#09:鴉の眼



―カタカタと鳴り響くキーを叩く音。

静寂しかないその部屋で、一人の男がパソコンに向かって何かを打ち込んでいた。

パソコンのディスプレイに表示された二つのウィンドウ。

片方の窓は、誰かへ宛てたメールでも打っていたのか、メールを作成するページが開かれていた。

もう片方の窓には、何処かの地図が示されており、その図上では赤き印が点滅し、何かの存在を表していた。


「―あれ…兄貴、まだ起きてたんですか。寝ないんですかい…?用は済みやしたし、そろそろ休みましょうや。」
「………あぁ。」


全身黒ずくめな漆黒を纏った男が部屋に入ってきて、机上のパソコンに向かい合う、もう一人の男に声をかけた。

銀の長髪を垂らす男は、相棒の言葉に短く返事を返す。

その間も、視線は変わらずディスプレイに向けられていた。


「ボスに報告ですかい…?」
「一応、用は済んだからな。報告しとかねぇとよ…。」
「そういやぁ、今回の新入りはやけに若かったですね。何たって、現役学生なんて雇ったんでしょう…?」
「…ふん…っ。簡単な話だ。我々の手を更に拡大させるのに、潜入捜査でのリスク軽減の為にも、捜査員の年齢の幅を広げたっつーだけの話だ。大人では不可能なエリアでも、完全な大人に成りきっていない子供なら可能…。俺達じゃ怪しまれる所に、奴なら学生というのを利用すりゃ入り込めるからな。」


不気味で、思わず身震いを起こしてしまいそうな笑みを浮かべる男。

組織の幹部、リーダー的役割を持ち、メンバーを取り仕切る…ジン。

その傍らに立つ、サングラスを掛けたガタイの良い男は、彼の相棒のウォッカだ。

二人は、潜伏中のホテルの一室にて、異様な空気を纏いながら会話していた。


「ん…?兄貴、これは何ですかい?」
「ああ…?それは奴の“監視”だ。飼われたばかりで躾のなってない、子猫のな…。」
「子猫…?それって、キティの事ですかい?」
「そうだ。幾ら組織に入れたからといえ、そう簡単に信用する訳無ぇからなァ…。いつもの新入りへの試し門って事だ。」


画面上で点滅する光を見つめながら不敵に笑うジンは、どうやら新入りを試している様子であった。


「端から鴉の眼が光ってるとも知らずに、ノコノコと自らの根城に帰る様を観察させてもらおうじゃねぇか。貴様が、本当に此方側の人間か否かを…。」


メールを送り終えたジンは、少しのタイムロスの後届いたあの方からの返信に笑みを深める。

画面上で点滅する光は、何の警戒も無く動いていた。


―一方の子猫は…。

深夜の寝静まった暗闇を、小さな足音を立てて歩いていた。

姿成りは、黒ずくめのメンバー達に逢っていた時のまま。

その理由は、万が一、彼等に後を付けられても良いようにというものであった。

彼等は、ベルモットという女を除く以外、彼女の本当の姿を知らない。

だからであった。

梨トは、息を潜めて辺りを警戒しつつ、帰路に着いた。

明かりの消えた自宅へ、音を立てずに帰宅する。

吐息だけの声で「ただいまぁ〜…。」と口にし、靴を脱いで家に上がろうとした…その時である。

カチャリ…ッ、と聞き逃してしまいそうな極僅かな物音が、前方から聞こえた。

それと同時に、いきなり現れた小さな明かり。

真っ暗闇を動いていた彼女は、暗闇に慣れていた所為で、目が眩み、顔を覆った。


「―誰だ。」


まだ若さを残す、幼げな低めの声が耳を突いた。

段々と明暗に慣れてきて、眩しさの向こうへ目を凝らし、細めていた目を開いた。


『―……遥都か?』


小さく絞り出した声で、そう問いかける。


「………お前、梨トか?」


逆に問い返してきたのは、少年の成りをした男の子だった。

彼女の弟分だ。


『ただいま…、遥都。まだ起きてたの?子供はもう寝る時間でしょ…?』
「おかえり、“姉さん”。誰かが家に入ってくる音が聞こえたから、何だ?と思って起きたんだ。」
『あぁ、ごめんね。起こしちゃって…。母さんは、もう寝た?』
「うん。“姉さん”に言われた通り、先に寝たよ。」


淡々と答える少年の手元を見遣ると、小さな懐中電灯を持っている手とは反対側の手に、何やら黒く光る塊が握られていた。

其方に目が行っていると気付いた少年は、徐にソレを彼女の正面へ翳した。

吃驚して肩を竦ませていると、次に聞こえてきたのは、先程よりもトーンを落とした低音ボイス。


「―どうやら、盗聴器の類いは付けられていないようだな…。」


少年は、そう呟くと腕を下ろした。

その様子を黙って見守っていた彼女は、不機嫌な声で言った。


『…探知機向けるなら、そう言ってよね…“父さん”。』
「悪い。奴等の事だから、念には念を入れての事だ。万が一、盗聴器を仕掛けられていると知らずに、情報を口走ったらどうする…?一つも漏らさぬよう、敢えて何も言わず準備したんだ。感謝して欲しいくらいだぞ。」
『うん…。有難う、“父さん”。』
「いや…よく無事に帰ってきてくれた。ご苦労。」


ぺたぺたと素足で歩く少年が、此方へ近寄ってくる。


「…あまりに別人の姿をしているから、初めに見た時、誰か分からなかったぞ。随分完璧な変装だな…?」
『あぁ…これ?ベルモットがやってくれたんだよ。私が現役で学生をやってるから、“一般人に正体がバレたらマズイでしょう?”って。何から何まで、全て用意してくれたんだ。』
「ホォ…。あのベルモットか。やけに積極的な関わり方だな…?」


子供らしくない口調に、子供に似つかわしくない笑みを浮かべる。

チラ…ッ、と流し目を寄越す彼と横に並びながら、廊下を進む。

だが、次の瞬間、不意に足を止めた少年は、彼女の首元を見て目を眇め、口を開きかける前に彼女を手で制した。

少し屈んでくれとジェスチャーで示し、それに従う梨ト。

彼女の後ろ首に手を伸ばし、襟元を探る。

遠退いた彼の手を見遣れば、何やら不透明な平たい薄っぺらい物体が摘ままれていた。


「…生物学的に作られた物か。」
『何それ…?』
「奴等が決まって新入りに付ける、見張りの鈴…発信器だ。」
『え…!嘘…っ!?』
「コイツは少し特殊でな。付けてから24時間後には自然消滅する、厄介な代物なんだ。…相変わらずだな、あの頃と。」
『じゃっ、じゃあ…!この場所は、既に奴等にバレてるって事…!?』
「恐らくな…。慎重だな、あの方も。」


梨トは、自宅の場所が奴等に割れてしまい、焦りを抱いたが…。

少年の方は、そうでもないようだ。

寧ろ、余裕すら感じさせる雰囲気なのであった。


「…良いか、梨ト。お前はこれから、ベルモットの元へ行け。」
『え…?』
「“親には、今夜は友達の家に泊まると伝えていたから帰れない。一晩泊めてくれないか?”…と、そう言えば良い。ご自慢の変装術を貸してやるくらい積極的に接触してくるんだ。快く、快諾するだろうさ。」
『で、でも…っ、奴等は……っ!』
「安心しろ。まだ策はある。もし、ジンよりこの事を問い詰められたら、こう言え…。“一度自宅に帰宅したのは、次の日の講義の荷物と着替えを持ってくる為だ”…とな。言葉を付け加える時は、さっきベルモットに言えと言った台詞を使え。それでも疑われるようであれば、彼女自身も使え。そうすれば、流石の奴等でも、変に勘繰ってくる事は無いだろう。」
『…………分かった。』


彼女は小さく頷くと、言われた通りの荷物を掴み、「行ってくる。」との意を示した。

それを彼は静かに頷き返し、見送った。

再び、組織の懐に飛び込む、肝の座った子猫の身を案じて…。


執筆日:2016.06.04
加筆修正日:2019.11.28

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