ふとしたアクシデントにより生まれた絆


「は…?書類のコピーを紛失した?」
「はい……っ、申し訳ありません…」


 本元は政府に遣える管狐であるこんのすけが本丸に慌ただしくやって来るなり口にした事を、半ば呆気に取られながら鸚鵡返しにそう言う。
すると、彼は小さな躰を更に小さくするように縮めて頭を下げてきた。
何だか端から見て私が苛めてるみたいでやだな…。
 取り敢えず、頭を上げさせて詳しい事情を聞こうと話を促した。


「はぁ…。まぁ、端に書類を紛失しただけならわざわざ俺に報告してくる事なんて無い筈だけど、其れをしてくるって事は何か不味い事になってんのは理解した。……で?その失くした書類ってのは、一体どういった類いの物よ」
「それが…実はそれなりの重要枠として保管されている書類でしてぇ…。主様の履歴に関する重要書類だったのです……っ」
「は?俺の履歴って…え。もしかして、アレか?審神者になる時に提出させられた何か色んな書類系の事…?審神者になる前はどんな事してて、何処の学校出てきたか〜とか書いた…アレ?もしくは、どんな資格持ってるかの証明書系か?」
「はい……、まさしくそう言った類いの物になりますぅ…っ」
「え〜っ!其れってだいぶ前に出したヤツだから、今更新しく提出しろって言われてもすぐに出来ないよ!?要は履歴書系って事なんでしょ、失くしたのって…!」
「はい…、其れ等系統一式を丸々……っ」
「一式丸々て…政府は一体何やってんのよ。審神者に関する重要書類失くすとか、どんだけ管理杜撰なのよ、全く……っ!」
「本当に仰る通りで弁明の仕様もございません…!」
「はぁー……っ、まぁ百歩譲って失くした物は仕方ないとしてもよ。その失くした書類を上はどうしろと…?加えて、失くした書類がどの書類なのか、もう少し詳しく教えてもらおうか」
「はい…!その、今回紛失致しました書類は、主様が審神者就任時に提出されました履歴書と取得資格の証明書等のコピー全部です…っ!!」
「マジかよ。提出した内のほんの一部だけかと思いきや、ほぼ半数失くしてんじゃねーか。飛んだミス犯してんじゃねーかよ、おい。ふざけんなクソが」
「この度は本っ当に申し訳ございませんでした主様ぁーっっっ!!上に代わって私めが誠心誠意謝罪させて頂きますぅーーー!!」
「いや、謝罪とかんなもんもらっても困るんだわ。誠意見せてくれるってんならさぁ、詫びの品か何か形で分かる物寄越せって話なんだよ。分かる?管狐のこんのすけさんやァ」
「はい!それはごもっともですよね!?分かってます!!上も承知の上で、後日詫びの品として資材一式を各十万ずつ此方の本丸宛へ転送するよう手配するとの事ですので、一先ずは其れで手を打ってはくださいませんでしょうか…!!お願いしますから、狐鍋は…っ、お命だけはどうか勘弁してくださいましぃ〜……ッッッ!!」


 ひたすら謝り倒すこんちゃんは、そう言って額を畳にめり込む勢いで擦り付けた。
いや…狐鍋て何よ。
何もお前の事取って喰ったりとかしねぇっての…。
そもそも、狐って喰えるの?
狸が喰えるのは知ってるけど…知識として知ってるだけで実際喰った事は無い。
 そんなこんな騒いでいたら、席を外していた近侍の刀が戻ってきたようで。
執務室である部屋の障子がガタリ、と開かれた。


「何騒いでんだ、アンタ等…?」
「あ、狸がどうとか考えてたらたぬさんがいらっしゃった」
「あ゛?狸がどうしたって?」
「いや、御免。全然関係無いっす。忘れて…」
「はぁ。…で、何か喚いてたみてぇだが、何の話してたんだ?」
「それがさぁ…俺が審神者就任時に提出した書類の一部を紛失したって話らしくてよぉ。再提出しろとのお達しらしい…」
「はぁあ?向こうが勝手に失くしといてかぁ?」
「うん、そう。普通思うよね。“ふざけんじゃねーぞ、ゴルァ!!”…って」
「いや、そこまでメンチ切らねぇけどさ…。アンタはどうすんだよ、これから?」
「しょうがねぇから、必要書類再度提出するべく今やってる仕事そっちのけで急いで当時書いたデータと同じ物を新しく作成し直す事にするわ…しょーがねーからな」
「圧が怖ぇよ、圧が…。つか、作成するって何をだ?」
「履歴書。でも、書くにしても志望動機とか自己アピール部分何て書いたか覚えてねぇわー…。確か、本書きする前に下書き準備してたと思うんだけど、書き仕損じた分も含めて全部実家にあんだよねぇ…取得資格の証明書本体も含めて。コピー自体は、此処本丸でも何処でも印刷機さえ在れば出来るけどさぁ」
「じゃあ、一旦現世に取りに帰るって事か?」
「そうする他ないんすよねぇ、現状。…ったく、面倒くせぇ事この上無いわー。実家に帰るにせよ、一回現世戻るって事はその申請を一々政府にしなきゃいけねぇ訳だからさぁ。はぁ、クソ面倒くせぇ」
「あ…っ、あの、その件でしたら、今回は此方の不手際という事でしたので、既に上も承諾しておりまして認可済みとの事だそうです…っ」
「そうじゃなかったら苦情の電話でも一本入れてやろうかと思ってたわ。“お宅はいつも何やってんですかねぇ?”って」


 現在進行形で取り組んでいた仕事を一度中断、且つやりかけで一旦片付けてしまわねばならぬとは、全く面倒な事この上無い。
せっかくこれから今日のお仕事頑張ろうと各書類やら資料を広げてやる気に満ちていたところだったのに。
最悪だ。
今から実家へ帰るにしても、このまま部屋を散らかしたまま出ていく訳にもいくまい。
一気に底辺まで叩き落とされたテンションにあからさまにぶすくれ、イライラとした苛立ちを顔に出しながら机の上の物を片していると。
空気を読んだらしいたぬさんがフォローに回ってくれたようで、間を繋ぐ為にこんちゃんへと話しかけていた。


「なぁ、失くした書類っつーのは、今主が言ってたの以外に他にあるのか?」
「いえっ、其れ以外は全て揃っておりましたので、ご心配なく…!流石に、戸籍等の重要も重要な書類はきちんと保管出来てましたから!!」
「うん、それを聞いて安心したわ、一応はな。流石のそんな大事な書類一式も失くされてたら、管轄部署聞き出して殴り込みに行くぐらいはしようかと考えてたから」
「発想が物騒」
「ヒィ…ッ!!すみませんすみませんすみませんんんんん……ッッッ!!」
「ま、今のは冗談としてだな…」
「トーンが冗談に聞こえねぇんだよ、アンタのは…」
「履歴書と資格等のコピー以外に他必要な書類は本当に無いんだな?」
「はい!ありません!!」
「分かった。じゃ、こっちは必要な物一式取りに行く準備進めるから、こんちゃんはこんちゃんで仕事戻ってて良いよ」
「はい!!では、即刻失礼させて頂きますね!!失礼致しましたぁーっっっ!!」


 言うが早いか、部屋から飛んで逃げるように去っていったこんちゃん。
何か御免やで、八つ当たりするみたいな態度取っちゃって。
 一先ず、出掛ける準備をするべく立ち上がった私に、話を聞いていた彼が此方を向いて問うてくる。


「今から帰るのか、実家」
「うん。と言っても、長居はしないよ?必要な物取ってきたら即帰る。他に用とか無いし」
「一人で行くのか?」
「え?まぁ、物取りに帰るだけだからそのつもりで居たけど…」
「ちょっとの用でも、アンタが一人の時に何かあったら不味いだろ。最低でも一人付けていけよ」
「えぇ…っ、ほんのちょっと行って帰ってくるだけだよ?心配し過ぎだって〜」
「でも、実際に何かあってからじゃおせぇんだ。特に決めてねぇなら俺が付いてく。良いな…?」
「はぁ…まぁ、構わないけどさぁ。それならそれで、たぬさんも出掛ける準備してね?いつもの格好じゃ現世では目立つから、ちゃんと現世用の服装で宜しく頼むよ」
「分かってる。んじゃ、準備終わったらまた声かけに来る」
「はーい、了解しやしたぁー」


 そう言って部屋を出ていく彼の背を、ひらひらと軽く手を振って見送る。
さて、私も現世用の服に着替えなくては…。
別に会議だとかの堅苦しい場所に行く訳でないのだから、ラフな格好で良いかな?
どうせ実家に行くだけだし。
スーツとかみたいにビシッと決める必要無いよね。
なら、適当にラフな私服で良いよなぁ。
勿論化粧も無しで、持ってく物も必要最低限で良いか。
 そんな風に考えながらテキパキと手早く出掛ける支度を整えていたら、特にそんな準備する物も無い為すぐに済んだのだろう、支度が済んだらしい彼から障子越しに声をかけられた。
此方が着替え中かもしれないとの配慮からだろう。
私は其れに返事を返してやりながらお出掛け用のショルダーバッグを手に立ち上がり、最後に一応軽く鏡を覗き込んで身形みなりを確認してから部屋を出る。


「お待たせぇ〜。それじゃ、ちゃちゃっと行って帰ってきますかね!」
「おう」
「たぬさんの私服姿?って、思えば初めて見たね。基本は戦装束か内番服だったから、何か凄く新鮮だなぁ。ナチュラルに格好良い」
「ふーん…見た目とかあんま気にしねぇからよく分かんねぇや」
「はははっ、たぬさんらしいわ」


 私の私服姿なんかは何度か見せてるからかそんなに驚きも無かったけれど、彼の私服姿ってのは初めて見たから、ついしげしげと物珍しげに見てしまった。
その視線を受けた彼が、自身の格好を見下ろして不思議そうに首を捻る。
 季節はまだ肌寒さ残る三月の初頭、故に冬の装いに合わせた物だった。
上は厚手生地のトレーナー一枚と上着にスカジャン一枚羽織っていて、下はラフにジーパンという出で立ち、こんな機会無ければお目に掛かれないだろう。
貴重な姿を見る事が出来た事で、今回の一件もまぁ大目に見てやらん事もない。
だからと言って、二度目は無いと思いたいが。
私はというと、上はヒートテック素材のハイネックに腰まで覆うチュニック丈のニットのロングセーターで、下はラフに厚手のパンツスタイルであった。
うん、凄ぇ地味。
でも、コレが私服時の私なのだから、何ら変わりない。
 今回は完全所用でのお出掛けになるので、 緊急時を除いての本体の所持は許可されていない。
よって、帯刀出来ないとあって、彼は何処か落ち着かなさそうだった。


「あれ、主達服着替えてるけど、これからどっか出掛けんの?」
「うん。ちょっと現世の実家まで必要な書類取り帰りにね。何かさっきこんちゃんが俺についての大事な書類の一部を紛失したとかって飛んできて…其れで」
「うわ…そりゃ御愁傷様ぁー」


 通りすがりに出くわした清光に尋ねられて手短に事を話せば、同情のお言葉を頂いた。
初期刀として初めからずっと連れ添ってきた刀である分、短い言葉で色々と伝わるから、こういう時有難い。


「お伴は田貫連れていくんだ?」
「うん。急な事だったのもあったし、本人たっての希望でもあったから。まぁ、ちょっと行ってすぐ帰ってくるだけだから、そう掛かんないと思う。俺が留守の間の本丸の事、宜しく頼むね」
「りょうかーい。皆にも伝えとくね」
「んじゃ、ちょっくら行ってくるわ。いってきまーす!」
「いってらっしゃ〜い。気を付けてね〜っ。主と一緒に付いて行くんだから、道中しっかり守ってよ田貫ぃー!」
「んー、そこんとこは心配すんな。仕事はちゃんとするからよぉ」


 そう返す彼を引き連れてゲートを繋ぐ門前までやって来て、ふと思う。


「あ、そういや今回は急な事で色々ドタバタしちゃってて頭から抜けてたけど…ゲート先って何処になるんだろ?実家直通なら超楽で良いんだけどな」
「さぁ?どうだろうな」
「その件でしたら、ご実家が在る地点から少し外れた地域に設置されるとの事だそうですぅーっ!!」
「うわ、吃驚した!?いきなり現れてくんなよ、心臓に悪いなもう…っ!!」
「すみません…っ、急いでお伝えせねばと慌てて戻ってきたものですから…」


 あわやゲート前で無駄に立ち往生するところだったので、すぐに問題が解決して助かった。
ちなみに、実家からは少し離れた地点と言っていたが、具体的にはどの辺になるのだろうか。
其れを問えば、こんちゃんはゼーハー息を整えながら答えてくれた。


「それなんですが…どうも、主様のご実家周辺の磁場が安定していないとの事で、やむを得ず少し離れた地点の人気の少ない公園の公衆トイレ先へ繋がるよう設置されたそうです……っ」
「げっ、マジかよ!よりにもよってトイレて……まぁ、しょうがないから文句言えないけどさ。もっと他に場所は無かったのかよ…」
「こればっかりは、私からは何とも…」


 一先ずは無理矢理納得する事にし、ゲート前に設置された操作盤を弄り、指定されたコードを入力してゲートを繋ぐ先を設定する。
何度も間違いはない事を確認した上で頷いてから、側に居た彼とこんちゃんの方を振り向いた。


「よし…っ、今度こそ行ってくるよー!いってきまーす!」
「はい、いってらっしゃいませ〜!」


 何となく彼の手を取り緩く繋いだ形でゲートを潜れば、目映い光に飲まれて、一瞬の浮遊感の後、指定先に転送されたようで。
目を開くと其処はもう私の暮らしていた町がある現世だった。

 取り敢えずは、ちゃんと現世に辿り着いたと見て、きょろきょろと辺りを見回し、今居る場所が何処なのかを確認した。
そして、行き着いた事実に、私は愕然とした。


「ちょっと…!“実家から少し離れた地点になる”って言ってたけど、実際辿り着いたらちっとも少しじゃないどころか、だいぶ、いやかなり離れてるんですが!?」
「そうなのか?」
「そうだよ…っ!だって、此処、私が住んでる実家付近じゃなくて、私が学生時電車通学で通って来てた学校近くの付近なんだもん!!全然近くねぇよ!!寧ろ滅茶苦茶遠いはバッキャロー!!政府の阿呆、マヌケ…ッ!!管理杜撰なだけじゃなく、こんなんも適当かよ!?マジで何やってんだ、ちゃんと仕事しろよクソがぁーッッッ!!」


 まさかの展開に頭を抱えて叫べば、近くを彷徨いていた雀と鳩数羽が驚いて飛び去っていった。
ああもう、今日は何て厄日かな…。
落ち込んだところで現状が変わる訳でもなければ、こんな処でいつまでも突っ立っている訳にもいかない。
溜飲を下げる為に盛大なクソデカ溜め息を吐き出すと、改めて彼の方に向き合って口を開いた。


「嘆いてたっても仕方ない…っ。一先ず、こっから移動するよ」
「何処に向かうんだ?此処から実家の在る付近まで離れてるんだろ…?どうすんだ」
「此処からすぐんとこに駅が在るから、そっから電車乗って実家が在る地域の駅まで移動する。地元の駅からはそう離れてないとこに家在るから、地元の駅からなら徒歩で行ける」
「成程な。分かった。取り敢えず、俺はアンタの後を付いていきゃあ良いんだな?」
「そういう事。幸い、出た先がまだ俺の知ってる地点だったから良かったものの…これで俺も知らんとこだったら迷子確定やったぞ、冗談抜きで…。俺、よく知らん場所or土地勘無いとこ行ったら方向音痴なんやからね」
「マジか」
「マジで」


 取り敢えず、お互い状況を把握した後に歩き出して、ゲート先だった人気の少ない公園を抜けて駅へと向かう通りへと出る。
現世では私の方が土地勘あるから、必然と私が導く形で進んでいく形となる。
だからだろうか、最早完全無意識だったが、ゲートを潜る直前から繋いだままだった手はそのままに彼の手を引っ張っていた。
其れに気付いたのは、商店街通りを抜けて、駅前の交差点で信号待ちをしている時に彼に指摘されてからだった。


「なぁ、主…」
「ん?何…?」
「いや…その、手…ゲート出る直前からずっと繋いだままだからよ…」
「へ…?あ、御免。ついそんまま繋いじゃってたや。一応、迷子防止も兼ねてだったのもあるんだけど…嫌だった?」
「え、や…別に、嫌って程じゃねぇけど……何か慣れねぇからさ。思わず」
「そっか。なら、暫く繋いどいたままでも良い?何か気付かない内に置いて行っちゃいそうで不安だから」
「あー…まぁ、そういう事なら、構わねぇけど…」


 改めて彼の了承を得れた事でにっこりと微笑むと、彼は照れくさくなったのか、目を逸らしてそっぽを向いてしまった。
普段ではあまり見られぬ反応に、可愛いなぁと思いつつニヨニヨしながら見つめていると、同じく信号待ちをしていたお婆ちゃんに微笑ましげに呟かれてしまった。


「あらあら、初々しいカップルさんだ事〜っ」
「え゛…っ!?や、別に私達はそういった関係では…」
「あらあらまぁまぁ、そんな恥ずかしがらなくても良いわよぉ〜っ!付き合い立ての若い子達ってのは皆そんなもんなんだから!仲が良くって素敵だわ〜っ」


 何か変に勘違いされたまま囃し立てられて、微妙な空気のままご婦人と別れて信号を渡る羽目に。
アレは訂正しようにも話を聞いてもらえない流れだと早々に諦めてなぁなぁで流してしまった。
隣のたぬさんは終始無言だったけれども、たぶん、あまり良くは思っていないだろう。
せっかくお伴として付いてきてもらっているところ、このまま変にぎこちない空気にしたくはない。
然り気無くフォローのつもりで、そっと控えめな口調で囁いた。


「今さっきの、変に誤解されたまま上手く訂正出来なくて御免ね…っ。その、単純に俺が口下手というか、コミュ障なのが災いしてしまったのもあるんだけど……ああいう時、下手に返しても更なる誤解を生みそうだと思ったから、それとなーく話し合わせて相槌打っちゃった…。気分を害してたら、すまん…っ」
「いや…そんなに気にしてねぇから、わざわざ謝んなくても良いって。寧ろ、アンタの方が気まずかったろ…?俺なんかと恋仲だと勘違われて」
「うんにゃ?そこまで気まずい程ではなかったっす。言うて自分が気ぃ許してる刀相手だった訳やし。逆に心配してくれて有難うね」
「…まぁ、アンタが気にしてねぇんだったら、良いんだ」


 そう返してきた彼はそれきり黙り込んでしまったが、代わりに緩く握っていた手にぎゅっと力を入れてきたので、これ以上はこの話は続けない事にした。

 交差点を過ぎて程無く着いた駅に、彼は物珍しげに建物を見上げた。


「此処が、アンタがさっき行ってた駅ってとこか…?」
「うん、そうだよ」
「…デケェな」
「んー、此処のはそうでもないよ?まぁ、地元のに比べりゃそりゃデカイし広いけども。都会の駅はこんなもんじゃないよ〜。まず規模そのものがデカイ。隣接してる施設も多いし、ホームの数も比べもんにならないしね。慣れてないと確実に迷子になるよ…。実際、学生時に一度資格試験の過程で都会の駅利用したけど、標識チェックしながらでも広過ぎて迷子になりかけた……。まぁ、その時俺一人じゃなく友達も一緒だったから良かったけどね」
「へぇ…」
「ま、そんなエピソードは置いといてだ。此処も含めて、俺の住んでるとこは田舎の方だから、大した事ないよ。――さっ、早く行くよ〜」
「おぉ」


 初めて見る物や場所が新鮮なのか、それほど真剣にではないが、ふわっと目に付いた方向へ興味深げに視線を向ける彼の目は、何だか子供と変わりない雰囲気であった。
こう、何ていうか…初めて見た物に興奮して目をキラキラと輝かせる感じの其れとおんなじ気がする。
彼の場合は、子供程テンション高い訳ではないが、静かに大人しくテンション上がってる感じで、見ていてちょっと可愛かった。
あれ…私、さっきから可愛いしか思ってなくないか?
 ふとそんな事を思いながら券売機の処まで迷い無く歩いていき、各駅までの料金の書かれた料金表を見上げ、自分達の乗る駅までの料金を確認した。
前の仕事を辞めてから電車を利用するのは久しいから、ちょっとだけ緊張する。
券売機に必要な分のお金を投入して画面を操作していたら、徐に横から声をかけられた。


「なぁ、さっきから何してるんだ?」
「うん?電車に乗る為のチケット買ってるの。どの電車に乗るにせよ、お金払わなきゃ乗れないからね。仮に、お金払わずに乗ったら無賃乗車で捕まるよ」
「そうなのか。ちなみに、その金はどっから出してんだ?」
「え、勿論俺のポケットマネーからという名の自腹切ってますけど…。大丈夫、後でこの交通費も経費で落とせるよう申請しとくから!だって、今回の急な帰省は上がミスったせいだし…!何が何でも経費で落とさせるつもりだぜ!もし経費で落とせないって言われたら、然るべきとこに申し出て対処してもらう予定で考えてる」
「アンタって意外と強かだよな…」
「違う。これは仕事の一貫だからちゃんとしてるだけ。仕事に関係無い事だったら此処までしないよ」


 話が逸れちゃったな…。
閑話休題。

 二人分の乗車券を入手して、時刻表と乗る予定の電車が到着するホームを確認し、改札口を通る。
初めての改札口どうなるかな〜と思っていたら、其処は彼。
しっかり私がしていた事を観察していたようで、見様見真似で出来たようだ。
戻ってきたチケットをしげしげと見つめながら不思議そうに首を傾げている。
うん、上出来上出来。
改札を通る上で一度離した手を再び取れば、自然と繋ぎ直される手に、心なしかほっこりとあったかな気持ちになった。
今日のたぬさん、マジで可愛いかな。

 時間になるまでホームで待つかと思ったが、乗る予定の電車は既にホームに来ていたので、行き先を確認しつつ、中へと乗り込んで窓際のボックス席へと向かう。
平日の通勤ラッシュも過ぎた時間という事もあってか、乗客数は少なく、電車内はガラガラで、居ても疎らに座っている程度だった。
正直、運が良かった。
これで満員電車とかだったら滅茶苦茶気まずかったし、人目も気になって仕方ないところだった。
人が少ないのを良い事に、ボックス席の窓側で足を伸ばして座って息をくと、私に続くように彼も隣へ腰を下ろした。
ボックス席だから、てっきり向かい側の方に座るかと思っていたのだけど、私と手を繋いだままだったからか、何となくの流れで隣を選んだらしい。


「たぬさん、別に座るとこわざわざ隣じゃなくても良いんだよ?席空いてるから、好きなとこ座りな。ほら、目の前の空いてる向かいの方が広々としてるし、俺の隣じゃ窮屈じゃない?ゆったりのんびり座りたいなら向かい側をお薦めするよー」
「いや…良いよ、こんままで。アンタの隣に座っとく」
「そう?たぬさんが良いのなら、別に構わないんだけどさ。…あ、チケット、失くさないようにちゃんと持っててね。乗ってる途中で車掌さんがチェックに来るから。不安なら、服のポケットとかに入れとくと良いよ」
「ん…」


 何もかもが初めてだからか、取り敢えず私の言われた通りにしとこうという感じらしい。
素直に上着のポケットの中へチケットを仕舞った彼は、隣に居る私の事を見てきた。


「…で、この電車っつーのは何時いつになったら出るんだ?」
「んっと、もう少ししたら動き出すよ。そしたら、揺れて危ないから、今みたいに大人しく席に座っててね。ちなみに、目的地である地元駅に着くまでには、こっから十個以上の駅通過しないと着かないから。到着するまでに掛かる時間は凡そ一時間くらいね」
「一時間!?そんなに掛かるのかよ…っ!!」
「だから言ったじゃん。実家在る地点からだいぶ離れてるとこ来ちゃってるって」
「え…じゃあ何だ…、アンタは審神者になる前はいつも同じくらいの時間掛けてその通勤とか通学してたってのか……?」
「うん、そうだよ。朝早く起きて毎日満員電車に揺られながら通勤・通学してました〜。ま、田舎なんて所詮そんなもんよ。通ってる本数自体少ないからね。…つって、俺が実家から通ってたからそうだっただけなんだけど。職場に近いとこ家借りたりして一人暮らし出来る余裕があれば、そこまで通勤に苦労しなかったんだろうけどね〜。俺に一人で暮らせる程の家事能力が無かったので……あはっ」
「…何っつーか、俺達の知らねぇとこで色々と苦労してきたんだな、ってのは分かった」
「はははっ…いやぁ〜、なっさけない主で御免やでほんまぁ〜!」


 あははと軽く笑って流せば、彼は小さく溜め息をいて、肘掛けに頬杖を付いて退屈そうにした。
どうせ、電車が走り出しても、長い時間乗っていれば景色を眺めるのにも飽きるだろう。
退屈凌ぎの案として思い付いた事をそれとなく提案してみた。


「ふふっ…たぬさん退屈そうだね。まぁ、目的地に着くまで一時掛かるからしょうがないか。…もしアレだったら、着くまで寝とく?どうせ着くまで暫くは暇なんだし。私も学生時よく寝て過ごしてたから、暇なら寝てても良いよ」
「いや…、万が一寝てる隙にアンタに何かあったら俺が付いてきてる意味無ぇだろ」
「そっか…。じゃあ、音楽でも聴く…?俺、プレイヤー持ってきてるから、聴きたいなら半分イヤホン貸したげるよ」
「ん…じゃあ、借りる」


 余程手持ち無沙汰だったんだろう。
私の提案するままに案を受け入れると、手渡したイヤホンの片耳分を受け取って、左耳に挿した。

 音楽を聴き始めて程無く、発車時刻となって電車が動き始める。
ガタンゴトン、と揺られながら、私は車窓から見える景色を眺めて思った。


「……変わんないなぁ、この景色も…」
「あ?何か言ったか、アンタ」
「うんにゃ、ただの独り言だから気にしないで〜」
「ふぅん…そうかよ」


 学生時に何度と見てきた景色だが、久しく見ても何ら変わらない景色に何処となく懐かしいものを感じて感慨深く思った。
其れと同時に思い出す思い出も脳裏に過ってきて、ふと薄暗い感情までもが過ってきた。


「…ねぇ、たぬさん」
「何だ…?」
「少し行った先で、俺が前に勤めてた職場の近くの最寄り駅を通るんだけどさ……その駅に停まると、当時の厭な記憶とかがどうしてもぶり返すっつーか、フラッシュバックするみたいに思い出しちゃうからさ…手、握ったまんまで居ても良い?たぬさんと手繋いだままなら、たぶん平気だと思うから…」
「別に構わねぇけどよ…」
「うん、有難う。…それと、御免ね……ちょっと心的外傷トラウマみたいになってるもんでさ。一応は言っておこうかなって、前以て伝えといた。変な事頼んで御免」
「…いや、俺は気にしてねぇから良いよ。俺が付いてきてんのは、そもそもがアンタを敵の脅威から守る為だし。誰だって嫌なもん抱えて生きてんだから、そう気にすんな。何もアンタだけがんな風になるんじゃねぇんだしよ」
「…うん、有難う…今日、たぬさんが付いてきてくれて良かった。じゃなきゃ、一人でこの面倒くさい感情と向き合う事になるとこだった…!本当にありがとね、たぬさん」
「一々礼とか要らねぇっての」


 そんな遣り取りを交わして少しして、件の最寄り駅へと停車する。
途端、甦る記憶と不安や恐怖に囚われ、一気に後ろめたい暗い感情が押し寄せてきた。
それまで眺めていた車窓の景色から目を逸らし、ただただ俯き周りの景色を見ないようグ…ッ、と目を瞑る。
たぬさんと繋ぐ手にも力を込めてぎゅっと握り込み、早く次の駅へと動いてくれと祈った。


「…大丈夫か」


 そう、一言問うてきた彼の言葉が有難くて、私は今だけだと念じて彼の優しさに縋り付くように返した。


「……大丈夫、と言いたいところだけど…この駅離れるまで暫くはこのままにさせて…っ」
「視界に映んのもつれぇってなら、俺の方寄り掛かってでも引っ付いとけ」
「いや…流石のそこまでしなくても平気だから…っ。万が一、当時の知り合いと逢いたくもないからってので俯いてるだけだから……、」
「けど、今のアンタ、あからさまに顔色悪わりぃぞ…。無理すんな。何の為に俺が付いてきてると思ってる?アンタが今倒れたりなんかしたら、後で本丸の奴等に締められんの俺なんだぞ。変な気張ってねェーで、俺を頼れ」


 そう言って繋いだままの手はそのままに、もう片方の空いた手で私を自分の方へと抱き寄せたたぬさん。
視界が全部彼だけに包まれて、思考が一瞬にして塗り替えられる。
さっきまで電車内の匂いが鼻先を漂っていたが、今鼻先を匂うのは真新しい服越しに香る彼の匂いだけだ。
正直、とてもホッとしたし、ごちゃごちゃとい混ぜになっていた気持ちがスッと落ち着いてきた。
本当に申し訳ない限りだったが、今ばかりは彼が付いていてくれた事に感謝しつつ、彼の胸元を縋るように掴んだ。


「……有難う…じゃ、少しの間だけ、頼むわ…」


 厭な記憶に苛まれてしまう前に、どうか早くこの駅よ過ぎ去ってくれ。

 そんな祈りが通じたのかは分からないが、停車時刻が過ぎ、発車時刻となったのか再び動き始めた電車。
車窓から見える景色も徐々に移ろい行き、さっきまで停まっていた駅から見える景色はあっという間の彼方遠くへと去っていった。
段々と落ち着いてきた気持ちと脈拍に、縋り付くように寄り掛かっていた彼の身から躰を離して元の位置に腰を据え直した。
そうして、深々と椅子に寄り掛かって、深く長い溜め息を吐き出す。
取り敢えずは、トラウマの件は過ぎ去った。
あとは、地元の最寄り駅に停まるまでを待ち、家を目指すだけだ。
一つの仕事が終わったすらに思えるような草臥れ感を醸し出す私に、隣の彼からぽつり、呟きが落ちた。


「何つーか…アンタも難儀なもん抱えてんだなぁ」
「ははは……っ、確かにそうっすね…早に克服出来るもんならしたい事柄だけどもねぇ…そう出来たらここまで苦労しちゃいないって話……」
「ま、アンタも人間なんだなって感じがして良いと思うけどな、そんくらいでさ」
「…んな面倒くせぇトラウマ抱えてても碌な事ねぇけど」
「そんだけアンタが人間らしいって話だよ。アンタが審神者になる前何してたとかは知ったこっちゃねぇけどさ、要は過去ありきの今がある訳だろ…?なら、否定も何もしねぇよ。在るがままを受け入れる。そうざっくり考えちまった方が楽だぜ?」


 そうニヒルに笑って言える彼の物事への受け止め方が眩しくて、少し目を細めて見た。
彼みたいに割り切れたら、こんな感情持て余す事も無かったんだろうなぁ。
否定する事はせずに受け入れてもらえた事に感謝しつつ、改めて御礼の言葉を告げた。


「とにかくだ…っ。さっきはありがとね、たぬさん。お陰で助かったよ」
「だぁから、一々礼とか良いっての…。けど、今回のでちったぁ分かったんじゃねェーの?アンタが周りに頼らなさ過ぎなの。さっきみてぇなのくらいなら、頼る内にも入んねぇんだから、自分一人じゃ無理ってなら頼れ。何の為に俺達が居る。其れを忘れんなよ」
「…うん。何か、御免」
「だから、その謝罪とかも要らねぇっての。何たってアンタはそんな逐一みたく謝りたがるんだ?」
「はははっ…最早癖付いちまったようなもんだからなぁ〜…諦めて」


 そう締め括った私の事が気に食わなかったのか、その後、目的地に着くまでずっと不機嫌そうな顔で無言を貫き通していたが…。
繋いだ右手だけは終始ずっと離さず握ったままで居てくれるのだった。
その優しさが今はとてつもなく沁みて痛く思うのと同時、凄く嬉しくもあるのだった。


執筆日:2021.09.13

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