#20:警戒の糸



話は其処で終わり、自分は会計を済まそうとレジの方へ身体を向けると、途端に呼び止められた。

まだ何かあるのかと鬱陶しげに振り返ると、彼は笑顔でこう言った。


「もし、宜しければ…ウチで晩御飯、召し上がって行きませんか?丁度、親御さんも弟さんも外出中でいらっしゃらないようですから。」
『え……良いですよ、遠慮しておきます。迷惑になりますから…。』
「そう仰らず、僕の厚意ですから。それに…先程言ったでしょう?これは、貴女へのお詫びでもあると。」


…少し前の会話を覚えていたのか。

別の話題に移っていたから、忘れてくれているものとばかりに思っていたが、外れたか。

そもそも、アレはほんの冗談だと思ってたのだが、まさか本気だったとは…面倒だ。

梨トは、内心で舌打ちをした。

断ろうとした矢先で、この切り返し。

断りづらくなるところまで追い詰めてから、先へ促す遣り方…。

沖矢昴、予想以上に厄介な男だ。

そうこう悩んでいると、手に持っていたカゴを掻っ攫われてしまった。

何かを発しようとする前に、彼は彼女の唇に人差し指を当てて制す。


「人の厚意は無碍にしない方が得策ですよ。…それに、この場合は、年長者の顔を立てる意味でも厚意は受け取っておくべきだ。」


二の句を告げなくなったところで軽く笑むと、指を離し、先を行く。

呆然とその背を見つめていたが、我に返り、ムッと口を引き結ぶと大人しく後に続いた。

彼の背を追い、先を見つめれば、先程カゴの中に入れた晩御飯用のお弁当を元の場所へ戻していたところだった。

どうやら彼は、どうあっても彼女を夕食へと誘いたいらしい。

その後も様子を窺っていると、彼の当初の目的であったお酒を購入するという目的は果たせたようで、一つの銘柄のお酒を手に取るとレジへ向かった。


『……お酒、飲まれるんですね…。意外です。』
「まぁ、それなりに嗜んでますよ。」
『へぇ…。ちなみに、それ何のお酒なんですか?』
「ウイスキーの一種で、銘柄は“ライ”です。」


聴き覚えのある響きだった。

だからか、梨トの口からは、無意識に自然と言葉が繰り返されていた。


『…“ライ”、……。』
「…………。」


その様子に、沖矢は無言で眼鏡の奥を煌めかせていたのだった。

てっきりカゴは掻っ攫われたものの、会計自体は自分がするものだと考えていたら、気付けばそのまま彼が全て支払ってしまっていた。

平然とした様子で店を出ていく彼を慌てて追いかけ、自身も店を後にする。

その背中に、店員の伸びやかな「有難うございましたぁ〜っ。」との声がかけられたが、ほとんど聞いていなかったように思う。


『あの…っ!自分の買った分の代金は支払いますので……!』
「あぁ、大した額ではないので、僕持ちで構いませんよ。」
『ええ…!?で、でも…それじゃあ申し訳な…っ、』
「梨トさん。」


走って追い付いたところで、彼がピタリと足を止めた。

疑問に思いながらも、此方も立ち止まり、息を整える。


「先程言った通りですよ。人の厚意は素直に受け取っておくべきだと。」
『へ……?あ、はい…すみません…。』


彼は、頑として自分持ちも譲りたくないらしい。

何なんだ、一体…?

取り敢えず、厚意に甘える意思を見せると、満足そうに微笑み、再び前を向いて歩き出した。

しかし、今度は彼女の歩く歩幅に合わせて、である。

なかなかの紳士っぷりのようだ。

暫く無言で歩き続けていると、ふと、「この方角はもしや…?」と思い始め、彼の方を仰ぎ見た。


『あの、沖矢さん…?この方角って……。』
「ええ。阿笠博士のお宅の方角になりますよ。なんたって、今僕が住んでいるのは…阿笠博士宅のお隣ですから。」
『え…?そう、なんですか…?』


思っていた事とは違う解答が返ってきて、少し間の抜けた言葉を返した梨ト。


(―何だ…。米花町三丁目方面に向かってたから…てっきり、ウチの方向に向かってるのかと思った。単なる早とちりか…。)


彼が再び足を止めたので同じように足を止めると、確かに先程言われた通り、右手に阿笠博士のお宅がある場所に着いていた。

しかし、問題は其処ではない。


『デカ…ッ!!何ですか、此所…!?凄い豪邸じゃないですか……っ!』
「まぁ、確かに凄いですよね。仮宿として借りている人様のお宅ですが…。」
『え?』


あまりの凄さにポカーン…ッと惚けていると、意味深な言葉を彼は口にした。

どういう意味かを問おうとする前に、門を開き、中へと進んでいく沖矢。

再び慌てて追いかけていく際、チラリと表札を見遣ると、“工藤”の文字が書かれていて不思議に思うのだった。

屋敷内に入ってみれば、外観と同じく豪奢な造りで、とてつもなく広く、そして大きかった。

玄関だけでも、まるでホテルのエントランスホールのようだった。

ポカーン…ッとしながら進んでいる内に、いつの間にかリビングらしき部屋まで入っていて、慌てて居住まいを正す。

コンビニで購入したお酒以外の荷物を受け取り、「先に、洗面所で手を洗ってきてください。」と言われ、その後、指示された場所の席へと着いた。

「これから何が始まるんだ…?」と身構えていると、少しの間、キッチンに居た沖矢が一つの鍋を持って現れた。


「そう緊張しなくても大丈夫ですよ?別に、貴女を取って喰ったりなんてしませんから。安心してください。」
『は、はぁ……。あの…ところで、その手に持っている物は…?』
「あぁ、これですか?今晩の夕飯です。まだ自炊を始めて日が浅いせいか…どうもいつも量を多く作り過ぎてしまって、一人で食べ切れずに困っていたんです。毎回、お隣の阿笠博士のお宅にお裾分けに行ってたんですが…今日は偶々貴女と出逢えましたので、せっかくの機会ですし、お誘いしてみたんです。」
『…そ、そうなんですか……。えと、何かすみません、ご馳走になっちゃって…。』
「いえいえ。此方こそ、夕飯をご一緒出来て光栄です。是非、貴女とは親睦を深めたいな、と思っていましたので…。誘いを受けてくださり、有難うございます。」
『いえ、此方こそ、飛んでもないです…っ。』
「あははは…っ、そう畏まらなくても大丈夫ですよ。気楽になさってください。」


内心、「誘いも何も、アンタが強制的に頷かせたんだろうが…っ!!」と言いたいのを必死で堪え、曖昧に微笑む梨トであった。


執筆日:2016.07.20
加筆修正日:2019.11.30

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