愛の宿る処


朝、何時も通りより少し早いくらいの時間に起きて顔を洗う。

この季節になってくると、凍る様に冷たい水が肌を刺す様で痛い。

寒い、冷たい、痛いと心の内で呟きながら何とか顔を洗い終えて水を止める。

側に掛けていたタオルを取って濡れた顔を拭きつつ鏡の中に映る自分を見てみたら、冬の水で顔を洗ったせいか、やたら白けた顔が覗いていた。

こうも寒いと寝起きは体温が低い人間の血の気は簡単に失われるからちょっと困る。

まぁ、寝起きに限らず、平均的に低体温だから朝限定の話でもないけれど。

お陰様で尾を引く様に残っていた眠気はすっかり飛んでいってくれて有難い。

早く何か躰を温めれる物を作って飲もう。

作業は其れからだ。

冷えた廊下の板を踏み縁側に出てみれば、外は綺麗な雪化粧に染まっていた。

道理で身が凍りそうな程寒い訳だ。

白い息を吐き出しつつ、庭先に広がる美しい白銀の世界を眺め歩いて進む。

庭に咲く山茶花が被った雪の重みで重そうにしているのを見て、後で暇があれば雪を払い落としておこうかなと思った。

まだ明かりの灯っていない厨へと入って明かりを灯し、ヤカンを火に掛けて其処に手を翳して暖を取る。

少しばかり手が温まったら、食器棚から自分のマグカップを取り出して、インスタントの珈琲の粉末を入れ、湯が沸くのを待つ。

暫くしてお湯が沸けば、其れを少しだけマグカップの中へと注ぎ入れて、残りは全てポットの中へと入れておく。

熱湯を注いだので、まだ熱くて飲めない代わりに冷めるまで寒さで悴む指先をマグカップに添わせて持ち、温まった。

氷を入れて飲んでも良かったけども、どうせ此れだけ寒いのだ、何もせずとも自然に冷める。

手が温まるまでの間だけ待とう。

飲める程くらいまで冷めてから漸くちみちみと少量を啜って口に含み、そのぬくさにふにゃりと溶ける芯に一人笑みを浮かべながらこくりこくりと飲んでいく。

マグカップの中身が半分より少し下辺りまで減ったら、一時テーブルに置いて作業を始める。

お握りの具材用に、鮭の解し身とわかめのふりかけ、昆布の佃煮に日向君お手製の梅干し、明太子の切り子やツナマヨ等々を用意して、テーブルへ広げる。

あとは空のボウルと水を入れただけのボウルにお塩を用意したら、御飯を準備するだけだ。

タイマーセットで既に炊き上がっている熱々艶々な御飯を炊飯器からおひつによそって、あら熱を取る様に冷ますべくしゃもじで混ぜる。

ある程度冷めたら、いざお握り作りスタートである。

まだ誰も起きてきていない時間帯に、一人静かに一つ一つ真心を込めながら握っていく。

定番の三角形の形をした物が、次々にお皿の上に並べられていって、お皿の上を賑やかに彩った。

そうこうしていると、厨番の二人が起きて朝餉を作りに来たのだろう、背後で暖簾を潜ってやって来た歌仙とみっちゃんが驚きの声を上げる。


「おや、誰かと思えば主じゃないか…!今日は随分と早起きなんだねぇ」
「んふふ…っ、おはよう二人共。ちょっと場所借りてるよ」
「おはよう、主。主が朝早くから厨に立つなんて珍しいよね?どうしたんだい?」
「今日は朝から長時間遠征に出てもらう予定だからね…!」
「嗚呼、其れでか…。そういえば、今日の遠征に彼も組まれていたんだったかな?」
「成程、その為の早起きとお握りという訳だね。ふふふ…っ、君もなかなか粋な事をする」
「主お手製の愛妻弁当だなんて、妬けちゃうなぁ〜」
「朝餉を作るついでに、遠征用の弁当に添える漬け物の方は僕達が用意してあげよう。君はお握りを握るだけで手一杯だろうからね」
「有難う、歌仙、みっちゃん。助かるよ」
「気にしないで良いよ。遠征に出るのは部隊三つ分、その編成に組まれた十八人全員分を一人で用意するのは大変だからね」


そう言って温かく見守ってくれる二人の厚意に有難く甘えさせてもらう事にする。

厨番がやって来た事で、静かだった空間は一気に賑やかになった。

何かをぐつぐつ煮込む音に、包丁が立てるリズミカルな音。

そして何よりも自分以外の誰かが居るという感覚に、誰かの口遊む鼻歌。

あっという間に寂しい空間は温かなものへと塗り替えられていった。

冬の寒々しい冷たさに満ちていた空気も、人数が増えて火の気配が立ち込めた事で暖まっていく。

お陰様で、気付いた頃には私の頬にも赤みが差して血色が良くなっていた。


「おはようございまーす…!あっ、今日は主さんもいらっしゃってたんですね!」
「うん、おはよう堀川。俺の方は朝餉の準備じゃなくて、遠征用の分だけどね」
「おはよう、みんな。きょうもさむいね。なにかわたしがてつだえることはあるかい?」
「小豆長光か、丁度良かった。こっちの手伝いをお願い出来るかい?」
「今日はまた随分と冷え込むなぁ…お陰で早く目が覚めてしまった……。何か温まれる物はないか…?」
「其れなら、其処の棚にココアとかインスタントの飲み物いっぱいあるから、好きなの選んで飲みな?まだ朝餉出来上がるまではだいぶ掛かるからさ」
「…うーん、何れが良いだろうか…」
「どうせなら、あっためた牛乳でも飲むかい?美味しいし、とても躰が温まるよ。別にお茶でも構わないけれど。どうする?」
「じゃあ、俺はホットミルクってのにしようかなぁ〜?この間、浦島ぁに教わって飲んだら凄く美味くてあったまったんだぁ〜。甘くすんのに蜂蜜使っても良いかい…?」
「良いですよ。はい、どうぞ。専用のスプーンで掬って取ってくださいね。入れ過ぎは躰に良くないから、気を付けて!」
「ありがとね〜堀川ぁ。ひゃあ〜…にしても寒くて手ぇがじんじんするよぉ〜」
「琉球組には今年の冬は辛いかな…っ。千代ちゃんは今年の二月に来たけど、去年の冬は暖冬だったからねぇ〜」
「あ…っ、だいにーにとちぃにーにこんな処に居たのか…!駄目じゃないか、朝餉作りの邪魔しちゃあ…っ」
「だって、お前…冬がこんな寒いとは思わなくてよぉ……っ」
「部屋の暖房器具全部点けてあったかくしたから、部屋戻るぞ…!」
「あ゙〜…琉球が、常夏の暑さが恋しいさぁ〜……っ」


治金丸君に回収されて千代ちゃんと北谷菜君がやって来たかと思ったらすぐに厨から出て行った。

ちゃっかりその手にはホットミルク三人分を持って。

流石お兄ちゃん組、弟分の分も用意するのを忘れないところが優しい。

そうして全てのお握りを握り終えて、昔ながらの器で包み、紐で括って縛ったら完成だ。

あとは、小さなメモ紙でも挟んで、出掛けに各自に配るのみである。

私の作業が終わる頃には朝餉も出来上がっていて、配膳の頃合いとなっていた。

その頃には、本丸の大半の者達が起きてきていて、大広間に集まって朝餉を待っていた。

それぞれの子達に配膳を任せ、起きた者達から順に席に着いて『いただきます』をする。

作業を終えた私も皆に倣って腰を落ち着け、手を合わせて食前の挨拶を告げた。

隣は勿論の事ながらたぬさんである。


「今朝は随分と早起きだったんだな、アンタ」
「うん、ちょっとね」
「飯作んのを手伝ってる事は稀にあれど、アンタ自身が始めから厨に立って作業すんのってのは珍しいよな」
「まぁね。今日は特別だから、お昼楽しみにしといて!」
「ん…よく分かんねぇが、分かった。楽しみにしとく」


お互いあったかいお味噌汁を啜りながらホゥ…ッ、と息を吐く。

今日は雪が積もってるから、後で庭先の雪かきしとかなきゃな…とかって思いつつ、ぺろりと朝餉を平らげた。

今日の朝餉も大変美味しくて朝から満足である。

食事を済ませたら、朝のお務めをするべく大広間に集まっている皆に声をかけて、今日一日のスケジュールを伝えていく。

既に昨日の内から当番表は張り出していたので分かっている者達も居たと思うが、改めて口頭で伝えた方が伝わりやすいからだ。

其れが済んだら、遠征に組まれた者達の支度を促して準備に取り掛かってもらう。

中には昨日の内から支度を済ませていて、あとは最終チェックを行うのみという子も居て感心した。

それぞれの準備が整った頃に門前へ集まってもらい、お昼のお弁当を手渡していく。


「はい、今日のお弁当。遠征先でも皆頑張ってきてね…!」
「おっ、コレはもしや、主さんのお手製じゃない!?やったぁー!今日は付いてるぅ!!」
「えっ、本当!?わぁいっ、大将の手作り弁当だ…!嬉しい〜!有難う、大将!!大事に食べるね!!」
「やけに朝早く起きて厨で何かしてんなぁと思ったら、こういう事かァ」
「えへへ…っ、今日はたぬさんが居たからね!ちょっとだけ頑張って早起きして、愛情いっぱい込めて作りましたよ!なので、今日のお弁当は特別なのです…!」
「成程、愛妻弁当というヤツか。此れは良い」
「正国も遠征組に組まれていたものなぁ〜。いやはや、今日の昼が今から楽しみでならんな!」
「さっき飯を食ったばかりだろう!まだボケるには早いぞ、天下五剣…っ!!」
「主が自ら手塩にかけて作った飯が食えるのは貴重だからな…!有難く頂戴しよう!!がっはっはっはぁ…っ!」
「あ、主が作った弁当などを俺が貰っても良いのか…?」
「…渡された物は黙って受け取っておけば良い。弁当くらいで一々はしゃぐな喧しい」
「にしても、ちっとばかし妬けちまうねぇ〜。同田貫の奴の時だけなんて狡くねぇか…?」
「仲睦まじい様で何よりではないか。男の嫉妬こそ醜いものは無いぞ?日本号」
「おい、其処の奴等ァ、全部聞こえてんぞー」
「わざとだよ」
「ハイ、お喋りはそのくらいにして…!お弁当仕舞ったら出掛けてもらうよ!!はい、さっさと仕舞う…!何時までもこんな処でくっちゃべってたら時間どんどん過ぎていっちゃうからね!」


お弁当一つで騒ぐ皆を纏めるべくパンパンッと手を叩いて促し、遠征へと向かってもらう。

持つ物全部持ったのを確認して最後、出掛けて行く皆の背を見送る。


「んじゃ、ちっと行ってくるわ」
「うんっ。遠征先でも気を付けて。何かあればすぐに連絡してね」
「分かってるって。アンタは大人しく本丸で俺達の帰りを待っててくれ」
「了解です…!じゃ、いってらっしゃい!!」


出掛けの寸前、一度だけむぎゅりとハグを交わして挨拶を告げる。

寒いせいか、彼の口から吐き出される息も白くて、彼の温もりに触れた時の感覚が何時もよりあったかく感じた。

何方ともなく身を離した私達は、何処か名残惜しげにしながらもそこは仕事だからと割り切って手を振り合った。


「皆、気を付けて行ってくるんだよーっ!くれぐれも怪我とかしない様にねぇーっ!!」


遠征へと向かう皆を送り出したら、私は私の審神者としてのお仕事に務めなければ。

すっかり鼻の頭と指先を真っ赤にしつつ屋内へと戻る。

すると、ぱっぱと近侍のお小夜が玄関先で待ってくれていた。


「では、私は皆の無事の帰還を祈って加持祈祷でもしてこようかな」
「何時も有難う、ぱっぱ」
「さ、早くお部屋に戻って温まろうよ。鼻の頭が真っ赤だよ、主」
「あははっ、私ってば寒いとすぐに赤鼻のトナカイみたくなっちゃうからね!部屋に戻ったらあったかいお茶でも飲みながらお仕事始めましょうかね…っ!」


そう告げてお小夜と一緒に離れの部屋を目指して歩く。

外の景色は寒々しくても、皆と一緒に居れば寒くはない。


執筆日:2020.12.27
Title by:INSOMNIA

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