#22:初めての任務



帰宅するなり漸く安心出来る空間に戻ってきたと盛大な溜め息を吐き出した梨ト。

そのままズルズルと玄関の扉に凭れ掛かり、身体を預けた。

暫しそうやって落ち着くと、身体を離し、ヨロヨロとした調子で家の中を進んだ。


「あら、梨ト。おかえりなさい。遅かったわね?」
『あぁ…母さん。ただいまぁ…。ちょっと知り合いの友達に夕飯誘われてね…。』
「へぇ〜…。もしかして、相手は男の子?とうとう梨トにも春が来たのかしら…?」


そう言ってリビングのソファーに座り今話題のドラマを観賞している女性は、彼女の母…佳奈絵である。

短めな黒髪に彼女とよく似た顔は、娘の季節外れに来たかと思われる春に綻んでいた。

反対に、その娘である梨トは呆れたような表情で溜め息を吐く。


『そんなんじゃないっての…、はぁ……。そういや、遥都は…?』


早々と話題を変えた彼女に何とも思っていない佳奈絵は、「自分の部屋に居るわよ〜。」と間延びした口調で答える。

その言葉に軽く礼の返事を返した梨トは、コンビニで購入していた荷物をキッチンへ置き、二階の部屋へと上がっていった。

二階に在る自身の部屋へ一度戻り、大学の教科書を入れたバッグを下ろす。

部屋を出て、書斎へ向かおうとしていると、同じタイミングで書斎から出てきた金髪の少年が姿を見せた。


『あ、“父さん”…っ。ただいまー、帰ってきてたんだね…?』
「あぁ…おかえり。あの男は…?」
『例の大学院生…沖矢昴さんだよ。今日の夕方、母さんが居なかったから、大学帰りにコンビニ寄ってたら偶然逢っちゃってね…。』
「“偶然”、ね…。まぁ、良いだろう。それで、何か向こうからアプローチはあったのか?」
『それが、もう…ばりっばりにあったよ。そりゃこっちが冷や汗ダラダラになるくらいにはね…。食事に誘われるわ、この間の件でついうっかりドイツ語使ってた事を問われるわ、何やら…。』
「ホォ…。それは興味深いな。」
『ついでに言えば、さっき別れ際に連絡先を頂きましたぁー。こっちの番号やアドレスは渡してないから、安心して。』
「そうか…。お前にしては、なかなかの収穫じゃないか。」


ニヤリと笑んだ彼は、何処か愉しそうな雰囲気だ。


『他人事だと思ってさ、勘弁してよ…。私、そういうの苦手なんだから。つか、別に欲しくて貰ったんじゃないから。向こうが勝手にくれただけだから。』


不機嫌気味に返した彼女は、ぶすくれた表情で受け取ったメモ紙を揺らした。

色んな意味で疲れた梨トは眠たげに欠伸を漏らすと、「シャワー浴びてくるねー。」と残して後ろ手にひらひらと手を振り、階下へ降りていった。

薄暗い廊下に突っ立つ少年は、難しい顔で口許に手を当て考え込む。


(あの男…此方の存在に気付いているようだったな。その証拠に、俺の居た窓際の方向に視線を向けていたし、此方の様子を窺うような視線を感じた…。只者じゃないな、沖矢昴…。)


再び書斎に戻り窓際へ寄ると、先程覗いていた先を見つめた。


―貴様の正体、必ず暴いてやるからな…。


鋭い視線を投げかけると、薄く開いていたカーテンを閉める。

薄暗い部屋の中で、闘志を燃やす者が此方にも居たのであった。


―翌日、平日である今日も大学に通う梨トは、いつも通りの様子で昼休みを過ごしていた。

同じ科に所属する友人と和やかに会話していると、着信音が鳴った。

見てみると、自身の携帯が鳴っていたので、一言断りを入れて席を立つ。

着信画面を確認すると、相手は組織の人間からだった。

彼女と連絡を取れる組織の人間は、一人しか居ない。

梨トは、通話ボタンを押して電話に出た。


『もしもし…?』
<ハァイ、キティ…。お久し振りね。今は、大学に居る頃かしら…?>
『ええ、その通りですが…。何かご用ですか?』
<ふふ…っ。相変わらず無愛想な冷たい反応を返すのね。…まぁ、良いわ。貴女に初めての仕事が来たわよ。簡単な任務よ。あの方からの直々の命令で断る事は出来ないから、そのつもりで。>
『……断るの前提で話すの止めてもらえますか?切りますよ、電話。』
<ジョークじゃない…本気にしないでよ。あぁ、そうそう。任務の内容は、夜此方に着いてから説明するから。遅刻しないでよね。時間は後でメールを送るわ。>
『了解…。それじゃ、これで。』


ピッ、と自身から通話を切ると、何事も無かったかのように元の位置に戻る。

その際、友人から「何だったの?」と問われたが、“単なるバイト先からの電話だった”と曖昧な表情で受け答えた。


―夜、指定の時間に女の元へ訪れると、以前と同様にソファーを背に悠然と寛ぐ姿があった。


「いらっしゃい、梨ト。」
『…コードネームの方では呼ばないんですね。』
「盗聴器なんて物、此処には仕掛けられたりしてないもの。安心して良いわよ?」
『それは助かりますね…。そうでないと、ボロを出し兼ねないので。』
「ふふふ…っ。用心深い事ね。」


緩やかに立ち上がったベルモットは近くの椅子に掛けた彼女の着替えを指し、仕事用の姿になるよう促す。

肩に掛けていた荷物を下ろすと、ベッドの上に衣服を広げ、早速着替えを始める。

今回も組織らしく黒を基盤とした色合いで、ピシッと締まる服装だった。

続いて、変装用にウィッグを被り、メイクを施される。

組織の一員であるキティが完成し、その姿で次の場所へ移動した。

その場所とは、ホテル内に在るレストランだった。


「ところで、キティ…。貴女、食事はまだだったわよね?」
『はい。大学から一度家に帰って、そのまま此方に来たので…。』
「なら、丁度良いわね。一緒に食事しましょ?」
『…はぁ。(何か最近、やたら食事に誘われる事が多いなぁ…。)』


窓際の景色がよく見える席に着き、適当に頼んだ食事が来るのを待つ。


『それで…、初めての任務の内容とは、一体何なんですか?』
「貴女の初仕事って事で、簡単な内容よ。これから、とある場所で取引が行われるの。貴女は、其処へ私と一緒に行くだけ。大丈夫、安心して…?貴女は、ただ私の側に居るだけで良いから。特に何もしなくて良いわ。」
『…それって、私が居る必要あります?』
「見とくだけでも大事よ。相手が変な動きを見せないか、警戒する為にね。あぁ、あと…もう一人のメンバーと合流してから向かうから。そのつもりで宜しく。」
『もう一人のメンバー…?』


首を傾げて問うていると、頼んでいた食事が来てテーブルの上へと並べられる。

食事に手を付け始めてから、彼女からの返答が返ってきた。


「この間の顔合わせの時に、一人来ていないメンバーが居るって言ったでしょう?その男と今夜一緒に任務を行うのよ。まぁ、主に運転役で、だけど…。」
『ふぅん…。そのメンバーの人って、男なんですね。』
「ええ…。いつも胡散臭い笑みを浮かべた、探偵気取りの男よ。」
『へぇ…探偵気取り、ですか…。何か面倒臭そうですね、その人。コードネームは、何て言う人なんですか…?』


ぱくりっ、と小さく切り分けたステーキを口の中に入れる。

しっかり味わいながら咀嚼していると、面白そうに笑んだ彼女が口にした。


「彼のコードネームはね…、“バーボン”よ。」


またしても、厄介な奴に関わる事になりそうな予感がしたのだった。


執筆日:2016.07.24
加筆修正日:2019.12.04

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