主と出逢った最初の日


奥深い処で眠っていた時、俺は誰かに呼ばれる声が聴こえた気がして、意識を起こした。

遠く上の方で、俺を呼ぶ声が聴こえたようだった。

俺は見上げて意識の上の方を見遣り、手を伸ばす。

水面が揺れて、薄紅色の花弁が落ちる音がした。

瞬間、声の方に強く引き寄せられて、意識を覚醒させる。

地に足を着けた感覚がして、身が震えた。

まるで、肉を纏ったような感覚だった。

人の内で流れる血潮のようなものを内側に感じ、手先が痺れる。

次いで、閉じていたらしい眼を開いて、目の前に映るものへと視線を向けた。

そして、同時に口を開いて、とある文言を音にした。


「―俺は、同田貫正国。俺達は武器なんだから強いので良いんだよ。質実剛健ってヤツ?」


其れが、俺が初めてこの本丸に喚ばれて口にした言葉だった。

目の前で祈るように手を組んでいた女らしき奴と、俺と同じような気配をさせた…たぶん刀である奴、その二人が俺を見つめて固まっていた。

俺が首を傾げて見遣ると、女らしき奴の方が先に我に返ったようで、隣に居る派手めな金髪を片側に結った奴の肩を叩き、興奮したように声を発した。


「し、獅子王獅子王…っ!やったよ、成功したよ…!?」
「あ、嗚呼…っ、やったな、主…!」
「やった!やったよ…!!此れでウチの兵力も増えたよ…っ!!」
「おう…っ!!良かったな、主!」
「獅子王が近侍してくれたお陰だよぅ…っ!!本当に成功して良かったぁ〜!でかしたぜ、獅子王…!誉あげちゃう!!」
「ははっ、ありがとな!んじゃ、俺、早速皆に新しい刀来たって知らせに行ってくる…!!」
「うん…っ!こっちも色々説明したらそっち行くから…!!」


目の前で興奮したように喋る二人が一方的に事を進めて、一人勝手に居なくなっていく。

おい…他人の事放置すんじゃねぇ。

そんな意図を込めて睨むように目の前の奴を見つめてやると、漸く此方に意識を戻した女らしき奴が喜色を滲ませた顔で振り向いた。


「あっと…自己紹介が遅れてごめんね。俺がこの本丸の主――もとい、審神者を勤める“狛”って言います…!末長く此れから宜しくね!……え、っと…呼び名どうしよっか。巷じゃ、無用組の一振りとしてよく“たぬき”…?って呼ばれてるんだったかな…。んん…?でも、確か刀帳では“どうだぬき”で通ってるって……。ゔーん、でも“たぬきさん”、じゃ何かしっくり来ないしなぁ…。えーっと、たぬさん…?で良い、かな…?」
「あ…?アンタ、此処の主なんだろ?だったら好きに呼べよ。俺は武器なんだから、主の命に従うだけだ」
「んっと…じゃあ、たぬさんって事で!我が本丸へようこそ、たぬさん!改めて、此れから宜しくな…っ!」
「…嗚呼」


手を差し出されたから取り敢えずといった形で握り返した。

随分と非力で頼りない、細く柔らかな手をしていると思った。

こんなんで刀なんか握れんのかと疑問に思った。

次いで、視線を上向かせ、目の前の女らしき奴の顔を見遣る。

到底男には見えない面をしていた。

だから気になって、一応確認の為に一言問うた。


「なぁ…アンタって、女…なんだよなァ?」
「え…?あー…もしかして、口調の事かな?」
「お、おぉ…。何か妙に男みてぇに喋ってっから、一瞬どっちなのかと…」
「あはは…っ!まぁ、初見じゃそう思われても仕方ないわな…!一応前以て言っておくと、俺の正式な性別は女だよ。こんな荒っぽい口調してるから紛らわしかったかもしんないけどね。ちなみに、たぬさん達刀剣男士の皆さんは“男士”って付いてるくらいだから、男の身として顕現してるよ。性別での人の身の違いは、見てりゃその内分かってくっから、ま、気長に覚えていこうな!」
「うーっす…」


見た目は至極真面目で大人しそうに見えるのに、その口からは男みたいな乱暴な口調で言葉が飛び出ていた。

何とも見た目に反してちぐはぐな中身をした女だと思った。

顔は、たぶん悪くない方の部類に入るだろう。

だが、特別美人という訳でもなく、探せば何処にでも居そうな感じの顔付きだった。

でも、他の奴等と比べて何となく目に付いて見えたのは…たぶん、きっと己の主だからという意識や何かが働いていたからなんだと思う。

そうでなかったとしても、俺は主の事を他の奴等とは違って特別に見分けていたかもしれない。

顕現してすぐ俺は一通りの説明を受けて本丸内を軽く案内された。

先程、俺を鍛刀で喚ぶに至ったのに助力したのは、同じく刀剣男士で刀の獅子王とか言う奴らしかった。

奴は俺と違って太刀に分類される刀種である事や、其奴が暫く俺の世話役になる事も、同時に主より本丸を案内される道すがら聞かされる。


「獅子王って子以外にも他に刀の子は何人も居てね。ウチは本丸始まって日が浅いから、まだまだ刀数は少ない方だけども。本丸始めて初めて顕現させた初期刀って組に分類される子が居るんだけどね?取り敢えずは、獅子王の次にその子から紹介するよ。…確か、今日はこの辺りに〜……あ、居た居た。おーい…っ、清光ぅー!」
「あ…っ。やっほー、主。そっちの隣の奴が、今回新たに顕現した奴?」
「うん…!そだよー。此方は、折れず曲がらずで有名な質実剛健な刀、同田貫正国さんです…っ!あの有名な展覧兜割りを唯一成功した一振りだそうですよ!…で、反対に此方は、我が初期刀様で世界一可愛い加州清光さんで〜すっ!!」
「どーもー。只今紹介を受けました、俺、加州清光でーす。此れから宜しくねー」
「俺は同田貫正国だ…。好きに呼んでくれ」
「ふ〜ん…じゃ、たぬきって呼ぶ事にすんね。全部呼ぶと長いし、略しって事で。可愛いでしょ?動物の狸みたいで」
「おい…、確かに俺は好きに呼べとは言ったが、狸と呼べとは一言も言ってねぇよ。俺は“どうだぬき”だっての…。狸と一緒くたにすんな」
「ぶふ…っ。突っ込みどころ其処なんだ?あっはははは…!」
「な…っ、何も笑うこたねぇだろ…!?」
「ごめんごめん…っ!ちょっと突っ込み方が面白かったからツボっちゃっただけ…っ。変に笑っちまって悪かったって。悪ぃ、馬鹿にした訳じゃなかったんだ。誤解しちまったなら、謝るよ」
「いや…別にんな怒ってる訳でもねぇから、良いけどよ…」
「そっか。すぐに許してくれて有難う。せっかく来たばっかなのに、ギスギスと変な空気になっちゃうのも嫌だよね。取り敢えず、簡単な紹介や案内は此処までにして、軽くウォーミングアップしてきてもらいますかね…!」
「“うぉーみんぐあっぷ”?…って、一体何すんだぁ?」
「ふっふっふ…新刃君達にとっては、最初の試練と言っても良いだろう。つまりは、出陣だよ」
「出陣……ってーと、戦か!」


“出陣”との言葉を聞いた瞬間、腑の内側がザワザワと騒ぎ出し、高揚していくのが分かった。

この感情が、さっきの主と獅子王って奴が感じていたもんなのか…。

本当のところがそうなのかどうなのかは分からなかったが、何となく悪くはねぇもんだなと思って自然と口角が上がっていくのを感じた。


「たぬさんには、此れから早速一振りだけで或る戦場へと出陣してもらおうと思います…っ。新刃刀の最初の試練ってとこだね。いっちょ派手に暴れてきてもらいますよ〜!」
「おっ、戦だな?待ってたぜ…!」
「存分にその力、見せ付けてやってくれ…!」
「へへ…っ、そう期待されちゃあしょうがねぇよなァ…!」
「ではでは、早速準備と取り掛かりましょーう…!」


俺の強さを見込んでくれたのか、早速出陣させてくれると主は言った。

俺は嬉しくて、早く敵を斬って活躍して武勲を立ててやろうと奮い立った。

主に導かれるまま戦支度を整えて、転送ゲート門前まで連れてこられる。


「さて…此れから出陣する訳だけども、一つだけ注意点を言っとく。進軍するも後退して強制帰城するも、此れは審神者である俺が采配、決める事だ。…お前が勝手に決める事じゃないという事だけはしっかり覚えておいてね?俺の指示にはちゃんと耳を傾ける事。勝手な行動を取った場合は、罰として一週間馬当番だからな。覚悟しとけよ」
「へいへい、わぁーったよ…。御託は良いから早く出陣させてくれ」
「ったく…、聞きしに勝る戦馬鹿だねぇ。…他人の話ちゃんと聞かないで痛い目見ても知らねぇからな?」
「へ…っ、ソイツはどうかね…?実戦刀の強さ舐めんなよ?」
「ハイハイ…っ。じゃ、転送ゲート開くよ。気を付けて行ってこい…!」
「おっしゃあ!いざ出陣…!」


主の忠告も程々に聞いて、俺は嬉々として転送ゲート門を潜っていった。

そして、出陣したその先で、俺は何度も攻撃を食らって傷を受けた。

だが、此れぐらいの傷どうって事はないと鷹を括った。

気付けば、傷は中傷レベルにまで陥っていて血だらけになっていた。

其れでも主の方もすぐに撤退しろとの指示は口にしなかった。

そうして何度かの出陣を繰り返し、一度帰城した時の事だった。


「ゔぅ゙…っ、見るだけで痛々しく思うんだけど……此処は心を鬼にして…っ。あともう一回…っ、あともう一回だけ出陣出来る?そしたら、ちゃんと手入れするから…っ」
「あ゙ぁ゙…っ。こんな傷、唾付けときゃ治る…!」
「…辛いところ申し訳ないけど、もう少し頑張ってきてくれ…!」
「はは…っ、良いぜ…?気にせずガンガン行こうや……ッ!」


何度かの出陣だけですぐに血味泥のボロボロになっていった俺を見て、主は少し顔を歪めてそう言った。

俺の強さを信頼してくれてそう言われてんだと思ったら気分は悪くはなかったが…もし、この血味泥になっていく姿を怖いとか醜いとか思われて嫌われちまったらって思うと、そいつぁ嫌だなァと何となく思っちまった。

んな下らない感情、今は邪魔にしかならないってのに。

俺は一度頭を振って、一瞬頭に生じた余計な思考を振り払った。

肉を纏って人の身を得たせいか、刀であっただけの頃よりも感情やら何やらが複雑化してよく分かんなくなっちまってた。

俺は武器だ。

武器は戦で使われてこそなんぼだろ。

其れだけ分かってりゃあ十分だった。

また雑魚を斬って斬り伏せて、敵将が居ると思しき本陣へと辿り着く。

其処ら一帯は淀んだ空気を漂わせていて、立っているだけで重苦しく感じた。

その本陣へと、俺は単騎で乗り込んでいった。

明らかに初めから劣勢な状態だった。

だが、主は撤退ではなく進軍を許可してくれた。

その期待に応えてやりたくて、俺は傷だらけの躰に鞭打って刃を振り翳した。

敵大将とがち合って、刀を交える。

力は拮抗状態。

けど、俺は一人だけで、相手は二振りも居た。

油断していたせいか、脇差の奴を相手している横から、短刀の奴より一撃を食らっちまった。

其れが思った以上の深手だった。

刹那、俺は残ってる限りの力を振り絞って刀を振るった。


「随分と舐めてくれたじゃねぇか…ッ、許せねぇ!!」


まさに真剣必殺。

強靭な一撃を敵方にお見舞いしてやった。

結果、敵勢は戦線崩壊により撤退、戦は此方の勝利に終わった。

俺は何とか立ってる程の重傷で、即本丸へと強制送還された。

本丸へ帰城して一番に顔を合わせたのは、やはり主で、先程見た時よりも不安そうな今にも泣きそうな程に歪めた顔をして俺の事を出迎えた。


「よくやった、たぬさん…!お疲れ様…っ。真剣必殺、格好良かったよ!」
「あ゙ぁ゙…へへへっ、ちゃんと見てくれてたんだなァ………ありがとよ…」
「嗚呼、お前が強い刀だって事はよぉく分かったから…っ、今はゆっくり休んでくれ…!医療班は居るかっ!?居たらすぐに手入れ部屋の準備を整えてきてくれ…!!あと、薬研も一緒に呼んできてもらっても良いか…!」


だらり、と力無く主の方へ凭れ掛かると、主はそう声を張り上げて周りに居る奴等に指示を飛ばしながら俺の身を支えた。

俺よりも圧倒的に細身で小柄な躰をしていた女の癖に、馬鹿みてぇに今は強くとても頼りがいがあるように見えた。

其れが…その時の俺が意識を失う手前までの記憶で、その後すぐに意識を飛ばしちまった俺は手入れ部屋へと運ばれ、目が覚めるまでの暫くの間、床に臥せっちまう事になるのだった。


執筆日:2019.10.12
加筆修正日:2020.03.06

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