遠慮がちな引く手



とある政府施設の一つである手前で、或る一人の女がそわそわと落ち着かない様子で立っていた。

誰かと待ち合わせでもしているのか、時折片腕に付けた腕時計を見たり、鞄に仕舞ったスマホを取り出しては頻りにメッセージを確認したりと気にしていた。

女は、如何にもなリクルートの服装に身を包んでいる。

隣には、彼女の付き人らしき男が側に寄り添っていた。

男の方は、彼女とは違い、紺色の学生服らしき物を身に纏っている。

彼も、このような場は初めて来たのか、些か落ち着かない様子でキョロキョロと辺りを見回していた。

何とも似た者同士な二人である。

しかし、彼の腰元には、一本の刀が帯刀されていた。

一見、似たように見えても、やはり根本的なものは異なるのか…彼は只者ではない空気を纏っていた。

そんな似ているようで似つかない二人の元に、或る者が近付いてきて、二人の前に来ると同時に足を止める。


『お待たせぇー。…待った?』
「うわ〜ん、やっと来たか我が妹よ〜っ!もう、待ってる間めちゃくちゃ不安になりながらも此処で待ってたんだよぉ…!?もうちょい早く来てくれるもんだとばかりに期待してたのに、思ってたよりも来るの遅いんだから…っ!」
『待ち合わせとして予定してた時間内には、ちゃんと間に合ったろ…?つーか、此れくらいの事、良い加減そろそろ慣れなよー…。初めてで且つ不安で何をどうしたら良いのか分かんない気持ちは分かるけども。もう少しシャンとしとかないと、主としての威厳も示せないよ?ほら、アンタがあんまりにも不安そうにしてるから、隣の護衛として付いて来てる国広君にも移ってめっちゃそわそわしてるよ…?』
「へ……っ?わーっ!ごめんね、まんばちゃん…っ!!」


彼女等の元に来たのは、どうやら彼女等の待ち人であったらしい。

待ち人として言葉を発したのは、彼女…ひのえの妹であり、先輩審神者の狛だ。

此方もまた、姉の丙と同じく、黒き衣に身を包んでいた。

ただ一つ違う点は、彼女はタイトスカートではなくパンツスタイルという、クール且つ大人びて見えるスラックスタイプであった。

彼女の後ろにも、また一人の男が静かにひっそりと控えている。

しかし、彼は丙の付き人とは違い、彼元々の装束ではない。

彼女と同じ黒いスーツに身を包んでいた。

まぁ、今回の会合では、“必ず何方かの正装をしてくるように”との指定だった故に、何方でも構わないのである。

よって、丙の付き人として付いてきていた山姥切国広がスーツでないのは、恐らく、審神者を始めたばかりの彼女からしたら見慣れた装束の方が落ち着くであろうという事での配慮だろう。

寧ろ、彼にしても、その方が自然で居れるであろうし、結果幸を期したと言えよう。


『ま…っ、取り敢えずは中に入ろうか。まだ会議始まるまでには時間あるけど、もう少ししたら会議始まっちゃうし。どうせ、会議室は所属国ごとで異なるし、結局は一緒になっても別れる事になるだろうからね。施設内案内していく内に、軽く流れを教えといてやるんで、後は自分んとこのこんのすけに頼るなりどうかしな?…あ、紹介遅れたけど、今日ウチの近侍担当はコイツね。』
「…宜しく。」
「主殿をお護りするお役目は、この鳴狐めにお任せくださいませぇ…っ!」
『実は、この近侍の座を巡ってちょっとばかし争奪戦が起きちゃってさ…。其れで、本来予定してた時間よりも出るの遅れちゃったんだよねぇー。』
「そっか…だから、思ったよりも遅かったのね。アンタん処、私の処よりも刀数多いもんねぇ〜。そりゃ、近侍役争奪戦が起きてもしょうがないか…。其れにしても…成程、今鳴狐が付いて来てるのは、その争奪戦に勝ったからなんだね?」
「勿論でございますれば…!鳴狐がくじ引き勝負など簡単な勝負に負ける筈がありませんからぁ!」
『…という理由なんだって。ちなみに、懐にもお伴の子を忍ばせてるよ…?無いとは思うけれども、万が一に備えてね。』


彼女は小さく微笑んでから、服の内側に手を伸ばし、懐から短き刀の柄頭をチラ見せした。

少しだけ見えたその刀の鞘の色柄を見て、自身も見覚えのある短刀の一振りであると気付く。


「あ…もしかして、今剣いまつるちゃん…?」
『そ…っ。敢えて人の身としての顕現は解いてるけどね。いざとなったらちゃんと顕現してくれるから。』
「わ、私も…っ、一応、短刀の子連れてきたよ…!」


そう言って、彼女も腰元のベルトから短刀を抜き取り、見せてきた。

その鞘に描かれた紋を見て、柧眞もまた同じように頷いてみせ、見覚えのある刀だと認識する。


『へぇ…そっちは秋田か。』
「えへへ…っ、お互い知ってる刀同士だね!」
『ま…恐らくは、その万が一は起こらないと思うけどね。』


そう口にするのは、此処が厳重な警備の敷かれた政府の許より成り立つ施設だからである。

とは言え…護衛を連れるのは、己の身は各々自身で護れとの意味もあるからでの事に過ぎない。

勿論、其れには、他所の刀からの襲撃や刀同士でのいさかいに巻き込まれた際においての対処をも含まれている。

刀に宿りし付喪神を付き従えている時点で、負えるべき自己責任は負えとの事であろう。

審神者は刀剣男士達と契約を交わしていようとも、その契約は互いに霊力を遣り取りする上での縁を結んでいるようなだけで、彼等を完全に縛り従わせる程の効力は無い(この点においては、多少審神者の力量で変わってくるところもあるので一概に言い切れない)。

故に、彼等付喪神が反旗を翻し、審神者へと逆らえば、人である我々は簡単に死す。

だからこそ、彼等とは念密な信頼関係を築いていかねばならないのだ。

そんな事も頭の片隅に留めておきながら、彼女は妹の案内する言葉に従い、此れから何度も足を運ぶ事になるであろう施設内の構造を覚えていく。

そうして短い時間ながらも施設内を歩き回っていれば、程好い時間となり、本目的の会議室への会場入りに丁度良い頃合いとなったのだろう。

案内していた柧眞が己の携帯端末を開き、時刻を確認する。


『…ん、そろそろ時間かな…。んじゃ、案内は此処までで…後は、配布された会議資料のしおりでも見て確認してみて?私自身も、まだあんま見て回ってない箇所とかもあるからさ。そんじゃ、私達は此れで。私達が向かうの、あっちだからさ。』
「あ、そっか…。所属国違うから、アンタとは向かう会議室も異なるんだっけ。」
『そうだよ。忘れたの…?全くもう…っ、しっかりしなよね〜。』
「いやぁ…つい、うっかり。今の今までアンタと一緒だったから、変に頭が勘違いしちゃってたわ…!」
『おいおい…そんなんで大丈夫か?お前…っ。いまいち不安残るわー…。はぁ…ウチのお姉やんの事、くれぐれも宜しく頼むね?国広君。』
「嗚呼…勿論だ。」
「では、また改めまして…!後程お逢い致しましょう!」
「…またね。」
「え……っ、あ、嗚呼…っ、また………。」


先に歩き出した彼女の後ろで、鳴狐が手でキツネの形を作って挨拶し、小さく口を開いた。

稀にしか口を開かない彼本体の言葉に、驚きを隠せない山姥切は固まり、どもりつつの返事を返した。

別れた二人はそれぞれの所属国のルートに従って、自身が向かうべき会議室の方角へと進んでいく。

案内人であった彼の妹が居なくなってしまった途端、また不安になってきてしまった丙は、胸元を押さえて情けない声を漏らした。


「はあ〜ぁ…っ、此れからどうしよう……!めっちゃ緊張してきたぁ…っ!ふえぇ〜、もうこのままお家帰りたい、本丸に帰りたいぃ〜…っ!!あ゛あ゛ぁ゛〜………ッ!」
「…そんなに嫌なのか?」
「そりゃ嫌だよぉ…っ!こんな知らない人が沢山集まるような場所…!もし今日の会議が自由参加で行かなくても良いっていうものだったなら、絶対出席してなかったって…!!……はあぁ〜…っ、ねぇ…いっそ今からバックレちゃったり〜なんてしたら駄目、かなぁ…?」
「はぁ……そんなの駄目に決まっているだろうが。アンタは、俺達の主で審神者だろう…?アンタの妹の言葉を借りる訳ではないが、もっとしっかりしてくれ。」
「ゔぅ゙…っ。はぁ〜い、ごめんなさぁい…っ。ほんの冗談ですよぅ………っ。」


渋々ながらも規則には従う丙は、面倒くさい気持ちと不安に思う気持ちを胸の内に閉じ込める為、深く溜め息を吐く。

そして、下を見つめていた視線を上げ、面を上げる。

きちんと胸を張って、背筋も伸ばし直す。

そうすれば、審神者としての彼女が出来上がるのだ。


「…其れじゃ、行くよ、まんばちゃん。」
「嗚呼…。心配するな。アンタの側には、俺が付いてる。」
「…うん、そうだよね…っ。私には、まんばちゃんも居るし、秋田君も付いてる…っ。大丈夫、大丈夫…!」
「……良いから早く行け。」
「はいっ!ごめんなさい…っ!!今行きます…!!」


扉前で何時までもずるずると気持ちを引き摺っていた彼女に、初期刀である彼からの叱責が飛ぶ。

其処で漸く気持ちを切り替えた丙は、手にしていた扉の手摺を握り、強く引いた。

すると、広く大きい会議室内は、既に集まっている沢山の同じ所属国の者達で溢れ返っていた。

慣れぬ場の空気とひしめく人達と刀数の多さに圧倒され、一瞬、踏み込みかけた足を躊躇う。

引き戻しかけた足で一歩下がろうとした背を、後ろに居た彼が押し留めた。


「…恐れるな。アンタの事は、何があっても、この俺が守る…。だから、アンタはアンタが成すべき事を成せ。」


弱気になる、頼り無い彼女の背を、彼の力強い手が押した。

トン…ッ、と一歩地から離れた足が先へと進み、中へと入る。

思わず、後ろを振り返った彼女。

彼はそっと後に続き、入口の扉を閉めた。


「…ほら、何時までもそんな処で突っ立って居るな。さっさと奥の空いている席にでも座るぞ。」
「え……あ、うん…っ。」


不安げに握り込められていた手を取り、引いてやりながら空いた席まで案内していく山姥切。

引かれていく手の先を辿って見た彼の掌は、大きく温かくも不器用で…遠慮気味に掴まれた手は、指先をちょこんと緩く掴まれているだけだった。

すぐに解けてしまいそうな其れは、弱々しくも力強く頼もしく見えたのである。

そんな彼の手に、緊張していた気持ちを解されたと同時に、何故だかほんのり温かい気持ちになった丙は、小さく微笑みを浮かべるのであった。


執筆日:2019.02.15
加筆修正日:2020.03.11

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