旅を見送るために


そろそろ来る頃だと分かっていた。

今よりもっと強くなる為に、此れからの戦に備える為に、己の芯と向き合う修行の旅へと出る事を。

極の修行へ出ていく順番は、大方が政府より許可を許された順から各々の本丸にて顕現した順となっている。

先日が、二十一振り目の蜂須賀の宣言する番だった。

だが、申し訳ないけれども、彼よりも先に修行の旅へ行かせたい者が居るのだと断らせてもらった。

そして、今日が、当本丸の二十二振り目として顕現した彼の宣言する番だった。

障子の向こうに、彼の影が映る。

其れを前以て理解していた私は、諸々を準備して待っていた。

満は持した。

静かに障子が開かれ、彼が顔を覗かせる。


「おっ、良いところに居たな」


僅かに高揚した様子を見せるかんばせで、此方を見遣った。


「そろそろ来る頃かなと思ってたよ」
「何だ、アンタには初めから何もかもお見通しってか?ははっ、流石主だな…伊達に二年やってきちゃいないか」
「この間、はっちーが申請に来たからね。順番で言ったら、次はたぬさんだろうなって分かってたから、当然の事だよ」
「審神者業もすっかり板に付いたって顔してんな。…その調子なら、無駄な心配はせずに済みそうだな」


そう言い終えた途端、彼の纏う空気が引き締まった。

自然と顔付きも真面目なものに引き締められ、真剣な色を乗せた金色の視線が真っ直ぐと私に注がれる。

その空気に、私自身も居住まいを正して向き直った。


「たぶん、もう俺が此れから何を言おうとしてるかなんて、アンタにはお見通しなんだろう事は分かってる。…だが、敢えて俺の口から直接言わせてくれ」


彼の真摯な言葉に、私は静かに頷き返して見つめ返す。

その様子に、彼は再び口を開き、ずっと言いたかったんだろう文言を口にした。


「主であるアンタに、頼みがある…。俺を修行に行かせてくれ」


まるで、断られる前提で用意された台詞のようにも聞こえた。

其れもそうか。

彼の前に申請してきた者達のほとんどが私に断られていたのだから。

修行に出る為には、政府からの許可と審神者の許可、二つの条件が揃っていないといけない。

初期刀の清光と脇差の鯰尾を除いて、他は全て短刀の子達のみを許可してきた。

だからだろう。

僅かに緊張した面持ちを浮かべているのは。

だが、その様子とは反して、私の座すすぐ後ろの背景…用意された諸々を見れば、応えは明らかだった。

私としても、待ちに待ったこの日に、少しばかりの緊張を滲ませて目を伏せた。

そして、再び眼を開いたその先で、改めて固めた決意を音に乗せる為に口を開く。


「…分かりました。たぬさんが修行に出る事を、許可します…っ!」
「ッ…!本当か…っ!」
「うん…っ、勿論だよ。前々から、たぬさんには早めに修行に出てもらおうかな、って考えてたから。打刀では、清光の次に行かせたいと思ってたから…丁度良いタイミングとなる時期まで待ってたんだ。満を持しての、本日たぬさんの修行へ出発する日なのです…っ!」


一瞬詰めていた息を吐き出すように安堵した様子の彼が、喜色に滲んだ表情をかんばせに乗せる。

その様子に、改めて許可して良かったと思った。

だから、本音を語ったら、凄く寂しくて泣いてしまいそうだったけど、情けない姿は極力見せたくはないからと必死に隠した。

其れでも、若干眉尻が下がり気味となってしまっている事には、どうか気付かないでいて。

貴方のせっかくの大切な機会を、私の惨めで幼い未熟な気持ちで潰したくはないから。

主足る者らしく、笑顔を浮かべて気丈に振る舞ってみせよう。


「はいっ、修行行く用の一式セット!一通り全部揃ってるから、忘れずに全部持ってってね」
「おう。ありがとな、主。まさか、もう準備してくれてるとはな…っ。やっぱ俺の主は分かってくれてんな」
「んふふ…っ、そりゃ勿論でしょ!だって、俺、この本丸の主様ですもの…!……俺は皆の事が好きだから、何時だって皆の事を考えてる。だから、こうして極める為の修行へと出せるまでに強くなってくれて嬉しいと思うし、同時に此処まで俺に付いてきてくれて有難うって思ってる…。本当にありがとね、たぬさん」
「何だよ、急に改まって…っ。俺達は武器なんだから、強くなってくのは当たり前の事だろ?主であるアンタを守る為にも、此れから先に待ってる強敵が潜む戦場へ向かう為にも、俺は修行に出て今よりもっと強くなってみせる。修行から帰ってきた暁には、今よりもっと活躍してみせっから、アンタは安心して此処で待っててくれ。……俺が帰る場所は、アンタが居るこの本丸だからさ。俺が居ない間、寂しい思いさせちまうかもしれねぇけど、加州達と一緒に待っててくれ。修行を終え次第、必ずアンタの元に帰ってくるから。だから、今日だけは俺の我が儘、聞いてくれ」
「……うん…っ、分かってるよ。大丈夫…俺の事は心配しないで。たぬさんは、たぬさんの遣りたい事を遣ってきて良いから。俺は、大丈夫だから。本丸でたぬさんの帰りを待つよ。だから、修行行ってらっしゃい」
「おう…。修行の許可出してくれた事、改めて感謝する」


何時になく真面目な態度で頭を下げた彼に、私も倣って仰々しく頭を下げた。


「どうか、貴方に加護があらん事を。…ご武運を御祈り致します」


主である私が彼等に出来るのは、此れぐらいの事しか出来ない。

ならば、彼等からの唯一無二の我が儘を聞いてやろうではないか。

ゆっくりと顔を上げた時には、もう揺るがなかった。

今日、この時、私は彼の修行へ旅立つ背を見送る。


―旅支度を済ませて門前に立つ彼に、最後の約束だと彼の元へと歩み寄った。


「たぬさん。旅立つ前に、此れを渡しとくね」


見送りに出てきた皆から少し離れた門前で、彼の手に或る物を一つ握らせた。

其れを見つめた彼は、不思議そうに首を傾げて此方を見遣った。


「何だ、此れ…?」
「たぬさん専用に作った御守り…。本当は、修行へ出るのに持ってく物は、政府から許可された物以外持って行けないのが決まりなんだけど…秘密って事で。持ってって欲しいんだ」
「俺専用…って事は、他の奴にも別に用意してたのか?」
「ううん…っ、此れはたぬさんにだけ用意した物なの。たぬさんが修行先でも無事で居られますように、って…。修行先まで審神者が付いていく事は出来ないからね。特別に俺の霊力を込めて作った物なんだ。だから、最初で最後の一点物。貴重でしょ…?」
「…嗚呼、こりゃ死んでも折れらんねぇし、絶対ェ帰ってこねぇーとアンタが恐いぐらいに怒りそうだな」
「ちょっと、もう…っ!この際になって死ぬとか折れるとか不吉な事言うんじゃありません…っ!俺、泣いちゃうよ!?」
「冗談だよ…。分かってるって。ちゃんとアンタの元に帰ってくる。アンタの知らねぇ処で勝手に消えたりなんてしねぇさ。だから、泣くなよ。アンタが泣いちまったら…俺の決意も鈍りそうだからさ」
「大丈夫…っ!極力泣かないって決めたから…。流石に何度と修行に出すの許可してて、そのたんびに泣く訳にもいかないからね」
「はは…っ、其処で“絶対泣かない”とは言わねぇんだな?」
「…悪かったね、俺が泣き虫で。仕方ないだろ。情緒不安定になると勝手に涙腺緩むんだから。一旦緩むと歯止め利かなくなるんだよ。たぶん、“泣かない”って決めたとしても自分絶対泣くわって分かってるから、敢えて“極力”って事にしたの。情けねぇ事この上ねぇから、あんま言わせんな、阿呆…!」


きっと此れが最後だ。

私は心の内で覚悟を決めて、御守りに全てを託した。


「…この御守りには、俺が前に切った時の髪を編んで糸と一緒に織り込んであるから…。遠い西洋の国でね、髪を糸と一緒に編んで布を作る、一種の古い伝統めいた文化があるの。昔から、髪には魔力が…力が宿ってるからって。聞きかじった其れを真似て、この御守りを作ったんだ。…俺、不器用だからさ。裁縫とかも下手くそで、ちょっと不恰好になっちゃったかもだけど…たぬさんの色に合わせて黒くしたから。たぶん、そんなに変にはなってないと思う。普段持たせてた御守りとは違うかもだけど…きっと絶対にたぬさんの事、守ってくれるから。大事に持ってて…」


失くさないように、しっかりと手の中に握り込ませて、その掌の温もりを忘れないように両手で包み込んで額をくっ付けた。

どうか、彼が無事帰ってきますように…と、まじないを掛けるように。

願掛けのように祈った。

其れを受けて、彼は軽く私の身を引き寄せて肩を抱いた。


「…ありがとな。俺の為に作ってくれて。大切に持って行かせてもらうぜ」
「うん…。絶対、無事に帰ってくるんだよ。もし、帰ってこなかったら…俺、地の底までだって探しに行っちゃうからね。きっと、滅茶苦茶泣いて泣きまくって、もう此れ以上は涙出ない、枯れちゃうよってくらい泣きまくるから…っ。其れが嫌なら、ちゃんと帰ってこいよ…!」
「はは…っ、最後の最後で脅迫染みた見送りとは、アンタらしいな」


軽いジョークを笑って受け流した彼は、もう一度だけ強く私の身を抱き締めると、身を離して此方を見据えた。


「んじゃ、今度こそ行ってくるぜ。絶対に強くなって帰ってくっから、期待して待ってろよ」
「おう…っ!勿論だとも!全力待機で期待して待ってるから!帰ってきたら、そっちこそ期待してろよ…っ!今よりもっと鍛えてやるんだから!!」


お互いに笑い合ってから、頷き合い、覚悟を決める。

さあ、彼の門出を祝おう。

新たな道を切り開く為の、彼の旅路に幸多からん事を願って。

背を向けた彼に向かって大きな声を張り上げて告げた。


「いってらっしゃい、たぬさん…っ!旅先でも気を付けてね…!!」


その言葉に応えた彼が、後ろ手に手を振って返した。

彼の頼もしい大きな背が、門の向こうへと消えていく。

次に、彼と逢う時は、きっと今よりも逞しく強くなった背中で帰ってきた時だ。

彼の背が見えなくなるまで、大きく手を振って見送り続けた。

彼の姿が完全に見えなくなり、彼の存在が確実にこの本丸から居なくなったのを感じてから、その手を下ろす。

そして、今まで我慢して堪えていたものが決壊するように、涙が一筋の跡を作って頬へと伝った。

此れで、良かったのだ。

何の後悔も無い。

だけど、心に大きな穴が空いたみたいに寂しくなって、遂には堪え切れずに涙した。


「主……」
「………御免ね。極力泣かないって決めてたんだけど…やっぱり駄目だったみたい。…何時も側に居てくれたたぬさんが居ないのは…、清光や前田君、薬研が居ないのと同じくらいに寂しいや……っ。…さっきまでは、ギリギリ持ち堪えてたのになァ…やっぱり、俺ってば情けないね。此れぐらいの事も普通にこなせないだなんて…」


彼が旅立ってすぐ、私の隣に近侍に据えた御手杵が来た。

彼が不在の間、自身の役目を任せる為に、彼自ら指名した相手だった。

勿論、誰が近侍になろうと信頼に値するのだけれども、やはり彼自らが信頼における相手を据えてくれた事には感謝しかない。


「…やっぱり、正国が居ないのは辛いか…?」
「……そうだね…。本音を言ったら、凄く寂しくて死んじゃいそうなくらい辛い、かな…」
「うえぇ…っ、死なれるのは困るから、頼むから死なねぇでくれよぉ…っ!」
「ははは…っ、大丈夫…っ。今のはものの例えだから、彼奴が居ない処で勝手に死んだりなんてしないよ…。……でも、今だけは、御免ね。少しだけ…泣かせて頂戴ね…っ」


すぐには泣き止めそうにないから。

今、少しだけ泣かせて欲しい。

彼を無事に見送る事が出来るよう堪えてた分だけでも良いから。

暫くしたら、きっと泣き止むから。

そしたら、前を向けるから。

ちゃんと審神者足るべき者としての顔に戻るから。

…だから、今だけは涙を流す事を許して。

彼の無事を祈って見送った私を、『頑張ったね、偉いね』って褒める代わりに。


「…大丈夫ですよ、主君。僕達が側に付いていますから」
「大将の事は、何が何でも俺が守ってやるよ」
「だーかーら、そう心配しなくて良いからね…っ!彼奴ならきっと大丈夫だよ。何たって主の刀なんだから、ちょっとやそっとじゃ折れやしないって。主だって分かってるでしょ…?彼奴が強い刀だって事」


前田に薬研、清光が続いて言葉をかけてくれる。

その言葉に含まれた気遣いと優しさを受け取って、私は再び顔を上げる。


「…そうね、同田貫は“折れず曲がらず”で有名な剛刀だものね…。うん…、分かってる。大丈夫だよ。次に顔を上げる時は…もう前を向けれるから」


涙を流すのは、今この時だけ。

後は、彼が帰ってきた時のみである。

乱れた心に落ち着きを取り戻すように、深く息を吸い込んで深呼吸をする。

大丈夫。

俺も、前と比べて少しは成長したから。

次に顔を上げたら、その時が来るまで、もう泣かないよ。

ぎゅっと目蓋に力を込めてから目を開く。

大丈夫。

私は、彼を信じてるから。

前を向いて歩いていける。

落ち着きを取り戻した顔で、スッと頭を上げた。

もう、みっともなく泣き腫らしたりなんてしないから。

彼の帰還を、皆と待とう。

きっと、彼は晴れやかな顔をして帰ってくるから。

そしたら、宣言してた通りに“極力泣かなかったよ!”って言ってやろう。

そう言ったついでに、思い切り彼に抱き付いてやろう。

“お前が居なくて寂しかったけど、頑張ったんだぞ!誉め称えろ!!”…ってね。


執筆日:2020.06.05
Title by:ユリ柩

-
表紙 - 戻る