#21:紳士的な男



『っ……!美味しい…っ。』
「それは良かった。お口に合ったようで、何よりです。」
『本当、凄く美味しいです…っ!この腕前で自炊を始めて日が浅いとか、信じられないです。』
「はは…っ。そう言って頂けると、僕もたくさん作り過ぎた甲斐がありましたね。」


気付けば、そのまま彼の仮住まいであるという工藤邸で夕飯をご馳走になっていた。

しかも、その彼が自ら作った手作りのビーフシチューがとてつもなく美味で、堪らず感嘆の言葉が漏れた。


―これで料理不得手とか嘘だろう。

私だって自炊するのは苦手で、殆ど母さんや遥都に頼り切りだと言うのに。


…と、そこまで考え始めてハ…ッ!と我に返り、頭を振った。


『ッ…!(やばい…!あまりの美味しさについ絆されかけてしまった…っ。しっかりしろ、梨ト!これは罠だ…!!)』
「……あの、どうかされましたか?」
『へ…?あ、いや、べっ別に何も無いです…!』
「そうですか…?もしかして、先日頭を強打した時の後遺症でも…、」
『あああっ!その件でしたら全然大丈夫ですので…っ、ご心配なく……ッ!!』


あわあわと焦って言葉を返す梨トの様子を不思議そうに…しかし、何処か面白そうに見つめる沖矢。

その口元は、小さく弧を描いて、愉しそうに微笑んでいた。


「…あの、少し気になる事があるのですが…お訊きしても宜しいでしょうか?」


食事を終えて出されたお茶をゆっくり飲んでいると、何やら神妙な顔付きで尋ねられた。

「何故そんなにご丁寧過ぎる言葉遣いで訊いてくるんだろうか…?」と思い、ぱちくりと瞬きをする。


『え…?あ、はい…構いませんけど。』
「では…。先日、貴女が阿笠博士宅で目を覚まされた後、弟さんからの電話に出ていた時の話なんですが…。あの時、通話の途中…別の国の言葉を使われていましたよね?どうしてあの時、別の国の言葉を使われたのか、気になってしまって。…もし宜しければ、その理由をお聞かせ願えませんか?」
『え、えぇ…。大丈夫ですよ。』


…まずい……っ。

既に怪しまれてる所か、疑問すら投げかけられている時点で、かなり警戒されていると見て良いだろう。

この男、何者なんだ…!?

動揺を悟られぬよう、一度深呼吸して心を落ち着ける。

平常心を装い、なるべく怪しまれぬように話し始めた。


『えっと…何故、かと言いますと…本当、あの時は無意識だったんですが……っ、ついうっかりと言いますか。…まだ少し頭がクラクラしていた事もあって地が出てしまったというか…そんな感じで使ってしまったんです。…ちなみに、あの時話していたのはドイツ語で、後から送られる車の中でも哀ちゃんに同じように訊かれました…。』
「ホォ…。ドイツ語ですか。…大学の方で習われているとかですか?」
『いえ、元々生まれがドイツで、父がドイツ人だったので…それで。』
「…へぇ、父親がドイツ人…。という事は、梨トさんはハーフの方でいらっしゃったんですね!」
『はい、まぁ…一応。私は、日本人の母の血の方が濃いので、言われないと分からないかもしれませんが…。』
「確かに、そうですね。僕も今初めて知りましたから。」


にこり、と優しげに微笑む沖矢だが…その瞳は何処か探るような目付きをしていて、薄ら寒気を感じた。

思わず顔の筋肉が強張り、引き攣りそうになったが、何とか感情を抑える。

…大丈夫。

彼との約束を破らない限りは、安全に事を運べるから…。


「それじゃあ、梨トさんはドイツ出身って事ですか?」
『ええ…。そういう事になりますね。』


「これで会話は終了かな?」と思っていたがまだ何かあったようで、彼は再度質問を重ねてきた。


「では…、もう一つ質問です。コンビニでお逢いして会話した時、偶然貴女の弟さんの話題が出てきましたが…。その時、彼はまだ中学生だと仰ってましたが、…今日は平日の日でしたよね?普通なら、学校に行っている時間帯な筈なのに、あの時貴女は迷わずに“昼間から外出していて居ない”と仰いました。さて、一体どういう意味なんでしょう…?」
『ッ…………!!』


梨トは忽ち無言になり、息を飲んで身を固まらせた。


―やらかした…っ!

つい、うっかり本当の事を喋ったせいで、余計に怪しまれる結果に…っ。

……迂闊だった。

確かに、一般的思考で考えても、気になっても仕方のないような可笑しい言い方をしてしまった。

どうする…?

上手く言い逃れできそうな、上手い言葉は…彼に怪しまれないような、言葉は何か無いか……。


たっぷり間が空き、更には思考が一周してしまうくらいに悩んでから思い付いた言葉を紡ぐ。


『―…すみません、変に誤解を与えるような言い方をしてしまって…。実は、ウチの“弟”は心に病を抱えていまして…その、或る時から他人と関わるのを嫌うようになってしまって、通信制の学校に通ってるんです。“弟”は、私と違って父の血を濃く受け継いでいる子なので、ドイツ人寄りの顔付きをしてるんです。それで、周りの子に彼是言われたみたいで、そういう事が要因で友人関係を上手く築けなくなったようで…。今は凄く人見知りになってしまって、本当に心を許した人でないと顔を合わせてくれないくらいになってしまったんです。…だから、通信制の学校に通って、少しでも彼の心に余裕が戻ってきてくれたら、と…ある程度自由にさせているんです。』


何気に辻褄が合いそうな答えを導き出せて、内心冷や汗ダラダラだったが本当の事のように口にした。


「…ホォー…。それはそれは、大変でしたね。これは、何だかあまり踏み入ってはいけない内容だったようで…。すみません。そんな理由だったとは知らず、軽弾みな気持ちで訊いてしまって…。」
『いえいえ、別に大した事じゃありませんから。今の時代、そんなに珍しいお話でもありませんから…お気になさらず。』


上手く躱し切れた事に安堵し、ホ…ッと胸を撫で下ろす。

ふと時刻を見遣れば、時計の針は夜の九時を過ぎていた。

いつの間にか話し込んでいて長居し過ぎたようだ。


『わっ、もうこんな時間…!そろそろ帰らないと……っ。』
「おや、これは失礼っ。つい話し込んでしまい、時間を忘れていました。此方が気付かずに申し訳ありません。」
『いえいえ、今すぐ帰れば問題は無いので…!夕飯、ご馳走様でした!それでは、失礼致します。』
「あ…っ、待ってください!もう遅い時間ですし、夜間の女性の一人歩きは危険です。僕が家までお送りしましょう。」


また来たか、この手の遣り口…。


梨トは出口前でくるりと反転すると、控えめな口調で言った。


『大丈夫ですよ!私の家、わりと此処から近いので。』
「そうなんですか…?ちなみに、お住まいはどちらで?」
『米花町三丁目です。二丁目寄りの所にあるので、歩いて帰れる距離ですよ。』
「ふむ。確かに、それなら大丈夫そうですが…。」
『はいっ。なので、一人でも帰れま…、』
「例え短い距離だとしても、危ない事には変わりありませんから…送りますよ。」


またしても、この断りづらい状況。

舌打ちしたい気分だったが何とか抑え込み、仕方無しに頷く梨トなのであった。


―すっかり夜の帳が下りた暗い夜道。

街灯の下を奇妙な組み合わせの二人組が歩いていた。


「すみません…、こんなに遅い時間まで付き合わせてしまって。年上の僕が気付くべきだったのに、配慮が足りず申し訳ない。」
『良いですよ、もう。私もそれなりに楽しめましたし、美味しいご飯も食べれて満足ですから。』
「そうですか…。それは良かったです。また今度、お誘いしても良いですか…?貴女とは、もっと親密な関係になりたいと思っていますので。」
『え…?えっと…機会があれば、また…。(出来ればそんな機会、あって欲しくないがな!)』


意味深な言葉を言われたような気もしたが、ある意味鈍い彼女からしたら、そっちよりも彼と再び関わらない事を祈っていた。

戸惑いがちに返された返事に、彼は嬉しげに微笑みながら彼女の手を取った。


「是非、またお逢いしたいです…。これ、僕の携帯の番号とアドレスです。良かったら、此方に連絡をください。何かあれば、すぐに駆け付けますから。」
『は、はい…。有難うございます……。』


唐突に渡されたメモ紙に驚きつつ、彼を見遣った。

何処までも紳士的だが、しつこい程の付き纏い。

ぶっちゃけるなら、二度と関わりたくもないし、連絡なぞ更々お断り申し上げたいところだ。

…なんて正直に言える訳もないので、曖昧に笑って受け取っておく。


『……あ…っ、もう此処までで構いませんよ。私の家、すぐ其処ですから。』
「本当に近い距離だったんですね…。もう少し貴女とお話ししていたかったのですが…残念です。実は、家まで送ろうと思ったのは、もう少し貴女と居れる口実を作りたかったからなんですよ。」
『ま、またまた、ご冗談を…。』
「いえ…、これは本当の事です。これだけ近ければ…有事の際は、すぐに駆け付けられそうだ。」


彼女の家の或る一点を見つめながら、そう零した沖矢。

その口許は不敵に笑んでおり、また眼鏡を怪しく煌めかしていた。


『…えと、今日は有難うございました。それでは、おやすみなさい…!』
「ええ、此方こそ今日は有難うございました。そして、おやすみなさい。良い夢を。」


ペコリとお辞儀をした梨トは、駆け足で家の中へと入っていく。

残された彼は、フ…ッと微笑んでから、元来た道を帰っていったのだった。


執筆日:2016.07.23
加筆修正日:2019.12.03

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