守りたいものの為に戦う理由


「目が覚めたみたいだね…?おはよう、たぬさん」


目が覚めて、自然と開いた視界の先に映ったのは、久方振りに見る手入れ部屋の天井だった。

そして、そういえば俺は戦で重傷になるまで痛手を食らって、戦線離脱する他無くなり、敵大将が潜む本部に乗り込もうかという直前でおめおめ帰城する羽目になったんだったかと、今更ながら他人事のように思い出した。

意識が落ちる前の記憶を手繰り寄せ、何とかギリギリ憶えている限りの記憶を思い出す。

其処で、大太刀の石切丸か太郎太刀の奴に担がれ、漸くといった身で本丸へ帰城した時の事を思い出した。

あの時、隊長はまんばで、俺は部隊の錬度や頭数を合わせる為に編成に組まされていた。

勿論、俺の強さを見込んでの編成だった事は知っている。

だが、今回派遣を任された任務は、普段任される何時もの任務とは違って特別なもので…その名を“特命調査”と政府は謳っていた。

その特命調査は、今回初めて行われた任務で、まだ審神者になってから半年しか経ってない主は不安しかない顔付きで俺達出陣部隊を見送っていた。

俺が編成に組まれたのは、何度目かの面子交代の時で、俺の力を見込んでの頼みだと告げた主に、俺は喜び勇んで頷き、必ず勝利をもたらしまだ見ぬ先の道を切り開いてくると返して俺は張り切って出陣した。

其処までは良かったのだ。

だが、抱いていた余裕はすぐに無くなり、思っていた以上に硬く強い敵に足止めを食らい、悔しさにたたらを踏んで歯を食い縛り、めげずに敵に向かっていったまでは憶えている。

其れは俺だけじゃなかったのは、確かだ。

皆、政府と敵の抱く思惑を暴こうと躍起になり、焦る気持ちも逸って、つい気持ちばかりが先行しちまったのもあるんだろう。

思った以上に強い敵と硬いガードに阻まれて、俺達は先へと進めなくなり、とてつもない足止めを食らったのだった。

しかし、俺達は果敢にも挑み、中枢部近くの中ボスを前に、嘗て無い程の機動の速さを持った槍に先手を取られ、思わず隊長のまんばを庇った俺はその強烈な一撃を真正面から食らい、腹のド真ん中を貫かれ、一気に中傷へと陥る。

其処へ更なる追撃として、硬く滅茶苦茶強い大太刀の一撃を食らって吹っ飛ばされ、近くの建物に打ち付けられた。

破裂するかと思った。

其れくらいの衝撃が一瞬にして全身を支配して、呼吸すら儘ならず、息を止めた。

刀装は少し前から崩れかけていて、今しがたの大太刀の強靭な一振りに残っていた全てを破壊されて、主曰くの“無防備ノーガード状態”に陥っていた。

少しでも守りが残っていた為に、俺は折れずに済んだのだろう。

念には念をと御守りも持たされちゃあいたが、其れを使うのは本当の本当に危機に陥った時だけと限定して考えていただけに、まさか今使う事は無いだろうと少しだけ肝を冷やした。

しかし、大太刀二人と太刀の膝丸が頑張ってくれたお陰か、何とか敵部隊の殲滅に成功し、主と通信を繋ぐ。

敵本部内に乗り込むなら今だ、という目の前だったが…俺が折れる手前の重傷だったのと、同じく中傷にまで負傷していた蜂須賀の様子に、直ぐ様強制帰城するよう指示を飛ばした主は俺達を帰還させ、手入れ部屋へと突っ込んだ。

取り敢えず、記憶に残っているのは其処までで、後がどうなったのかまでは全く憶えていないのを考えるに、恐らく帰城してすぐに落ちたのだろうと見切りを付けた。

そして、改めて主の声がした方へと頭を向けて視線を投げた。

何時も以上に情けない、今にも泣きそうな面をした主が視界に映った。


「大丈夫…?まだ、意識ぼんやりしてるとかある?キツそうなら、遠慮無く寝てて良いからね。今、手伝い札使いながら手入れしてるから…っ。直に良くなるよ。此処は俺の本丸だから…もう安心して良いからね」


立て続けに手入れに力を使って疲弊してるんだろう。

少し顔色の悪い主に、俺は無意識に眉を顰めた。

ただでさえ、初めての特命調査という事で何時も以上に神経を使ってる筈だ。

俺達以上に気を張って頭を回し策を練り続けてくれていて、ただ敵を斬れば良いだけの俺達よりも余程辛い筈なのに、弱音を吐く事も無く、こうして今も尚気丈に振る舞って俺を安心させようとしてくれる。

この本丸へ帰り着き、アンタの声を聞き届けた途端、その時既に安堵していたというのに。

この人は何時も心配性で、必要以上に俺達を気に掛けるんだ。

本来、心配され、励まされなきゃいけないのはアンタの方なのに。

そんな顔、させるつもりなんて無かったのに。

あんなに張り切って強く言い切って出てった割りには、物凄く無様で情けない姿を晒してしまったと今更ながら後悔した。

いっそ、今此処で死ねたら良かったのかもしれないが、其れは其れで未練が残りそうだし、下手にそんな真似をしたら主の事だ、俺の後を追って死にかねない。

其れだけは避けたかった。


「…おれ、は…何れくらい落ちてた寝てた……?」
「手入れ始めてから、まだ数時間程だよ。時間にして二、三時間程度かな…。途中から手伝い札使ってたから…通常よりも早く治療が進んで目が覚めたんでしょ。本体の修復には、もう少し掛かると思うけど…躰の傷の方は、もう重症だった箇所は全部塞がったと思うよ。完治までまだまだ時間掛かると思うから、其れまでゆっくり休んでて」
「……他の奴等は…どうなった…?」
「他の子達も皆もう回復してるよ。隣の部屋で、まだはっちーと弟者が寝てるけど…二人共もう傷は完治してるし、あとは本体の完全修復が終わるのを待つだけ。他部隊の皆は軽傷程度だったから、手伝い札ですぐ回復してまた聚楽第に戻ってもらってる。ちなみに、君達の穴埋めは、長谷部と鶴さん、あつきに入ってもらってるよ。本部中枢辺りは、ある程度機動値高い方が良いし、何よりも生存・打撃、遠戦に…あと出来る限り兵数が多い方が守りも固められるから…。今が、本っ当に踏ん張り時だよ。現在進行形で、本ボスが居る近くの本部前辺りにまで潜入してもらってるんだけど…此処まで進むまでの大太刀ウォールがかったいの何のって…!“此れ完全なる壁じゃん!!”って思うくらいには硬くて、滅茶苦茶手間取った上にあの三スロットガードを誇る鶴さんや大太刀の太郎さんさえもぶち破って圧し切られたんだから…マジで今回の敵強過ぎだろ…っ。アイテムまだあったから、直ぐ様回復してまた進んで、回復ポイントで止まってもらってるけど…今回、回復アイテム幾らあっても容易にゃ進ませてはくれないようで腹立つわぁ〜、マジで。今日回れる範囲の行動回数回り切っちゃったから、今は次の指示出すまで現地で待機しながら休んでもらってる最中っす。その間に、俺は手入れ部屋組の様子見に来たって訳…。――とにかく、無事目が覚めてくれて良かったよ……っ。高速槍の攻撃受けた後にとどめの一発みたいにあの大太刀の攻撃食らった時は、本当心臓止まるかと思ったんだから…ッ。まぁ、重傷ながらも何とか帰ってこれたんだから、其れだけで安心したけども…………っ、」


心底肝を冷やしたと呟く主の、布団越しに俺の胸の上に置かれた掌が…――強く握られた拳が、気丈に振る舞うのを他所に震えてるのに気付いて、俺は咄嗟に近くに在った主の身を抱き寄せ、ぎこちなく胸元に引き寄せた。

まだ傷が完治し切れて無いせいで上手く動けないと思っていた俺が急に身を起こして動いたからか、驚いた主は言葉途中に息を詰まらせ、動きを静止させた。

何度か瞬きをして、現状にやっと思考が追い付いたんだろう頃になって漸く口を開き、呆然としたまま問うてきた。


「え……………っ?あ、の……たぬ、さん………?急にどうし…、」
「――…くな…」
「え……っ?御免、もう一度言ってもらっても良い…?今の、小さくてよく聞こえなくて……っ、」
「―泣くな………っ。んな顔されっと…どうして良いか分かんなくなっから……ッ」
「…ぇ………?べ、つに…俺、泣いてなんかない、けど……?」
「……嘘付け…っ、今にも泣きそうな顔してる癖に………。俺は、もう平気だし…ちゃんとアンタの元へ帰ってきたし、まだ…ちゃんと生きてる音がすんだろ……?だから、泣くなって言ってんだよ…。アンタに泣かれたら…急に迷子になったみたいに、何をどうすれば良いか分からなくなるからよ……。頼むから、泣かねぇでくれねェーか…?――アンタの泣き顔は、あんまし好きじゃねぇからさァ…」
「…………なに、其れ……っ。人がせっかく心配してやったっていうのに…返す言葉は其れしか無いの?もっと他にも良い台詞あっただろうに……っ、よりにもよって…んな酷い台詞、吐くなんて……っ、この馬鹿…ッ、ド阿呆、人でなしッ、薄情者…!」


まだ傷が痛んで辛いってのに、主の奴、俺の胸元思い切り拳で叩きやがって。

まぁ、今のは怒らせた俺が悪いし、酷い言葉を吐いて主を傷付けたのも事実だった。

お陰で、何とか泣かねぇように堪えてたんだろう主の事結局泣かせちまうし、俺が後先考えもせずに抱き寄せたせいで乗っかった主の重みで逆に傷に響いて痛ェし、躰はまだ辛くて動かせねぇしで散々だった。

でも、此れが今の俺で、やはりまだ未熟な部分が祟って重傷にまで追い込まれちまったんだ。

主を泣かせるのも、此れで何度目だろうなァ…。

考えるのも億劫な程、俺はこの人の涙を幾度と見てきた。

そして、その涙を拭い、泣き止ませるのも俺ばかりだった。

何で主は、俺を近侍になんて据えるようになったんだろうな…。

場違いにも、そんな最近の悩みが頭をもたげて、思考を占拠する。

俺の上では、未だ主が啜り泣きながら俺の胸の音を聴いていた。

主の柔らかな躰に触れて、不可抗力にも気持ち良いだなんて思って…ついでに、普段意識を向けぬようにしていた部分が己の胸元に布団越しに触れている事に気付き、密かにそっと溜め息を吐いた。

状況が状況じゃなかったら、俺はどさくさに紛れてその柔い膨らみに手を伸ばしていたかもしれない――そんな生きる上での本能が強く働きかけたところで、俺は慌てて意識を塗り替え、別の事へ思考を切り替える。

こんな時に何考えてんだ俺は。

もっと他に考える事はあるだろう…っ。

さっき主に言われた事と同じような台詞を胸の内で吐き捨て、己を律する事に努める。

今はそうしていないと、何やら邪な思考が良からぬ事を考え、主に手を出しそうで怖かった。

故に、俺は主に触れていた手を退けて、代わりに視界の側の主の衣の端を掴んで握ってみせた。

そしたら、主の方から頭ごと抱き締められるように胸元に抱え込まれて息を詰めた。

敢えて避けようとしたのに、何て真似してくれるんだ、この人は…!

いっそ一言でも軽く罵ってやろうと口を開きかけて、すぐに止め、結局その開きかけた口を噤んだ。

何故ならば、俺の頭を抱き込んだ主が、俺の耳元で小さく本音を零したからだった。


『―折れないでいてくれて良かった…』


其れが、今の主の口から放たれた言葉だった。

今回ばかりは、本当に肝を冷やしたのは俺ばかりではなく、皆も主も一緒だったんだろう。

何も返せなかった。

たった短なその一言に、堪らなく胸が詰まって息をするのも苦しい程締め付けられたから。

どんなに酷い言葉を吐こうと、主は俺の事を心配し、涙を流すだろう。

だから、泣かせないくらいには強くなってやろうって思った筈だったのになァ…。

まだ、その目標に達するまでには程遠いって事か。

温かな主の腕が、俺の頭を抱き込んで離さない。

柔らかな女の胸元が鼻先に触れているにも関わらずにだ。

正直、本音を漏らすなら勘弁してくれという感じだった。

人が自制してやってるとこに無防備にも自分から下手な真似しやがるんだから…この際、手を出されてもしょうがないからな、と内心毒付くように言い訳してから、そっと主の身に再び手を伸ばした。

壊れ物を扱う如く、優しくそぉっと伸ばした手が触れたのは、小刻みに震えた小さく細い肩だった。

まだ啜り泣いている様子の主の温かな涙が、髪越しに額へと伝い落ち、其処で初めて主の身をまともに抱き締め、触れた。

主の身は、やはり柔くて良い匂いがした。

疲れて疲弊した頭に染み渡るような匂いと主の息衝く鼓動の音がする。

其れに混じって、耳に心地好く響く主の声が聴こえたから…俺は静かに目を閉じて、主の鼓動の音に耳を澄ました。

トク、トク…ッ、と優しい音色だった。

その音色を耳にして、改めて…嗚呼、俺はこの人の元へ帰ってこれたんだな、と自覚した。

自覚して、次いでどうしようもない感情に襲われて、俺は酷く胸の内を乱されて、抱き締める主の身を掻き抱くように抱き返した。

その行為に、主も応えるようにより強く俺の頭を抱き込んで…ちょっと其れだと窒息しちまうんじゃないかというくらいキツく抱き締められて、息苦しくなって…。

けれど、止めて離れて欲しくもなくて、俺はただ黙って主のキツめの抱擁を受け止めていた。

遠い意識の端で役得だな、なんて思考が笑った気もしないでもなかったが、今は無視する事にした。

本音を言ったら、そりゃ据え膳食わぬはという具合で目の前に餌をぶら下げられた状態ではあったが…此処で手を出して嫌われてしまうのも避けたかった為、必死に理性を働かせて抑え込んだ。

そういやぁ、何で俺は今こんなにも必死になって生殖本能を抑え込んでるんだろうか。

ふと疑問に思って、頭をもたげた。

嫌われたくない、までは分かれど…何故、俺は此処まで主に気を遣っているのだろうか?

純粋に気になってしまった。

だが、今の己の内にその疑問に見合う“答え”は見付からない。

落ち着く主の鼓動音に眠りを誘われて再び落ち始める意識に、答えの見付からない思考など今はどうでも良いかと放る事にし。

主の強くも柔らかな抱擁に身を委ねたまま、再び意識を手放す事とした。

再度意識が落ちる前、霞む視界に映る主は泣きながら俺に微笑んで告げた。


「―おやすみ、たぬさん…。今はゆっくり休んで、また戦の際は頑張ってもらうね?」


その優しく柔らかな声に、俺は抗えぬまま意識を落とした。

そして、口の中でその言葉に対する返事を返す。


―嗚呼、戦の為なら何だってするさ…アンタの喜ぶ顔を見る為なら、何度だって刀を振るってやるよ……其れが、何よりも俺の使命だからな…。


そして、次に目覚めるまで、俺は泥のように眠り、夢を見た。

主によく似た女が、此方に振り向きひたすら嬉しそうに微笑んでいる夢だった。

何故そんな夢を見たのかは分からなかったが…起きてすぐ、主の緩んだ襟元から見える柔肌とチラリ見えた胸元に、何となく夢を見た理由が分かって、俺は再び無言で深く溜め息を吐いた。

深く息を吸ったついでに吸い込んじまった主の柔らかで甘い匂いに、また一瞬良からぬ思考が頭を過ったが、無理矢理蓋をする事で意識を塗り替える。

ついでに、俺が寝落ちちまった後、釣られるように疲れてそのまま寝ちまったんだろう主の襟元を直してやりながら、うっすら眦に残った涙を拭ってやるのだった。


執筆日:2020.09.05

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