狡噛慎也という男。


ある日の事である。

特に警戒心を抱く事も無く、彼の部屋へと踏み入った彼女。

もう日課の一つとなった、暇潰しの方法。

それは…本を読む彼の隣に、ただ居る事である。

―狡噛慎也…。

その人物は、露罹未有の恋人となった人であり、同僚仲間でもある人だ。

同じく潜在犯で執行官という立場ながらも、惹かれ合った二人なのだが…。

何故、互いに惹かれたのか不思議なもので、付き合い始めてから暫く経った今でも分からない事なのだ。

今まで、恋愛などというものには全く興味の無かった自分が、こうして異性との関係を普通に築けている事自体、かなりの驚きである。

この部屋の奥へと進めば、彼が居るであろう寝室がある。

彼は、暇な時には決まって、ベッド又はソファーに寝そべって本を読んでいる。

寝室の入り口から中を覗き込むと…。

予想していた通り、彼はベッドの上で本を読み、寛いでいた。

部屋へと入ってきた自分の気配に気付いたのか、本へと落としていた視線を上げ、此方を見る。


「…宿直、終わったのか。」
『うん。今、朝番の二人と変わってきたところ。』
「そうか…お疲れさん。」


先程まで本に集中していただろうに、彼女を目にした途端、その表情を和らげた狡噛。

彼女にとって、今や居なくてはならない存在となっている彼であるが、彼からしてみても、それは同じであるという事が見てとれる。

帰宅した事に対し、軽く挨拶を交わしながら、彼の隣へと腰掛ける未有。

仕事で疲れ、変に凝り固まった筋肉を解す為に大きく伸びをした。


『ん〜〜〜…っ!…ッあ゙〜、つっかれたぁ……!』


そして、そのままベッドへ寝っ転がろうとすると、彼が己の上半身を指差して口を開いた。


「ジャケット、脱いだ方が良いぞ…。シワになる。」
『え…?あぁ、うん。脱ぐよ。』


壁際に掛けてあるハンガーに、着衣で付いたシワを伸ばす為、丁寧に掛けておく。

スラックスはそのままでカッターシャツだけになると、再びベッドの元へ戻り、ダイブする勢いで顔面から倒れ込む。

一応言っておくが…此処は彼女、未有の自室ではなく、狡噛慎也の部屋である。


「…もう少しまともな倒れ方は無いのか?お前は…。」
『女らしくって事…?あっはー。無理だね、ソレは…!つか、そもそもオレに女らしさを求める方が間違ってるよ。』


ごろんと仰向けになると、頭だけを彼の方へ向け、当然だと言わんばかりに笑う。

自分は確かに女であるが、それらしくするつもりはないし、考える気もない。

服装に関するとなっては、話は別だが…。

狡噛は、そんな彼女の発言に慣れているのか、小さく溜め息を吐いただけで特に気には留めないようであった。

自分にちょっと呆れている様子の狡噛を見ても、大して気にしていない未有は変わらず言葉を続けた。


『んじゃ、逆にオレが女らしくしたら、コウちゃんはどうよ…?』
「……どうだろうな。もしかしたら、ギャップが有り過ぎるあまりに引いてしまうかもしれないな。」
『えぇ…っ!?ちょっ、それはヒドくない!?流石に無いよ、それはぁ…っ!!」


少なからずショックを受け、がばっと寝返りを打つと上体のみ起こし、抗議の声を上げる。

ついでに、むすっとした顔で睨んでやると、睨まれた本人は鼻で笑いやがった。


「ふ…っ、冗談だ。お前の反応が面白いから、ちょっとからかってやっただけだよ。」


そう言いながら本を閉じ、己の足元に寝転ぶ彼女の頭に手を置く狡噛。

仕事中のピリリとした雰囲気とは違い、今目の前にいる彼は、自分に対し優しげに目を細め微笑んでいる。

彼の大きな手で頭を撫でられるのは、嫌いではない。

頭を撫でられた事で、何だかうやむやにされた気もするが…まぁ、良いか。

未だ、不服な部分はあるものの、取り敢えず怒りを治めた未有。

一先ず、機嫌を直し、彼の側へと移動する。

すると、彼は腕を伸ばしてきて、彼女を抱き寄せる。

執行官の中でも、一番小柄である未有は、彼の腕の中にすっぽりと収まってしまう。

丁度、胸の位置に頭があるので、彼の心臓の音がよく聴こえた。


「…こうしてると、落ち着くか?」
『………うん…、落ち着く…。』
「そりゃ、何よりだ。」


心地の良い温もりに、このままずっと同じ状態で居たらうとうととしてきて、その内に眠ってしまいそうだ。

流石に、それではせっかく逢えた彼に申し訳ないので…。

先程までの彼を思い出し、抱き寄せられた身を離し、ふと呟いた。


『そういえば、コウちゃん、本読んでたんじゃないの…?』
「ん…?そうだが……?」
『続き、読んでて良いよ…?オレは、隣で適当に寛いどくからさ。』


そう言うと、一瞬傍らに置いた本を見つめたが…すぐに此方へ視線を戻し、何故か再び彼女の身体を引き寄せ、構えていた態勢を変えさせた。

今度は、後ろから抱き竦めるように包み込まれる。

自然と体育座りの形になる未有。


『え………?あ、あの、コウちゃん…っ?どうしたの?』


珍しく積極的な彼に、恥ずかしさを隠せない動揺っぷり。

声をかけてみるも返事は無く、代わりに、狡噛は無言で彼女の首に顔を埋めた。

思わず、目を瞬かせながら、されるがままになる未有。

―暫しの沈黙…。

何となく思うところがあったので、何も言わぬまま、彼の頭をぽんぽんっ、と叩いた彼女。

もふっとした彼の髪が首や素肌に当たって擽ったかったが、敢えてここは黙す。


『……コ〜ウちゃん、寂しかったの〜…?』
「………ん…。」
『まぁ、今日は全く逢う余裕が無かったからねぇ…。片付けなきゃいけない書類、いっぱいあったし。』
「…今度、ギノにもう少し仕事の量を減らすよう言っておく。」
『え…!?そこまで…っ!?』


狡噛は、顔を埋めたまま、低く唸るように呟く。

どうやら、そうとう重症らしい…。

それを象徴するかのように、腰を抱き締める力が強まった。


『………え〜っ、と…。』


どうしたものかと頭を悩ませていると、漸く頭を上げてくれた狡噛。

彼と視線を合わせようと、斜め後ろを向く。

すると、思ったよりも間近にあった彼の顔に驚き、目を見開いた。

彼は、ただ真っ直ぐに彼女の目を見つめる。

動きの止まった彼女に、ふ…っ、と息を漏らすと、柔らかい笑みを浮かべた。


『ねぇ、コウちゃん…。』
「何だ?」
『…何か、今日は積極的…というより、甘えたがりの日か何か…?』
「……別に、そういう訳じゃないさ。」


彼女の頭をもう一撫ですると、また首筋に顔を埋める狡噛…。

どうやら、今日の彼はこんな感じで、甘えたがりになってしまっているようだ。


『…本、読まないの?』
「………読む。」
『んじゃ、いつまでそうしてんの…。』
「こうしてると、無性に落ち着くんだよ…。」
『いや、それは嬉しいけども…。』
「何だ…?お前は、そんなに俺に本を読んで欲しいのか…?」
『…まぁ、この状態がずっと続くよりは。』


そろそろ手持ち無沙汰になってきた未有。

正直、暇である。

漸く読む気になったのか、狡噛は抱き竦めていた腕の力を緩めた。

しかし、離す気は一切無いようで…。

後ろから抱き締めた状態のまま、体育座りの状態である彼女の膝を借りて本を置き、自身の頭は彼女の肩に置いて読むつもりらしい。


『…読みづらくなぁい…?』
「…全然。」
『……絶対読みづらいだろ…コレ。』


呆れながらも、暫く彼の我が儘に付き合っていると。

本もそこそこに読みつつ、彼は悪戯を仕掛けてきた。

弱いであろう箇所を狙って、彼女の耳朶を食む。


『ひぎゃ…っ!』
「何だ…耳、弱いのか?」
『い、いいいきなり何すんの…!?』
「ちょっとイジっただけだろ?」
『そういう問題じゃ…ッ、ひゃぅ……っ!?」
「首、弱かったのか…。さっきまで何も反応しなかったから、違うと思ってたんだが…。」
『あ、あのねぇ…!って、ちょっ、コウちゃん………ッ!?」


急に獣のような目になった狡噛に、焦り出す未有。

…これは、本格的に覚悟するべきなのか。

抵抗を試みてみるも、力の差は歴然。

彼と何倍も体格に差のある彼女では、勝ち目は無い。


『ちょ…!コウちゃ、ったら…っ!ッひぅ…!?』
「首筋は、未有の弱点だな。」
『…ゔぅ゙〜…っ!今度、覚えてろよぉ〜……っ!!』


―狡噛慎也。

“狡む”と“噛む”で、“狡噛”である。

名前の通り、彼は懐に獣を飼っているのである。


『ッッッ〜〜〜!!いつまで甘噛みしてんの…!!?』
「…噛んで欲しかったのか…?」
『んな訳ないでしょ!!って、イタ…ッ!?』
「噛んで欲しそうだったから、噛んだ。本当弱いな、耳。」
『本当に噛む奴が居る!?普通…ッ!あー、もう…っ!!誰か此奴止めてくれぇー!!』
「諦めるんだな。わざわざ此処まで来る奴は、お前ぐらいしか居ない。」


くつくつと喉を鳴らして笑う彼は、至極愉しそうだ。

今まで退屈そうに甘えてきていたのが嘘のようである…。


『む、にゃぁ〜……っ!!離せ、良い加減に離せぇーッッッ!!!』
「丁重にお断りする。ただでさえ、今日はほとんどお前と接せれてないんだ…。少しくらい、俺に付き合え。」
『もう十分に付き合った…ッ!!』
「これぐらいで足りると思うか…?次の仕事が入るまでは、一緒に居ろ。」
『何処まで強引なの…っ!?』
「文句はギノに言うんだな。」


不敵に笑む彼に、今は腹が立ってしょうがない。


加筆修正日:2019.03.26

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