夢渡り


 また、夢を見た。あの、よく分からない感じの、不思議な夢だ。
 今度の舞台は、何処かと思えば、何も無いただの真っ暗闇なだけの空間だった。そんな処に、ぽつん、と一人立ち尽くしている。
 此処は、何処だろうか。辺りを見渡してみても、もやみたいな空気状のものが手に触れて揺らぐだけ。他には何も無い、ただの真っ暗闇が広がるだけの虚無空間であった。
 自分以外の者は、居ないのだろうか。少し辺りを動いて歩いてみるも、誰も居ない。自分以外の気配を感じない。どうやら、此処は、ただの暗がりが支配するだけの世界なようだ。
 何故、自分はこんな処に居るのだろうか。理由が全く思い当たらないし、皆目見当も付かない。
 闇雲に動き回るのもただ迷ってしまうだけだろうと思ったところで、不意に突然何かに腕を掴まれた感触がした。驚くままに掴まれた左腕の方角を見遣ると、誰かの腕に繋がっているように見えた。恐る恐る、其処から繋がる先へと視点をずらしていくと、何やら男の顔らしきものが見えた。
 よくよく焦点を合わせて見れば、其れは少し前も見た筈のぎねの顔だった。彼は、先日夢で見た事のあるような焦った顔付きで私の腕を掴んでいた。
「良かった! 無事だったんだな……っ!!」
 何処からか慌てて駆けてきた風な息の乱れ様に、私は不思議と首を傾げて見つめた。すると、その視線に気付いたらしき彼が口許に笑みを浮かべて口を開く。
「アンタってば、目を離すとす〜ぐどっか行きそうになっちまうからなぁ〜。見失っちまったかと思って焦ったんだぞ……? でも、もう見付けたからには大丈夫だ! ほら、こんな処で何時いつまでもくっちゃべっては居られないからな! アンタを危険な目に遭わせない内に戻ろう」
 そう言って、彼は掴んでいた私の腕を一度離すと、改めて自身の手を差し出してきた。その行動の意図が掴めず、私はよく分かっていない顔付きで其れを見下ろすだけに留める。そしたらば、彼が焦れたように差し出した自身の右手を揺り動かして催促してきた。
「手だよ、手。アンタ、すぐに迷子になりそうだからさ。アンタも手ぇ出せって」
 彼が右手を出していたから、何となく私も右手の方を出してみたら「違う」と即レス的早さで言われた。何でだ。感情がそのまま顔に出ていたのだろう。苦笑いを浮かべた彼が、察しの悪い子でも分かりやすいように噛み砕いた言葉で説明を加えた。
「俺の手は、アンタと手を繋ぐ意味で出した手だよ。其れだと、ただの握手になっちゃうだろ? 俺がしたいのはそういう事じゃなくって……ほら、そっちの、反対側の左手出してみろって。握っといてやるからさ」
 言われた通りに今度は左手を出してやると、満足そうに頷いた彼が離さぬようにしっかりと握ってきた。私のものよりも随分と大きなものだった。そりゃそうか。彼は槍の身だから、体躯も大きく四肢も長い。
 ぎゅっと握られた其れに、少しの違和感を感じつつもぼんやりと思考していれば、彼が私の手を引いて歩き始めた。
「こんな処に一人ぼっちで寂しかっただろう? でも、もう大丈夫だからな。俺が付いてるからには、アンタを不安になんてさせないから。安心して身を委せてくれ……!」
 何でこんな処に居ながらも、彼は私の元へ辿り着けたのだろうか。そもそも、彼は、本当に私の所有するあの御手杵なのだろうか。
 段々と不安と疑心が膨れ上がってきて、遂に歩んでいた足を止めた。其れに釣られるように手を引いていた筈の彼も足を止めて、此方を窺い見る。
「どうした……? 何か気になる事でもあったか?」
 彼は、本当にあの御手杵と同一人物なのだろうか……? 顔と姿は瓜二つのようにそっくりだが、何か何処かが違うような気がして疑念が渦を巻く。確かに、何をどう見ても彼とそっくりなようには見えるのだ。しかし、何か……感覚的なものが異なるように思えてならない。
 私は、一歩後ろへと後退って、彼から離れようと試みた。その様子に、彼は困惑したような表情を見せて此方を見た。
「ど、どうしたんだよ一体……っ? 何がそんなに怖いんだ? 怖い奴が居るのなら言ってくれ。俺の自慢ので刺しとくからさ」
 怖いのはお前自身そのものだ、と口にしようとした時だった。
「――困るんだよなァ、そういう事されると。不必要に主を不安がらせるのは止めてくれないか? ただでさえ、ウチの主は繊細な心の持ち主なんだ。頼むから、余計な真似しないでくれよ」
 聞き覚えしかない声がすぐ側から聞こえてきた途端、私の手を引いていた男の中心を御手杵の槍が思い切りぶっ刺した。刹那、直前まで私の手を引いていた男の手が離れる。咄嗟に私は身を引いて後退した。
 刺した張本人であるぎねと思しき刃物じんぶつは、何時いつから居たのやら、男の背後より酷く冷たい蔑んだ目で以て相手を睨み付けていた。その眼差しは、戦場で敵と相対する時に見る其れと同じものだった。
 大槍身に体を貫かれた男が、苦しそうに呻きながら刺した相手を呪う言葉を吐く。
「ッに゛……しやがる、テッメ゛ェ゛……ッ!!」
「喋るなよ。俺と同じ顔してさぁ」
 ぶっ刺した槍を一度引き抜くと、更に相手を苦しめんとする如くにグサグサと何度も突き刺すのを繰り返す、ぎね。容赦情けなどの遠慮は一切無い事が窺える憤り様だった。此れは相当頭にキテいる時のぎねだ。まさしく、怒り心頭、怒髪天といった具合だ。
 このままでは何も分からぬまま事を片付けられてしまう――そんな風に思って、一歩引いたところから見ていた足を前に動かそうとした矢先、不意に目の前を交差した槍で塞がれてしまった。見ると、すぐ側に己の本体である槍を手に持ち、此方を守らんとして立ちはだかる二槍の二人が居た。
「気になるのは分かるが……嬢ちゃんは危ねぇから、このまま下がって俺達の側に居な」
「主の守りは、我々三名槍にお任せくださいませ」
 ぎねだけでなく彼等も居てくれるとは頼もしい限りであったが、事情が事情故に今はちょっと有難迷惑な気もした。しかし、本音を言うと現状恐ろしくて堪らなかったのも事実であったので、大人しく彼等の言う言葉に従っておく事する。
 二槍の槍に守られながら、少し離れた場所にて言葉の応酬を交わす男達を見遣る。
 其処には、完全ブチギレている顔付きのぎねが、只管ひたすら自身の槍を男の身に突き刺している光景が続いていた。
「俺に似せたつもりだったんだろうけど、全然似てない上にバレバレなんだよ。はぁ〜……ッたくさァ、本当そういう真似止めてくんないか? 苛つくの通り越して吐き気するから」
「ッ゛……! な゛、に゛……言って……ッ!!」
「喋んなって。気持ち悪いんだよ、お前……っ。何で俺なんかに化けた訳? 目的は俺の主なんだろう事は見え見えなんだけども、他の理由は? なぁって」
「うぐッ!! ッ゛……はな゛、ぜ……ッ!!」
「嫌だ、無理。だってお前、滅茶苦茶気色悪いんだもん。さっさと化けの皮剥げよ。そんで吐けよ、俺の主を狙った訳を」
 ぎねがそう告げた途端、男は血塗れになりながら口から血反吐を溢しながらもうっそりにんまりと笑って笑みを浮かべてみせた。その歪な不気味さに、底知れぬ恐怖とおぞましさを感じて自身の体を抱くように身を竦める。瞬間、目の前で立ち塞がるようにして待機していた二人がおのが武器を構えて彼等と私との間を遮るように立った。
 二人して警戒心を露わに何時いつでも戦えるように臨戦体勢を取る。その様子の何が面白いのか、男は尚も愉快そうに不気味にほくそ笑んでいる。
「ははッ……其処まで警戒されちゃあ、もう付け入るのも無理そうだなぁ〜。折角せっかく良いところまで上手く行ったと思ってたのに、邪魔が入っちまったか……っ。仕方ない」
「この期に及んで何を……っ、」
 徐ろにおのが身に突き刺さる切っ先を掴んだ男は、今まで苦しんでいたのが嘘のように自ら刺さっていた槍を引き抜くなり、背後に居た彼を突き飛ばして、その場から飛び退いてみせた。まさか、まだそんなに動けるとは思っていなかったぎねは、その男の俊敏さに舌打ちをして穂先に付いた血糊を振り払う。既に散々貫かれ息も絶え絶えに見えた筈の男は、血塗れの身ながら尚も平然と動けるようで、確実に人の域を超えた動きで距離を取ると、寸でで邪魔が入ったにも関わらず愉悦と言わんばかりに顔を歪めて笑った。
「残念だ、折角せっかく上質の人間の生娘が見付かったと思ったのになぁ。残念だ、凄く残念だなぁ〜」
 ぐるり、牙を剥いた男の目が禍々しき鮮血の如し色をしている事に、此処で初めて気が付いた。何故、今の今まで気が付かなかったのだろうか。既に何度と男の顔は見ていた筈なのに。再び身の毛もよだつ不安と恐怖に支配され身を固くする。
「成程……若い女の血肉が喰らいたいが為にウチの主を狙ったって訳か……っ。そりゃあ、ウチの主の血肉は上質に決まってるだろうぜ? 何たって、審神者に選出されるくらい霊力があるタイプの人間なんだからさ。それこそ、神社に仕えてる巫女さんとかと同質くらいな上等だろうさ。……だからと言って、そう易々とくれてやる気なんか更々無いんだけどな」
「いや……ソイツはちぃとばかし違うなぁ。確かに、そういう意味でも美味そうだとは思ったのは事実だが……本当のところはもっと別の意味合いで狙ったのさ」
「は……? じゃあ、本当は何だって言うんだよ? 勿体振らずに早く吐けって」
「くふふふふっ……ただ腹が減っているだけの妖ならば、我が腹を満たす為として血肉を欲し、喰らわんが為と娘を襲っていたであろうな。だがしかし、我はそうではない……。真の理由として、娘を攫うに他に理由があるならば……もう決まっているも同然であろう? 我は、その娘を我が伴侶として貰わんが為に来たという事ぞ……っ!!」
「ッ!?」
 刹那、其れまでと異なる速さで迫ってきた何かに、間一髪のところで弾き返した彼は驚愕する。
「うえぇーっ、やっぱお前気持ち悪いッ……!!」
 本性を現したらしい男の真の姿は、巨大な蜘蛛の妖だった。土蜘蛛という奴だろうか。以前、何処かで何かの文献で見た事のある存在である。そんな奴が、まさか己を我が花嫁にせんと付け狙っていたとは知る由も無い訳で……。
 何をどう言い寄られようと、不気味で気色の悪い馬鹿デカイ蜘蛛の妖怪相手に、喜び勇んで自ら嫁になろうなどと誰が思うと思うてか。控えめに言って、丁重にお断り申し上げる。
 視界に映すのも無理な身の毛のよだつその姿に恐れ慄いていると、待ち草臥れていた様子の二槍がこの場に水を差すように敵前へと躍り出た。
「おうおう、俺達も居るって事を忘れてもらっちゃあ困るぜ?」
「こそこそと人の弱みに付け入り襲い掛かってくるような卑劣極まりない下賤な輩に、我が主を渡す訳があるまい! この先、主には指一本触れさせぬぞ!!」
「くふふふふふ……っ! さぁて、どうであろうなぁ? お主等にこの我と太刀打ち出来る程の腕前があっての吠え面か?」
「舐めるなよ……ッ。俺の姿形と声を真似た礼は、たっぷりと返させてもらうからな? 死んだ先のあの世で詫びさせてやる……!!」
 敵の煽りに再度怒りのボルテージを爆発させたらしきぎねに続いて、他二槍も真っ直ぐに敵へと突っ込んでいく。
 まぁ、既に散々彼からの傷を受けていた身だ。あの三槍が寄って集って容赦無い攻撃を続ければ、結果は目に見えていた。遠慮容赦一切無く針の筵にされるが如くグサグサと貫かれまくった蜘蛛の親玉みたいな妖は、口程にも無くあっさりと片付けられてしまった。
 視界の端に転がるR-18G並みのエグさとグロさの肉塊は、原型を留めぬ程に滅茶苦茶のズタズタにされていた。どう考えてもモザイク規制が掛かりそうなレベルで精神衛生上に悪い光景である。一先ず、敢えて見なかった事にして、無事を確認するべくして歩み寄ってきた彼等と合流した。
「はあぁ〜……疲れた……っ。毒針みたいなのが飛んできた時は、流石にビビったなぁ〜。まぁ、直感的にやばいと思って即避けたし防いだけどさぁ……あんなん反則じゃないか?」
「流石、御手杵と言ったところだな。ありゃ避けて正解だったぜ。出なきゃ、最悪今頃御陀仏になってたかもな。まっ、俺達ァ手入れすれば元通りにはなるんだがな! 避けれる攻撃は食らわないに越した事は無ェだろうよ」
「何はともあれ、だな。無事、主を魔の手からお救いする事が出来たし、敵の息の根を止める事も出来た。結果は重畳だろう。片は付いたのだ、早々に退散する事としよう。あまり長居は禁物だ。主の身にも障りが出てしまうやもしれん。主の為にも早く帰還しよう」
「そうだな。今はお前さんの言う通りそうするとすっかねぇ」
「では、少し急ぐとしよう。――大丈夫でしたか、主……? お怪我を召されたり等ありませんでしたでしょうか?」
 問題が片付いて安全は確保されたとは言え、あわば攫われかけていた私の身を心配して問うてきた蜻蛉さんに、コクリ、と一つ頷いて返す。その反応に安堵した様子の彼は、柔和な笑みを浮かべてこう述べた。
「何も異常が見られないようでしたら、行きましょうか。自分は案内の為に先頭を行きます故、主は後からゆっくりと御手杵達と付いてきてください。念の為、はぐれないよう、彼等の手をしっかりと握って離れる事無きようお願い致します」
 念を押すかの如く告げられた其れに素直に頷くと、彼は満足したように屈めていた背を伸ばし、先頭の方へと歩いていった。そして、代わりにやって来た二槍の東西槍にそれぞれ手を取られ、繋がれる。
 こうしていると、まるで幼子が先達の者等に引かれていく様に思えて複雑になった。自分は既に大人の身なれど……如何せん、体格差が有り過ぎるが故、彼等に挟まれて手を引かれていると、年嵩関係無しに子供の頃に返ったようである。
 ふと、左手を握る自身よりも大きな其れに意識を向け、にぎにぎと握り返してみた。その謎の行動に、傍らのぎねが疑問符を浮かべて此方を見遣る。
「何やってるんだぁ、主?」
「――……うん、やっぱりこっちのがしっくりくるな」
 大事な己の槍の掌の感覚を確かめるようにしみじみ感想を零した事で、今に至って初めて自ら直接口を利いた事に気が付いた。そういえば、この真っ暗闇空間に来てからというもの、一度も口を利いていなかったのだったか。その事に気付いてハッと自身の喉に触れていたら、様子を察したらしきぎねが改めて口を開き呟く。
「あっ、やっぱり何かしらの術か呪いでも掛けてたんだな? あの野郎……ッ。大丈夫かぁ? 喉、可笑しくなってたりとかするか? 変に痛かったり調子が悪くなったとかしたら、隠さずちゃんと言えよ。戻ったら薬研に伝えとくからさ」
「ん……大丈夫。一時的に声を奪われてたっぽいぐらいで、後は何とも無いみたいだから……っ。そもそも、声を奪われてた事自体、今初めて声を出した事で気が付いたくらいなんだし。大丈夫だよ。心配してくれて有難うね」
「そっか……良かった。でも、念の為に後で薬研や石切丸とかに診てもらっといた方が良いかもな。後々支障が出て来ても困るしさ」
「其れもそうだな。ちゃんと診てもらっといた方が嬢ちゃんの為にもなる。無事に戻れたら、専門家に診てもらいな」
「にしても……やはり、阿奴を倒しておいて正解だったのかもしれんな。あのままのさばらせていたら、主の声が奪われていたままになっていたかもしれん。……危ういところでしたな、主よ」
「ふむ……あの気色の悪いデカブツを倒した事で術もしくは呪いの類が解けた、って事かぁ。彼奴マジで殺っといて良かったみたいだな。最悪主が喋れなくなっちまってたかもしれないし……何より、主に気安く手ぇ出そうとした時点で俺が許せなかったから。本当片付いて良かったよ〜……っ! 此れで主が変に脅かされる事も無くなって安泰だな!!」
 その物言いに、何となく引っ掛かって、私は彼の顔を見上げながら問うた。
「もしかして……ぎねは、最初から私が何者かに狙われていて何処かで襲われそうになるって事に気付いてた……?」
 その問いに、彼はキョトンとした後にぱちりと瞬きを一つ挟むと、朗らかに優しく笑んでこう返す。
「だから言ったろう? 主は危なっかしくて心配だって。もうあんな奴に付いて行っちゃったりなんてしたら駄目だぞ……? もし、仮に無理矢理にでも連れてかれそうになった時は、心の中ででも俺達の事を呼んでくれ。そしたら、すぐに飛んでいくからさ」
 やはり、少し前まで見ていた男の顔とは、似ても似つかない顔をしていた。何故、あの時は“そっくり”だなんて思ったのだろう。
 反対側から手を伸ばしてきた号さんに頭をぽんぽんと撫でられながら、訳の分からない空間から脱け出す。


 ――目が覚めると、其処は、いつもの自室であり寝室であった。
 瞬きをして焦点を合わせた後に真上を見上げれば、見慣れた天井が目に入る。しかし、その視界にすぐ影が差して目の前を遮られた。
 その影にピントが合えば、すぐ側の横合いから顔を覗かせてきたらしい彼のせいだと知る。
「おはようさんっ……無事目が覚めたようで何よりだ」
「…………え? ぁっ……おは、ようございます……??」
「ははっ、まだ混乱してるみたいだなぁ。良いよ、そのままで。……うん、声もちゃんと出るみたいで安心した。気分はどうだ? どっか悪いとことか、無いか?」
「え、あー……うん。大丈夫みたい……何処も何ともなさそう」
「そっか……なら良かった」
 寝起き直後より、ふにゃりと柔く笑んだ顔に出迎えられるとは思わず、面食らう。
 今しがたの一連の遣り取りを不思議に思いながらも彼の顔を見つめていると、緩んだ表情を一度消して此方に向き直った彼がポツリ呟いた。
「大丈夫……アンタを脅かそうとしてた彼奴は、文字通り始末したからさ。安心して過ごして良いぜ。何も不安に思わなくて良い……。もし、またアンタを怖がらせるような奴が現れたら……その時は、俺が真っ先に串刺しに行くからさ。アンタは、安心していつも通り笑っていてくれよ」
 するり、寝起きの頬を撫でられて、髪の毛越しに額へと口付けられた。その行為にも驚いて、ぱちくりと瞬きを繰り返す。そんな私に対し、彼はまるで愛しい者を相手するかのように優しく触れて撫ぜてきた。真っ直ぐと見つめてくるその視線が、やけに蕩けたものだと気付いた途端、無性に気恥ずかしくなってきて、然り気無さを装って彼から視線を外す。代わりに、開け放たれた部屋の外へと視線を投げてみると、何やら武装した残りの二槍が縁側にて守るように佇んでいた。その物々しさに、少し視点をずらして完全なる外を見遣ってみれば、其処には、幾振りもの刀達が武装した様子で裏庭に集まっていた。
よくよく目を凝らして見れば、彼等が囲うようにして居る更にその奥に、見慣れぬ黒き謎の塊が彼方此方にと手足を飛び散らせて横たわっている光景が広がっている事に気付く。その世にも恐ろしき悍(おぞ)ましき姿に、忽ち肌を粟立たせて目の前の彼へ縋るようにしてしがみ付くと、彼は優しく受け入れ背中を擦ってくれた。
「あはは……っ、夢ん中じゃ平気そうだったのに、やっぱ現実で直視するのは怖いかぁ〜。大丈夫、大丈夫だぞ〜っ。あの怖い奴は、もう俺達がやっつけちゃったからなァ〜。怖かったよなぁ? よく頑張ったな、偉いぞ〜! 俺達が付いてるからにはもう大丈夫、安心してゆっくり息吸おうなぁ〜っ。俺が付いてるから、そう怖がんなくても良いぞ〜」
 幼子のように震えて縋り付く私を、嫌な顔せず宥めすかしてくれる彼の背に、縁側より先の外に居た者達の声がかけられる。
「大将は無事起きれたかい?」
 薬研の声だった。見れば、彼もまた他の者達と同じく武装していた。
「おう。今起きたばっかで、ちょっと混乱しちまってるみてぇだが……まぁ、暫くは落ち着くまで待っててやってくれや。色々と怖い目に遭ったんだ……動揺しねぇ方が可笑しい」
 未だ返答する余裕の無い私の代わりに答えてくれたのは、部屋の一番近くに控えていた号さんで、その言葉の後に蜻蛉さんも言葉を続ける。
「まぁ、この惨状を目にしては、取り乱してしまっても致し方ない……。我が主は、戦に関わりの無かった時代より喚ばれし女人。其れだけに非ず、相対したのが妖相手であり、ましてや自身が狙われていた等と知れば、恐ろしくなってしまうのは当然であろう。主の心中を思えば、お労しい限りです……っ」
「其れもそうさな……」
「でば、もう少し時間を置いてから話を聞くとしようか。どうやら、其れ程穢れを受けずに済んだみたいだしね」
「気付くのが早かった御手杵君のお陰かな……? まさかこんな大物と渡り合う事になるなんて、夢にも思わなかっただろうねぇ。屹度きっと、なかなかに激しかったんじゃないかい? あぁ、あの化け物との戦いについてだよ……? んふふふふふ……っ」
 薬研の頷きに同意したぱっぱとにっかりさんの声もする事から、どうやら本丸の半数の者達がこの離れに集まってきているようだった。
 ぎねの腕の中に閉じ込められながら、私は小さく問うた。
「あの……さっきまで私は眠ってた筈だと思ってたんだけど……実際は違ったって事……? アレは、夢の中の出来事じゃあなくて、本当は現実の世界で起きた出来事だったの……? そんで……私は、よく分からない内に、よく分からないものにかどわかされそうになってたって事…………? しかも、狙われてた真の理由は、私を食べる為なんかじゃなく……所謂つがいにする為だった、んだよね……っ。何時いつ、そんな奴に目を付けられたんだろう…………私は身に覚えが無いんだけど……少なくとも、ぎねは私が何者かに狙われてるって事に気付いてたんだよね? い、何時いつからなの……? 何で、私があんな奴に…………っ。ね、ねぇ、どういう事なのか教えてよ、ぎね……ッ」
 思い出してしまった、あの言い知れぬ恐怖から再び小さく身を震わせていると、やんわりと其れを和らげるようにして抱き締めた彼が耳元で囁く。
「大丈夫……もう全部終わったから。主の事は、これからもずっと俺が守ってやるから、安心してくれ。例え、この先また同じような事が起きても、必ず俺が主を守ってみせるからさ」
 麻薬のように脳髄に染み渡っていく彼の優しい声音に、全身の力を緩めて身を委ねる。そうして、私を愛おしそうに抱く彼の目は、何処か遠くを見つめて微笑んでいた。
 ――仄かに澱んだ、薄昏い目をして。


執筆日:2020.07.24
加筆修正日:2023.07.20


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