アフターケアはお早めに


通常業務で勤務中の午後、エリアストレス警報で出動する事となったまではまぁよくある事だし、大した事件でもなかったからすぐに片が付いた。

ただ悪かったのは、その出動先でエリアストレスが上昇する切っ掛けとなった対象が逃走を謀った事による追い駆けっこがあった事だ。

別に、其れ自体も何ら珍しくもない常としてあるような出来事ではあったが、偶々その時運悪く足を挫いたのがいけなかった。

しかも、其れも結構思い切りぐっきりとヒールの有る靴で、だ。

其れ程高さは無い、寧ろパンプスの中では低い高さの物であったのだが、捻り方が悪ければ時には負傷だってする。

まだ捻ったばかりで其れ程激しい運動をした訳でもないから、症状としては大丈夫な内に入るだろう(捻った直後少しだけ全力疾走したりはしたが、短距離且つそんなに長くは走っていない)。

痣にもなっていないし。

ちょっとだけ不自然っぽい歩き方にはなるかもだけど、この程度すぐに治るだろうと思ってなるべく怪しまれない様に誤魔化し、そのまま確保した対象を護送車へと連れて行った。

そして、朱ちゃん――もとい、常守監視官と須郷執行官の元へと合流し、公安局の地下駐車場へ戻る。

執行官用護送車から降りて、報告書作成の為にもさっさと刑事課一係のフロアまで戻ろうとエレベーターの所へと差し掛かった辺りで、さっきまで平然と我慢出来ていた足首が急に強く痛み、不恰好な形で片足をガクリと軋ませ立ち止まる事になった。

その如何にもな不自然な足の止め方に、先を歩いていた須郷さんが気付き、眉を顰めて口を開く。


「露罹さん…?どうかされたんですか?」
『いやぁ…さっきまでは比較的普通に歩けてたんだけどねぇ……っ。』
「は…?さっきまでは…って事は、何処か怪我でもなされてたんですか!?」
『いやぁ〜はははっ、面目ないっす…。怪我って言う程大したもんでもないんすけどぉ…、ちょ〜っちやらかしちゃったみたいでねぇ〜……うーん、此れぐらい平気だと思ったんだけどな?』
「何で早く自分に言ってくれなかったんですか…っ!!」
『や、報告する程の負傷でもないし、言うて掠り傷程度のレベルやし、いっかなぁ〜って…。』
「程度に関係無く、捜査や任務に当たっている最中に怪我をしたなら仰ってください!!全く貴女っていう人は……っ、怪我をしたのは右足ですね?ちょっと失礼しますよ…!」
『あ、ちょっ、此処で診んの…っ!?』


私の軽さに声を荒げて怒ってきた彼が即座に近付いてきて、今しがた軽く引き摺る様にしていた右足の方を診る為かその場に傅き、スーツのズボンの裾を捲り上げ、ついでに下に履いていた靴下までずり下ろされて確認される。

普段、女性に気安く近付く事を苦手としている真面目がそのまま歩いている様な堅物な彼であるが、緊急時や何か差し迫る様な問題があった場合に限り遠慮無く近付いてくる節がある。

まさに今がその状態であった。

即座に行動に移した彼によって、先程駆け回った際に挫いた患部を確認される。

靴を履いたままの状態で軽く足を持ち上げられて、関節の動きを診る様に動かされた。

その際、痛みの強い方向へぐねりと捻られて、堪らず「イ゙…ッ!?」と情けなくも小さな悲鳴にもならない呻きを上げて思わず仰け反ってしまい、――挙げ句の果てに、その反動でバランスを崩して目の前の彼の肩を借りる形でしがみ付くという流れとなってしまうのだった。

仮にも彼の先輩に当たるのに…穴があるならば入りたい――否、暫く埋まっときたいかな。

内心、先輩としての立場やプライドから羞恥に駆られ俄に顔に熱を集中させつつも、せめてもの抵抗だと顔を逸らして俯き短くも謝罪の言葉を口にした。


『ご、ごめ……っ、つい手ぇ付いちゃった…。今のは本っ当御免……ッ、悪気は無かった。』
「あ、い、いえ…っ。自分も、今のは強く曲げ過ぎてしまったと自覚していますので…。ただでさえ痛みを我慢されていたでしょうに、専門の者でもないのに不用意に触れて確認する様な真似をしてしまってすみませんでした……っ。…その、出過ぎた真似でしたよね?本当に申し訳ありません…ッ!」
『あいや…別にそこまで謝られる程のもんでもなかったから…気にしなくて良いって。取り敢えず、ギリ歩けない事はないから、このままエレベーター乗ってそのまま唐之杜さんのとこにでも行ってk…っ、』
「既に無理をなされていたであろうところに此れ以上の悪化が見られてもいけませんから、自分が露罹さんの事を抱えて運びます。せめてもの償いです。自分が、歩けない露罹さんの足の代わりになります…!」
『は…っ?今、何て……っ、』


言われた言葉の意味を理解出来ない内に彼に下から抱え込まれ、いきなりの事で抵抗も追い付かぬまま横抱きの状態で移動される。

先にボタンを押して呼んでいたのかは知らないが、タイミング良く下りてきていたエレベーターに乗り込まれ、そのまま刑事課フロアが収まる階へと辿り着き、その足で分析室まで向かっていく。

当然、思考回路が追い付いてきた辺りで降ろせと喚き散らして暴れたが、元軍人である彼の屈強な肉体の前では通用せず、おまけに一切首を縦に振らないどころか、言う事を聞かない子供を窘めるが如く叱り付けてきた。

幾ら彼よりも圧倒的に小柄で小さいからって子供扱いしなくても良いだろうに…っ。

結果、不満を隠せないまま分析室へと連れ込まれ、唐之杜さんに嫌な場面をバッチリと見られる羽目になった。

最っ悪だ…。

あとで絶対に話のネタにされるパターンやぞ、此れェ…。

後々愉しそうに笑われるだろうこの先の未来を恨みつつ、訪問者が訪れた事に椅子ごと振り返った女神様と向かい合うのだった。


「失礼します…っ!」
「はぁ〜い、いらっしゃあ〜い…ってあら、須郷君じゃない。其れに未有ってばアンタ、どうしたの?見るからに面白い事になってんじゃない…っ!」
『うるせぇ…っ、好きでこんな状況になったんじゃないやい。』
「ふふ…っ、どういう状況でそうなったのかは大体何となく想像出来るけどね。取り敢えず、話は聞きましょっ。」
「すみません、分析官もお忙しいところへ連絡も無しに突然来てしまって…っ。」
「良いわよぉ、コレくらい。久し振りに面白いものも見れたしね!んじゃあ早速だけど、何故そうなるに至ったかの経緯を教えてくれるかしら?」


正直今すぐにでも降ろしてもらいたかったので、素直に端的に短く要点のみに絞って一息で訳を話したら、案の定茶化された。


『今しがた出てきた先でやっこさんと追い駆けっこしてたら挫いてぐっきりやって、帰り着いた矢先に痛んで須郷さんに怒られて、その場で抱えられて此処まで運ばれてきました、以上…ッ!』
「はぁ〜い、何とも分かりやすい説明を有難う!…で?可愛い可愛い未有ちゃんは抵抗したものの未だに降ろしてもらえなかった事が不満で機嫌悪いのね?」
『分かってんだったら早く降ろさせてよ馬鹿ァ…ッ!!』
「はぁーいはい、そぉんな暴れないの!須郷君困ってんでしょ?女の子が怪我してんのが心配で見てらんなかったから、優しい彼はアンタの為を思ってわざわざ此処まで運んできてくれたのよ〜?ちょっとは感謝してあげなさいよ。そういう素直になれないとこ、可愛くないわよ?」
『可愛くなくて結構…!そもそも私は自分に可愛さなんて求めてませんー!!そういう話はどーでも良いから、早くちゃっちゃと終わらせてよ、もう…っ!!』
「分かった分かった…っ、すぐに診てあげるからちょっと待ちなさい。今やってる仕事一旦保存しちゃうから…っ。――あ、悪いんだけど須郷君、未有の事、其処ら辺のソファー辺りにでも降ろしといてあげてくれないかなぁ?今の彼女、ちょ〜っと気が立ってるから慎重にね。」
「え?あ、はい…っ、分かりました!医務室ではなく此方のソファーで宜しいんですね…?」
「そうそう〜。手負いの仔猫ちゃんは暴れん坊だからねぇ〜…此処まで運んでくるの大変だったでしょう?」
「い、いえ…っ、自分としては其れ程暴れられたとは思っていないので……っ。」
「あら、本当?相手が須郷君だったからかしら…他の人相手だったら、意地でも自分で歩くか暴れて抱えられながら連れてこられるかだったわよ?運が良かったのね〜、きっと。」


いやいや何言ってんだよ、この女神様…。

“運が悪かった”の間違いでしょ。

あと余計な事吹き込まないでよ、面倒な…。

ようやっと彼に降ろされ、あからさまな嫌な顔をして渋面を作って彼女の後ろ背を見つめていれば、作業を中断して振り向いた彼女と目が合い、再び揶揄われる。


「こーら、女の子がそんな不細工な面しないのぉ〜。せっかくの美人で可愛いお顔が台無しじゃない…!」
『べっつに私、特別美人でもなければ可愛くもないですけどぉー…っ。不細工のままで結構ですー。』
「もう…っ、相っ変わらず捻くれた事言うわねぇ、アンタ。マジで可愛くなくなるわよ?」
『は…っ、んなのどーでも良いし端っから気にしてないわ…!私はただの猟犬、其れだけ分かってりゃ十分ですぅ!』
「ったく、しょうがない子ねぇ…捻ったのはどっちの足?」
『……右足の足首んとこら辺…。』
「挫いた時の方向とか感覚的なものは覚えてる?」
『…たぶん内向き……思いっ切りグニッて感じにやらかしたっぽい。…さっき下で須郷さんに弄られた時痛かったから、たぶん合ってると思う…。』
「あーあー…そりゃ痛かったでしょうねぇ。アンタの事だから、毎度の事の様に対象を追いかける方を優先したんだろうし?おまけにヒール有りのパンプス履いてたのが仇となったのね…。ヒールって言っても3cmちょっとくらいしかない様なひっくーいヤツなのに、其れでもこの状態って事は、挫いてすぐ何の処置もせずに全力疾走したんじゃない?」
『…うっす、ご名答です…。』
「率直に言うけども、アンタ馬っ鹿じゃないの?」
『仰る通りで、弁解の余地もございません…っ。』
「何で基本何時もはスニーカーとかぺったんこな靴ばっか履いてる癖に、今日みたいな時に限ってパンプス履いてんのよぉ…?」
『今日は何にも無さそうだなって思ってたし、あっても大した事件じゃあないだろうなって思ってたから…何となくの気分で?』
「自業自得よ、このお馬鹿さんっ。」
『あで…っ!――むぅ…、何もデコピンまでしなくたって良いじゃない…。志恩さんの爪デコられてる分地味に痛いのに。』


何だかんだ言いつつもしっかり診てくれはするのだから感謝はしているのだが、如何せん色々文句を垂れた後の仕返しのデコピンが痛かったから抗議したら、痛む方向へと無理矢理力強く曲げられて思わず声にならぬ悲鳴を上げ、ソファーに突っ伏し悶えた。

こっっっんにゃろォ、他人事だと思ってェ…ッ!

クッソ痛さに降参だとソファーをベシベシ叩いたところで漸く開放される。

痛みに悶えていた身を起こすと、其れまでずっと様子を窺いながらもすぐ側で黙って静観していた須郷さんが戸惑った様子で私を見ていた。

其れに若干の涙目ながらも「大丈夫」と気休めな言葉を返して体勢を戻し座り直す。


「まぁ、診たところ其れ程酷い訳でもないから…軽い捻挫ってところかしらね。」
『だろうとは思ってたから、大した事ないよって言ったんだけどねぇ〜…。』
「“大事な先輩”だから心配だったんでしょ?後でちゃんと御礼言っときなさいよ。」
『うぃーっす…分かってまぁーす。』
「嗚呼、あと…今後数日はあんまり真剣に走り回ったりしない事。治療薬として幾つか湿布薬出しとくから、完治するまでは患部に貼って大人しくしときなさいね。」
『余程の事が無い限りは早々全力疾走したりしないって。』
「とか言っときながら、平気で走り回ったりすんのがアンタっていうお転婆娘さんなのよねぇ…。悪化されてただでさえ少ない人員が減っても困るから、頼むから大人しくしてなさいよ、良ーい?何だったら、須郷君に見張っといてもらいましょうか?」
『はぁっ!?』
「え…っ!じ、自分が、ですか…?流石に其れは余計なんじゃ……っ、」
「あら、そんな事ないわよぉ〜!須郷君がちょぉ〜っと見張ってたら、この子きっと女の子らしく大人ぁ〜しく慎ましくしてるわよん?未有ったら、あんまそういう事口にはしないけど…案外須郷君の事信頼してるし、気に入ってるみたいだから。若い者同士、精々仲良くしてなさい…!」
『いや、其れこそ余計なお世話だっつーの…。』


全く、なんて事までこのうぶでまだまだ新人な真面目男に言ってくれてるんだ。

真に受けてくれたらどうしてくれる。

既に何かもう色々とフラグ立ってるから面倒なのに…っ!

しかし、この変にお節介焼きな女神様、次の瞬間には後処理に困る様な余計な爆弾まで投下してくれやがった。


「そぉ〜だ…っ!せっかくだから、このまま帰りも須郷君にお姫様抱っこされときなさいよぉ!こんな機会めったに無いんだからぁ!」
『此れ以上恥ずかしい思いすんのは嫌だから却下だよ、却下ァ…ッ!!』


当然、そんな恥ずかしい真似出来るかと食い気味の即答で返した。

その返事に、彼女は勿体ないと言わんばかりにブーイングを垂れた。


「なぁんだ、つまんなぁ〜いっ。」
『つまんなくて結構…っ!!診てくれてありがとさん!!仕事中邪魔して悪かったね!!――行くよ、須郷さん…っ!』
「あ、はい…!って待ってくださいよ、露罹さん!露罹さんの事は自分が運びますから、無理しないでください…っ!」
『ちょっと…!?唐之杜さんが言った事真に受けないでよ!自分で歩けるから良いってばァ…っ!!』
「いえ、任務中無理をさせてしまったのは気付かなかった自分にも責任はありますから…!どうか遠慮なさらず自分を頼ってください!さぁ、どうぞ…っ!!」
『や、ちょ、んぐふ……っ、気、持ちは凄く有難いのだけども…抱えられるならせめて前じゃなく後ろの方が良いな…ッ。こっちが頼む側だし、我が儘なオーダーっぽく聞こえるかもなのは自覚あるけどもさ…その方が精神的ダメージが少ないし、あと不安定な体勢が微妙に怖かったのもあるから……すんません…っ。』
「え…っ!?いや、謝らないでください…!!自分が何も気付かずに自分の都合ばかりを優先してしまったのが原因なので…っ、其れをご不快に思われていたとしても致し方ありません…!まともに話も聞かず、少々強引に連れてきてしまったのは事実ですから…露罹さんが気分を害されていたとしても当然の話です。此方こそ、配慮が行かずに申し訳ありませんでした…!」


何故か無駄にやる気を漲らせた彼に、恥ずかしながらも素直に先程運ばれていた時の心中を暴露すると、即平謝りで頭を下げられてしまった。

いや、本当真面目過ぎるな、須郷さんは…っ!?

思わずギョッと驚いた後に慌てて取り繕う様に“どうどう”と声をかければ、すぐに頭を上げてくれた彼にちょっとホッとした。


「露罹さんが女性の身と分かっていながら勝手に触れてしまったのですから…殴るなり平手打ちなりされる覚悟は出来ていますっ。」
『いや、そんな大真面目に考えてくれなくても良いからね…っ!?たかが足軽く挫いた程度に大袈裟だよ、その対応……!や、まぁ…連れてきてくれたのに暴れちゃったのは本気で悪かったけどさ。』
「露罹さんは気にしないでください…!其れで、えぇっと…おんぶをご希望されるという事でしたよね…?でしたら、一度自分が屈みますから、露罹さんはそのまま自分の背に掴まってください。しっかり掴まったと分かったら支えて立ち上がりますから。」
『う、うん…じゃあ、宜しくお願いします……っ。』


大真面目が過ぎるが故に、結局彼女の冗談混じりの発言を真に受けてしまったではないか。

もう色々と抵抗するのも疲れたので、現状を受け入れる事にし、せめて抱え方を変えてくれとだけ申請した。

この歳になってまで緊急時を除いて誰かにおぶられる日が来ようとは…軽く死ねる。

ニヤニヤと微笑む分析官の視線を横目に感じながら彼の背にしがみ付くと、案外しっかりと安定した感覚で抱え上げられるのを感じた。

うん、やはり横抱きよりかこっちの方が断然安定感があって落ち着くわ。

いや、人様の背中で落ち着くんも可笑しな話なんだけどさ。

そうして、にこやかに彼女から見送られつつ分析室を後にしてから一係のフロアに到着するまでの私は、行きとは異なり終始大人しく黙って彼の背におぶられて運ばれるのだった。

今後暫くはヒール付きのパンプスは履かないでおこう…。

そう決めた一日であった。

一係のフロアに到着した時、先に戻ってきていた朱ちゃんに驚かれた後心配されたけど、ただの軽い捻挫だと訳を話して納得してもらった。

その際、やけにおぶられてた時の感想を興奮気味に訊かれたけど、彼女も大概こういう話が好きだからなぁ…と適当にあっさり事実だけを述べて業務に戻った。

以降、その日は何事も起こらず、至って平穏に終わり、終業を迎えた。


―簡単な挨拶を交わした後、監視官である朱ちゃんが出て行く様を見送ってから、さて私達も次のシフトの人達と交代する為宿舎に帰りますかね、とした。

パソコンの電源が落ちたのを確認して立ち上がれば、須郷さんの方も共に立ち上がり、「お疲れ様でした。」との声がかかる。

其れに応対しつつ、何時も通りの調子で帰ろうとした――というところで足の件を思い出し、中途半端に出口先まで足を踏み出していたところストップした。

当然、後ろを付いてこようとしていた須郷さんも足を止めてその場に踏み留まる。

昼間診てもらった時以来変に痛んだりもしなかったからすっかり頭から忘れ去っていたが、そういや己は現在進行形で足首を痛めていたんだっけなぁ〜…。

少しだけ遠い彼方を見つめて現実逃避を図ろうとしたが、事を察した様子の彼が「あっ、」と声を上げた次の瞬間には目の前に移動してきていて、昼間の時同様に後ろ背に膝を付いて乗ってくれと促された。

もうあだこだ言うのも面倒に思えた私は覚悟を決め、溜め息一つを零すのみに留めて彼の背に掴まった。

うん、もう色々考えるのはやめよう。

意外と落ち着く背中におぶられたまま宿舎の方向へと移動する。

その間、須郷さんからは足の具合の経過を訊かれた。

素直にあの後大して痛む事も無かった事を伝えると、安堵した様な溜め息を吐かれると共に“良かった”と返されて、彼には無駄な心配をかけてしまったなぁと反省した。

そんな感じで意外にも彼の背で落ち着いて思考を飛ばしていたら、いつの間にか宿舎に着いていて、今更ながら夕食の存在を思い出すのであった。


『あ…そういえば、晩飯の事すっかり忘れてたな…。』
「そういえばそうでしたね。仕事も無事終わりましたし、自分も腹が減ってるので、この後食堂にでも食べに行こうかと思っていましたが…露罹さんはどうされますか?」
『うーん、どうしようかなぁ…っ。この時間帯なら、そんな人も居なくてあんま人目に付かないだろうけど…流石にこのまま食堂まで連れて行ってもらったり、その他面倒かけるのも申し訳ないというか何というかなぁ。』
「自分は別に気にしたりしませんが…。」
『いや、須郷さんが気にしなくとも私が気にしちゃうから。流石にそこまで面倒見てもらう訳にも迷惑かける訳にもいかないよ〜。一応先輩の身だしね、気持ちだけ受け取っとくよ。有難う。』
「でも、足を痛めているなら…日常生活をする分にも支障が出るんじゃあ…、」
『なんてこたないから心配しなくて良いよぉ〜っ。ついさっきまで痛めてた存在自体すっぽり頭から抜けてたくらいなんだから…!』
「しかし…っ、やはり心配ですので、最後まで面倒見させてください…!」
『おぅふ……っ、須郷さんたら意外と頑固ね…まぁ良いけども。』


結局、最後まで須郷さんが折れなさそうだったので、私の方が折れて彼の世話になる方向で頷くのだった。

よって、今日の夕食は人目や諸々を気にした私を気遣って、須郷さんが部屋で簡単な男料理を振る舞ってくれるそうなので、ご相伴に預かる形で彼の部屋にお邪魔した(仕事終わったのに仕事着のままお邪魔するのも忍びなかったので、そこは敢えてラフな私服に着替えてからである)。

流石は元軍人さん、多方面で頼れる人で助かる。

変な意味は無いけれども、男の部屋に女性を連れ込む事に些か緊張気味な面持ちだったが、あまりにも私があっけらかんとして普通に過ごしていたので、その内彼も其れ程気にならなくなったのか、気軽に談笑出来る程には落ち着いた様だった。

その頃には、彼から進んで話を振ってくれるくらいには緊張も解れた様であった。


「あの、つかぬ事を伺いますが…昼間の分析官の唐之杜さんとは随分親しげに話されていた様ですが、彼女との付き合いは長いんですか?」
『ん…?まぁ〜其れなりにかなぁ。執行官になってからだいぶ経つしね。』
「あまり女性の事を詮索するのは失礼かと思って、訊いても良いのか正直迷ったのですが…露罹さんが執行官になられたのって何時頃なんでしょうか?自分よりも遥かに経験を積まれている事は勿論理解していますが…。」
『そ〜んな深く気にしなくっても良いって!私、執行官だとか潜在犯だとかの事も含めて経歴にそんな重き置いてないからさ。』
「しかし…、」
『私の事が気になるらしい須郷さんに教えちゃうけど、ぶっちゃけまあまあ其れなりに経歴は長いよぉ〜?今、一係に残ってる弥生っちが執行官入りする前ぐらいから居る訳だしね…そりゃもう死線を潜り抜けまくってきた訳よ!だから、唐之杜さんにはめちゃくちゃお世話になってきた経緯もあって、気付けば色々話しちゃう仲になってたんだよねぇ〜っ。女同士ってのもあってか、弾む話題もあるし。其れでかな?』
「成程…だからあんなに打ち砕けた様に親しげだったんですね。正直、ちょっと驚きました…っ。」
『あはは…っ、まぁ長く勤めてりゃ周りの人間とも縁が深くなったりするもんさ。須郷さんにも、その内そんな人が出来るよ。ま、こんな職場だから一概には何とも言えんがね…!』


そう言ってからからと笑うと、彼が何処か眩しげに目を細めて私を見つめてきた。


「…時折、露罹さんを見ていて思ったのですが…露罹さんの言動の節々に、征陸さんが話していたみたいな雰囲気が混ざっている様に感じたのは、その為だったんですね。」
『え………っ?』
「見た目や年齢にそぐわず、時々やけに年嵩の方っぽい調子や口調で話されていたので…もしかしたら、と思っていたんです。」
『あー…っ、私、結構周りの影響受けやすい質してるからなぁ…その辺無意識だったかも。元々自分、荒っぽい口調で全っ然女らしくなかったのもあるんだけど……変、だった…?』
「いえ。其れだけの期間、長く征陸さんと一緒に仕事をなされてたんだなぁと思うと、少し羨ましいです…っ。」
『…えへへっ、そんな風に言われるとちょっと嬉しいや…っ。とっつぁんにはめちゃくちゃお世話になったっつーのもあるけど、純粋に本当の父親みたいに大好きで慕ってたのもあるからさ…ふふんっ、とっつぁんの事は何時まで経っても私の中でのちっちゃな自慢だぜ!』


本当に自慢な話だったから、つい懐かしき日々を思い出してくふくふと笑ってたら、不意に須郷さんの方から手が伸びてきて、さらりと横髪を浚われ耳へと掛けられた。

急なその行為にきょとんとして見遣っていると、彼は何時に無い優しげな目をして私の事を見つめながら言った。


「…自分も、何時かそんな風に語られる様な人になりたいですね…。」
『すご…、ぅさん…?』


彼の意図が読めなくて不思議そうにぱちくりと瞬きを繰り返していたら、目尻を下げて困った様に笑われた。

其れ切り彼は口を閉ざしたけれど、二人の間に流れる静かな沈黙に嫌な気はしなかったので、ごくごく自然体のまま過ごして、御飯を食べ終えた後はちゃんとおやすみなさいの挨拶を交わして別れた。

勿論、真面目で過保護気味な彼に部屋まで送られたのは当然の流れであったのだった。


執筆日:2020.10.30

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