二度目の正直


仕事帰り、先日気紛れに寄った喫茶店へと立ち寄ってみた。

何となしに、またあの美味しい珈琲を飲みたくなったからである。

あんなに飲めもしなかった珈琲だったのに、あの時飲んだ一杯を私は大層気に入ったようだった。

故に、ソレを求めて、仕事帰りの疲れた身を引き摺ってまたとなく訪れた店。

店構えは、先日訪れた時と何ら変わらない。

駅周辺の景色も、勿論、たったの数日の事ながらに変わる筈もない。

変わり映えのしない街に風景。

ただその中で、際立って目に付く店の存在。

あの薫りをまた感じたい、そう訴えているような気がして、前回よりも自信を持って、そ…っとドアに手を掛ける。

緩く力を込めてドアを開き、一応、先日のように中を覗き込んでみる。

頭だけを中に突っ込んで、店内の様子を窺った。


(良かった…っ、心配してた例の人は居ないみたいだな。)


ホッ、と安堵の息を吐いている間に、背後に誰かが近寄って来ている事にも気付かず、そのまま店内の様子を見渡した。


『…誰も居ない…お留守なのかな?そういや、入口に何か下がってたけど…もしやCloseになってたかな?』


丁度お留守な頃合いだったのか、店には店員らしき姿どころか人っ子一人も居ない様子だった。


『うーん…、今日はやめにしといた方が良さげかなぁ…?』
「ウチの店に何か用かい?」
『ぅわ…っ!?』


背後から突然話しかけられて盛大に驚いてしまった。

慌てて後ろを振り向くと、其処には買い物袋を提げた全体的に白っぽい出で立ちの男の人が立っていた。

白髪…なのかは解らないが真っ白い髪色をしていて、何処となく儚げな印象を持ったというのが第一印象かつ感想の人だ。


『え、っと…?』
「君、この店に用があるんだろう…?もしかして、お客さんかい?」
『あ、はい…!そうです…っ。先日、此方で飲んだ珈琲がとても美味しかったので、また飲みたいなと思って来たんですけど、誰もいらっしゃらないようだったので…。』
「ありゃ。光坊が店番で居た筈なんだがな…奥に入っちまってたかな?こりゃ、すまん。今すぐにでもご案内しようっ。どうぞ、中に入ってくれ!」


そう言って、彼は慣れた様子で遠慮無く店の中へと入っていった。

その様子にも慌てふためいて、咄嗟に声を掛けた。


『あ、あの…っ!』
「ぅん?もしや、俺の事かな…?俺は、この店のオーナーを勤める、鶴丸というもんさ。一応、店長の身でもあるんだ。宜しくなっ!」
『あ、はいっ、どうも。私は、黒柯と言った者です…っ。此方こそ、どうぞ宜しくお願い致します…!』


つい言葉のまま、“宜しく”と返してしまったが大丈夫だっただろうか。

更に言えば、馬鹿正直に名前まで名乗ってしまったが、可笑しくなかっただろうか。

会社や仕事関係の事ではないのだから、一々名前まで名乗らなくても良かったのに、つい職業病染みたもので名乗ってしまった。

些か、言動として可笑しくはなかっただろうかと、変にグルグルと考えを巡らせる。

が、その思考回路も、再度声を掛けてきた彼の言葉に遮られるのであった。


「君、面白い奴なんだなぁ…っ。俺がオーナーだと名乗った事に自分の名を名乗り返されたのは初めてだ。いやはや、こりゃい驚きだぜ…!…さてっ、改めていらっしゃい!席は何処でも好きな処に座ってくれ。注文は珈琲と言っていたが…、当店おすすめの珈琲の事で良かったかい?」
『あ、はい…っ。それを一つ、お願いします…!』
「ほいよっ、注文承ったぜ…!ちょいとばかし待っててくれな?珈琲作る担当の奴を呼んでくるから。」


あっという間にパタパタと奥の方へと姿を消して行ったオーナーさん。

何だか見た目に反して元気溌剌な人だ。

子供みたいにキラキラとしたオーラを纏っていて、ちょっと身を引いてしまった。

「あまりガンガン来る人じゃなきゃ良いな…。」と思いつつ、先日座った奥の窓際の席を選んで座った。

そうして腰を落ち着けている最中にも、カウンターの奥の方では何やら賑やかな声が飛び交っていた。


「おーい、光坊ぉーっ?お客さん来てるぞー!誰も居なかったからってドアの前で立ち往生してたから、中に招き入れといたぜーっ!」
「えっ!?嘘…っ!!奥で作業してたのもあったけど、何も声を掛けられなかったから全然気付かなかった…っ!ごめんね鶴さん…っ、わざわざ声掛けしてもらっちゃって…!!」
「いや、良いって良いって…っ。それよか、珈琲の注文入ったから、後頼むわ。俺は、今しがた買い出ししてきた荷物を直さなきゃならんのでな!」
「うわぁ…っ、本っ当にごめん!鶴さんが留守の間、僕がちゃんと店番してなきゃいけなかったのに…っ。お客さん、何名くらい…?珈琲は幾ついるの?あと、注文の珈琲ってお店おすすめのヤツで良いの?」
「オイオイ、そう慌てるなって…!焦らなくとも、たぶんまだ来たばっかりだったんだろうからさ。客は女性お一人さんで、注文は当店おすすめの珈琲を一つだそうだ…っ。それくらい、お前なら簡単に作れるだろう?」
「女性のお客さん一名に、当店おすすめの珈琲を一つだね…?オーケー!僕に任せてよ…っ!さっきの失敗をカバー出来るくらい、格好良く淹れてみせるね!!」
「おうっ!その意気だぜ、光坊…!!ついでに、彼女のハートも鷲掴みにする程惚れさせちまえ…っ!」


実にテンポの良い会話だが、奥に居ると言えども、そのボリュームはかなり大きいもの故に筒抜けである。

おまけに突っ込みたいのだが、私を惚れさせるって何だ。

ただ珈琲を淹れるだけの作業だろう。

最早、静かでお洒落な店の空気ぶち壊しな会話の内容であった。

というか、店の雰囲気に似合わない内容である。


「いらっしゃいませぇ!こんっ、にち、ゎ………っ、」
『…ぁ。』


オーナーさんと話を終え、珈琲を作る担当の人だろう、奥から慌てて出てきたのは…まさかの先日告白紛いの事をしでかしてくれた、あの長船さんだった。

向こうも客が私だとは思っていなかったようで、出てきた途端私と目が合うと、その目を大きく見開いて固まってしまった。

言いかけていた定番挨拶も途中で言い詰まり、語尾になるにつれ尻萎みしていった。

互いに驚いていた為、数秒間見つめ合ったまま、その場でフリーズした。

先に動きを取り戻したのは、長船さんの方だった。


小鳴ささなきさん…っ!また来てくださったんですね…っ!!」
『ぇ…っ。えと、まぁ…、はい……っ。(嗚呼…そういや偽名を名乗ったんだっけか…。面倒くせぇ。)』


相手が私だと理解した瞬間、嬉しそうに「ぱぁあ…っ!」という効果音が付きそうな程の笑顔を浮かべて、嬉々として嘘で教えた偽名の名前を呼んできた彼。

それを、大人の対応で、一応それとなしな笑みを浮かべて受け答えるが、内心では彼とは真反対の反応だった。

故に、返した返事も酷くぎこちないものであった。


「また来てくださって凄く嬉しいです…!先日、初めてお逢いしたにも関わらずいきなり変な事を言ってしまったので、もう来てくれないかもって思ってました…っ。なので、来て頂けて良かったです…っ!」
『…はぁ、まぁ…、あの珈琲がどうしてもまた飲みたくなったので来ただけですよ…。(自覚はあったんですね、初対面でいきなりやらかしたとは…。)』
「それでも、僕は嬉しいです…っ!またこうして貴女と逢えましたから…!」


あの日、帰り際に浮かべていた、あの蕩けた笑みでまた此方を見つめてきた為、何故か頬が赤くなってきて顔を俯ける。

ついでに付け加えると、彼が放つ甘そうな空気というか、そういう雰囲気に慣れないのだ。

だからといって拒絶ではないが、そんな反応を取ってしまう自分が可笑しい上に悲しい。

もっと格好良くクールにビシッと決められていたなら良かったのだが、残念ながら自分にそんなところは無かった。

思わず、彼の甘い視線に堪え切れずに逸らしていると、彼は優しめな甘い声音で言葉を紡いできた。


「まさか、お客さんが小鳴さんだとは思ってなかったから、飛んだ格好悪いところを見せちゃったなぁ…。お待たせしてしまって、ごめんなさい…っ。今、ご注文の珈琲お作りしますね…!」
『はい…お願いします……。』
「飛びっきり美味しいのを淹れてきますんで、ゆっくり寛いでお待ちくださいね…っ!」


営業スマイルも、此処までくればいっそ清々しく思えてくる。

眩し過ぎて視界が痛い事に変わりはないが。

彼が少しの間離れている間に、そっと溜め息を吐いて落ち着きを取り戻す。

何故かは分からないが、彼と居ると妙に調子が狂う気がする。

どうせ一時の事だ。

興味を失えば、こんな風に話しかけてくる事も無くなるだろう。

暫しの間の辛抱だと心の内で諭し、先日と同じ窓際の席で外の景色をぼんやりと眺めた。

そうしていたら、奥に引っ込んでいたオーナーさんが、用が済んだのだろう、店のロゴの入ったエプロンを身に着けて出てきた。


「何だか随分と親しげに話していたみたいだが…、あの子と知り合いだったのかい?」
「うんっ、実はね…!先日、初めてお店に来てくれた人で、その時に知り合ったんだ…っ。」
「へぇ〜、成程ねぇ…。なかなかに綺麗な人じゃないか。名前は、もう訊いているのかい?」
「そりゃ勿論…っ!小鳴奈乃ささなきなのさんって言うんだ。」
「ありゃ…?そうなのか?」
「うん。本人から直接聞いたから、間違いないと思うよ?」
「ふぅん…、そうかい。まぁ、程々に頑張れよ、光坊…!(俺が聞いた名前と違うっつー事は、こりゃ何かあるな…?)」


意味深に頷いた彼は、ご機嫌な様子でいそいそと珈琲を作っていく仕事仲間を見つめた。

彼の知らぬところで目を細めた鶴丸は、一つ思い、件の彼女の元へと歩み寄っていく。


「よぅ、待たせちまってて悪いな…!もうちょっとで出来るから、もう少しだけ待っててくれな。」
『あ、はい…っ。わざわざどうも有難うございます…!』
「ところで、君…光坊とは知り合いだったんだな!さっきの会話が聞こえてきてたもんで、勝手ながらに親しそうだなぁ〜なんて思ってたんだが…。どうだい?光坊はなかなかに良い男だろう…?思わず惚れちまうくらいにはイケてる男だと思わないかい?」
『はぁ……まぁ、確かにそう、ではありますよね。』


作業の合間に余計なちょっかいを出されては堪らないとカウンターの中から背を向けたままに彼が、「ちょっと…っ、鶴さん?彼女に変な事吹き込まないでよー?」と釘を刺してくる。

しかし、この者の性格上、時既に遅しなのであった。

歯切れの悪い返事を返した彼女に、内心首を傾げた鶴丸は、彼女の方へ顔を近付けると声を小さくして本題を切り出してきたのだった。


「…なぁ、ところで話は変わるんだが……君、どうして俺には光坊に名乗った名前とは別の名前を名乗ったんだ?」
『ッ…!そ、それはぁ………っ、』
「俺の勘だが…恐らく、俺に名乗った名前の方が本名で、光坊に名乗った名前の方が偽名なんじゃないかと思うんだが…違うか?」


彼女からしてみれば、今日が初対面の人間にこうまで迫られてしまえば、些か威圧感を感じずにはいられない事であろう。

だが、彼にとっても、大事な仕事仲間の将来の大切な人に成り兼ねん相手ともなれば、問い質さずには居られなかったのだった。

そして、この問に返ってきた彼女からの返答は、唇に人差し指を当てての…、


shシー…ッ。』


というものだった。

つまりは、“秘密”…“言えない”という事であった。

それもその筈。

彼の背後には、淹れ立ての珈琲を手に持った当人が来てしまっていたからなのであった。


執筆日:2018.03.23
加筆修正日:2020.03.10