#26:厄介な客人



昨晩の任務を終えて精神的に疲れた梨トが、まだ爆睡を決め込んでいた早朝の時間帯…。

早々と身支度を整えて、朝食を摂り、出掛ける準備をする影があった。

彼女の“弟”…遥都である。

まだ誰も起きてこない内にとこっそり家を出て、合鍵を使ってしっかり施錠をする。

ほぼ無音で出ていった彼が居た後のダイニングテーブルには、小さなメモ紙が残されていたのであった。


―トントントン…ッ、と小刻みな調理音が響くキッチンに、寝起きでまだ寝癖を付けたままの梨トが、のそりと現れる。


『…母さん、おはよぉー……。あれ…?“父さん”は……?部屋に居なかったから、もう起きてるかと思ったんだけど…。』
「あぁ…。あの人なら、朝早くから何処かへ出掛けに行ったみたいよ〜?今朝起きたら、キッチンにこの置き手紙が置いてあったわ。場所は書いてなかったから、何処へ行ったのかまでは知らないけど…。夕方には戻るって書いてあったから、心配しなくても良いんじゃなぁい〜?」
『ふーん…。何しに行ったんだろ…?まぁ、何か調べ物でもするんだろうな。』
「それはどうでも良いけど…早く顔洗って、服着替えてきなさいな。何時だと思ってるの…?もう昼近くなってるのよ?」
『はいはい…。土日くらいゆっくり寝たって良いじゃん…。昨日は、任務あって疲れてるんだから。』


欠伸を漏らしながら、言われた通りに自室へ戻り、着替えを済ませ、洗顔も終える梨ト。

再びキッチンに顔を出した時には、もうお昼は出来ていて、朝飯兼昼飯なランチを摂り始めるのだった。


―食事を済ませた後、母の佳奈絵が立てる食器を洗う音をBGMに静かに本を読み耽っていると…。

長閑な時間が流れゆく午後に、来客を知らせるチャイムが鳴った。


「お客さんかしら…?」
『…じゃないの?』
「悪いけど、私、今食器洗ってて洗剤付いてるから、梨トが出てくれる?」
『はぁーい。』


読んでいたページに栞を挟み本を閉じると、よっこらせ、とでも言うように腰を上げ、玄関へと向かう。


―…ったく、こんな土日に誰だよ…。

宅配便か何かかなぁ…。

でも、何か頼んだりなんかしてたっけ…?


そんな事を考えつつ、玄関の鍵を開け、ガチャリとドアを開けた。


『はい、どちら様で………。』


ドアを開け、客人が誰かを確認する為に顔を覗かせた瞬間、固まる梨ト。


「―こんにちは、梨トさん。先日振りですね。」


来客は、なんとあの東都大学の院生…沖矢昴だった。

何でウチに…と真っ先に思ったが、彼の事なので何か用があって来たのだろうと踏んで、取り敢えず客人として応対する事にする。


『お、沖矢さん…っ、こんにちは…。あの、どうしたんですか?突然…。何か私にご用でしょうか…?』
「はい。先日、夕食にお誘いした際に、僕の作った料理をとても美味しそうに食べてくださっていたので…。良かったらと思って、お裾分けに。」
『はぁ…。わ、わざわざ、どうも有難うございます…。』
「流石に、此処までお鍋のまま持ってくるのは恥ずかしかったので…。タッパーに入れて持ってきました。ちなみに、中身は肉じゃがです。」
『え、肉じゃが…?』


まさかのメニューに驚いた梨トは、思わず言葉を鸚鵡返しに繰り返した。


「ええ、そうですけど…。もしかして、肉じゃがはお嫌いでしたか…?」
『へ…っ!?あ、いやいやっ!全くそういうのではなくて…!肉じゃがまで作れるんだなぁって、驚いただけで…っ。』
「あぁ、そうだったんですか…。もし苦手な物だったらどうしようかと思いましたが…その言葉を聞いて安心しました。念の為お訊きしますが、肉じゃが、大丈夫でしたか…?」
『あ、はい。肉じゃがは小さい頃からよく食べていたので、好きな方です。』
「それは良かった。あ、タッパーの返却は、いつでも構いませんので。」


そう言ってにっこり優しげに微笑んだ彼は、持っていた小さな紙袋を手渡してきた。

中身を見ると、それなりの大きさのタッパーが入っており、その中には見るからに美味しそうな肉じゃががたっぷりと入っていた。

この量だとかなりの量を作っているようだが、どれだけ作ったのだろうか。

タッパーに入っている量だけでも、一人で食べるには十分な量が入っているのだが…。


―この人…どんだけ作り過ぎてるんだよ。

家にもまだあるってなったら、そりゃ食べ切れない量だろ。


内心、ちょっぴり呆れの笑みが浮かぶが、自分自身は料理すら出来ないので、何も言えないのである。

そんな感じで玄関先で突っ立ったまま会話をしていると。

いつの間にやって来たのか、食器を洗い終えた佳奈絵が、彼女の背後から顔を出した。


「お客さん、誰だったの…?もしかして、彼氏…?」
『か、母さん…っ!』
「あ、どうもこんにちは。お邪魔させて頂いています。」


にゅっ、と出てきた佳奈絵に焦りつつ、身体を少し横へずらすと彼を紹介し始めた。


『この人は、沖矢昴さん。東都大学の院生で…。この間、ボールが当たってぶっ倒れた話はしたよね…?その時、気絶した私を阿笠さん宅まで運んでくれたのが、此方の沖矢さんなの。』
「まぁっ!それはそれは…、その節は娘が大変お世話になりました。」
「いえいえ…。僕は、大した事はしていませんから。大事に至らなくて良かったです。」


佳奈絵は嬉しそうに微笑むと、娘の春な話題にこそ…っと耳打ちしてきた。

その内容は、「彼、良い人じゃない…!彼氏には打って付けよ。あ、もしかして、もう既に彼氏とか?」というものであった。

すかさず梨トはそれを否定し。


『そういうんじゃないっての…。もう、揶揄うんだったらあっち行ってて!』
「はいはいっ。お邪魔しましたぁ〜っ。」


と、追い払ったのだった。

そのまま、少しだけ不機嫌顔で居ると、彼が楽しそうに声を弾ませて笑った。


「…ふふっ。とても仲がよろしいんですね。」
『単に遊んでるだけですよ、娘で。はぁ…。』
「親子仲が良いのは良い事です。そういえば…“弟”さんが居るのでは、と思って来たんですが…いらっしゃいますか?出来たら、一度お逢いしてみたいなと思いまして。」


“弟”の話題にピクリと反応した彼女は、彼に分からない程度の警戒をし、様子を探る。

そして、普段通りの調子で言葉を返した。


『すみません。遥都は、今朝早くに家を出てったみたいで…今は居ないんです。』
「おや。いらっしゃらないんですか…。何処に出掛けたとかは…?」
『それが、何処に行くとも言わずに出て行ってしまってるので、何とも…。朝、起きたら、ダイニングテーブルの上に置き手紙が残されてただけなので。まぁ…そんなに小さな子供ではないので、特に心配はしてないんですけどね。いつもの事ですから。』
「そうですか…、残念です。では、また次の機会に期待しますかね。」


嘘ではなく、本当の事を話しただけなので、大して怪しまれる事は無かったが…相変わらず読めない男だ。


「それでは、ただお裾分けを届けに来ただけでしたので…僕はこれで失礼しますね。これ以上、長居するのも失礼ですし。」
『あ、これ、本当に有難うございました…っ。晩御飯で家族と美味しく頂きますね!』
「はいっ。では、また。」


爽やかに手を振りつつ、去って行った沖矢昴さん。

終始にこやかな雰囲気ではあったが、何処か腑に落ちない空気を纏う瞬間があった。

その瞬間とは、何時だったか…?

梨トは小さな紙袋を片手に玄関先で考え込むのだった。


執筆日:2016.08.04
加筆修正日:2019.12.04

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