#10:動く思惑



ホテルの一室でバスローブを身に着け、ワインを片手に寛ぐベルモット。

風呂上がりで水気を含み湿るプラチナブロンドにタオルを纏わせ、ソファーへ身を沈めていると、ベッドの上に置いていた端末が震え出した。

何事かと首を捻り、グラスを置いて立ち上がる。

緩やかな流れで端末を手に取ると、耳に押し当て電話に出る。


「―Hi…、私よ。」


数秒の間が空き、電話の向こうの声が返ってきた。


<―…ベルモット。少し、頼み事があるんだけど…良いかな?>


聞こえてきたのは、珍しく敬語の外れた、素の彼女の声。


「あら…。貴女からの頼み事だなんて、嬉しいわ…。どうしたのかしら?」


窓の向こうに見える、夜の絶景を見つめながら問う。


<…一晩だけ、貴女の部屋に泊めてくれる…?>


小さく躊躇いがちに零された言葉に、彼女は浮かべていた笑みを深めた。


「良いけれど…。その代わり、そうなった経緯を教えてくれる?」


肯定の意が返ってきた途端、すぐに入口のロックを外し、辺りを見回して確認する。

程なくして、ドアを叩くノックの音が部屋に響いた。


―時は同刻…。

別のホテルの一室にて滞在する、仲間の幹部の一人が、ポツリと言葉を漏らした。


「―赤の印が動き始めた…。」
「え…?キティがですかい…?」
「あぁ。一度根城に戻ったかと思いきや、別の場所へと向かってやがる…。」
「何をする気なんでしょう…?」
「さァな…。しかし、この方角は確か……。」


パソコンのディスプレイを睨みつつ、考え込む長き銀髪の男。


(―ベルモットが滞在する、杯戸町方面だと…?)


暫し黙り込み、一つの仮説を頭の中で組み立て席を立ったジンは、徐にディスプレイを閉じると、コートを翻して出口へと向かった。

それに慌てた相棒の男は、疑問を口にしながら付いてくる。


「あ、兄貴…!?一体、どうするんで!?」
「ウォッカ、車を出せ。出るぞ。」
「え…!?ど、何方に向かうんです!?」
「“杯戸シティホテル”。…ベルモットの滞在先だ。」
「へ…?何でそんな所へ…。」


戸惑いながらも、彼の後を追い、助手席のドアを開けてやるウォッカ。


「…奴の動向の真意を確かめる。我々の目を欺く、“蝿共”の仲間か、そうでないかのな。」


ドアが閉められ、運転席へと乗り込むウォッカ。

ホテルの地下駐車場から、今、黒きポルシェ356Aが解き放たれていった。


―時は戻る…。

部屋へ入れてもらった後、彼女により施された変装を解き、シャワー室へと押し込められた梨ト。

ゆっくりと汗を流して綺麗にし、さっぱりしたところで、先程の会話の続きを促された。


「…で?貴女が私を頼ってきた理由は、何なのかしら…?」
『……その前に、髪…乾かせてくれませんか?』
「あら、さっきはそんな口調じゃなかったのに…もう戻すの?」
『…別に、どっちだって良いじゃないですか…。』


溜め息を吐きながらドライヤーを手に取り、スイッチを入れようとすると、彼女の手によって掠め取られ、そのまま乾かされる流れとなった。


「―…成る程ね。まぁ、現役大学生の貴女が吐く嘘としては、普通の内容だし、ありがちなものよね。」
『元々、夕方に友達の家に遊びに行くから遅くなる…とは伝えてましたから、特に怪しまれる事はありませんでしたね。』


乾かされた流れで、髪を梳かされる梨ト。

大人しく軽やかな動作で肩まで流す髪を整えられる。


『私が組織の人間で唯一頼れそうな人間は、貴女ぐらいしか居ませんし…他は連絡先どころか、殆ど面識もありませんから…。』
「ふふ…っ、それで私を頼ってきたって訳ね。」
『えぇ…。そういう事です。』


丁寧な手付きで梳かされた髪はサラサラで、指先に絡む事もなかった。

今日一日の間だけで色々な事があり過ぎたのと、ずっと気を張り詰め、緊張しっ放しだった事もあってか。

少し意識を緩めれば、倒れ込みそうな勢いで疲労感がドッと押し寄せてきた梨ト。

すぐそこまで来ている睡魔に、意識が朦朧としてふわふわする。


「今日は疲れたでしょう…?もう寝なさい。明日も早いんでしょう?」
『いや…明日は土曜で、講義は無いですよ…。私、土曜日にある講義は、取ってませんから…。』
「え…?でも、貴女…次の日の講義の荷物も持ってきたって…、」
『それは…万が一、ジンや他の幹部の人達に疑いをかけられた時の為の口実ですよ…。』


ベッドへ倒れ込むと、枕に顔を埋め、くぐもった声で言葉を返す。

眠気のせいか、言葉と言葉の間がやや間延びしている。

様子を見兼ねたベルモットは、話を切り上げ、彼女を寝かす段取りをした。


「一つ、寝る前に遣っておく事があるけど…良いかしら?」
『んぅ……っ、何ですか…?』
「貴女が寝付いた後に起こりそうな事の為に、ちょっとだけ軽い変装を施しとくわね。」
『ぇえ…?またアレ被るんですか…?違和感半端ないんですけど………。』
「顔にマスク被っとくだけで良いわよ。時間が過ぎれば剥いどいてあげるから…。彼等に正体、バレたくはないんでしょう?」


眠いながらも渋面を作り、渋々といった様子で頷く梨ト。

その解答に満足した彼女は、今にも寝てしまいそうな梨トを起こし、変装を施す。

そして、改めてベッドへ戻ると、今度こそ眠りに入ったのであった。


―時刻は、午前二時を指そうとしていた頃…。

静寂な部屋に、着信を知らせるバイブの音が鳴った。


「もしもし…?」
<―俺だ。開けろ。>
「OK。ちょっと待ってて。」


ドアのロックを外すと、現れたのは、仏頂面で殺気を纏った組織の仲間であった。


「此処に、キティが居るな…?」
「ええ、居るわよ?今は寝ちゃってるけど。」
「何故、奴が此処に居る…?お前が呼んだのか?」
「いいえ、彼女から来たわよ。何とか…今夜、組織の集まりに参加する前に、親へ“友人の家に遊びに行く。帰りは遅くなるから泊まりになるかもしれない”って伝えてたらしいから…。帰るに帰れなかったんじゃなぁい?」
「…ふんっ。それで、わざわざお前の所へ転がり込みに行ったって訳か。」
「どうやらそのようね…。証拠が欲しいなら、彼女が一度こっそり帰って取ってきたっていう荷物の中身でも調べたら…?次の日の講義の教科書とか、着替えが入ってると思うから。」


努めて冷静に答えつつ、彼の様子を窺うベルモット。

ジンは、未だ入口付近に立ったまま、部屋の奥を睨むように見据えている。


「…奴が本当に寝てるのかどうか、確かめさせてもらおうか。」
「別に構わないけど…変な事しないで頂戴よ?」
「ァア゙ン…?テメェ、ふざけてんのか。」
「ふざけてないわよ。眠ってるレディーの枕元に近寄るんだから、まかり間違っても狼にならないでよ、って言ってるのよ。」
「は…っ。誰があんな小娘に手ェ出すかよ。」
「分からないじゃない…?だって貴方…ここのところ、任務で忙しくて“飢えてた”でしょう…?」


意味深な台詞を投げかけた彼女に、無言で一瞥すると、断りも無しに梨トが居るであろう部屋の奥へと入っていった。

部屋の中へと踏み入れば、ベッドが二つ並んでおり、その奥のベッドに彼女は横たわっていた。

枕元を覗くと、静かな寝息を立てて無防備に眠る、梨トの姿があった。


「……完全に爆睡してやがるな。殺気をちらつかせても、全く起きる気配が無ェ…。」
「初めての顔合わせだったんだもの。緊張してたんでしょう?」
「…まぁ、良い。秘密主義者のお前の事だ。コイツの何かを知ってて隠してるんだろうが、その内分かる事だろうぜ。今は黙って見逃してやるよ。…だが、あの方が疑いを持った時、どうなるかは…分かってんだろうな?」
「ええ…勿論よ、ジン。」


一瞬だけ、殺伐とした空気を放ち、互いに視線を交わらせる。

その後、何事も無かったかのように身を翻し、出て行ったジン。

後に残ったのは、彼の服に付いていた煙草の匂いと…不安を煽る、彼が残した言葉の余韻だった。


執筆日:2016.06.06
加筆修正日:2019.11.28

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