#03:金の林檎の誘い



予想もしていなかったような飛んでもない内容の問いかけが飛び出てきた事に、私は明らかに動揺したように身体を硬くし、顔を強張らせた。

瞠目して、一瞬で彼女を警戒するように見つめる。

その様子が面白かったのか、彼女は小さく笑って妖艶な唇を吊り上げた。


「…ふふっ、その反応を見るからに、どうやら知っている様子みたいね。念の為と思って当たったのだけれど…正解だったわ。」
『…………。』
「安心なさい。今この辺りに居るのは、私だけ…。他のメンバーは誰も居ないわ。勿論、盗聴も仕掛けてない。完全に私個人で、任務の帰り。…半分程プライベートよ。」
『……私に何の用ですか。』
「そう警戒しないでくれる…?別に、貴女や貴女の周りの人間に手を出すつもりなんて無いんだから。…ただ、貴女に訊きたい事があったから、声をかけただけよ。」
『…確証はありませんね。』


先程とは打って変わって全面的に冷たい態度を表出し、相手を拒絶し威嚇する。

まるで、「アンタ等になんぞ関わり合いたくない、即刻目の前から去ってくれ。」とでも言うように、敢えて低い声で。

そんな空気が伝わったのか、小さく鼻で笑われ、小馬鹿にするような嘲笑するかのような口調で再び話しかけられた。


「言っとくけど…、貴女の情報はもうとっくに掴んでいるのよ?他のメンバーに知られるのも時間の問題ね…。まぁ、貴女の事を調べたのは、私個人の勝手なもので、純粋に貴女の事を知りたかったから…という理由なんだけど。」


意味深な言葉であった。

思わず顔を顰め、相手を睨み付けた。


『……何が目的…?』


無意識に敬語が外れ、素の口調になる。

だが、警戒だけは一切解かず、慎重に様子を窺いつつ言葉を選び、返した。


「…利口な子ね。私が貴方を調べた理由にはね…貴女を組織のメンバーに引き入れたい事もその内の一つにあったのよ。前置きしておくけど、この事はまだ他のメンバーには何も伝えていないわ。勿論、ジンやあの方にも…。その理由は、最初から“私個人が一人で勝手に貴女に逢うつもりだった”から。……私は、貴女の存在をずっと探してたのよ。ずっと…貴女が覚えていないであろう前から、ね。」


彼女は、神妙な顔付きでそう、言った。

何故、彼女に自身の情報を探られなくてはならないのか。

真意が見えず、次の言葉を待った。


「私の情報が確かなら…貴女、“ギムレット”の娘で間違いない筈よね…?彼が今、何処に居るのか…知りたくなぁい?」


気付けば、彼女は跨がっていたバイクから降り、そのバイクを背に腕を組んで立って此方を見遣っていた。

全身真っ黒のライダースーツ姿だった。

成程…確かに、聞きしに勝る程の黒衣を纏っている。

とある人物から組織の話は聞いていたが、これは分かりやすくて助かる程の目印となりそうだ。

醸し出されている空気も、常人のそれとは全くかけ離れている。

この相手を射抜くような鋭さは、正に裏社会を渡り歩く闇に生きる人間のものだ。


『……残念ですけど、そんな情報、とっくの昔に知ってますから。…父は、私が十四の時にドイツで事件に巻き込まれて亡くなった。そうですよね…?』
「あら、知ってたのね。」
『当たり前でしょう…?幾ら幼き頃とはいえ、物心なんてものはとうの前に付いていた頃なんですから…。』
「でも、父親を失ったショックで記憶を無くしてるケースだってあるでしょう…?」
『生憎…私はしっかりと覚えているので、ご心配無く。…もう用は済みましたか?済んだのなら、私、もう帰りますので。これにて失礼させて頂きます。今後一切、私の目の前に現れないでくださいね。迷惑ですので。』


そう一方的に言い放ち、踵を返してその場を去ろうとした…。

筈、だった。


「ッ、待って…!!」


彼女が、切羽詰まったような声で呼びかけるまでは。


『………まだ何かあります…?』
「貴女…っ、私が誰か知っているんでしょう?」
『は……?知りませんよ。何寝惚けたような事を仰るのやら…。相手が男でもないのにそんな口説き文句言われても、反応に困るだけですね。…初対面の人間にしてはやけに見知ったような喋り方をされましたが。私、貴女のような知り合い、居ませんから。何方かと勘違いされてません…?』


敢えて、私は、“何も知らない”と装って嘘を吐いた。

まだ、この女を信用する事は出来ないし、名乗られてさえもいない。

それに…今、此処で余計な事を話して此方の情報を漏らしても面倒だ。

早々に切り上げようと、足を一歩退かせる。


「…これは、ごめんなさいね……っ。てっきり、既に私や私達の事を把握してるのとばかりに思ってたから…。」
『はぁ……っ。だったら、何だって言うんですか…?』
「…貴女が、必要なのよ…。少しでも良い、協力してくれないかしら…?」
『…用件にもよりますよね、それ。悪事とか碌な事でなければ協力しても良いですが…そうでなければ、協力致し兼ねます。というか…先程から気になっていたんですが、貴女…誰なんですか?一度も名乗りもしてきてないですけど…。その状態で“協力してくれ”だとか頼み事されても、凄く困ります。っていうか…ぶっちゃけ失礼だと思わないんですか?普通、初対面の人間に逢ったら、自分の名前名乗るとこから会話って始まる筈ですよね。その点、どうなってるんですか?…もしかして、貴女方が言う仲間?みたいな人達の間ではそれが普通なんでしょうか。全く分かりませんし、全然興味も無い事ですけど。』


思い切り顰めっ面をしてそう辛辣に問いかけると、一瞬ポカン…ッ、という顔をされたが、すぐに元の表情へと戻された。


「……これは、紹介が遅れて悪かったわね…。私は、“ベルモット”。この名前は、組織より与えられたコードネームよ。」
『コードネーム…って、何か如何にもな感じが匂うんですが。…で、その組織っていうのは、具体的に何をやってる集団なんです?』
「それは…此処では答えられないわね。」
『はぁ…、成程……そうですか。』


少しだけ妙な間が空いて、居心地の悪い空気が二人の間を流れる。


(…さて、どう答えるべきかな……。)


何も答えず去る事は出来ないだろうし、そんな事をした暁にはしつこく付き纏われる可能性も否めない。

これは…一度、あの人に事を仰いでみるしかないな。

「はぁ………っ。」と深い溜め息を吐き、再度、ずらしていた視線を彼女へと戻す。


『……それで?貴女は、私にどうして欲しいんですか…?』
「…意外ね。このまま立ち去るのかと思ってたんだけど。」
『確かに…今すぐにでも先程の事なんて無かった事にして、この場を去りたい気持ちはありますけどね。でも、そうしたら貴女方、追ってくる気満々でしょう…?』
「まぁ…そりゃそうよね。やっと此処まで辿り着いた手掛かりなんですもの…。苦労して、漸く探し見付け出した貴女を、みすみす逃す訳無いわ。多少強引な手を使ってでも、貴女を此方側へ引き込むつもりよ。」
『…だと思いました……っ。で…?もう一度お訊きしますが、貴女は、私に一体どうして欲しいんです…?』


改めて、そう面倒くささを滲ませて問い返すと、麗しき金髪を靡かせる美魔女は口角を吊り上げてその美しき唇に弧を描かせて返してくるのだった。


「そうねぇ…。まずは、貴女の名前から教えてもらおうかしら…?」
『……此瀬梨ト。』
「梨ト、ね…。これ、私の携帯の番号だから。失くさずに持ってて頂戴。…此方の準備が整ったら、連絡寄越すから。」


そう言って手渡された、小さな紙切れ。

其処には、彼女の携帯番号と思われる数字の羅列が書かれていた。

前以って用意していたという事は、始めから私に“コレ”を渡すつもりだったという事…。

どうやら、いつも通学路として使っているルートなどは、既に調べ済みであったようだ。


「今度、連絡をする時…改めて貴女の答えを訊くわ。…私達組織の一員として入る事を選ぶのか、それとも、今と変わらぬ平凡な世界で過ごす事を選ぶのか。返答によって貴女が転ぶ運命は分かれる事でしょうけど…それも覚悟の上で考えておく事ね。次、貴女と話す時は良い返事が聞ける事を願ってるわ…っ。」


そう告げた後、彼女は持っていたヘルメットを被り、颯爽とバイクで走り去っていった。

数秒間、その場を茫然としたまま動けず、突っ立つ。

漸く止まっていた思考が働き始めた時、私は或る重大な事に気が付いた。


『…あれ……そういえば、あの人…私の携帯番号訊かなかったけど、良いのかな…?いや……まさか、なぁ…。でも、有り得るのか…?…って、事は…………ッ!』


既に、ハッキング済みとかだったらマズイ…ッ!!

その事に遅れて気付き、私は一気に真っ青になって血の気を失わせ、慌てて帰路を急いだのだった。


―それが、彼女…“ベルモット”との出逢いであり、奴等が接触してきた最初の出来事であった。


執筆日:2016.05.25
加筆修正日:2019.10.18

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