気丈で強気な女主


泥ん中に居るみてぇだった意識が浮上して、俺はゆるりと目蓋を震わせ眼を開いた。

気が付けば、俺は布団に横になっていて、傍らには綺麗に手入れされたんであろう俺の本体が刀掛けに掛けられて鎮座していた。

視線を少し動かして見遣れば、俺を手入れするのに力を使って疲れたんだろう、主が腕を組んで壁に凭れ掛かったままうつらうつらと舟を漕いでいた。

まだ鉛みたいに重く痛みに軋む躰を起こして、包帯に覆われて固定された腕を無理矢理動かし、主の方へと手を伸ばす。

そうやって触れる手前で主が目を覚まし、俯けていた顔を上げた。

瞬間、触れようとしていた俺と目が合って小さく驚いたように肩を跳ねさせた。

軽く居眠りしていた程度に意識を飛ばしていただけなんだろう。

俺が気が付いた事に意識を向けた主は、慌てた様子で俺に話しかけてきた。


「うわ吃驚した…っ!たぬさん、目が覚めたんだね…。うっかりうとうとしちゃって、ハッと気付いたらいきなり目の前に居たもんだから、変にビビっちゃったわ…っ。えーっと…、取り敢えず、おはよう…?無事目が覚めたようで良かったよ。ところで…どうでも良い質問なんだけど、何で起きてすぐ私に触れようとしてたのかな…?」
「…いや、特に意味は無ぇが……アンタがあまりにも動かねぇから、てっきり死んでんのかと思って…」
「あ゙ーっ、そーいう…。すまんすまん、ちゃんと生きてっから。そう心配せんでも大丈夫よ。勘違いさせるような真似してごめんね…?いやぁ〜、まだまだ審神者なってから日が浅いもんだから、色々な事に不慣れでね。つい疲れてちっとばかし寝転けてしもうたわ…。あいやぁ〜…駄目な主ですまんねー。お見苦しいところをお見せして申し訳ない」
「あ、いや…、何ともねぇってんなら良いんだ。こっちこそ驚かせちまって悪ぃ…」
「いんや、別に構んよ。うっかり寝転けちまった俺が悪いんだし。お相子様ね」


からからと小さく乾いた笑みを浮かべた主の目が一瞬笑っていないように思えて、俺は呆然とその目を見つめた。

其れに気付いたのか気付かなかったのか、曖昧な態度だったが…其れからすぐに壁に凭れ掛かっていた身を起こすと、俺の躰に触れて怪我をしている以外に何処も異常は無いかの確認を取ってきた。

俺は其れに慣れないまま言葉を返して、触れてこようとする主の手を掴んで抵抗した。


「そんなベタベタ触んなくたっても別に平気だっての…っ。此れぐらいの傷、戦に出てりゃ当然だし。俺達は武器なんだ…怪我くらいどうって事ねぇよ」
「とは言われてもねぇ…、此処の主として審神者として管理してる身なんだから、心配くらいさせろ。自分とこの刀なんだもの、ちゃんとしときたいだろ…?」
「だからって、んなしつこく触ってこなくても良いだろっ。人間でもあるまいし…」
「今は人の身を得て顕現してるって事、忘れんじゃねーぞ。例えその身が仮の器であり、元は物であり武器で刀であったとしても…今は人と然して変わらない姿なんだ。其れを忘れてもらっちゃ困るからな」
「ッ……、お、おう………っ。分かってるよ、その事は…」
「いいや。まだ顕現したばっかのお前はよく理解してねぇ。…だから、んな自分を大事にしない形で重傷レベルの傷負ってんだ。お前は、まだ刀であった頃のままの意識で戦ってる…。そのままでこの先も戦ってたら、何時かその身を滅ぼす事になるぞ。俺はその事を懸念して言ってるんだ」


俺は、慣れない主からの触れ合いにむず痒くなって、其れで主の手を跳ね除け、思ってもない事も含めて誤魔化すように口にしたんだ。

そしたら、主は急に態度を改めて、怒気を露にするように語気を強めて俺を叱り付けてきた。

主がただでさえ鋭い目付きを更に尖らせて、俺が拒もうと払い除けた手を掴んで言ってくる。


「お前の練度がまだ低かったから傷を負いやすかった…って事は理解してる。敢えて刀装も装備させずに行かせたしな…。まぁ、その点については今は置いておくが…、練度が低かったり弱かったりする事については此れから精進し鍛えていけば済む事だ。…だが、今の戦い方のままじゃ、あまりにも危険過ぎる…。俺はそう、一通り画面越しに見ていて感じた。だから、今、忠告してる。今のお前の戦い方じゃ、ただ命を削るだけだ。其れを改めて欲しいと俺は思う」
「……どういう意味だ」
「…率直に言って、お前にはもう少し自分の身を大事にした戦い方をして欲しいと思ってる。…出来れば、だけど」
「アンタは、今の俺の戦い方が不満だって言いてぇのか…?」
「…そう、捉えられても別に構わないよ。俺は其れに近しい事を言ったんだし」


その言い方が気に食わなくて、俺は相手が女で且つ己の主である奴なんだという事も忘れて胸倉を掴み、壁際に押し付けた。

しかし、主は変わらず俺を諭すように強気な眼差しで見つめ続けた。

そんな女らしかぬ態度に面食らって、俺は動揺しながらも苛立ったように言葉をぶちまけた。


「何が己の身を大事にしろだァ…?俺達は武器だ…っ。其れらしき戦い方をして何が悪い…ッ!」
「悪いとは言ってない…っ。ただ、もう少し自分の身を顧みて戦えと言ってるんだ……!」
「俺達は刀で武器だ…っ!戦って傷付くのは当たり前だろ!!其れに恐れをなして戦に出ない奴なんざ、ただの腑抜けた腰抜けな鈍刀なまくら共だけだ…ッ!!俺はそんな奴とは違う…!!戦に出て戦って折れるのは当然の末路だろ…っ!其れを恐れて戦ってちゃ何時まで経っても敵にも戦にも勝てねぇままだ!!…其れによォ、例え折れたって…俺はアンタの刀の一振りに過ぎねぇんだ。鍛えりゃまだ俺よか身目の良い刀は居るし、バンバカ数打ちゃもっと強ぇ刀だって来んだろ…?別に、俺みてぇな量産刀に拘らなくても……っ、」
「其れ以上、その言葉口にしてみろ。テメェの脳味噌今すぐかち割って此処にぶちまけんぞ」
「ッ……、――…は?」
「聞こえなかったか…?今すぐその減らず口閉じねぇと、テメェの脳味噌かち割ってこの場にぶちまけるぞって言ってんだよ」


そうギロリと睨まれた瞬間、俺は蛇に睨まれた蛙の如く動けなくなった。

額や背中からは嫌な汗が吹き出てくる程身が戦き、無様にも震えちまったとその時感じた。

同時に、俺はこの人には逆らっちゃ駄目なんだと瞬時に悟った。

主の黒き瞳が俺の身を貫くように鋭く射抜く。

まるで縫い付けられたみてぇに動けなくなった俺の身を反対に掴んだ主が、口を開いた。


「金輪際、二度とそんな“俺は折れても良い、代わりは打てば幾らでも居る”なんて言葉口にするな…ッ。俺はそういう言葉が大っ嫌いだ…ッ!俺はお前達を絶対に折らせはしないし、捨てもしない…!一振りだって欠ける事も許さない!!自分の代わりは幾らでも居るだなんて事、二度と口にすんな…っ!お前は俺の大事な刀なんだ、んな容易に“折れても良い”なんて自分を蔑ろにする事言うんじゃねぇ!!はっ倒すぞ…ッッッ!!」


そう、主は声を荒げて捲し立てた。

余程いきり立ってたのか、口にしたい事を言い終えた後、ぜぇはぁと肩で息を継いでいた。

俺は訳が分からなくなって混乱した。

何がそんなに琴線に触れたのだろうか。

主の咎めるような視線を受けながら、そんな事を呆然に考えていた。

其処で漸く主は、いつの間にか俺に掴み掛かっていた手を退け、深く溜め息を吐いた。

そんな些細な事にさえ動揺しちまった俺は肩を揺らす。

すると、主は呆れたような笑みで疲れを滲ませた声で言った。


「…あ゛ー、いきなり怒鳴ったりして悪かった…。ただ…、“お前も俺の大事な刀の一振りなんだから、自分の身は大切にしなきゃ駄目なんだぞ”、って事を伝えたかっただけなんだ。つい熱くなって乱暴な言葉で無茶苦茶言っちまったよな…悪い。カッとなったらすぐに怒っちまったりするの、俺の悪い癖なんだ。ごめん…っ」
「ぁ……、いや、俺の方こそ…自覚が足りなかった…。俺は一刀に過ぎねぇのに、主であるアンタに勝手な口聞いちまった…すまねぇ。罰なら幾らでも受けるし、何なら刀解してくれても構わな、」
「其れがアウトだって言ってんだろ…?」
「え…?あ………っ、」


つい、また失言しちまってた事に気付いて、俺は口を塞ぐ。

主は乾いた笑みを漏らして小さく笑った。


「は、ははは……っ。そうだわな…お前も、俺の刀だものなぁ…。自己意識が低いところとかが俺に似ちまっても仕方ないか……」
「え………っ、今…何か言って…」
「…うんにゃ。何でもない、ただの独り言だ…!」


そう言った時の主があまりにも自嘲的に笑うから、何でそんな哀しそうに笑っちまうのかが分からなくて、俺は内心首を傾げた。

主はすぐに誤魔化すように瞳を伏せ、立ち上がる。

そして、通り過ぎてく擦れ違いに俺の頭をぽんぽんと柔く撫ぜて後ろ背に言った。


「まだ傷が完治してないから…治り切るまで此処でゆっくり休んでろ。だいぶ深くまでやられてたから、もう暫く回復には時間が掛かるだろうし…。其れまで大人しくしてるんだぞ」
「…アンタは、此れからどうすんだ…?」
「俺か…?俺はまだ仕事が残ってるから、部屋に戻って片付けてくるよ。手入れが終わる頃の時間になったら世話役の獅子王に来るよう言ってあるから、来たらお前の部屋に案内してもらえ。…今日はもう出陣は無しだし、後は他で説明してなかった事とか細かい事を教えたり本丸の奴等を紹介したりすっから、気持ち緩めてリラックスしてろ。ほんじゃな」


スタン…ッ、と乾いた音を立てて障子を閉めた主は、スタスタと何事も無かったかのように手入れ部屋から出ていった。

俺が負傷して帰ってきた時も、俺がカッとなって頭ごなしに怒鳴っちまった時も、主は一度たりとも泣いたりなんてしなかった。

女は弱くてすぐに泣いちまう生き物だと思ってたが…どうやら違ったらしい。

取り敢えずは、刀の頃のままだった意識や認識を色々と改めないとな…、と上の空で思った。

俺は、まだ顕現したばっかだったから、色んな事に気付きもしなかった。

だから…この後、主が一人隠れて泣いちまってたりしてた事があったなんて事にも気付けなかった。


―俺の傷が治った頃、静かに部屋を出ると、丁度といった形で世話役の獅子王とか言う奴に出くわした。

主の言っていた通りだった。

俺は、部屋の隅に置かれていた俺の物なんだろう着替えの服を身に纏って奴と対峙する。


「おっ、傷治ったんだな…!調子はどうだ?」
「…あ゙ー、お陰様で…?」
「ふんふん…っ。その調子なら、もう大丈夫そうだな!もし、この後躰動かしてて何か変だな〜って思うような事があったら遠慮せず言ってくれよな…!すぐに主に知らせてやっからさ!」
「おぉ…」
「んじゃ、早速此れからお前の部屋になる場所にまで案内するぜ…!アンタん処は二人部屋で同室になってるから、部屋に着いたら同室の奴の事も一緒に紹介すんな!彼奴だけ一人槍って身だから、最初初めて逢った時はソイツのデカさにおっかな吃驚しちまうかもしれねぇけど、案外優しくて良い奴だからさ…仲良くしてやってくれよ?」
「…はぁ。まぁ、逢ってみねぇ事には分かんねぇけどな」
「まっ、そりゃそうだよな!他にも、厨とか風呂場とか、厠に道場、厩なんかも案内しとかねぇとだなぁ〜…。ウチ、まだ刀数は少ねぇ方だけど、結構広いんだぜ?コイツは主の受け売りみたいなもんなんだけどさ、“此処は俺達の帰ってくる場所で家みたいな処だから、本丸に居る奴等は皆仲間で家族みたいに思ってくれ”、ってな…!此れから仲良くしようぜ、同田貫!」


そうニカッと明るく笑って拳を突き出してきた奴に、俺は若干面食らいながらも、適当に合わせる形で自身の拳をコツリ、突き合わせた。

其処で何か思い出したかのようにハッとした奴は、焦った様子で再び口を開く。


「いっけね…!俺ってば、肝心な事言うの忘れてたぜ…っ!」


そう言った奴は一度口を塞いで慌てふためいたかと思いきや、また片手を差し出して言ってきた。


「紹介が遅れたな、悪ぃ…っ。今更になっちまうかもしんねぇけど、俺、獅子王って言うんだ…!刀種は太刀で、黒漆太刀拵が恰好良いのが自慢だけど、じっちゃんが持つ関係で軽く作ってあるんだ。打刀であるアンタとは部類が異なるかもしんねぇけど、一緒に戦出れた時は宜しくな!」
「…おう。アンタの事なら、既に主から聞いてるよ…」
「へへ…っ、そっか!此れから宜しくな!」
「嗚呼。同じ本丸に顕現した者同士、宜しく頼む。此れから色々と世話になるぜ」


俺はそう言って、奴の手を取った。

其れは主のものとは違って硬く、刀を握る手だった。


執筆日:2019.10.15
加筆修正日:2020.03.06

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