長かった髪を切る切なさに、込み上げる涙が頬を濡らす


あまりにも伸ばしっ放しで邪魔になるからと、思い切って髪を切る事にした、今日。

切るのは、鋏の扱いに慣れた薬研にお願いした。

現世に帰って床屋や通い慣れた美容室に行って切っても良かったが、其れだけに現世に帰るのは色々と手間だったのもあり、此方側に居るまま切る事にしたのである。

部屋の真ん中に敷布を敷き、切った髪が落ちても良いようにして、首回りにタオルを巻き、服を汚さない為のビニールカバーを上から纏って椅子に腰掛ける。

乱ちゃんが用意してくれた大きめの鏡面を前にして、いざ散髪式へ。

…なんて、ただ伸ばしっ放しにしていた髪を切るだけなんだけど、真剣な様子の彼に少しだけ苦笑してしまった。

ちなみに、最初こそ見物人として乱ちゃんやその他何振りなんにんか居たのだが、切るのに集中出来ない+色々とうるさいとの事で皆追い出されてしまったのである。

私としても、髪を切られている最中ずっと誰かの視線に見られているのは何だか気まずかったので、ある意味助かった。

前以て風呂場で髪を濡らしてきていたので、準備は万端である。

一応、途中で乾いた時用に霧吹きも用意してあるし、後は長さを何れくらいにするかの話だろう。


「よしっと…うるさい外野も追い払った事だし、早速切るとすっかねぇ。大将的には、何れくらいの長さがお好みだい?あと、何か希望の髪型があるんなら、何でも良いんで資料見せてくれ。出来るだけ近い形、理想の形に切ってくからよ」
「んー、特に此れっていう髪型の希望は無いんだけど…まぁ、パッツンはあんまり似合わないから、其れ以外の髪型で…。こう言うと前田君や平野達に申し訳ないんだけど、昔子供の頃やってマジで似合わなかったからさ…っ」
「了解した。じゃあ、なるべく真っ直ぐ切らないようにすりゃあ良いんだな?分かったよ。取り敢えず、縦に鋏入れて切ってみっか」
「シャギーってヤツだね。其れでお願いするよ。あ…でも、今の俺かなり長いから、一回程好いくらいでバッサリいってからじゃないと整えづらいかも…っ。軽く一つに結って纏めてから、一回バッサリやっちゃって」
「ふむ…ちなみに、具体的な長さはどうする?」
「うーん、そうだなぁ…。せっかくだし、この際バッサリ短くしたいから…薬研や謙信君ぐらいの長さにしたいかな」
「随分バッサリいくんだなぁ〜。其れだと、かなり切っちまう事になるが…良いのかい?」
「何が?」
「大将は俺達男と違って女だろ…?未練とか無いのか、って話だ」


唐突に問われた事に、私は一寸ばかり悩んですぐに答えを出して返した。


「ん〜……逆に、今のまま長いままで居る方が何か未練残りそうだから…っ、もう思い切ってバッサリやっちゃって?」
「そうか…まぁ、大将がそう望むんなら、俺は何も文句は言わねぇよ」


私の返した返事に思い至る事でもあったのか、少しばかり顔を曇らせた彼であったが、すぐに元の表情へ戻すと何時もの調子に戻って再び問いかけてきた。


「だが、一回バッサリ切るのは良いが…その切った長い髪、どうする?そんまま捨てちまうのには忍びない長さと綺麗さなんでな。記念に取っときたいって事なら、紐で結わえて一つに束ねて箱なり袋なりに入れて保管しとくが?」
「確かに、この長いのを切ってそんままポイッて捨てちゃうのは何か勿体ないよねぇ〜。…ふむ、せっかくだから取っとく事にするよ。後で何かしらに使えるかもしれないし。昔から、髪の毛には魔力だとか力が込もってるって言うからさ」
「ほう。んじゃ、さっき言ったみたいに束に結わえて保管しやすいようにしとけば良いんだな…?了解した。そんじゃあ、切り始めるとすっかねぇ…!大将はそのままリラックスした状態のまま、前向いてじっとしてろよ。下手に動かれちゃ、変なとこ切って怪我させちまうかもしれねぇからな。頼むから、何か動くなら声かけるなり合図するなりしてくれ」
「ほーい、了解でぇーす。そんじゃ薬研さん、お願いしますね〜」
「おっし、この俺っちに任しときなァ…!超絶美人な別嬪さんに仕上げてやっからよォ!」
「ふは…っ!超絶美人て……っ、普通で良いよ普通で!」


そんな軽い遣り取りを交わした後に、再度念入りに髪を濡らされ、一度下の方で一つに束ねると其れを気持ち少し上辺りで切り、切った其れは一つに束ねたまま綺麗に纏めて横に置いておき、後で丁寧に乾かして保管しておく事に。

そして、その後は私の希望通りの長さに整える為、シャキンシャキン…ッと迷い無く鋏を動かしていった。

切られた髪達がはらはらと敷布を敷いた床へと落ちて散らばっていく。

その様子は、何処となく儚く切なくて、自然と私は無口となって口を閉ざしていった。

彼自身も切るのに真剣になっているからか、あまり会話を投げかけてくる事はなく、ほとんどお互いに無言でいる間が過ぎていった。

あまりに真剣だから、ちょっとだけ気になって声をかけてみたら、彼曰く、「下手に喋って手元が狂っちまっても申し訳ねぇから」だそうだ。

まぁ、今回初めて頼んだ事だし、緊張するのも無理はないだろうけど…其処まで真剣になられても逆に申し訳なくなるような気がしてならない。

かと言って、今更下手に口を開くのも憚られたので、その後も黙って髪が切られていく様を鏡越しに眺めた。

散髪し始めて改めて思うが…本当私の髪って長かったんだなぁ、と半ば他人事のように染み染み思った。

確かに、切る前は胸元ぐらいまでに伸び切っていたが、其れをバッサリ短くするからか、一気に切られて短くなって後ろがスカスカする心地だ。

きっと、全体を切り終えて洗い流し、髪も乾かした後になった頃には、すっきりと頭も軽くなっている事だろう。

髪を切った直後のあの感覚は清々しいものだから、久し振りの短さもあって楽しみである。

少しだけワクワクとした心持ちでカットされていく様を見つめていると、顔に出ていたのか、鏡越しに目が合った薬研にクスリ、と笑われてしまった。

大人なのに、子供染みた反応だと思われただろうか…。

そう内心不安視していると、彼からは全く別の事を心配していたと聞かされた。


「何だァ?大将、思った以上に楽しそうな顔してんなぁ。そんなに俺に髪切られてんのが嬉しいのかい?」
「んふふ…っ、まぁそんなとこかな…?薬研に髪切ってもらうって事実が、何だか擽ったいのもあったんだけど…純粋に嬉しくてさ。あと、切った後の感覚が今から楽しみで…っ!」
「ははっ、成程なぁ。俺っちは、てっきり真逆の顔になっちまうんじゃないかと思って、ちぃとばかし心配してたんだが…杞憂に済んで良かったよ」
「うん…?何で心配されてたの?俺…」
「だって…この髪は、大将が審神者になる前から伸ばしっ放しにしてた髪だったって話じゃねーか。其れを、この機会にバッサリやっちまうってんだから…何か色々と思う事あるんじゃねぇかと勝手に思っちまってただけさね。何も杞憂に思う必要が無かったってんなら、其れだけの話さ。気にすんな」
「………薬研は、何時だって俺に優しいね。…時々、その優しさが凄く痛い気がするよ…」
「…そりゃあ、大将がちゃんと生きてるって証拠なんじゃないかね…?少なくとも、俺っちはそう思うぜ」
「はは……っ、やだなぁ、もう…薬研たら本当おっとこ前なんだから…っ。そんなん言われたら……思わず泣きそうになっちゃうじゃんか…ッ。惚れたらどうしてくれんの……?」
「ふ…っ、そんときゃあ責任取って、大将の事ちゃあんと泣き止むまで抱き締めてやるし、惚れられた分好きな気持ちを返してやるさ。俺っちの器のデカさが折り紙付きなのは、大将も知ってんだろ…?」
「…うん……っ、知ってるよ…。――だから、今だけはちょっとの間だけ泣いてても良いかな…?何でか急に涙が溢れてきてさ…すぐに泣き止めそうにないからさ…っ。その、急に泣いたりして御免ね…?少し泣いたら落ち着くと思うから、今暫くはちょっと待ってね…。切る手は止めなくても良いから……御免ね」
「うんにゃ…別に謝るこたぁないぜ、たーいしょ?今、此処には俺だけしか居ねぇんだ。気にせず好きなだけ泣いて構わねぇぜ」
「…ん…ありがとね、薬研…っ。有難う…っ」
「ん…、どーいたしまして」


彼からの思わぬ言葉と気遣いに、つい込み上げてきた感情が言う事を聞かずに涙腺が緩んではらはらと涙が頬を伝って落ちていった。

まだ髪を切っている最中だったのもあって下手に動くのも憚られたので、手で拭う事も出来ず、涙はそのまま頬へ流れて筋を作り、ポタポタとカバーのビニールを濡らしていった。

彼と話している途中から目は潤んでしまっていたのだけども、一度溢れてしまうのを許したら、涙は後から後へと続いて溢れてしまう。

すっかり目蓋と鼻頭を真っ赤に染めて不細工になってしまった顔をあまり見られたくなくて、せめてもの抵抗に目を塞ぎ、視界を閉じる事で鏡に映る情けない自分の面を見ないようにした。

そしたら、彼から再び思わぬ言葉を投げかけられてしまった。


「―綺麗だぜ、今の大将。ちっとも不細工なんかじゃねぇから、そんな申し訳なさそうな顔しなくて良いぜ…?大丈夫だ、今の大将は本当に綺麗で美人だから、俯かず前向いて胸張ってな。――此れは、嘘でも御世辞なんかでもない。全部本当の事さ。…俺から見たら、今の大将は凄ェ別嬪さんだよ。そんな大層綺麗で別嬪さんな姿の大将を見れて、俺っちは幸せ者だな」


もう何も言えなかった。

何も返す事が出来ない程、温かなものに胸が満たされて、込み上げる熱さに次から次へと溢れ来る涙で頬を濡らしていった。

嗚呼、きっと後で隠し様が無いくらい真っ赤に染まって腫れてしまうんだろうな。

そう思いはすれども、今その流れる涙を止める事は叶わなかったので、流したまま頬を濡らす。

時折、切った髪の毛を払うついでにティッシュで拭う動作が見えたけど、視界が歪んでよく見えなかった。

でも、きっと彼は今、非道く優しい顔付きでそっと寄り添ってくれているんだろうな…という事は分かったから。

私も何も言わぬまま、彼に涙を拭ってもらうのだった。


―其れから暫く経った頃、すっかり切り終わった髪の毛は切り始めの頃と比べて随分とすっきりしていて、見るからにバッサリと短くなったお陰か、かなり頭が軽くなった気分だった。

彼処まで長かったのだから、そりゃ頭が重くても仕方なかっただろう。

今やさっぱり短く軽くなったから、随分と頭が楽で丁度良い。

髪を切る前とは全然違う心地に、私は素直な感想を述べて彼に向き直った。


「有難う、薬研…!お陰様で随分とさっぱりしたよ!此れで、一時髪結ばなくても良くなったから楽だし、何より頭が軽い…っ!髪の重みで頭痛に悩まされる事も無くなるから、一石二鳥だね!!」
「ははっ、喜んでもらえたのなら切った甲斐があったってもんだな。最後に最終確認として仕上がりを訊くが…長さはそんくらいで良かったかい?一応、始めに聞いた希望通りに切ったが」
「うん、此れくらいで大丈夫、丁度良いよっ」
「始めに希望聞いた時、俺か謙信の奴くらいの長さでって言われたから…流石に俺っち寄りに寄せると後ろが長過ぎるかもと思って謙信寄りにして、俺っちよりは少し短めのショートにしたぜ。初めて兄弟以外の髪切ったから、ちと緊張したが…まぁ何とか失敗せず上手く行って良かったよ。ふぅ…っ、取り敢えず、あとは切った後の片付けだけだな。お疲れさん、大将。ずっと同じ体勢で固まって窮屈だったし、疲れたろ…?」
「ん〜…まぁ、ちょっとだけ…っ。おもに泣いた事による疲れだから、そんな全力で疲れたとかではないから大丈夫」
「おう、その件だが…今暫くはちっと目の回り冷やしといた方が良いかもだぜ?赤みはもうだいぶ引いたみたいでも、まだ腫れはばっちり残ってるからな。他の奴に見付かる前に冷やしときな。さっき髪洗い流すので移動した時、こっそり保冷剤持ってきたからさ」
「全くもう、用意が早いこって……。ふふ…っ、でも有難う。有難く使わせてもらうね」
「ついでと言っちゃあ何だが、全部片付くまで兄弟等他の奴等には部屋に入ってくんなって言っちまってるから…もう暫くは俺っちと二人きりだから、好きなだけ休んでてくれて良いぞ。その間、俺っちは散らばった髪とかの片付けしとくからよ。――ちなみに、さっきのに補足しとくと…大将が泣いちまってた事も此処だけの内緒だから、此れは二人だけの秘密な?」


私は、その彼の悪戯染みた表情に頷いてみせて、笑い返した。


「そだね…っ、さっき私が泣いちゃった事は此処だけの秘密だから…二人だけの内緒だね?ふふ…っ、了解…!」


彼が声を潜めて内緒話をするように口許に人差し指を宛がってきたから、私も其れに倣って人差し指を口許に掲げ、小さく笑う。

お互いに内緒だと誓い合う此れは、二人だけの秘め事である。

彼の気遣いから生まれた出来事であったが…もしかしたら、始めからこうなる事を分かっていて敢えて人払いするように彼等見物人を追い払ったのかもしれない。

もし仮に其れが本当なのだとしたら、本当に彼には頭が上がらないばかりである。

この本丸を築いた初日から今までずっと側で寄り添ってくれている、初泥刀として顕現した彼に、心の底から感謝の念が込み上げる。


「…本当、何時も有難うね、薬研…」
「うん…?何だ、急に改まって」
「ううん…特に意味は無いんだけど、何か今そう伝えたくなって言ってみただけ。気にしないで」
「まぁ…大将がそう言うんなら?」


一瞬不思議そうな顔をした彼に、私はそう返して微笑んだ。

そして、有難く彼から受け取った保冷剤をタオルに包んで目元に宛がう。

腫れて熱を持った目蓋に、保冷剤の冷たさが冷たくて心地が良かった。


執筆日:2020.09.05

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