寝覚めの悪い朝


夜が明けて、昇った朝日が部屋へと光を射し込んできていた。

何事も無く穏やかな状況で居れたらば、気持ちの良い朝だと迎える事が出来たのだと思う。

しかし、現実はそうもいかなかった。


(…目覚めの悪い朝だ…。おまけに、また厭な夢を見てしまった……)


気持ちとは相反したように、部屋の外では、朝を迎えれて嬉しいのか元気に鳴く鳥達の鳴き声が爽やかな朝の風を運んでいた。

だが、自身は真逆の感情に支配されていて、ちっとも嬉しいとは思えなかった。


(最悪な寝覚めだ……。よりによってあの時の事を夢に見るとは…胸糞悪過ぎて、寝直したくても寝直せねぇわ…。はぁー………っ、何でかなぁ……?此処のとこ寝付きも悪けりゃ夢見も悪過ぎて、朝から超気分最悪なんですけど…)


ずるり、と引き摺るように起こした身で布団から這い出て、立ち上がる。

そうして、部屋の障子を開け放ち、本丸の裏手に位置する庭を見遣った。


(何か…あんまり寝た気がしねぇけど、仕事溜まんの嫌だし…上に早くしろって催促されんのも嫌だし……、さっさと起きて仕事始めるかぁ…。前とは違って、一人黙々と事務仕事こなすだけで居られるんだし…ちょっと大変ではあるけども、前の環境を思えばずっとマシだよね)


爽やかさとは程遠い面持ちで薄暗い感情を抱えながらも、朝になったからと身支度を整え、母屋の方へと向かっていく。

…本当、朝日ってのは毎日変わらずに昇ってくるよね。

こっちは、未だ止まったようにずるずると重たい過去引き摺ってんのにさ。

月日ってものは、他人を置き去ったまま過ぎていくから嫌だ。

あの日から私という人間の時は止まったまま、動き出せていないように思えて仕方がない。

人間、そう簡単には感情を切り離せない上に割り切れもしないから面倒極まりない。

ならば、いっそ人間でいる事を辞めてしまえば良いのではないかと思った事も少なくはない。

最終的には極端な結論として、いっそ生きる事を辞めてしまえば楽になれるんじゃないかとすら思った事もある。

果たして、そんな人間にこの本丸の主として勤める資格はあるのか…?

その疑問は、もう何度も自分の胸の内で提示してきたものだ。

未だに、其れだけは自信を持って答える事が出来ないままで居る。

己が自身に問うた事であっても…。

私が私で居れない期間が長過ぎて、もうどんな事を成しても全てにおいて自信が持てなくなってしまっているのだ。

最早、自分というものを見失っている気がする。

自分の事なのに、自分の事が分からなくなってきているなんて、飛んだお笑い話だ。

当人からしてみれば、全くも笑えない事であるが。

心半ば恨めしく空へと昇っている朝日を睨み付けるように見ていると、もうそんな処にまで着いてしまっていたのか。

気付けば、すっかり母屋の皆の居住スペースである部屋の辺りにまで来ていた。

考え事をしていると早く目的地へ着いてしまうものだな…と他人事のように思って、大広間へと顔を出す前に一度厨の方にでも向かうとするかと考え、其方の方へと足を向けかけている時だった。


「…あれ、その巫女服…って事は、主か…?」


不意に後ろから声をかけられて、其れに少しだけ驚き小さく肩を跳ねさせてから振り向く。


「……嗚呼、何だ、たぬさんか…。後ろからいきなり声かけられたから、吃驚した…。おはよう、たぬさん。起きるの、結構早いんだね。昨日はしっかり眠れた…?」
「おう。寝る感覚ってのはまだよく分かっちゃいねぇが、たぶんちゃんと寝れたんじゃねぇかなぁ、とは思う。…アンタの方は?」
「え…?」
「アンタの方は、ちゃんと睡眠取れたのかよって聞いてんだよ」


朝起きて今日初めて顔を合わせたから、会話にしてはごく普通の事を聞かれたんだと思う。

だけど、私はそのごく普通で当たり前に交わされるんだろう会話にさえも非道く動揺してしまって、ついすぐに言葉が出て来ずにどもってしまったかのように詰まらせた。

その様子に、彼は怪訝な顔をして首を傾げて此方を見てきた。

下手に誤魔化すのもまずいかと思って、取り敢えずは素直に口にする事にした。


「…どうした?何かあったのか?」
「ぇ…あ、いや、別に何かあった訳じゃあないんだけど…その、ちょっと寝覚めが悪かったというか、夢見が悪かっただけ、というか……。一応、ちゃんと睡眠は取った筈なんだけどね…?あんまり寝た気がしない、と言いますか…まぁ、そんな感じかな…!たぬさんには、直接関係ある事じゃあないから気にしなくても良いよ…っ!」
「俺に直接関係無くとも、アンタの事となったら心配すんのは当たり前だろ…?アンタは俺達の大将なんだからさ。いざって時に倒れられても困るだろ?」
「…そ、れもそうだよね…っ。あは…っ、ごめんね?自分の事もまともに管理出来てなくてさ…!駄目だなぁ、俺…審神者になったばかりとは言え、何時まで経っても新人のまんまじゃ居られないのに。審神者たる者、もっとしっかりしてなきゃ駄目だよね…!……あー…っと、今ので幻滅しないでもらえると嬉しいかな…?」
「え…?いや、今のだけで幻滅はしねぇっていうか、そもそも、俺は別にそういう意味で言ったんじゃ……っ」


彼が何かを言いかけて噤んだのを見て、「ん…?」と聞き返す。

すると、彼は一瞬だけ苦く顔を歪めた後に元の表情へと戻ってから一言、「何でもねぇ…」と口にして、また口を開いてきた。


「…今日は皆と一緒に飯食うのか?」
「え?嗚呼、うん…食べるよ。…昨日は忙しかったから、結局皆と一緒に食べれてなかったもんね…。ごめんね、変な心配かけて。大丈夫、昨日も皆とは時間ずれてたかもだけど、一人でもちゃんと部屋で食べてたから。一応、今日は皆と一緒に食べる予定だよ」
「そうか…。なら良い。人間は飯食わなきゃ動けなくなっちまうし、生きていけないくらい弱い生き物なんだろ?」
「“弱い生き物か”、つったらそうとも言い難いけど…ちゃんと御飯食ってないと躰に悪いってのは合ってるね」
「なら、アンタもちゃんと飯食っとけよ。ただでさえ、んな細ぇ躰してんだから…」
「んーっと…其処は否定出来ないけども、元より俺は女だからね。男と女じゃ、多少なり体格差ってものがあるから、其れも此れから覚えていこうな」


何となく、心配してくれてたのかなって事だけは分かった気がする。

昨日は、結局手入れ部屋で顔を合わせたのを最後に顔合わせてなかったからなぁ…。

というか、部屋に籠ってからはずっと端末に齧り付いたままだったから、姿すら見せてなかったんだっけか。

そりゃちゃんと生きてんのか飯食ってたのかとか、気になって心配してきても可笑しくはないな…。

改めて昨日の自分の行いを見返して思った。

今日はなるべく皆に顔を見せられるように努めよう。

そう考えて、止めていた足を厨の方へと向け直し、歩き出す。


「…何処行くんだ?」
「厨の方だよ。今日はなるべく皆と一緒に食事摂りたいし、まずは朝一だしってな事で大広間へ向かう前に厨の面子に顔出しとこうかなって。ついでに、何か手伝える事あったら手伝おうかな、と」
「ふぅん…。なら、俺も一緒に付いて行って良いか?まだ色々と場所が曖昧で覚え切れてねぇしよ」
「え……っ?あ、あぁ…そういう事ね…。其れは別に良いけども…何か厨に用でもあった?」
「いや、別に用は何もねぇ。ただ敷地内の位置覚えるついでに、俺も暇だからアンタに付いていこうかと思っただけだ」
「………はぁ」


よく分からない回答を貰って、首を傾げる。

緩く歩き出した私の後を、彼は同じくらいの速度で付いてきた。

後ろに誰かを付けて歩く事に慣れない私は、段々と居心地が悪くなってきて、すぐに音を上げるように声をかけた。


「…あの、ごめん、たぬさん。ちょっと良いかな…?」
「あ?何だよ、立ち止まって…」
「いやぁ…その、同じ方向へ一緒に向かうなら、出来たら俺の横に並ぶか前の方に居てもらえたら嬉しいな、って思って……っ」
「は?何でだよ…。俺達はアンタの刀で部下なんだから、前や横よりも後ろに控えてた方が適当だろ?」
「いや、確かにその考えで言うと合ってるんだけどな…っ!其れだと俺の方が慣れてないからさ…出来れば、後ろよりかは前、もしくは横辺りに居てくれると助かる…っす。主足る者、しっかり前見て皆の事引っ張っていくくらいの構えで居なきゃなんないんだろうな、ってのは分かってるんだけど…此ればっかりはさ…。何か微妙な感じに思えちゃうというかなぁ…。変な事をお願いしてる自覚は、ある…けども、此れ、たぶん性格的な問題だから許して…?」
「はぁ…」


微妙な顔で返事を返されたものの、一応理解はされたらしく、後ろに付くように歩いていた彼が隣へと来る。

そして、抑揚のない低い声で言うのだ。


「…此れで良いんだろ?」
「うん…有難う。何かごめんね?せっかく臣下らしく努めてくれてたところ水差すような事して…」
「別に…、此れくらいの事で一々御礼なんか良いっつの」


些細な気遣いではあるが、気の小さい私は此れくらいの事だけでも大いに助かるのだ。

彼が物分かりの良い優しい子で良かったと思った。

其れからというもの…こうして彼が私の側へ立つ時は、必ず前か隣に立ってくれるようになるのであった。

律儀に真面目に私の思いを汲んでくれるかのように…。

そんなこんな会話をしながら、厨へと向かい、顔を出しに行く。

今日の厨当番は、清光と光忠、歌仙に堀川と安定の五振りが担当していた。

刀数が増えていく分、料理の作る量も増えていく為、作る側も大変だろう。

刀数に至っては、今はまだ少ない方だから良いが、此れからもっと増えていく事になるだろう。

そうなっては、食事係に当てる当番の人数も考えないとな…、と思考しながら声をかける。


「おはよう〜。今日も朝早くから皆の為に食事作ってくれてありがとね〜」
「あ、おっはよ主〜!ねぇ、今日は朝一緒に食べれんの?」
「うん、一緒に食べれるよ。昨日は朝以外はほぼ別にしてもらっちゃってたからね、何か色々とごめんね…っ?今日はたぶん大丈夫だと思うよ…!今日はなるべく皆と一緒に食べれるようにするつもりだから」
「そうかい。其れは良い心掛けだね。皆、主と一緒に食事を摂る事を楽しみにしているようだから」
「そう思ってもらえてるなら、嬉しいかなぁ…っ」


挨拶を返してきた清光に答えつつ、流れで言葉を続けてきた歌仙の言葉へも続けて返す。

寝覚めが悪かったせいで朝からどんよりした心持ちだったが、彼等からの優しい声掛けを受けて、段々と気持ちが和らいでいく。

其処へ、今日の体調をも含めた問いが光忠から投げかけられた。


「そういや、主…今日の食欲は大丈夫かい?昨日は忙しくてあまり時間が取れないからって、簡単な物しか食べてなかったけど…」
「あ、そっちの方も大丈夫…。今日は、何時も通りで構わないから」
「そっか。じゃあ、何時も通り御飯軽くよそっとくね。朝は食が細いからあんまり入らないって言ってたし。同田貫君の方は、昨日よく食べてたみたいだから大盛りで良かったかな…?」
「嗚呼…其れで構わねぇけど」
「足りなかったら、後でおひつに入れた分持っていくから、其れからおかわりしてね」
「うっす」


ナチュラルに会話に混ざってきた声に、そういえば彼も居たんだったという事に気付き、一瞬変に焦った。

気付かれていないだろうか…。

若干不安に思いながら、隣にある顔を見遣る。

すると、視線に気付いた彼が「ん?」と返してきたので、咄嗟に思い付いた軽い台詞を口にした。


「あ…、変に見つめちゃってたらごめん…っ。いや、昨日御飯一緒じゃなかったから知らなかったんだけど…たぬさんっていっぱい食べるんだね?」
「そりゃ、まぁ…俺は刀だし、動くと腹減るからな。其れに、食べねぇと人間の躰は動きが鈍くなっちまうんだろ?だったら、しっかり食って力蓄えとかなきゃな。“腹が減っては戦は出来ぬ”ってよく言うし」
「おぉ〜っ、武士の鑑みたいな事言うね…!」
「まぁ、其れに近い身ではあるからな」
「ははは…っ、其れもそっか。でも、武士って格好良いよね。何か憧れちゃうなぁ〜…」
「憧れねぇ…。そう良いもんでもねぇと思うけどな」
「そうかな…?俺は単純な奴だから格好良いと思うけど」


私はそう衒う事も無く口にした。

そしたら、彼が少し驚いたみたいに小さく目を丸めて此方を見てきた。

あれ、私何か気に障る事でも言ったかな…?

彼にしてみれば見当違いな事を私は思うのだった。


執筆日:2019.10.28
加筆修正日:2020.03.06

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