄せる。

此れで可愛いげがあるんだか無いんだか…解りゃしないな。

一頻り奴を抱き、熱の余韻と温度を分かち合っていると、不意に奴が腕からすり抜け布団から這い出て脱ぎ捨てた(俺が剥いだ)服を纏い始めた。


「…おい、何処に行く気だ。」
『仕事の続きしに行くんだよ。どっかの誰かさんが邪魔してくれたおかげで、途中のままだったからね。』
「俺を放っていく気か。」
『知るか。お前が邪魔したのが悪いんだろ。おかげで此方は徹夜作業だ…!現在進行形で腰イッタイけどな!!』
「そんな物放っておけば良いだろう…。」
『明日が提出期限なんだよ、阿呆が…っ!!つー訳で、今夜はお預けな。もし、また邪魔してきたら、一週間接触禁止。良いな…?』
「チ…ッ。明日になったら覚えておけよ…?」
『おわ、こっわ…!全力で逃げよ…っ。』


さっさと服を身に纏った奴は、これ以上俺の怒りを買わないようにと、そそくさと仕事部屋の方へと戻っていった。

仕方なく、奴の言う通り仕事の邪魔をしないようにと努めて静かに大人しくした。

宣言通り寝ずに徹夜で書類を仕上げた奴は、何とか提出期限に間に合わせ、その後沈没した。

気絶するように寝た眠りから覚めた奴は、寝起きのまま汗を流しに風呂場へと向かう。

そして、シャワーを浴びてスッキリしたと油断していたところの奴を取っ捕まえて喰った。

昨晩お預けを食らった仕返しだと言わんばかりに盛大に犯してやったら、その後一日布団から出れぬ身になったようだった。

何となく事情を察しただろう光忠の奴に叱られた。

看病は、薬研の奴と初鍛刀の前田達が付いた。

俺は、一切部屋に入る事を禁じられ、暫くは審神者部屋を出禁にされる事となった。

何で俺が国永みたいな奴と同じ扱いを受けねばならないんだ…。

理不尽だと思った。

そして、更に、奴が其れ以降俺の前で爪紅を塗る事は無くなった。


「…何か、俺が勧めちゃったせいでこんな事になっちゃって、ごめんね…?」
『いや、良いんだよ…清光は悪くない…。うん、悪くない…。』
「うん…取り敢えず、ごめん。俺も、ああなるとは思ってなかった…。」
『…アレもコレも、全部彼奴が悪いんだ…っ!変なトコでスイッチの入った彼奴がぁ……!!』
「あー…まぁ、何というか…御愁傷様。」
『クッソ…!!彼奴マジで許すまじ…っ!!』


執筆日:2018.11.23