#06:邂逅



『―もしかして、ベルモット…?』


周囲の人間へはあまり聞こえないように小声で問い返す。

声が震えないように努めたが…果たして、どうだっただろうか。

彼女は開口一番に、「覚悟は決まった?」と問いかけてきた。

それは、先日の会話での続きの事を指すのだろう。

つまりは、“組織に入る覚悟は出来たのか?”という意味だ。

呼吸を落ち着ける為、一度口を閉じ、深呼吸をする。


―大丈夫…。

計画通りにすれば、イケる。

あの日、帰宅後、即彼に相談し指示を仰いだのだ…。

予定通りにやれば、上手く行く…っ。


緊張で暴れる鼓動を抑えて、努めて冷静な声を絞り出して、呟く。


『………OK。但し、色々と条件は付けさせてもらいますよ。自由が利かないのって、嫌いですし…何より、縛られるのは大嫌いなので。』
<ふふふ…っ。貴女なら、そう言うと思った。入ってくれて感謝するわ。綺麗な子猫ちゃん?>


彼女からの問いに“YES”と返すと、電話の向こうで愉しげに含み笑む声が聞こえた。

更に、“子猫ちゃん”とも揶揄され、何だか小馬鹿にされたような気がして、自然と顔は顰められた。


『…で?私はこれからどうすれば良いんですか?』
<そうね…。今夜、仲間に貴女を逢わせたいの。その前に一度、貴女に逢いたいから…これから時間、あるかしら?>
『これからって…今からって事ですか?』
<ええ、その通りよ。何か都合でも悪い?>
『いえ…特に何も予定はありませんけど…。このままの成りで行くんですか…?』


ちらり、信号を見遣ると、あと少しで青に変わりそうだった。

この交差点に差し掛かった際、赤に変わったばかりだったせいで暫し時間がかかるのである。

梨トは、一、二歩だけ前に進み、先程ぶつかった男性の横へ並んだ。

そうして、また信号が切り替わるのを待つ。


<その事も含めて、前以って話しておこうと思って訊いたのよ。彼等に逢わす前に、或る場所まで来てくれないかしら?>
『或る場所、ですか…?』


ふと、何だか周りの視線が気になり始め、然り気無く、横目で見える範囲を確認してみる。

すると、真横に立つ先程の男性が、じっと此方を見ていた。

何処か探るような視線を感じ、通話の声を更に小さく萎めて通話を続けた。


『あの…っ、或る場所って何処の事なんです…?』
<私が今泊まってるホテルの事よ。名前は“杯戸シティホテル”。>
『え…っと、それって何処に在るんですか?』
<杯戸町の辺りよ。一応、貴女の携帯宛にメールで地図送っとくわね。>
『メールで地図を送るって…私、貴女にメアドって教えましたっけ?教えた覚えなんて一度も無いんですけど…。というか、逢うのだってこの間が初めての筈じゃあ……っ。』


そうこう呟いている間に、メールが届いた事を知らせる画面が映った。


―私、メアド云々以前に、この携帯の番号すら一切教えた事無い筈なんだけど…。


不審気に画面を見つめて、再び携帯を耳に押し当てる。


『…届きましたよ。』
<OK。なら、今から其処へ向かってくれる?逢わせる前に色々と準備したい事があるから。>
『はぁ…。分かりましたけど…あの、信号変わるんで、また後でで良いですか?詳しい事は、其方に着いてから聞きますので…。』
<あぁ、ごめんなさいね。そういえば貴女、今何処に居るの…?>
『大学の帰りなので、米花町の辺りですが…。』


つい、と再び信号に目を遣ると、信号の色が赤から青に変わる。

横目を向けずも、未だに男性からの視線を感じ、視線を前に戻した。

男性から少し距離を取り、彼から一刻も早く離れるように足早に歩き出す。


<そうなの。じゃあ、少し時間がかかりそうね。>
『あ、はい。あの、何時までに着いて欲しいとかあったりしますか…?』
<いいえ、特に無いわ。彼等に逢うのは、どうせ夜だし…。>
『あ、そうなんですね…。それじゃ、“家に帰るの遅くなる”って親に連絡入れるので、一度切りますね?着いたら、此方から連絡します。』
<ええ、分かったわ。じゃあ、待ってるから。>


ブツリッ、と通話の切れる音がし、耳から携帯を外す。

今度は親にかける為、電話帳を開き、目当ての番号を探して発信ボタンを押す。

その間も、男性からの身を刺すような鋭い視線が、背中に突き刺さっていた。

知らぬ間に手には汗をかいていて、頬に冷や汗が伝う。


<―Hi. どうしたの?>


何故、私の事を睨み付けるように見つめてくるのか…。

ぐるぐると考え込んでいると、発信先の相手が出て、普段通りの反応が聞こえてきた。


『母さん…?今夜の事なんだけど…。大学の帰りに、友達の家に寄る事になったから、そのまま夕飯も食べてくるね。あと、帰るの遅くなりそうだから、先に寝てて良いよ。』
<分かったわ。楽しんでらっしゃい。でも、なるべく早めに帰ってきなさいよ?>
『うん、忙しいのにごめんね…?』
<良いわよ、これくらい…!貴女はもう大学生なんだから。>
『うん…ありがとう。あ、そうだ。遥都にも、帰るの遅くなる事伝えといてもらっても良い?あの子、心配するだろうから。』
<そうね。ちゃんと伝えとくわ。>
『それじゃ。』


ピッ、と通話を切ってディスプレイを閉じる。

流石に、あれから大分距離を離れた為か、男性からの視線を感じる事は無くなっていた。

一体、何だったのだろうか、あの視線は…?

分からないが、今向かうべき場所は杯戸シティホテル。

取り敢えず、彼女の指示した通りのその場所まで向かう事にした梨トであった。


執筆日:2016.05.29
加筆修正日:2019.11.28

PREVNEXT
BACKTOP