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戸口に立つ



最近、何でか視線を感じるようになった。

誰の、という訳ではない。

だって、視線を感じる方向を見たって誰も居ないし、何も無いからだ。

だけども、何か視線のようなものを感じるのだ。

霊とか妖とか、そういう普通の人の目には見えないものでも居るのだろうか。

其れは其れで困るし、あまり良ろしくない気もする。

とはいえ、そういうのが居たり集まったりしていても可笑しくない程、ウチの家は古き物だ。

何せ、建てられてから、かれこれ百年は優に越えている建築物だ。

故に、色々とガタが来ていたりなんかしていて、所々修理なり何なりしなくてはならなかったりするのだが…まぁ、其れはまた別に置いておくとしよう。

ともかく、今言いたいのは、最近何かはよく解らない視線を感じるのだ。

其れも、基本家に居る時のみ、部屋を動き回っていたりしていても、まるで付いて回るかのように視線を感じるのだ。

もしかしたら、母がそういうものを引き寄せやすい体質だからなのかもしれない。

ウチの母は、昔からそういうものとかが見える、所謂霊感体質の持ち主であった。

おまけに、母方の親の血筋が神職に纏わる者の系統だったらしく、更に言うなれば、母に憑く守護霊は僧…つまりは、お坊さんなのだそう。

そういうのは珍しいという話故に、出家してみないかと誘われた事もあるらしい。

母曰く、出家する事は女として生きる道を捨てる事になるという事で断ったらしいが…その体質故に、場合によれば、悪しきものを引き寄せ兼ねない為、そういう場所に行く事は避けた方が良いと進言されたそうだ。

そんな話がある訳だが、かといって、私自身が霊感を持ち合わせているという話でもない。

だから、例え何かが其処に居たとしても、見えはしないし解りもしないのだ。

しかし、何故だろう。

本当最近になって何かの視線を感じるのだ。

特に何をするでもなく、ただ見られている、という感覚がするだけ。

まぁ、特別嫌なものを感じる訳でもなし、悪いものではないと思っているので、ただ放っているという感じである。

悪いものでなければ、放っておいても良かろう的主義なのである。

何せ、住んでいる家があまりにも古い家だ。

何かそういうものが住み着く、或いは、存在していても可笑しくはないのだから。

それ故、今日も変わらず何かの視線を感じるが、何もしないでいる。

ただ、時折思うのだ。

彼なのか彼女なのか解らぬが、見てくるのは、ただ側に寄り添い見守っているだけなのではないか、と。

だから、自身が移動すれば、その視線も付いてくるのではなかろうかと。

だがしかし、面白い事に、その視線は、トイレや風呂場へ行くという時には付いてこないのだ。

何故そういう時は付いてこないかは謎だし不明だが、実に人間染みていて面白いとだけは思う。

もしかしたら、その何かは元は人間だったか、若しくは人間に近いものだったのかもしれない。

そうやって色々と想像する分には楽しいし、退屈しのぎにはなるから良いのだ。

今日も変わらず、何かの視線は私を見てくる。

何を訴えるでもなく。

不思議な感覚だ。

別に見られるだけなので、放っているままだが。

嗚呼、あと不思議というか、その何かで解らない事といえば、ソイツは、何故か寝室へは入ってこようとしない。

寝室の外…戸口の辺りでジッと見てきているという感じがするのだ。

何故かは解らない。

寝室に入る手前、境界線でも存在するのか。

何時も寝る時部屋まで付いてきはするものの、入るまではしてこないのだ。

部屋の中に何か在るのか、或いは、結界的なものが部屋の出入口に存在するのか。

考えるだけ考えてみるが、理由は解らない。

ただ、寝る時も、部屋の外からずっと見守るように見つめられている気がするのだ。

ひょっとして、部屋の敷居が境界線となっているのだろうか。

はたまた、単に眠りの妨げにならないよう努めているだけなのだろうか。

めっきり解らない。

だが、悪い気はしないから、何時もの如く放置している。

しかし、或る時、気まぐれに話しかけてしまったのだ。

夜も完全に更けた、真夜中の深夜、丑三つ時くらいに。

偶々、その日は夜更かしして遅く寝たというだけだが。

深夜のテンションでもあってか、単に人恋しくなって寂しくなったか。

独り言を呟くように、ボソリと小さな声で問いかけたのだ。


『…ねぇ、何でお前は、何時も寝る時だけは部屋に入ってこないんだい…?』


当然、答えなんて返ってくる訳が無い。

だって、其処に誰かが居る訳ではないから。


『どうせ見ているのなら、部屋に入ってきなよ…。届いてるか届いてないか解らないし、伝わってるか伝わっていないかも解らないけども。』


返ってくる答えなんてある訳無い。

だけど、言いたい事は告げれたから、其処に居ようが居まいがお構い無しだった。

きちんと寝付く為、布団を被って目蓋を閉じる。

意識が眠りの淵に差し掛かり、ゆらゆらと揺らいできた頃に、外から感じていた視線が中に入ってきたような気配を感じた。

ひょっとして、やはり自分には霊感らしきものが備わっているのではなかろうかと思ったりした。

だって、母が見える人なのだ。

その血を引く者なら、見えなくとも感じる事は出来るのかもしれない。

ただ、本当かどうかは知った事ではないが。

思うだけ、考えるだけは、自由である。

何時もより近い距離にある視線を感じながら、その日は眠りに就いた。

何だか温かいものが側に在る気がして、すごく寝付きが良かった気がする。

次の日の目覚めが、とてもスッキリしていて気持ちが良かったから。

その日以降、夜寝る時になっても付いてきて、気配は部屋の中に入ってくるようになった。

ただ、私が寝付くぐらいの頃になってだが…。

其れが気になって、或る夜中にふと目を覚ました時、真っ暗闇の中、恐る恐る布団から顔を出して目を凝らしてみたのである。

すると、すぐ近くに何時もよりははっきりとした何かの気配を感じたのだ。

思い切って見てみようと、ゆっくりと上の布団を剥ぎ、身を起こした。

見てみたら、布団のすぐ脇の処に、何か人らしき塊が横たわっているのが見えた。

まるで、片時も離れないように寄り添うように添い寝するが如く。

寝起き故に、少し視界がはっきりしなかったが、暫くして暗い視界に慣れてきたところで、側に居る(たぶん眠っている)何かを観察してみる。

人で言うなら、男の人の姿をしていた。

一応、足は有るかの確認をしてみたら、ちゃんと有った。

良かった、ただの幽霊的なものじゃないようだ。

じゃあ、彼は一体何なんだとなるが…何なのだろうか。

てんで見当も付かない。

そして、よく見たら、何故かその彼の腕らしきものが私の方…布団の上へと回っていた。

何でだろうか。

ちっとも解らない。

解らない事だらけだ。

だが、何となく、彼が私を見ていたであろう視線、何かの正体なのではないかとは思う。

確証なんて全く無いが。

そうこうしていたら、上に乗っかっていた腕がもぞりと動いた。

思わず、彼の顔を見た。

視線を向けた瞬間、見つめた先の目がゆっくりと開かれた。

吸い込まれるように美しい金色の眼をしていた。

中途半端な体勢で身体を起こしたまま、固まったようにジッと彼の事を見つめる。

すると、彼の眉間に皺が寄せられた。


「……何で起きてるんだ…。まだ夜明けには早いぞ。さっさと横に戻って寝ろ。」


寝起き故なのだろうが、少し掠れた小さな声で…しかし、少し癖のある低く柔らかい声で言った。

喋れる上に言葉も通じるのかという事に驚き、固まったまま彼に為されるがまま布団の中に戻された。

驚き固まったまま一言も発せずジッと見続けていると、徐に掌で視界を塞がれる。

色々と訊きたい事があった筈なのに、口が動かない。

喉が、声帯が仕事をしない。

色んな事に驚いて不安をない交ぜにしていたら、塞がれた視界の向こうで彼が小さく言葉を発した。


「…まさか目を覚ますとは思っていなかったから、油断した…。厠に起きたなら話は別だったが…クソ…ッ、読み違えたか。」


どうやら彼の独り言だったらしい。

だが、彼の声を聞くと、何故か酷く安心出来て落ち着いた。

さっきまで抱いていた不安が何処かへと消えている。

もう少し彼の声を聞いていたくて、見えない視界の中、手を伸ばした。

恐る恐るゆっくりと伸ばした先で、彼に触れる。

彼が一瞬呼吸を止めたような気がした。

そして、緩く伸ばした私の手を彼がもう片方の手で掴む。


「…別に、アンタを怖がらせたり不安にさせたりするつもりは無い。勿論、敵意も無い…。だから、安心しろ。」


温かくて大きな掌が、私の手を包み込む。


「アンタは、黙って静かに寝ていれば良いんだ…。俺の事には構わなくて良い。」


彼の手に目蓋を閉ざされる。

閉ざされた視界の中、不思議と彼の声がすぐ近くで聞こえたような気がした。

その声が、まるで子守唄のように私の思考を眠りの淵へと誘った。

気付けば、私は眠っていて、起きたら朝になっていた。

当然、彼の姿は隣に居なかった。

では、昨夜見たものは何だったのだろうか。

或いは、夢でも見ていて、其れを現実(リアル)で見たと勘違いしてしまったのだろうか。

よく解らない、何とも不思議現象で、寝起きてすぐに頭を傾げた。

相変わらず、視線は部屋の外…戸口の辺りから感じていた。


その日の夜中も、彼の存在を間近に感じた。

意識は微睡みの夢の中にあるので起きてはいないが、動物的感覚が何時も視線だけを向けていた彼の気配を感じていた。

眠っているすぐ隣に、あたたかな温もりがある。

夢魔が顔を覗かせて、私を魘そうと悪夢を見せようとすると、彼が優しく私の気持ちを宥め落ち着かせようとしてくれる。

悪夢に落ちかけても、あたたかな日だまりのような光を持ってして導いてくれる。

真夜中でしか、人の姿は見れないけれども、彼が居てくれるおかげで、悪い夢に魘される事も見る事も少なくなってきたように感じる。

相変わらず、昼間の内は視線だけしか感じる事は出来ないが。

夜にしかその存在を顕に出来ないのは、やはり、そういった類の存在だからなのだろうか。

疑問に思うものの、何となくは解っているつもりなので、敢えて訊く事はしない。

基本、何も言わずにただ側に居るだけのようだが、其れだけでも良い。

彼に見守られて過ごす日々は、存外悪くないものだと思えるから。


『今日も飽きずに私を見るね、お前。』


当然、視線だけの存在である昼間の彼からの返事は無い。


『もし、もう少し霊感とか霊力とかがあって今の時間でも見えたら、今もお話出来たのかな…?』


返ってくる答えは無い。

しかし、ちょっとだけ棘のある視線をくれたという事は、やはりそういうのはあまり良ろしくはないのだろう。

彼にとっても、彼のような存在の者達にとっても。

だから、ほんの冗談だと告げて、何時もの如く放置した。

不思議な視線は、変わらず付いて回る。

誰も何もかも寝静まった夜…丑三つ時、彼等が活発的に行動する時間になった時のみ、彼は人の身を見せる。


「…アンタが、例え見えるようになったとしても…今と変わる事は無いと思うぞ。何せ…俺はあまり話す事は得意でないんでね。……まぁ、見えないままでいた方が、良いとは思うがな…。」


既に眠ってしまった後の私に、彼は話しかける。

昼間の独り言のような問いへの返答のようだった。

だが、夢の中に居る私が返事を返す事は無い。

しかし、彼は其れで良いようであった。

黙って私の傍らに寄り添い、眠る。


―真夜中の部屋の片隅で、グルルル…ッ、と鳴く龍の鳴き声が聞こえた。


執筆日:2018.12.02