肩代わり


いつの間にか動きを止めてしまっていた彼女は、再び箸を動かし始める。

一瞬前までは何故か伏し目がちに想いを語っていた。

だが、瞬きの間に元の煌めきに戻っていた。


(嗚呼…、この子は、根っからの優しい子なんだ…。)


一瞬前までの彼女を見て、そう思った燭台切。

思い遣りに溢れる反面、酷く脆い…触れたらくずおれてしまうような、そんな存在だと。

だけれど、其れ程にも儚く脆い存在だからこそ美しく見えたのだろう。

先程の彼女は笑っていた。

小さく微笑みを浮かべた程度だけだったかもしれない。

其れでも、確かに口端は上がっていた。

其れだけで何だか酷く安心した気がしたのだ。

彼女も、ちゃんと笑う事が出来るのだと…。

例え、其れが他人を想ったものであったとしても、笑えるという事は大切だ。


「…君は、綺麗に笑うね…。」
『え…っ?』
「…ううん、何でもない。気にしないで。」


彼女という人間は、つくづく他人の事ばかりを思い遣る、お人好しで優し過ぎる人なようだ。

故に、自身を蔑ろにしやすい、何とも不器用な人である。


(此処に居れる間は、僕が彼女を支えてあげなきゃね…。)


どちらにせよ、彼と関わってしまった以上は、今後も今までと同じように平穏に暮らしていく、なんて事は出来ないだろう。

時の政府側が手を回すか、もしくは、刀剣男士の存在を感知した敵方が現れてくるかのどちらか。

刀剣男士とは、刀に宿った付喪神で、審神者の命を受け其れに順じ敵を屠る為に歴史を遡る。

そんな存在と本来なら接触する筈の無かった関係者以外の者が接触し、ましてや言葉を交わすなんて事は、本来ならば有り得ない事であり許されない事なのであった。

故に、この事態が政府へと知れれば、彼の主である審神者も処罰を受ける事となろう。

だがしかし、事の原因を遡れば、政府が用意した時間転移装置の故障によるものだ。

何も彼等が全て悪い訳ではない。

そもそもの原因は、装置のメンテナンスを定期的に行う事もしなかった政府側の不備…謂わば、怠慢と言えよう。

其れに半ば巻き込まれた形である彼女は被害者…言ってしまえば、運が無かったのだ。

とは言え、出逢ってしまったからには何かの縁があるのであろう。

境界を越えて神たる存在と人の子が巡り逢った。

単なる偶然かもしれぬとも、然れど必然であったやもしれぬ事。

縁とは、誠不思議に結ばれるものである。


「御飯を食べ終えた後の食器片付けなんかは、全部僕に任せてくれて良いからね。僕が食器を洗っている間に、君は湯浴みを済ませてきたら良いだろう。仕事をしてきたなら、きっと汗もかいただろうしね。軽くでも流してから眠った方がスッキリするし、温かいお湯に掛かれば血流も良くなるからよく眠れると思うよ。」
『え…、何も其処までお世話になる訳には…っ。』
「君は、少しくらい人に甘えるって事を覚えた方が良いよ。何もかも一人で抱え込んで処理するのは良くない。今の間だけは僕が居るんだから、少しは頼って欲しいな…?元々、僕は顕現したのが早い分、頼るより頼られる事の方が慣れているんだ。だから、変に気遣われるより頼って使われる事の方が嬉しいし、此方も何かと遣りやすい。…それじゃ、駄目かなぁ?」
『ゔ…っ、ダ、メでは…ないです……ッ。すみません…っ。』
「其処は“有難う”って言って欲しいところだったかな…?」
『えっ?あ、有難う…ございます?』
「うん、素直で宜しい…!僕が居る間は、僕が仕事で忙しい君に代わって家事をするから、家に帰ってくる君は気兼ねなく過ごしてくれたら嬉しいな。家事に気を取られない分、仕事に集中出来ると思うしね。…さて、今日はもう遅いし、早くお風呂済ませちゃって寝ようか!再々言ってるけど、今日は色々あって疲れてるだろうし…明日も早いんだろう?」
『あ、はい…。明日もしっかり確実に仕事の日です…ので、朝早いです…。』
「だったら、早く食べ上げてお風呂に入って、明日に備えて早く寝ないとね?」


最終的、いまいち要領を得ないまま食事を終え、入浴を済ませる。

時間的にも浴槽を掃除するのも手間だし面倒だったので簡単にシャワーだけで終える事にした。

シャワーを浴びただけでも何かとスッキリしたので、彼の言う通り其れとなく効果はあったようだ。

寝間着に着替え、髪を乾かしてから居間の方を覗いてみると、食事をした後のテーブルを綺麗に拭いているところだった。


『光忠さん…お風呂、先に頂きました。と言っても、シャワーで軽く済ませた程度なんですけど…良かったら、光忠さんもシャワーどうぞ。』
「嗚呼、わざわざ有難う。もうこっちも終わるから…お言葉に甘えて、僕も汗を流させてもらおうかな。」
『脱衣所に当たる処に入浴用のタオルを用意しておきましたから、其れ使ってください。光忠さんが汗を流してる間にお布団の準備とかしておきますから。』
「え…っ!君だって疲れてるのにわざわざ其処までしてもらわなくても良いよ…!後の事は自分で遣るから、君は早く休んでくれ…っ!!」
『…そう、ですか?でしたら、お布団が入ってる場所の押入れ、分かりやすいように開けときますね。一応、匂いとか色々気になるようでしたら、ファブリーズとか置いとくんで好きに使ってください。』
「了解…。本当、色々と気を回してくれてありがとね。」
『いえ。では、お先に…おやすみなさい。』
「うん、おやすみ。良い夢をね。」


短く就寝前の挨拶を告げると、控えめにペコリと頭を下げて去っていった韓來。

何処までも真面目な人間だ。

無意識に詰めていた息を吐いて、脱力した燭台切。


(此れは…、先々が思い遣られそうだ………っ。)


静かに溜め息を吐いた燭台切であった。

そうして客間に戻れば、部屋の一角にある襖が開かれていた。

其処に、寝具一式が丁寧に畳まれて収納されていた。

家具の配置も変わっていて、寝る為のスペース確保の為か、部屋に初めて通された時は部屋の中央の位置に置かれていたテーブルが今は隅の方に移動している。

近場には、彼女が言っていた消臭スプレーだろう物が置いてあった。


「…う〜ん、気遣いはとても嬉しいのだけどなぁ…っ。」


疲れているであろう彼女には一分でも早く休んでもらいたかったのだが、現実は思ったようには上手くいかないものである。

一先ず、押入れから布団を取り出して、畳の上へと敷いていく。

定期的に天日干しされていたのか、変な臭いや湿り気は無くとても寝心地の良さそうな布団だった。

心配する程の事は無いじゃないかと彼は思ったが、敢えて口には出さなかった。

それから汗を流そうと風呂場へ向かえば、此れまた驚いた。

この家へ帰てすぐに濡れて脱いで畳んでおいた筈の戦衣装が、防具共に干されていたからだ。

誰が遣っただかなんて、この家には自分以外には彼女しか居ないのだからすぐに分かる。

壁際に邪魔にならないよう畳んで避けて置いていた筈のシャツやスラックス等が、丁寧にハンガーに掛けられ干されている。

おまけに、用意していると言っていたタオルの他にも、すぐ側の洗面台に彼女が用意した物だろう、如何にもおろし立ての真新しい新品の歯磨きセット等が置かれていた。

いつの間に準備したのやら…。


「気ぃ遣わなくても良い、って言ったのになぁ…。」


思わず苦笑が漏れたのは仕方のない事か。

意外と頑固的なところがある韓來であった。


―翌日、思ったよりもぐっすり眠れた事で気持ち良く起きれた韓來。


(ん〜…っ、やっぱり自分が思っていた以上に疲れてたんだなぁ…。ま、そりゃそうか。)


くわり、と欠伸をしながら衣服を着替える。

何時も通りに洗顔を済ませてから、朝食を用意しに台所へと向かうと其処には燭台切の姿があった。

思わず、ビク…ッ!と驚いてからそろり、と声に出した。


『一瞬夢だと思ったけど、そうじゃなかった…っ。』
「あ、おはよう、結依ちゃん。思ったより早かったんだね。」
『えっ、あ、おはようございま………って、ん…っ?“結依ちゃん”…?』
「うん。僕の事、“光忠さん”って名前で呼んでくれているだろう?だから、僕も君の事名前で呼んだ方が良いかなって思って。其れで、結依ちゃん…!」


直後、無言で崩れ落ちた韓來に盛大に驚き慌てて駆け寄る燭台切の姿があった。


「だ、大丈夫!?いきなりどうしちゃったんだい…っ!?」
『く…っ!名前呼びが此処まで威力があるものだったとは…!!不覚……ッ!!』
「え、…っと、大丈夫…っ?何処か痛いところでもあるかい?あったら、教えてくれると嬉しいな。僕が擦って和らげてあげるから…っ、」
『だ、大丈夫です…っ!別に悪いところなんて無いですから…ッ。至って健康、通常通りなのですよ。ちょっと思ってた以上の破壊力に私のキャパがパァン!!しちゃっただけですから、お気になさらず。』
「は、え…?あぁ、えと…、元気なら良いんだ。…最後何言ってるのか分かんなかったけど。」
『気にしないでください。ただの戯れ言です。』
「ざ、戯れ…?は、はぁ……。」


朝っぱらから飛んだ珍事が起きて混乱してしまった韓來。

あのイケボで名前呼びはヤヴァイ…。

軽く脳内吹っ飛ぶかと思った出来事であった。

近い内に爆発で脳内事故とか起こりそうで怖い。

気を強く持とうと改めて決意する韓來なのであった。

気を取り直して朝食を用意しようと立ち上がると、空腹を刺激する美味しそうな匂いが台所内に立ち込めていた事に気付く。


『…あのー、もしかして、朝食作ってくれようとしてるところでした…?』
「へ?嗚呼、うん。そうだよ。こんな早くに君が起きてくるとは思っていなかったから、まだ作りかけの段階ではあるけれど。」
『えと…何か、すみません。わざわざ作ってくださっている上に、肝心の起きる時間を伝え忘れていて…。』
「君が謝る必要はないよ。僕自身、聞くのを忘れていた訳なんだし。其れに、昨日は色々と混乱していて状況を整理するのに手一杯で其れどころじゃなかったしね。お互い様だよ。」
『うわぁ…っ、然り気無いフォローが逆に泣けてくる…!いや、でもやっぱり何か申し訳ないんで、謝罪は取り消さない方向でお願いします…っ。今度からは、必要な事忘れずにちゃんと説明出来るよう肝に銘じておくんで…!』


肝心なところで抜けている自分の情けなさに打ちひしがれ、心半ばショックを受ける韓來なのであった。


(全く、こんなんでよく神様保護しようとか考えたよ、チクショウ…ッ!)


全く以って頼りにならない拾い主である。

見限られて逆に捨てられたらお笑いものだ…。

否、全く笑えなかった。


執筆日:2018.05.30
加筆修正日:2020.02.24

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