#07:真夜中の午前零時



碌に街灯すら点いていない暗がりの中、彼等が来るのを待つ。

今、私が居るのは、街外れに在る、もう誰も使う事の無くなった倉庫街だ。

時刻はもうじき日付が変わる頃だろう。

彼女に連れられて来た私は、彼女の車の中で大人しく息を潜めている。


「…そんなに緊張する事無いわよ。今日はただの顔合わせなんだし。」
『…………無茶言わないでくださいよ。』


息をするのも苦しくなりそうな息苦しい場の雰囲気に、必死で心を落ち着けようと深呼吸を繰り返した。

これから、私は…彼等に逢うのだ。

しかも、直接顔を合わせて。

不安や恐怖に苛まれない方が可笑しい。

“緊張するな”など、始めから無理な話だ。

私はただの一般人で、組織とは何の関わりも持たない民間人なのだ。

出来れば、一生かかっても彼等と接触する事などしたくはなかった。

だが、彼女に存在を見付けられ、話を持ちかけられた以上は、何としてでも関わらなければいけない。


―どうか、穏便に事が済みますように…っ。


神にも縋りたい気持ちで、居もしない存在にこの先の事の成り行きを祈った。


「………来たわ。彼よ。」


隣の運転席に座るベルモットが、窓の向こうを見つめながら、そう零した。

どうやら、刻が満ちてしまったらしい…。

時刻は、丁度真夜中の午前零時を示している。

約束の時間だ。


(―とうとう彼等とご対面する時が来ちゃったか…。)


嘆きを含んだ深い溜め息を吐き出しつつ、彼女より前以って言われた言葉を思い出す。


“―彼等に逢っても、私が良いと合図するまでは喋らないで。一言もダメよ。彼の機嫌を損ねたくはないから…。”


そんな事、言われなくとも、始めからそのつもりである。

私は、まだ死にたくないし、死ねない。

奴さんの情報を引き摺り出すまでは、どうあっても生き抜かなければならないのだ。

大丈夫。

彼の言う通りにすれば、死ぬ事は無い…。

震える手足を往なしてドアを開け、車の外へと足を踏み出す。

視界に、眩しく照らすとある車のヘッドライトが映り、顔に手を翳して目を細める。


―アレが…噂のメンバーの幹部を乗せた、雨蛙か……。


真っ黒い色で闇に溶け込む、黒き車…ポルシェ356A。

互いの車のヘッドライトで照らされたソレは、黒光りを帯び、鈍く闇色を照り返していた。


「―……ソイツが、お前が言ってた…例の新入りって奴か。」


地の底を這うような、ドスの効いた低音で発せられた声。

…どんだけ恐い面してんだよ、コイツ…。

かなり離れた位置に立ってるにも関わらず、殺気と刺すような威圧感がビシバシ当たってくるんだけど…。

恐怖と謎の可笑しさから、顔が引き攣らないようにする事へ目一杯の神経を集中させた。

お陰で、変に力が入っていないか不安だ…。


「…その通りよ、“ジン”。」


やはり、あの男が、この組織の中で一番警戒すべき男らしい。

男にしては、とてつも長い銀髪の長髪に、鋭い眼光。

そして、組織の人間である事を示す、季節感無視の漆黒のロングコート。

頭の天辺から足先まで漆黒を纏っているとか、正気の沙汰じゃないだろう…。


(ガチで、視線突き刺さって死にそう…。)


この先が思い遣られる気がして、早くも憂いの帯びた溜め息を吐いた。

彼の機嫌を損ねないよう、内心で、だけれども…。


「随分と若ぇようだが…。」
「まぁね。彼女、まだ学生だから。」
「学生だと…?そんな奴を組織に入れるって言うのか、ベルモット。頭でもイカれたか?…まぁ、良い。そんな事より、あの方の許可は、取ってあるんだろうな…?」
「ええ…勿論よ。」


ベルモットが努めて慎重に言葉を選びながら話しているという事が、ひしひしと伝わってくる。

それだけ、この男には注意を払わねばならないらしい。

疑わしきは即罰する部類の立場の人間なのだろう。

今更ながら、こうなってしまった自分の運命を後悔した。


―遡るは、数時間前…。

大学帰りの夕暮れ時に彼女より連絡を受け、彼女が宿泊するというホテルへとそのまま向かった。

着いた先で一度連絡を入れ、彼女が居るであろう部屋の番号を訊く。

なるべくロビーの受付の人に見られないよう、ホテルの中へ入っていった。

部屋へ着くと、私を呼んだ彼女…ベルモットが、ゆるやかにソファーで寛いでいた。


「―いらっしゃい、梨ト。」
『………どうも。先日振りですね。』
「あら、無愛想ね?せっかく貴女の為に色々と準備してあげたって言うのに…。」
『準備……?』


踏み入った部屋の中を見回すと、鏡台の前やらベッドの上に、何やら様々な物が散らばっていた。


『何ですか?これ…。』
「変装グッズよ。」
『変装グッズ…?』
「リアルに現役学生をやってる貴女を、流石にそのまま組織の人間に逢わすのは危険だと思って用意したのよ。それに、貴女自身も困るでしょう?」
『あぁ、成る程…それでか。』


一思いに納得して、ベッドに並べられた衣服や装飾品を一瞥した。

どれもお高い質の良さそうな物ばかりが揃っている。

鏡台には、変装を得意とする彼女の勝負武器である、数多の化粧品が所狭しと並べられていた。


『……どれもブランド品ばっか…。』
「お気に入りの物よ。女優なんてやってれば、これくらい普通の量だけど。」
『あの…もしかして、これらを私のメイクアップに使うんですか…?』
「そのつもりよ?あぁ…ひょっとして、肌に合わない物でもあったかしら?」
『えっと…まぁ、そんなところです…っ。』
「もし今、貴女が普段使ってる化粧品を持ってたら、出しといてくれる?そっちをメインに使った方がしやすいでしょうし、何より、肌に馴染みやすいでしょうしね。」
『えぇ…まぁ、出来たらその方向でお願いします…っ。』


バッグの中から自分の化粧ポーチを取り出し、鏡台の空いたスペースにバラバラと置いていく。

用意されていたウィッグを幾つか選ばされ、黒を基盤とした衣服を取っ替え引っ替え…。

おまけに顔を弄くられ。


「…貴女、もう少し肌の手入れした方が良いわよ?荒れてるから…。せっかく白くて綺麗な肌なんだから、ちゃんとケアしなさい。」


とまで言われる始末。

物凄く複雑な気分だった。

そんなこんなで、私は別人のような容姿に出来上がり、その格好で彼等との待ち合わせに向かったのだった。


―そして、現在に至る…。


「ソイツの名前は…?」
「それを今から紹介するんでしょう。」


ジンが、不意に私の方を見て、話を振ってきた。

彼と会話をしていた彼女よりアイコンタクトを送られ、一歩だけ前に足を踏み出す。


『…初めまして。私は、“キティ”。これが…あの方より与えられた、コードネームです。』


執筆日:2016.05.29
加筆修正日:2019.11.28

PREVNEXT
BACKTOP