君と過ごす三度目の夏
お盆の時期も過ぎたというのに、今年は一向に涼しくならない暑さに皆辟易した様子でダレていた。
国行でなくとも、この殺人的危険な暑さを前にしては、誰しもやる気を失くしてしまうというもの…。
ほぼ人の体温と変わらぬ、下手をしたら其れ以上の気温の高さで熱されてしまえば、元は刀と言えども熱中症にかかってしまい兼ねないというもの。
目を刺すような程に眩しい直射日光に照り付けられてジリジリと焼ける外の庭の景色を、通りすがりの縁側から眺めて目を細めた。
視線の先に立ち上る陽炎を見つめて、「こりゃ今日も注意喚起しとかないと誰かしらぶっ倒れそうだな…っ。」と思い、思わず顔を顰める。
特に、本丸へ参陣したばかりの新刃刀には要注意して見ておかなければならない。
真夏の暑さに慣れ切っている琉球組は大丈夫だろうが、東北出身の刀なんかはこの暑さに慣れずに辛いだろう。
そもそもが人の身の器を得たばかりで、色々な事において慣れない筈だ。
もしかしたら、既にこの暑さに堪え切れず、伸びているかもしれない。
念には念を入れて、薬研を含めた古参組に声をかけておくのがベストだろう。
この本丸も、また一段と
その分、お互いに助け合っていかなければ成り立たないだろうな。
手に持つラムネの瓶から滴が垂れて、其れが掌から手首へ伝い、肘まで伝って床にポタリ、と染みを作ったところで止めていた動きを再開し、目的地まで足を運んだ。
今、私が向かうは、本丸の離れに在る方の縁側である。
本丸の裏手の庭に面するように作られた其処は、表側と違って直接日が当たらぬように設計されている。
おまけに、風通しも良い其処は本丸内の中では比較的涼しい場所で、避暑に身を休めに来るには丁度良い場所となっているのであった。
其れ故、暑さにバテた者が度々やって来ては縁側で伸びている姿を目撃する。
離れは私の仕事部屋兼自室となってはいるが、別段人の出入りは自由に許可しているので、皆好き好きにやって来ては顔を見せに来るのだ。
そんな本丸の取っておきな避暑地に、今は近侍を務めるたぬさんが居た。
先程まで一緒に仕事を片付けていたのだが、今日の分と予定していた分が一区切り付いたので、仕事終わりの休憩と称して休んでいるのである。
彼は本丸初期の頃から居る古参組故、この現代の暑さにも慣れたものだが――しかし、今年はまた一段と暑いせいか、他の者達と同じようにダレていた。
何時熱中症になっても可笑しくはない気温から、本丸では早い内からクールビズを推奨しており、暑ければ好きにラフで身軽な格好になるよう伝えてある。
お陰様で、常日頃から服を脱ぎたがっていた村正はほぼ毎日半裸祭りである。
私は気にしないのだが、同派である蜻蛉さんは気にするようで、彼が脱ぐ度に声を飛ばしていてちょっと面白い。
まぁ、そんなこんなから、現在私の自室のすぐ外である縁側で涼む彼も、上の服を全て取っ払ってタンクトップ一枚である。
勿論、下のズボンは穿いたままな為、村正のように全開オープンという訳ではない。
仮に、私が居る目の前でそんな事をされたら、流石の私も目の遣り場に困るのでやらないで欲しいが。
―目的地である彼の元まで戻った事で、暑さにやられてぼんやりとする彼が視界に映った。
幾ら風通しが良く涼しいと言えども、暑いのには変わらないのであろう。
顎にまで伝う汗を拭っているポーズのまま固まり、縁側に腰掛けた姿勢でボーッと外の景色を眺める様子の彼に、少しだけ好奇心が沸き上がり、ムクムクと膨らんだ悪戯心から口角が上がってにやける。
つい沸き上がってきた子供染みたその感情に流されるように、未だ私が戻った事に気付かないでいる彼の頬に、持ってきたラムネの瓶をぴとっ、と押し付けるようにして当ててみた。
すると、いきなり自身の頬に触れた冷たい存在にビクリッ!!と盛大に肩を跳ねさせ仰け反った彼が此方を見る。
その如何にもな反応が面白くて、思わず堪えていた筈の笑いが漏れ出た。
「ぅお…ッ!?おまっ…、いきなり冷てぇもん押し当ててくんなよ!ビビるだろ…っ!!」
『えへへ…っ、御免ね。あんまりにも暑さにボーッとして気が付かないようだったから、つい悪戯してみたくなっちゃって…!』
「アンタなぁ…っ、」
『御免て。謝るから、ハイ此れ。厨組から貰ったキンキンに冷えたラムネ…!此れ飲んで水分補給しつつ、躰冷やしましょっ。』
「…ったく、もォー……アチィから有難く受け取っとくけどよ、また今度同じような事した時は覚悟してろよ…?今度同じ真似した時は同じ事やり返してやるついでに、その夜は泣くまで絶対ェ寝かせねぇからな。」
『え、昼間もこんな暑くて夜も熱帯夜なのに暑くなる事すんの…?物好きだねぇ…。』
「(突っ込むとこはそこかよ。)ま…っ、夜はエアコン完備の部屋でクーラーガンガン効かせてっからなァ。ヤるには丁度良い環境だろ?」
『そんな自信満々に言われましても…よくそんな体力あるよねぇ〜、たぬさん。私、日中こんだけ暑かったら、夜まで体力持たないわぁ…。エアコン効いた部屋で寝ればスヤァ間違いなしのあっという間の夢落ちよ。健康優良児ではないけども、お休み三秒で寝落ちれる自信あるわ。』
「でも、俺がもしその気だったら遠慮無く起こすどころか寝かせねぇからな?」
『無慈悲か。神様なら其処んとこもうちょい優しくしてよぉー。』
「残念ながら、俺は神であっても末席の位なだけの付喪神に過ぎねぇからなァ。刀にんなもん求めたところで無駄だぜ…?」
『うわ〜んっ、たぬさんが非情だァ〜…!……さっきまで暑さで伸びてた癖に、何でそういう話題になった瞬間元気になんの?男だからなの?』
「さァな…っ。強いて言うなら、人は総じて欲で成り立つ生き物だからなんじゃねーのォ?」
『はぁ…そういうもんなのかね?よく分からんにゃぁ〜…。』
瓶の中でカランッ、と音を立てるビー玉を見つめつつ、グビリと冷えた其れを呷る。
冷蔵庫から取り出してきたばかりのラムネは、キンキンに冷えて冷たくて、シュワシュワとした甘いスッキリとした味わいが何とも言えない感覚で喉を通っていった。
この如何にも夏らしい透き通る青に、カラン、と音を立てる響きが涼を運ぶようで心地が良く好きだ。
昔懐かしの味であるこの飲み物は、今の時代となっても人々に愛され続け、後世へと伝わり変わらず残されている。
子供の頃から慣れ親しんだその味を堪能しながら、庭先に広がるひまわり畑を見つめる。
燦々と日を浴び続けるひまわり達も、此れ程にまで暑ければ、やはり草臥れてしまうようで。
干乾びたように下を向いたひまわりがちらほらと見掛けられた。
(後で水遣りをしなければ、枯れてしまうかな…?)
そう思いつつも、暑さにバテてその場から動く気すらも沸かなかった今は何もする気は起きなかった。
どうせ、短刀の子等が水遊びと称して水浴びをしているから、保護者として付いている誰かしらがホースで水を撒くついでにやってくれるだろう。
『本当、今日も変わらずあっついよねぇ〜…。お盆も過ぎたんだから、いい加減涼しくなり始めても良い頃なんじゃない?…と、思わずには居られない今日この頃なんだが。』
「いや…今暫くはこの暑いのは変わんねぇそうだぞォ。九月に入ってからも一時はこの酷暑が続くんだとさ。」
『げぇ…ッ、マジかよ勘弁してくれよぉ〜…っ。私暑いの苦手なのに…。』
「まぁ、地球温暖化が進んでる今は、このクソ暑さとも付き合っていかなきゃなんねぇって事だろ…?諦めろ。」
『うえぇ〜……ッ、流石の殺人的暑さに溶けちゃうよぅ…っ。早く涼しくなってくんないかなぁ〜………?』
冷たく冷えたラムネ瓶を握っていた手はすっかり露でびしょ濡れになっていて、手や肘から伝い落ちた滴が垂れて床を濡らしていた。
後でティッシュか何かで拭いても良いけど、どうせこの暑さならすぐに蒸発して乾いてしまうだろうし。
放っておいても別段構わないか、とぼんやり思っていたところで、不意に首筋を冷たい物が触れて「むぎゃッ!?」と驚きの声を上げた。
すぐさま隣を見遣ると、してやったり顔でニヤリと笑む彼の顔が此方を見ていてかち合った。
どうやら、先程の礼を返してきたつもりらしい。
キンキンに冷えた瓶を持っていて冷えた手を油断していた私の首元へ持ってきたようである。
この野郎…っ、さっきはそんな事言ってなかったのに…ッ。
油断を誘っておいての犯行とは、此奴なかなかにやりおる。
完全なる確信犯的仕返しに膨れて、更なる仕返しをしてやろうと此方からも手を伸ばす。
当然、此処までずっと瓶を握っていた私の両手はめちゃくちゃに冷えまくっている。
片手に飲みかけのラムネを持ったまま、彼へやり返しの反撃に出た。
『とりゃ…っ!!仕返しじゃい!』
「ぅおわっ!?冷て…ッ!」
『へっへっへ〜!たぬさんのよりもずっと冷えてた私の手は冷たかろう…っ!!観念するが良い!!』
「は…っ、今のくらいで降参すると思うかよ…!」
『ひゃあっ!?つべたい…っ!!んにゅ〜っ、やったなこの野郎ーッ!おりゃあ!此れでも食らえい…ッ!!』
「はははっ!冷てぇだけだっての…!オラァ!!」
『ふあっ!?やだもう…っ、滴でびしょびしょになっちゃうって…!』
暑い中冷たい飲み物片手に
水滴で濡れた手で触り合ったから、汗とは別の意味で顔も首元もびちょ濡れで、宛ら顔でも洗ってきたのをそのまま放置したみたいである。
もう一々タオルを取ってくるのも面倒くさかった為、服の襟や袖で拭ってしまう。
どうせ汗で濡れてしまっていたし、この後お風呂に入ったりして着替えれば済む事なので、そのままで居る事にした。
ちょっと温くなってしまったけれど、まだ冷たさを残す其れを飲み干してから、空になった瓶を額に押し当てる。
熱で火照った肌に冷たい瓶が触れて、気持ちが良い。
その気持ち良さに、つい思わず溜め息を吐いてしまったら、隣のたぬさんが可笑しそうに小さく吹き出した。
『なぁに〜…?たぬさん…っ。』
「ふ…っ、いや…何でもねぇよ。其れ、気持ち良いのか?」
『うん。程好く冷えた瓶が火照った肌に触れて気持ち良いよ〜。今丁度めちゃくちゃ暑かったから、凄く気持ちぃっす〜っ。』
「まぁ、確かに今日はアチィからなァ…短刀等みてぇに水浴びして遊ぶのが丁度良いんだろうなァ。」
ぶらり、縁側の外に足を投げ出したまま床に寝転んだ彼がすぐ隣の位置で伸びる。
いつの間に飲み終わっていたのか、私が飲み終える前よりとっくに空になっていたらしいラムネの瓶が彼の傍らに置かれていた。
まぁ、今日は比較的まだ風が吹いている方だから、此処は日陰である事も合わさって暑さを凌ぐには持ってこいの場所なのだろう。
サワサワと吹く風に揺られて、彼の額に張り付いていた前髪が浮く。
汗と先程の水分で張り付いて邪魔ったらしそうにしていたその前髪を上に退けて掻き上げてやり、額を露にする。
すると、見た目よりも幼げな顔付きがはっきりと見えて、少し可愛らしく思った。
本人を前にして口にしたら確実に怒られるであろう事は目に見えているので、敢えて直接言う事は無いが。
額から左頬にまで伸びる顔の傷痕をなぞるように指先で触れていたら、ふと閉じていた目蓋をぱかりと開けた彼が口を開いて零す。
「…何だ、まだ俺で
『いんにゃ、そういうんじゃないよ。特に用も無いけど、何かこうして居たかっただけ。』
「そうかい…。」
サワサワと吹く風が心地良いのか、再び目を閉じた彼に、何だかまた好奇心が沸き上がってきて。
つい指先でつんつこ彼の頬を突っついてみた。
しかし、其れだけでは動じない様子の彼はピクリとも動かない。
ならばと試しに声をかけてみる事にした。
『ね〜ぇ、こんなとこで寝てたら風邪引いちゃうよ…?寝るならせめて部屋で寝なよぉ〜…っ。エアコンも扇風機もあるんだからさぁ。』
「本気で寝る訳じゃねーから平気だっての…。んな簡単に風邪引く程弱い鍛え方してねぇんだよ、俺は。」
『……むぅ。』
試しに声をかけてみるも駄目だった。
なら、どうしようか。
せっかく二人で居るんなら、もう少し何かしないと勿体無いという思いが漠然と脳内に広がって、一人ぐるぐると考えてみる。
そうして己の飲み上げた空の瓶に目が行き、徐に其れを彼の頬へと押し付けてみた。
まだ冷たさの残る其れに意識が移ったのか、静かに目を開いた彼が些か不機嫌そうに眉を寄せて口を開く。
「…何なんだよ、さっきからァ…?」
『…構って。』
怒られちゃうかもしれないけど、つい何となくやってしまって、今更ながら自分は何をしているんだかな…、と可笑しくなってしまった。
そんな感情を占める私の胸の内など知らないで、彼は仕方ないなとばかりに笑って言った。
「ぁあ…?……ったく、しょうがねぇなァ…っ。」
身を起こすでもなく、何をするでもなくそのまま寝転んだままの彼が此方に空の手を向ける。
「…ほらよ。アンタも暇で退屈なんだろ…?だったら、アンタも一緒に付き合え。」
『……私、たぬさんと同じように寝転んだら、たぶん仕事の疲れも相俟ってガチ寝しちゃうと思うんだけど…。』
「そんときゃ俺が起こしてやっから、アンタも横になんな。こうしてた方が、風がよく当たって気持ち良いぜ。」
『…たぬさんがそう言うのなら。』
その手に導かれるように自身の手を伸ばすと、彼に腕を引かれて、縁側に沿って躰が横たわるようにして横になった。
床板の上に何も敷かずのままはちょっと痛かったけども、でも少し躰を休める程度には丁度良くて、忽ちすぐに睡魔が襲ってきそうだと思った。
みっちゃんが修行へ行ってからというもの、毎度の事ながら眠りが浅くなってしまっているせいもあって、あまり深く長くは寝付けていないのもあるのだろう。
其れを分かっての上での気遣いだったら、本当彼には頭が上がらないばかりである。
「眠ぃなら、本当に寝ちまっても良いぞ…。夕餉が出来るまでには起こしてやっから。…暫く躰休めてろ。此処んとこ忙しくてまともに休めてなかったんだからさ。」
『…ん。じゃあ…お言葉に甘えて、ちょこっとの間休ませてもらうね…。』
横になった途端、さっきまで騒いでたのが嘘みたいに急に大人しくなったからか、彼がまた困ったように眉を下げて笑った。
そんな彼の顔が、何故か堪らなく愛しく思えてしまって仕方がないから。
その顔見たさに、つい困らせてしまう私が居る。
でも、何だかんだ言いつつ彼は許してくれるから、此れまた好きな気持ちが溢れて止まないのだ。
彼の困ったように笑うその顔が…堪らなく、堪らなく好きで愛おしいから。
きっと、この先も私は彼を困らせるのであろう。
優しく伸ばされたままの彼の手を握って思う。
―そんな子供っぽく幼い性格の私を、どうか嫌いにならないでね。
参考元:「君と過ごす夏」(545359)