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律儀な人



大学の帰り道での事だった。

電車通学してて、何時も乗ってる時間の電車に乗り合わせた時、何時も一人静かに座ってる人が酔っぱらいに絡まれてるのを見た。

偶々、座った位置が悪いんだろう。

絡まれてるとしても程度は低く、隣に座る酔っぱらいに話しかけられてるレベルだ。

だが、その話しかけられてる内容が面倒だった。

その酔っぱらいは、酒飲んで酔ってて寝ちまうかもしんねぇからって目的地の駅になる頃に起こしてくれと頼んでいた。

頼まれたその人も疲れてるだろうに、話しかけられた始めの一瞬嫌そうに眉間に皺を寄せただけで、他人の迷惑極まりない頼み事を聞いてやっていた。

面倒極まりない上に、何で知らない赤の他人の言う事なんか聞いてやらなきゃいけないんだ。

俺だったならそう思うが、その人は違ったんだろう。

律儀にこなしてやるなんて…飛んだお人好しか。

又は、ただの職業病故の事かもしれないが…(寧ろ、リアクションと受け答え的にそっちの方が合ってるかもしれねぇ)。

同じ場(同じ車両)に居合わせた奴等皆、同情というか憐れみの視線を投げかけてもしょうがない場面だった。

偶々隣に座ったっていうだけで何て面倒に巻き込まれるのか、頼まれた女の心情はきっとそんな感じだろう。

周りの他人は皆、見て見ぬフリだった。

隣の老人が数分経たず寝こけるのを横目に見た女が、静かに重い溜め息を吐いた様子が目に入る。

そりゃ、溜め息吐きたくなっても当然だろうな。

ただ溜め息を吐くだけに留めた女は、やはり大人の対応を取って事を荒立てずにすんなり済むようにしたのだろうか。

すぐに事を荒立てやすい俺からしたら、見習うべき態度だった。

女は、疲れた表情を隠さずに、しかし眠らないように自分の携帯で時間を見ながら過ぎ行く駅の名前を確認していた。

数駅過ぎた先で、やっと爺さんの目的地の駅へ着く頃になったんだろう。

面倒な役目もこれで終わると、女は言われていた通り寝入っちまった爺さんを起こしにかかった。

だが、せっかく駅に着くから声をかけてやったというのに、一度の声がけだけじゃ爺さんは起きなかった。

もう一度、今度は先程よりも大きめの声で呼びかける女。

が、まだ起きない。

静かな空気の中、あまり大声で呼びかけるのも気まずいと思ったのか、躊躇いがちに直接爺さんの肩を叩きながら呼びかけると漸く起きた。

起きたが、今度は寝惚けてんのか、女の言った事を理解出来ずに数回聞き返す。

女は、苛立ちそうになるのを堪えて懇切丁寧に目的の駅に着いた事を教えてやった。

そこまでしてやっと理解した爺さんは、女に礼を述べて、ふらついた足取りで電車を降りていった。

肩の荷が下りて、漸くゆっくり電車に乗れると思うも、確かその人の降りる駅はもうすぐだ。

大してゆっくり休む事も儘ならぬまま、家まで帰らねばならないとは不憫過ぎる。

此れで誰にも労われないままなのはあまりにも可哀想に思えた俺は、気まぐれにもそこで声をかけた。


「アンタ、律儀な奴なんだな。あんな酔っぱらいのおっさんが言う事なんて、無視してりゃ良かったのによ。」


その女にとっちゃあ、あと少し一駅を挟んだら降りるという頃の事だったと思う。

向かい側に座った、それも知らない奴の、しかも俺みたいな奴なんかに急に話しかけられたからか、酷く驚いたような顔を見せた。

そして、その後に自嘲の混じった疲れた笑みを見せてこう言った。


『えっと…何だかご迷惑かけてしまったようで、すみません。別に、律儀に対応してやったとか、そんな大それた事じゃないんです。半ば条件反射の、職業病みたいなものですか…まぁ、要はそんな感じで反応してしまっただけです。他人様にとって、私なんて大して役に立つような人間じゃあないですから…。お役に立てただけで十分なんですよ。』


やっぱり、職業病の方だったか。

会社で苦労の多い立場にでも居るんだろう、言葉の節々に苦労が滲み出ているような気がした。


「でも、アンタ凄ぇよ。他の誰でもがやりたがらねー事をやり遂げたんだからさ。胸張って良いと思うぜ?」


少しでも元気付けてやれたらと付け加えた言葉だったが、初対面の相手、それも女相手には馴れ馴れし過ぎたか。

不意にそんな思考が過ったが、杞憂だったようだ。

ちょっとだけ呆けたような反応の後に、その人は涙を滲ませたような瞳で言った。


『えっと、何て返したら良いのか解らないんですけど…えと、ど、どうもありがとうございます…っ。他人事だと思うのに、そう言って頂けて…嬉しいです。』


最後に女本心からの小さな笑みをもらって、不覚にも不意打ちを食らった気分になった。

その人の降りる駅に到着して、ホームへの扉が開く寸前に女は立ち上がる。

そうして、降りようとする一寸の間、女は俺の方を向いて頭を下げ、一言呟いた。


『さっきは、ありがとうございました。おかげで、少しだけ気持ちが軽くなりました。では、また。』


女が身を翻してホームへと降りていく。

そして、電車がその駅に停車している間、俺はホームから駅構内へと去っていくその人の後ろ背を見送るように眺め、思った。

また今度、同じ時間同じ電車に乗り合わせたら声をかけてやろうと。

あわよくば、今抱いてしまった感情を伝えれたらば、と…。


執筆日:2019.01.25