#16:油断大敵


阿笠さんに自宅まで送ってもらう際、家を留守にするからという理由で、阿笠さん宅で一緒に住んでいるという茶髪の彼女…灰原哀という少女も乗せて送ってもらった。

この少女、何処か大人びていて、同じ小学生の子供等の中でも一人だけ不思議な雰囲気を放っていたのが印象に強い。

そんな彼女と相乗りで後部座席に並んで座っていた。

阿笠さんに行き先を告げる以外、話す事も無く暫く黙っていると、彼女の方から話しかけてきた。


「…貴女、どうしてあの時言葉を言い淀んだの…?」
『え……?』


思いもよらぬ問いを問いかけられ、彼女の方を見遣る。


「あの沖矢昴って人が家まで送るって言った時、答えるのを躊躇っていたように見えたから…。」
『あ、あぁ…、あはは…っ。あれは、その………っ。』


案外、鋭い観察眼をお持ちのようで、突かれたくないところを突かれ、思わず苦笑を漏らし、頬を掻いた。


『え…っと……実はね、あの人とは、つい数日前に逢った事があったんだけど…。大学の帰り道に在る、とある交差点の所でぶつかっちゃってね。私の不注意なんだけど…まさか、今日助けて運んでくれたのがその人だったとは思わなくて…。』
「ふぅん…。既に知り合いだったって訳ね。」
『いや、あの人の名前がどうとかあの人がどういう人なのかって事は、ついさっき初めて知ったよ。』
「あら、そうだったの?それにしては…躊躇っていたのに他にも理由がありそうだったけど。」


成人した女性がするように腕と脚を組む少女。

なかなか鋭い子が居るものだ。

こういう子は、誤魔化したとしてもあまり騙されてはくれないし、不必要に詮索しては、此方の領域へ踏み入ってくる。

余計な情報は漏らさぬよう、注意しなければ…。

そう密かに思ったところに、再び彼女から話しかけられ、頭を向ける。


「そういえば、貴女…さっきの電話先で、日本語以外の言葉をごく自然に使ってたけど、何処かで習ってたりしてるのかしら?」
『………え?』
「……もしかして、気付いてなかったとか?」
『…え……私、外国語使ってた…?』
「ええ…。まさか、自覚無かったの?」
『…………マジか。』


なんてこった…。

幾ら、頭がクラクラしていたとはいえ、自分の本質を見せてしまうとは。

しかも、ナチュラルに…それも、あの男の前で…。

母国語のドイツ語をほぼ無意識に使っていた事に気付き、それ=失態を犯したとあって内心冷や汗を垂れ流した。


『もしかしたら…頭打って、意識がまだぼんやりとしてたから地が出たのかも…。』
「“地が出た”って…もしかして、貴女、ハーフなの?」
『うん…。言われないと分かんないかもだけど、私、ドイツ人とのハーフなんだ。母が日本人で、父がドイツ人。私は、母の血を濃く受け継いだみたいで、日本人の血が濃いんだ。だから、あんまりハーフって気付かれないんだよね…。まぁ、特に支障は無いから良いんだけど。』
「へぇ…そうだったの。」


興味深げに相槌を打った彼女は気が済んだのか、それ以上喋る事は無かった。

元々、口数が多い方では無いようだ。

その事に、此方としてはある意味助かったのだった。


「着いたぞい。君の家じゃ。」
『あ、有難うございます…っ。』
「…このお宅が、貴女の住んでるお家?」
『そっ。何処にでもありそうな一軒家でしょ?』
「…そうね。」


今時の洋風な二階建ての建物が、我が家の一軒家だ。


『此処まで送って頂き、有難うございました。』
「うむ、ではの。」


一言送ってもらった礼を告げ、阿笠さんの車から降りる。


『それじゃあ、またね。哀ちゃん。』
「…ええ、また。」


彼女とはまた縁がありそうな気がして、去り際に振り返り、名を呼んだ。

名を呼ばれた事に驚いた彼女は、一瞬目を見開くも、梨トの言葉に答えた。

後ろへ振り返り、少しの階段を登れば入口の玄関がある。

その手前まで来た時、玄関の扉が微かに開いている事に気付く。

心なしか、色素の薄い金髪と小さな手が見え隠れしている。


(―あ…、何だ。もう出迎えてくれてたのか。)


精神的に色々有り過ぎてナイーブになりかけていたのもあって、ちょっぴり嬉しくなり、笑みが零れた。

此方が入口の扉を引くと、小さな手は引っ込んだので先に顔だけを出し、帰り着いた事を知らせた。


『ただいま…っ。』
「…おかえり。」


そのまま身体も家の中へと滑り込ませるように入ると、直ぐ様鍵を掛ける我が“弟”。


「………よし、行ったな。」
『うん。行ったね。』


無事に私を送り届けた事を確認した阿笠さんが、車を発進させて走り去る姿が隙間から見えた。

取り敢えず、気の休める領域へ帰宅した事で肩の力を抜き、盛大に息を吐いた。

その様子を見ていた遥都が、色々と察してくれたようで労いの言葉をかけてくれた。


「…お疲れだな。まぁ、常に目を気にしなきゃいけないから、仕方ないか。」
『ん〜…何か疲れたよ……。面倒な事にもなりかけたし…。』
「面倒な事…?」
『あ…っと、話してなかったっけ…?この間、初めて奴等と顔合わせした日の事…。あの日、大学の帰り道でベルモットから電話が掛かってきたんだけど…携帯を出そうとしたら、思いの外、バッグの底の方に沈んじゃってて…。取り出そうとしたら、交差点の所で信号待ちしてた男の人にぶつかっちゃってね。実はその時…その男の人にずっと見られてたような気がして、どうも何か探るような視線を感じたんだよな…。』


靴を脱いで、家の中へ上がりながら語る梨ト。

遥都は、思い出しつつ語る彼女を僅かに目を細めて話を聞く。


『…で、その男の人に今日逢っちゃったんだけど…。名前は、沖矢昴。東都大学院工学部所属。偶然通りかかった先で、意識を失ってた私を阿笠さん宅まで運んでくれたって事らしい…。』
「……………。」


挙げられた名の人物が自身の知る人間か、考え込み始めた彼は無言で俯き、顎に手を当てた。


『更に言えば、ついさっき目が覚めた時もずっと見られてたんだけど…誰か知ってる?』
「………いや、それだけでは情報不足だ…。もっと細かい情報が欲しい。取り敢えず、今言えるのは…次にそいつに逢う時は注意しろ、という事だな。」
『うん…。あの人、何考えてるかいまいち読めなかったし…終始怪しげな雰囲気だったしね。気を付けるには、越した事ないよな。』
「…もし、お前を監視するような人間だった場合、厄介だからな。その沖矢昴という男、此方でも可能な範囲で調べてみよう。…出来れば、我々側の分野の人間であって欲しいが…。」
『え……?最後何て言った…?』
「いや…、何でもない。此方の話だ…。」


ポツリと意味深な言葉を漏らした遥都だったが、その意味までは分からず、それ以上は何も喋ってはくれなかった。

何の事か…気にはなったが、これ以上詮索したところで時間の無駄だと分かっているので、敢えてスルーする事にする。

その場はお開きとなり、状況報告も終えた為、各自自室へと戻っていく。

部屋へと戻った梨トは、机の前にある椅子に腰掛けると、身体を背凭れへ預け、先程まで話題に挙げていた男の顔を思い浮かべていた。


―沖矢昴…。

ジッと此方を窺い、正体を見せない男。

その上、優男と見せかけて、鋭い洞察力を持った、かなりの遣り手のように思える…。

アイツは、一体何者なんだ?

あの視線は、明らかに此方を探っていた…。


―彼女の内に巣食う謎は、深まるばかりである。


執筆日:2016.06.26
加筆修正日:2019.11.30