真名と神隠し


一先ずは、保護した付喪神様こと刀剣男士の燭台切光忠をずぶ濡れ状態から着替えさせる事に成功した韓來。

しかし、最も重要な事は何も聞き出せていないままである。

取り敢えず、今の現状から次に遣らねばならぬ事は、彼が何故此方の世界…現世に居るのかという事を聞き出す事だ。

まずは、話の場を設ける必要がありそうだ。

其れには、客間への案内やら座布団やお茶出し、加えて、恐らく泊まり込みになりそうな事も含めて、彼が一晩泊まれるようにするべく必要な物の準備等々…挙げていけば遣る事は其れなりに色々とある。

バケツを引っくり返したような土砂降りの大雨の中、仕事から帰宅して早々遣る事が山積みである。


(何たってこんな事になってんだか…。今日は厄日か何かかよ、おい。)


何処とも知れぬ遠い処を見つめ、そう思った韓來。

ただでさえ疲れて悲惨な顔が更に酷い事になっていた。

目も何処か虚ろで、死んだ魚の如き目になっていたのだった。


「着替え終わったよ。仮の服、貸してくれてありがとね。」
『お気になさらず。服のサイズ、じゃ通じないか…服の大きさとか、大丈夫でしたか?其れなりに着れそうな服を選んだつもりでしたが…。』
「え?あ、うん。ちょっと胸周りがキツイかもしれないけれど、大丈夫だよ。其処まで気遣ってくれてたんだね…有難う。」
『いえいえ、着れそうだったなら良かったです。(胸がキツイのは、そりゃ貴方の胸板が厚いからでしょうな…。だって、擬音的に表したらめっちゃバインじゃないですか。絶対口に出して言わないけど。)』


廊下の濡れた跡を拭き終えて雑巾を片付けていたら、脱衣所から出てきた彼。

どうやら、心配していた服のサイズは大丈夫だったようだ。

其れにしても…渡した服は何ともダサい芋ジャージだった筈なのだが、イケメンな彼が着てしまえば何て不思議マジック。

あんなにダサくて芋感満載だったジャージが、一瞬にしてお洒落な代物に見えてしまう。

イケメンという力は凄い…。


『…流石、刀剣男士。内番服がジャージなだけはあるよな…。』
「ん…?何か言ったかい?」
『い、いいえ!別に…っ!!』


つい、うっかり思った事が口から出てしまった。

もう既にちょいちょい口を滑らしている気がして否めないが、此れから気を付けねば…。


『あ…、髪びしょ濡れですよね。そのままだと風邪引いちゃいますんで、乾かした方が良いですね。洗面台の処にドライヤーがあるので、其れで乾かしちゃいましょう。ドライヤーって知ってますか…?』
「うん、知ってるよ。僕の本丸でも使ってたしね。」
『じゃあ、特別教えなくても使い方とか大丈夫そうですね。風邪引かない内にさっさと乾かしちゃいましょう…!じゃないと、せっかく綺麗な御髪が傷んじゃいますからね!』
「あ、その前に待って…っ。」
『はい…何でしょう?』
「君も髪、濡らしたままだったろう?先に乾かしておきなよ。」
『いえ、私の方は光忠さん程濡れてませんし…。大して濡れてないので、タオルで拭くだけで十分ですよ?』
「其れなら其れで早く拭いておかないと、君こそ風邪を引いてしまうよ…?ほら、僕が拭いてあげるから、後ろ向いてごらん。」
『え…っ?や、あの、自分で出来ますから…。というか、光忠さんの方が早く乾かさないと…っ!』
「良いから、後ろ向く…!」
『あ、はいっ、すみません…っ。』


あれ、何で自分怒られてんだ…?

そう思ったのも束の間、わしゃわしゃと彼の手によって優しく拭かれる頭。

軽く無の境地に至るのだった。


「はい、終わり…。もうこっち向いても良いよ。」


タオルで拭いてくれた後、軽く手櫛で髪を整えてくれた彼。

何処までも出来る男である。


『あ、有難うございます…。』
「別に御礼を言われる程の事はしてないよ。ただ、君は女の子なんだから、身嗜みはきちんとしてなきゃ駄目だよ…?髪の毛だって、ちょっとしか濡れてないからって濡らしっ放しで放置してたらすぐに傷んじゃうだろう。女の子は髪が命だってよく言うんだから、髪は大事にしなきゃ。此れからは面倒くさがらずに、ちゃんと乾かそうね。」
『は、はい…どうもすみません…っ。』


何だか予想もしていなかった展開になりつつある現状。

どう打開して先へ進めば良いのか…。

とにかく、今は彼に髪を乾かしてもらう事が先決だ。

彼を再び脱衣所に押し遣り、洗面台の処にあるドライヤーを渡してその場を後にするのだった。

彼が髪を乾かしている間に、韓來は客間の準備を進めておく事にした。

客間はほとんど使う事が無かった為、至って綺麗なままである。

母が定期的に掃除をしてくれていた事もあり、特に片付ける事も無いようだ。


『なら…座布団出しと、後はお茶出しくらいか。…あ、そういや夕飯どうしよう…。あの人、御飯食べるのかな…?後で訊いてみるとするか…。』


押入れから仕舞い込んでいた座布団を出し、お茶を煎れる為にと台所へ向かう道中で一人呟く韓來。

「まぁ、なるようになるだろう。」と考えを付け、遅くなっていた歩みを速めるのだった。

カチャカチャと慣れた手付きでお盆に急須と湯呑みを乗せて運ぶ韓來。

新しく沸かしたお湯を入れた来客用ポットは、先に持って行ったので大丈夫だ。

お湯さえあれば、何時でも好きな時にお茶を飲む事が出来る。

泊まるのは一晩だけであろうとも、彼が出来るだけ不自由なく過ごせるようにとの配慮である。

音がしたからだろう、髪を乾かし整え終えた彼が何処に行ったか探す手間無く彼女の処へ戻ってきた。


「わ…っ、お茶まで用意してくれたのかい…?有難う。ただちょっと話をするだけなのに其処までしてもらっちゃって、何だか悪いな…。後は僕が運ぶから、良いよ?」
『いえ。光忠さんは一応お客さんですから。どうぞ、そのままで。このまま客間の方へご案内致しますから、付いてきてください。』
「え、あ、うん…分かったよ。」


何だかちょっぴり気まずそうな彼。

こうやって持て成される事に慣れていないのだろうか。

そういう事も含めて、後で訊いてみようと思う彼女であった。

客間へと着き、彼を案内して席へと座らせる韓來。

自身も膝を付けると、持っていたお盆を置き、乗せていた急須で湯呑みにお茶を煎れ、受け皿に添えて彼の前へと差し出す。


『喉が乾いているでしょう?どうぞ、お茶です。』
「わざわざ有難う。助かるよ。」
『いいえ。家にあった安物の粗茶で申し訳ないですけど…。私が居ない時におかわりが欲しくなったら、其処に置いてあるポットでお好きにお茶を煎れてください。ポットの中には熱いお湯を入れてありますから。お話の最中は、私が煎れて差し上げますから、欲しかったら言ってくださいね。』
「え…!?何も其処までしてくれなくても大丈夫だよ…っ!?僕が自分でやるから…!」
『そう、ですか…?光忠さんご本人がそう仰るなら、分かりました。』


そう彼女が頷くと、ホッと息を吐く彼。

そんなに焦る程の事だっただろうか。

少し疑問に思ったが、気にしない事にするのだった。


『では、お茶を一服して落ち着いた事ですし…そろそろ本題に入る事と致しましょうかね?』
「そうだね…。それじゃ、話をする事にしようか。」


互いに目を合せ頷き合うと、本題の話をする姿勢になり、空気がピンと張った。


『まずは…そうですね、私の自己紹介がまだでしたよね…?遅くなってしまいましたが、私の自己紹介からさせて頂きます。私の名前は、韓來結依…、』
「ちょっと待って!」
『はい…?ど、どうかされましたか…?』


名前を口にした瞬間、急に話を止めたかと思えばいきなり大声で制止を告げた彼。

今度は、一体何なのだろうか。


「…君、今、本名を名乗ったね…?」
『はい…。偽名を名乗る必要が無いので。』
「本名という事は、即ち真名だという事も分かっているよね…?神を前にして真名を名乗る事がどういう事か、知らない訳ではないだろう?」
『ええ、勿論知っていますよ。神隠しに遭うかもしれないっていう事ですよね…?勿論、存じておりますとも。』
「じゃあ、何でわざわざ自ら危険を冒すように真名を名乗ったんだい…!?」
『其れは…私が神隠しに遭うような器を持つ人間ではない事と、貴方の主ではないからですよ。』
「僕が君の事を神隠しする可能性だってあるんだよ…?」


鋭く目を細めた彼が、咎めるようにそう口にした。

元々鋭い目付きの彼が本気で目を眇れば、神様であるとの存在感が増す。

雰囲気そのものが、一瞬にしてだが人ではない其れへと変わっていた。


『光忠さんは、そんな事しませんよ。』
「…どうして、そう言い切れるのかな…?」
『答えは、簡単です。私なんかを隠しても、光忠さんにとって何のメリットも無いからですよ。寧ろ、デメリットしかないんじゃないですかね…?其れに、光忠さんが本気で私を神隠ししたいと思ったのであれば、もうされていたと思うのですよ。例えば…最初の、家の中に入ってきた時とかの時点で。』
「………そうかもしれないね。確かに、“今のところ”は僕は君を神隠ししたいとは思っていないよ…。でも、この先、何時か、そんな気を起こすとも知れないから気を付けておいた方が身の為だよ。」
『まぁ、一応、頭に刻んでおきますね。』


なんともあっけらかんとして返す彼女に、毒気を抜かれたのか、張り詰めていた空気を崩した彼。

無意識に強張っていた表情を和らげると徐に溜め息を吐いた。


「…全く君っていう人は、こういう事に関する危機感が薄いね……っ。」
『まぁまぁ、その件に関しては今は置いておく事にしましょう。取り敢えずは、私の事は、韓來とでも呼んでください。』
「取り敢えずは、って…もう良いや。分かったよ…。取り敢えず、今の間はそう呼ばせてもらう事にするよ。」
『理解が早くて助かります。』


呆れたように返せば、ニッコリとにこやかに笑んだ韓來。

彼が、内心先が思いやられそうだと思ったのは、此処だけの話である。


執筆日:2018.05.01
加筆修正日:2020.02.21

危機感を持ちましょう。