微風は愚痴垂れる



つと面を上げた時、不意に足元に赤い何かがポタリと落ちた。

其れは、人の身を得ている彼等の内側にも流れるものと同じもので…血だった。

瞬間、すぐ側で見ていたであろう薬研が目を見開き、駆け寄って来る様子が視界の端に映る。


「大将…ッ!!」
『あ゙ー…っ、気にすんな…。たぶん、ちょっと切れただけの掠り傷だ。大した事ない…。』
「大した事あるに決まってるだろ…ッ!!馬鹿かアンタは!?今止血してやっから、傷見せてみろ…っ!」
「うわ、主の妹さんに怪我させちゃったよ。」
「マジかよ…手加減しないとか、彼奴馬鹿なの?首落ちて死ねよ。」
「いや、其れは流石に言い過ぎじゃないかな?お二人さん…。」


外野で話す彼奴んとこの沖田組とにっかりさんの会話が右から左へと流れていく。

突っ立ったまま動けないでいる彼の頭の中は、既に真っ白だったのだろうか。

周りが騒ぎ出しても、予想だにしていなかった事が起きたかのように一歩もその場から動けずに居た。


「俺、ウチの薬研んとこ行って救急箱借りてくる…っ!」
「じゃ、じゃあ…っ、俺は大将んとこ行って事情話してくるね…!!」
「なら、僕も其れに付いていこうかな?彼女の保護者代わりに付いてきた訳だし。」
「あ…んじゃ、俺達は長谷部が逃げないようにでも捕まえておく…?」
「そうだね。逃げる事が出来ないよう、思いっ切り縛っといてあげようか。」


真っ白で何も考える事の出来なくなったのだろう長谷部は、抵抗する事無く二人に腕を後ろ手に縛られ壁際に座らされた。

その間、私は連れてきていた自分んとこの薬研より傷の手当てを受けていた。

信濃とにっかりさんの話を聞いて飛んできた彼奴とその近侍の堀川が、ドタバタと慌しい足音を立てて慌ててやって来る。

自分の妹がちょっと怪我をしたという姿を目にしただけなのに、視界に入れた途端血の気を無くして駆け寄ってきた。

全く…臣下の手前だというのに、自身の立場を忘れて振る舞うとはまだまだだな。

怪我をした当人であるにも関わらず、慌てて来た姉の様子を冷めたように眺め、心の内でそう思った。


「狛…ッ!!」
『咄嗟に本名の方の名前を呼ばなかったという点だけは誉めといてやるよ。』
「馬っ鹿…!!今はそういう話をしてる場合じゃないでしょっ!?何でよりにもよって顔を怪我すんの!!アンタ女の子でしょ…ッ!?」
『偶々当たった処が顔だったんだから仕方ないだろぉ…?避けたつもりだったけど、避け切れずに当たって面の一部が割れただけ。で…、その面の一部が額に掠って切れただけだよ…。面があったからこの程度で済んでるんだ、コレ無かったらマジで直接受けてたんだぞ…?まぁ、どっちにせよ、切れちまったモンはしょうがねーよ。』
「大将…ちょっとは女の身である事を気にしてくれや。」
「そうだそうだ…っ!寧ろもっと言ってやれ、薬研ニキ!!ニキの言う通りだぞ、このあほんだらァ…ッ!!」
『…何でお前が泣くんだよ…。』
「だって…っ、私、痛いのも痛そうなの見るのも嫌だもん…っ。私が何れだけチキンかなんて分かってるでしょ…!?」
『あー、ハイハイ。そうね、アンタはそうだったねー。…つって、此れくらいの怪我、昔の頃もやったけどな…?小学生の運動会練習ん時、組体操の逆立ち失敗した時に落ちて、同じく右目辺り…。まぁー、今回はどうやら額の辺りっぽいみたいだけど。』
「何でアンタはそう平気でいられるのよ…!痛くない訳ッ!?」
『いや、そりゃ痛いけども…別に其処まで?だって、理由が自業自得なだけだし。大見栄切ってこのザマじゃ、情けなくて笑えるわなぁー。ははは…っ。』
「笑い事じゃないわよド阿呆…ッ!!少しは痛がりなさいよ、馬鹿ぁッッッ!!」
『あーもう、何でお前がボロボロ泣くかなぁ…?』
「テメェが泣かねぇ代わりに泣いてやってんだよ!感謝しろ…っ!!」
『いや、意味分かんねぇし。何処の少年漫画ですか、ソレ…。』


其れから暫く、チキンで痛がりの我が姉は、私の目の前でボロボロと泣き喚いた。

片や怪我をした本人である私は、然して痛がる素振りも見せず、一人取り乱した奴の事を平然と眺めつつ宥めていた。

此れじゃ、どっちが姉で妹なのか分からなくなるな…。

ただ呆然と様子を眺めていただけだったが、自分が何処か客観的に外側から達観したような目線で物事を見ているという事だけは分かったのだった。


―後日、怪我をした視察の日から数日が経った日の午後。

件の謝罪と詫び兼見舞いの品を持って、姉が我が本丸へと訪れた。

一応、何時何時に訪問するとの旨を事前に連絡を受けていたが、件の日の出来事を正直に報告書する訳にもいかず、適当に其れっぽい事を記して提出したり、その後すぐに政府からの催し物が始まったりとでてんやわんやしていて、まともに連絡事項を確認していなかった。

故に、姉が訪問するという時間帯になっても全く来客の準備をしていなかったし、素顔を覆う面の代わりとなる物を用意する事すらしていなかったのだった。

唯一持っていた黒狐の半面を割られ、その代わりをまだ用意出来ていなかったせいもあるが。

よって、彼奴が付き添いに連れてくるお伴の奴等に対して、早くも素顔を晒す羽目になったのであった。

奴が来たのが、丁度次の月始めに開催される各所属国ごとの会議についての予定を確認しながら廊下を移動している時だった。

偶々、玄関先を通り掛かって、奴等が来訪した処に立ち会った感じになる。


「ごめんくださーい…っ。」
『あれ……、何でお前来てんの…?お前来んの、今日だったっけ?』
「はぁ…?私、前以ってちゃんと知らせた筈だけど…?」
『そうだっけ…?あ゙ー、どうだったかな…ごめん覚えてない。此処んところ忙しくてドタバタしてたから、あんままともにメール確認してなかったかも…すまん。』
「僕も一応確認していたけど…お姉さんが来るのは、確か今日で間違いなかったよ?」
『うわ、マジか…。あちゃー…っ、つか分かってたんなら言えよ、歌仙。お前今日近侍だったんだから。』
「ほれ、見ろ。私が正しいんじゃないか。」
『あー、ハイハイ、すんませんでしたねぇ…。聚楽第終わる前からアンタん処の指導に当てられたり何たりで、色々と手が回ってないんだよ…。おまけに、その後すぐにアンタの処の長谷部と一悶着あるし、秘宝の里イベントは開始されるし、玉集めやら楽器集めやら、まんばとちょぎ君達の喧嘩仲裁やらでこちとら忙しいんだよ。よって、一々アンタが来るってのに此方の予定を合わせてる余裕も無い訳。上に提出しなきゃいけない書類も溜まってるし…っ。全部が全部そう上手く捌けるかっての!』
「…主、ただの愚痴垂れになっているよ?」
『おぅふ、すまん…つい…っ。』
「な、何か疲れてる…?というか、窶れてない?」
『分かってんなら、んな既に片付いた事に一々直接謝罪しにとか来んなよ…っ。こちとら、ただでさえ構ってやれる暇無いってのに…。』
「貴様…主がわざわざ詫びの品も用意して来たというのに、その口か…っ!」
「長谷部君、どうどう…っ。」


奴が連れ立って来たのは、どうやら三人で…初期刀で恐らく今日の近侍であるまんばと、件の長谷部にそのストッパー役だろう光忠だった。

思ったより多い面子に、隠すべき素顔を晒してしまった事実に内心顔を顰めた。

此れは、少し面倒な話になった…後で報告書どうしよう。

取り敢えず、直前まで遣っていた物事は後回しにするとして、端的でも一先ずは茶ぐらい用意してやるとするか。


「…何だ、誰か客でも来たのか…?」
『嗚呼、たぬさん…。丁度良かった。すまんが、コレ…執務室に戻してきてくれないか?此れから急ぎお姉やん達を部屋に通さにゃならんくてね、手が空いてないのよ…。』
「おう…、別に良いけどよ。ついでに、他の奴等にも客が来たって事、伝えときゃ良いのか?」
『おぉ…助かるよぉ…。すまんね、私がお姉やん達が来るって予定をきちんと把握してないどころか忘れていたばっかりに。』
「ん…。じゃ、此れ部屋に戻してきた後に皆に伝えとくわ。」
『本当マジでありがとね〜…。』


通りすがりにひょっこり顔を見せたたぬさんに持っていた書類諸々を渡し、部屋へ持って行ってもらう。

少しばかり此方の本丸側へ事情説明もとい謝罪の話もあるだろうと、来賓用の客間へと彼等を案内する。

その間、後ろ背に奴の処の長谷部から痛い視線を此れでもかと頂いた。

…相変わらず、しつこい男だ。

流石に二度も同じ事はやらかさないのか、今日は先日までよりも抑えているようで落ち着いていた。

横の光忠が物凄く大変そうで不憫だが…。


『…取り敢えず、少し応対するくらいの時間はあるから、手短になるけど話は聞くよ…。一応、怪我した事についてはその日に皆に話は通したけど、其れでも何人か不満を持ってる奴等が居るから、今歌仙に呼んできてもらってるんで…ソイツ等の為にも、説明宜しく。』
「うん…本当、その件についてはごめんね。」
『別に…、もう済んだ事だし。俺の中ではね。』


部屋に通して腰を据えて向かい合うと、忽ち気まずい空気が互いの間を流れ出す。

自分としては、面倒だから、もうあまりこの話題は出したくないのだが…自分とこの本丸でも気が立っている者達が居る故に致し方ない。

諦めてなるようになるしかないかと溜め息を吐きながら、この後の予定を頭の中で立て直していた。

近侍であった歌仙が離れた代わりに、話の付き添いに来た清光と薬研ににっかりさん、そして宗三。

清光は以前お伴として付いて来ていたし、薬研とにっかりさん二人は当事者として現場に居合わせていた者だから当然の流れだろう。

宗三も同伴するというのは、元の主が同じだからという縁故の事だろうか。

まぁ、互いを知っている旧知の者が話に同伴すれば、少しは気も落ち着くかと思い、話を聞く事を許可した。

ついでに、歌仙が呼んできた者達が数名、後で来る。


「その…、傷の具合…どう?包帯巻いてるけど…。」
『嗚呼ー、コレ…?実は此処までする必要は無いんだけどねぇー…薬研達がうるさい上に大袈裟なのよ。傷自体は、もうだいぶ治りかけてきてんだけどねぇ…。』
「大将には、其れくらいが丁度良いんだよ。」
「貴女は女の身であるという自覚が足りませんからねぇ…。あと、傷を負った身であるという自覚も。」
『その件に関しては、もう良いって…っ。』


渋い顔で嫌々宗三からの小言を受けていると、凄まじい早さと音で此方へと向かってくる足音が一つ。

十中八九、予想は出来ているが、後が面倒なだけだと顔を顰めるに留める。

宗三も分かっているのか、小さく溜め息を吐いて入口側に視線を向けるだけだった。

程なくして、客間の障子が外れる勢いでスパーンッ!!と力強く開かれた。


「よくもノコノコと顔を出しに来れたな、貴様ァ…ッ!!主に怪我をさせておきながら、どの面下げてきた!?今すぐにでも圧し斬ってやる…!!表へ出ろッッッ!!」
「こうなる事だろうとは分かっていましたが………、はぁ…っ。」
「ちょっと、長谷部の奴呼んだの誰ぇ〜?コイツ来たら確実に面倒な事になるから呼ぶなって言っておいたのに…っ。」
「まぁまぁ、取り敢えず一旦落ち着こうや、長谷部の旦那…っ。」
『わぁ、もう場がカオスになった。同じ顔が二人も居るよ…。かせぇ〜ん……っ。』
「全く、一応客人の前なんだよ、君達…?少しは静かにしたまえ。あと長谷部…、貴様、客人の居る間に押し入るとは雅じゃないぞ。」
「この期に及んでそんな事言っていられるか…っ!今すぐソイツを摘まみ出す…!!本来ならこの地に足を踏み入る事さえ許されない貴様が、何故こうも許されているか分かるか…!?全ては慈悲深き主の意向によるものだぞ、感謝しろッッッ!!」
『正しくは、向こうの長谷部連れて来るだろう事を分かっておきながら、事前に連絡を受けていたにも関わらず向こうが来る日の事自体すっぽ抜けてた=忘れていた私が悪いんだが…まぁ、この際どうでも良いか。』
「いや、良くねぇよテメェ。何言ってんだ。」
「あ、主…っ?急に口が悪く……っ?」


集まる者が集まると、当然にも騒然さを極める場の空気。

面倒な展開になる事間違い無しな流れに、早くも遣る気が削がれた私はダレた。

遂に本音を漏らすと奴も素を晒け出してきた。

嗚呼、ほらまた更に面倒な事になった。

もう良い加減バックレるか、爆発したい気分なのをどうにかしてくれないだろうか。

全く、こうも色々立て続けに物事が起きると全てがどうでも良くなってくるぜ…。


執筆日:2019.01.08
加筆修正日:2020.03.11

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