僕は、時折、“人”でいるのに疲れる時がある。
そんな時は、大抵、“少しの間出掛けてくるね”と仲間に伝えて、人里離れた奥深くに籠る。
“人”でいる時は、色々なものに縛られている。
だから、其れが、時に煩わしくなる事があるのだ。
故に、偶に酷く独りになりたくなって、誰にも邪魔されない処へ離れ、誰からの干渉も受けなくて済む場所へ行く。
僕は、元々物で刀であったという感情が強いせいか、付喪神へと昇華し刀剣男士としての顕現を果たしてからも、その気持ちは変わらなかった。
“人”でいるのは、別に悪い事でもないと思うし、悪い気もしていない。
ただ、時折、強く感じてしまうのだ。
僕は、“人”ではない者だ、と…。
幾ら、見た目・姿形を“人”に似せ寄せて模しても、根源たる部分は異なる。
僕等は、刀だ。
所詮、人為らざる者にしか過ぎない。
付喪神と言えば聞こえはよく聞こえるが、言ってしまえば、妖の類いなのである。
そう考えると、僕は、そんな人為らざる者…つまりは、妖寄りの性質が強いのかもしれない。
だから、独り、人里離れた土地へ行き、“人”の成りを崩し、暗闇の中へ閉じ籠る。
其処は、誰も知らない、人が寄り付く事も無いような山奥の深き処にある小さな洞窟である。
人一人が居るには充分な広さのある洞窟だ。
其処へ、僕は独り、誰にも気付かれないようにひっそりと向かう。
そして、気が済むまで其処で静かに過ごし、落ち着いた頃になったら、また“人”の成りを形成して本丸へと戻る。
“容(カタチ)”を崩すから、ずっと崩したままの姿で居たら、何時しか元の形を忘れて戻れなくなるかもしれない。
同郷の旧知であり、同室の大倶利伽羅に、そう一度忠告を受けた事はある。
だが、そんな特性が強い僕なのだから、仕方がない事だと思っている。
主自身にもこの件は通してあるが、別段特に何もなく、己の好きなようにしたら良いと了承を得ている。
僕が時折独りになりたがる事を知っているのは、ごく一部の者達だけで、他の大半の者達は何一つ知らない。
僕自身、隠し事をするのが上手いという事も関係しているとは言える。
まぁ、そういう事にて、今僕はそんな時折に抱く感情から、独り、人里離れた山深き処へ来ている。
「―嗚呼…暫く来ない間に、蔦が蔓延ってしまったかな…。草木が随分と伸びてしまったなぁ。……近い内に、少し手を入れるか。」
独り、言葉をごちて、ざりざりと土を踏んで奥深き中へと入っていく。
中へ入った後は、暫くは何の物音もしなくなる。
ただ静かな空間が広がるだけ…。
聞こえてくるのは、辺りに生きている鳥や動物達の鳴き声、風や木々がざわめく自然の音のみ。
稀に聞こえる人の音は、山に立ち入った旅人とかの立てる音だ。
その旅人が、気まぐれに僕が居る穴を覗き込む事もあるけれど…大抵が薄ら寒さや薄気味悪さを感じて去っていく。
そんな自然の中にただ静かに存在し、“人”の容を得るまでの頃に還るように佇む。
ひたすら静かに、じっと黙って虚空を見つめて、穴蔵の暗闇の中をうぞうぞと動き回る。
そうして時を過ごしていれば、気持ちが落ち着いてくる。
そして、そろそろ帰る頃かな、という夕暮れ時…俗に言う、黄昏時の刻になる頃に、供も付けないで一人来た主が迎えに来る。
『光忠ー…?居るかい…?』
一人、山深き中にある洞窟の入口に、女が立っていた。
その女が、洞窟へ何か呼びかけるように声を発する。
真っ暗な穴蔵の中へ、彼女の声が響き渡る。
彼女の声が僕を呼ぶから、僕は意識を起こして、キョロリと金の目を浮かべる。
うぞうぞぞと身体を動かして、声の主へと問う。
(主かな…?)
『そうだよ。もう夕餉時だよ…?そろそろ帰っておいで。“燭台切光忠”。』
彼女が僕の名を呼ぶ事で、僕の意識が完全に覚醒される。
彼女が名前を呼んでくれるから、僕は、また元の姿に戻る事が出来る。
別に、彼女が名を呼ばなくても戻れる事は戻れるのだけど、ごく偶に中途半端にしか戻れていない事があった。
その時、呼びに来たのは、大倶利伽羅だったか…はたまた、鶴丸国永だったかは曖昧だが。
やはり、僕を形創る彼女が呼んでくれないと、ちゃんとした容には戻れないのかもしれないとなって、それ以来、迎えに来る時は主が来るようになったのだ。
(思ったより早かったね…迎えに来るの。)
『日が暮れるのが早くなったからね。流石に、暗くなる前に帰ってこないと、皆が心配するよ?』
(…うん、それもそうだね。)
黒い影が蠢いて、しゅるしゅると腕らしきものを形成して、彼女へ触れる。
(でも…もう少しだけ此処に居たかったなぁ。)
『あんまり遅くなったら、夜になっちゃうよ…?そしたら、帰り道、足元見づらくなっちゃって危ないよ。』
(其れは困っちゃうなぁ…僕、夜目はあまり利かないから。)
『なら、日が完全に暮れない内に帰っておいで。』
(……うーん、仕方ないか。帰ろっか…。)
口ではそう言うが、ずるずるとそのまま戯れていたら、主が再び名前を呼んだ。
『光忠…。遊んでないで、ほら、帰るよ?』
(えぇ…まだこのままで居たいんだけどなぁ………。)
『もう…あんまり長居してたら、日暮れちゃうよ…。そうなったら、私も帰りが危ういのだけど…?それに…そのままで居たら、私にきちんと触れる事も出来ないし、抱き締める事も出来ないんじゃないの?』
変に渋っていたら、彼女にそう言われた。
そう言われて、ハタと気付いた。
(…其れは、困るね。)
彼女の頬を撫でていた黒い影が肉を纏い始める。
そうして漸く“人”の“容”に戻った僕は、温かな温度を得て、彼女に触れる。
「―君を抱き締める事が出来なくなるのは…寂しいし、悲しくなるからね。」
『…なら、始めからそうしてれば良いのに…。』
彼女の心にもないような小言を聞きながら、くすり小さく笑んで、喉の奥を低く打ち鳴らした。
主の身体に触れて、自身の“人”としての“容”を思い出していく。
彼女の柔らかく小さな細い身を抱き寄せて、身体いっぱいに抱き締める。
そしたら、僕は、本来の僕の姿を取り戻せるんだ。
「少し冷たいね…主の身体。」
『日が暮れゆくのと同時に、冷え込んでくのも強くなってきたからね…。風も結構冷たいのが吹いてたし。』
「そっか…。だから、主の身体は何時もより冷え切ってたんだね。」
『うん…ぶっちゃけ今寒いから、早く帰りたい。光忠にぎゅってされてるから、一時的に温かいけども…。早く本丸に帰ってあったまろうよ?今日は“ちょっと遠い方に来た”から、疲れた…。』
「嗚呼、其れはごめんね。帰りは、僕が抱っこしてあげるから…其れで許してくれるかな?」
胸の内に抱き込んだ腕の中へ、そう語りかける。
すると、少しだけ不満げにしていた主は、素直に頷いてくれた。
身体を冷やしてしまった御詫びに、帰ったら何か甘いものでも作ってあげようか。
“人”で居るのは疲れてしまうけれども、色々と楽しい事が出来るのは良い事だなぁ、って思うよ。
ちょっぴり面倒な時もあるけどもね。
「…そういえば、主ったら、またお供も付けずに一人で来たのかい…?」
『うん、そうだけど?』
「黄昏時に…其れも、こんな山奥深くに女の子一人で来たら危ないじゃないか。人じゃないものに拐われてしまうかもしれないだろう…?例えば、僕みたいな…ね。」
『だって、私が迎えにいかないと、光忠ずっと帰ってこないかと思って。その内、夜の闇に溶け込んじゃって、見えなくなっちゃうんじゃないかと思ってさ…?そうなったら、困るじゃん。私一人じゃ、まともな飯作れないのに。』
思ってもない言葉をもらって、キョトンとしてしまう。
そして、ちょっとの間を空けて、くすくすと小さく笑い声を上げる。
「うん、そうだね…?君は、僕が居ないと駄目だもんね?」
『うん。そだよ…?一人だったら、下手したら飯も食わないかも。』
「其れは流石に身体に悪いし、倒れられたりなんてしたら困るから、ちゃんと御飯を食べさせてあげないとね?其れも、飛びっきり美味しい御飯を。」
『だからさ、私達の家に帰ろう?“燭台切光忠”。』
―嗚呼、本当に大好きなんだな…。
こんな僕でも、彼女は必要としてくれるのか。
主の声が、言の葉が、僕を現実へと引き戻す。
妖しく光っていた瞳の色も、元の色に戻っていく。
声も、喉も、手足も、取り戻していく。
やっと完全な“容”となってから、薄暗い穴蔵を抜け出す。
「さあ、帰ろうか。」
大事な大事な彼女の身を抱き抱えて、地に足を着ける。
『嗚呼、ほら…長居しちゃったから、だいぶ暗くなってきちゃったよ?だから、言ったのに。どうすんのさ…?』
「ちょっとだけ早足で帰ろうか。真っ暗になっちゃう前に、山から抜け出なくちゃね。」
一度、彼女を抱え直して、しっかりと腕に抱き抱える。
「少し走るかもしれないから、舌を噛まないように口を閉じておいてね。」
『大丈夫なの…?だいぶ暗くなってきてると思うけど…。』
「大丈夫。このくらいの暗さなら、まだ明るい方だし、目も利くから…。首元、しっかり掴まっておくんだよ?振り落とされないようにね。」
主がしっかりと腕を回した事を確認してから、足に力を込め、駆け始める。
地を蹴って、飛び、少し斜面を滑り降りる。
最早、道とは言い難い獣道を辿って、麓まで降りていく。
木々で繁る山道に沿って桟橋を通っていると、視界の端に人ではないものの姿が掠め映った。
少しだけ首を巡らせて、背後の暗がり…山の麓の方を顧みてみた。
およそ人とは言えない者達が、此方を見て手招いていた。
うっすらとだが、負の気配のようなものも感じた気がする。
(―悪いけれど…まだそちら側へは行かせないよ。僕も、まだ“人”でいたいからね。)
彼女を離すまいと、強く抱き抱える。
『光忠…?どうかした……?』
「…ううん、何でもないよ。それより、もうちょっとで本丸のある鳥居の処まで帰り付くよ。もう少しの辛抱だから、大人しくしていてね。」
一瞬だけ此方を窺い見た彼女に心配させまいと、閉じていないと舌を噛むと言ったのに開いた口を優しく塞いであげる。
彼女の事を拐わせるなんて、この僕が許さない。
彼女へ触れようと手を伸ばしてこようとしている異形の者に向かって、鋭い睨みを効かせる。
其れだけで、奴等は簡単に消え失せる。
―僕は、まだ神格にある者だ…。
(君達なんかより、上の存在なんだよ?)
例え、“人”の皮を被る刀だとしても。
(僕は、付喪神だ。少なくとも…まだ、君達程には落ちぶれちゃいないよ。)
黒き衣が、夜を連れてこようとしている月の薄光に照らされ、翻った。
その中に、刀としての鋭き切っ先が目に光ったのだった。
執筆日:2019.01.31