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感傷に浸る



「おんしゃぁ、今、何を考えゆうが?」


ぼんやりと何処とも無く何処か遠い遠い処を見つめていたら、不意にそうむっちゃんに声をかけられた。

はたと意識を現実へと戻した感覚で、ぽけっと問い掛けてきた本人の方を見る。


『へ………?何て…?』
「聞こえちょらんかったんか…?ほいたら、もう一度聞いちゃるぞね。おんしゃは、今、何を考えちょったが…?」


顔は、何時も通りに笑っているか、普通の表情だった。

しかし、目だけが笑っていないような印象を受けたのだ。

問い掛けてきた彼の目が、一瞬怖いくらい鋭く暗くなった気がした。

が、其れはただの気のせいで、光と影の映り加減による錯覚によるものであろう。

一瞬仄暗く見えた彼の目の奥の光には気付かないフリをして、彼の問いに思考をもたげた。


『別に、特に何も…。』
「其れは、真や無いのお…。ほんまは、過去の記憶に囚われかけちょったんやないが?」
『……………。』
「おんしが、時折無意識に過去の感傷に浸りゆうんは知っちゅう…。じゃけんど、其れを何時までも引き摺っちゅーっち言いゆうようなんはいかんちや。」


正に、的を得ている言葉にぐうの音も何も言えなくなる。

故に、つい口を噤んで閉ざしてしまう。

私の中で第二の初期刀とも呼べる彼は、構わず続けた。


「わしも、ちっくと前までなんかは新選組の刀等との事で、度々感傷に浸ってしまういう事があった。けんど、なるようにしてなった歴史は変えられん…。やき、何時までも引き摺るっちゅー事は出来んぜよ。歴史はあるがままが歴史じゃ。そん訳が、おんしには解るが…?」
『………。』
「感傷に浸りゆうっちゅー事は、その過去にずっと縛られちゅーっち事ぜよ。感傷に浸り続けたら、その内感情の海に引き摺り込まれるきに。あんまり考え過ぎるなや。」


真剣な眼差しを向けて私の目を見つめてくる彼の目は、真っ直ぐ過ぎる程真っ直ぐだった。

自分の目をきちんと見るように添えられた頬の両の手は、私のちっぽけで頼りない手に比べて遥かに大きく温かかった。

深く暗き処に沈みかけていた思考をそっと優しく引き戻すように語りかける声音は、不安に満ちていた心に酷く心地好く響き、落ち着いていく。


「思考に呑まれ過ぎたらいかんちや。過去の暗闇に囚われたら、其れしか考えられんようになる。そうなったら、おんしはどうなるゆう思う…?」
『……どうなる…?』
「暗闇に囚われて抜け出せんようになる。何も前に先に進めんようになって、過去しか見れんようになるんじゃ。そんなんなってしもうたら、わし等苦労して戦こうちょる歴史改変を求めゆう時間遡行軍と何ら変わらんようになってしまうぜよ。」


思わず、そんな未来を想像してしまって、ゾッとする。

身の毛のよだつ感覚がして、僅かに身を震わせた。


『そんな…、私は、そんなつもりは……っ。』
「おん…わしも其れは解っちゅう。げに、念の為、おんしの事を思って忠告したんじゃ…。おんしは、余計な事なぞ考えんでええ。おんしは、ちっくとばかし物事を考え過ぎる嫌いがあるきの…。おんしは、わし等の目指す先を導いてくれちょったらえいんじゃ。後の事は、わし等刀剣が片付けちゃるきね…。過去の自分を責めるがやない。おんしは、ただ笑いよりとうせ。」
『むっちゃん……。何か、何時もありがとね。うっかり思考に沈みかけてる処、救ってくれて…。』
「まはは…っ、こんぐらいなんちゃーないちや…!小さな事でもえいき、わし等を頼りとうせ…?おんしが頼るゆうたら、わし等は全力で応えちゃるきね。安心して身を任せとうせ。」


むっちゃんが、力強い笑みで明るく笑う。

励まし鼓舞するように叩かれた肩は、痛くない。

不安に呑み込まれそうになっていた処を、何時も不思議と気付いてくれる彼には救われる。

感情が綯い交ぜになって呑まれかけていた思考が、現実へと返ってくる。

こうやって、時折呑まれかける思考を戻してくれるのが、彼…陸奥守吉行という、私の大事な刀の一振りだ。

彼が居るから、此処まで皆に支えられて生きてこられている。

ふとした事なのかもしれないが、私の内心としては感謝しても感謝し切れない…。

だから、消えかけていた笑みを取り戻すように小さな笑みを浮かべて言うのだ。


『本当…何時もありがとね、むっちゃん。』
「なんちゃーないち、言うちょろうがに…おんしは律儀なやっちゃなぁ…。」


繰り返し告げる感謝の言葉。

何度も重ねて言うように口にすると、彼は呆れたように苦笑した。


「まっこと、おんしは優しい子じゃのお…。そんなおんしに降り掛かる火の粉は、全部わし等が振り払っちゃるき…安心せえ。」


「まはは…っ!」と彼が何時も浮かべる快活な笑みを浮かべて笑う。

そんな気優しく頼りがいがあるように見える彼にも、裏の顔はあって…私の知らない処で、その顔は暗躍する。


『それじゃ…元気も出た事だから、仕事に戻るよ。何でか解んないけど、途中でほっぽり出してきちゃったっぽいから。』
「おんっ、しっかり今日の勤めも果たしとうしぃね!終わったら、こじゃんといっぱい褒めちゃるし、ご褒美のおやつも用意しちょくき…!もうちっくとばかしの辛抱じゃね…っ!!」
『うん…っ、もうちょっとで終わると思うから、頑張るよ!じゃっ、また後でね。』
「頑張りぃや〜…っ!」


落ち込んでいた気分も取り戻し、すっかり元気になった気持ちに仕事モードへと切り替え執務室に戻る。

何時から仕事をほっぽり出し、近侍にも黙って縁側へ出て来ていたのか。

てんで記憶が無く、解らないが、取り敢えず目下の目的を果たすべくして気を取り直し、仕事へと取り掛かる。

私が居なくなった後の影で、一人その場に残っていたむっちゃんは、ボソリ誰にも聞こえない声音で何かを呟いていた。


「大丈夫じゃ…おんしを傷付けるような輩は、おんしの身に触れる前にわしが斬り捨てちゃるきに…。勿論、未だおんしを苦しめ傷付けゆうモンについても、わしが……。」


仄暗い影が、彼の内に揺らめいていた。

だけども、私はその事を知らない…。

そして、この先も気付かないのだろう。

普段は優しげな顔を浮かべていても、其れは表の顔で…。

裏の顔は、やはり神の位を持つ者だと言わざるを得ない、人ではない者の顔だったのである。


執筆日:2019.01.08