あの日の出逢いを語る


※一部捏造設定有り。
※「監視官狡噛慎也」に登場するキャラクターがガッツリ出てきます。


シビュラが統べる様な世の中になっても、その界隈からあぶれる人間なんて少なくなかった。

何時の世の中でも、綺麗に整った表側の世界があれば、薄汚く廃れた裏側の世界があるってもんだ。

今回、俺が配属する刑事課三係に舞い込んできた件も、そんな内の一つの様に思えた。

―裏側の世界で転がる問題。

その一つとして挙がった今回の仕事、家出問題。

此れが、一見容易にすぐ解決出来る様な小さな問題に見えて、実のところなかなかに厄介で慎重に扱わなきゃならない問題だったりする。

どの時代になろうと、この手の問題は発生するんだから、人間ただ普通に暮らして生きていくのも楽じゃない。


「今回、三係に回ってきた仕事ですが…とあるご家庭の娘さんが数ヶ月前より家を出たまま帰ってこない、との一件です。ご家族の方より任意でお話を聞いたところ、このご家庭には色々と複雑な事情があったそうで、其れが拗れて娘さんは自ら家を出て行ったらしいですね。まぁ、思春期を迎えた学生ないし子供のある一定数は、親に強く反感を持ったりする傾向が見られますから、現在行方が分かっていないという彼女もそういった類いと見て間違いないでしょう。…要は、人探しの依頼です。こういう問題も放っておいたら大変な事になりかねませんから、皆さんご協力お願い致しますね」


現・三係監視官を勤める内の一人、和久が三係に集まる面子の顔を見据えながら話す。


「捜索願いが出されて受理されたのはつい先日の二日前――彼女が家出をした日から既に五ヶ月も経過している事になります。よって、早急に対象を探し出した後の保護、親元への帰還を促すべきとの上からの判断です」
「何でそんな長い期間経った後で今更の様に捜索願いなんてもん出したんでしょうね?その親。どう考えても遅過ぎるでしょ」
「確かに…心配で早く見付け出して欲しいという事なら、もっと早くに出されていても可笑しくはないな」
「ぶっちゃけほっぽってても問題は無かった、とか?」
「だったら、初めから捜索願いなんて出さなくても良いでしょ。明らかなる矛盾、不審点なり」


和久からの言葉に、昏田を筆頭にコウ、天利、花井が反応を示し出す。

それぞれの言う事は最もらしい話だった。


「話を戻しますよ。――今回、捜索対象となっている彼女の情報は此方になります。露罹未有さん、女性、17歳。本来ならば、学生という身分に相応しく高校に通っている筈なのですが、色相が濁り始めた経緯からクラスの子達から虐めを受け、次第に不登校となりそのまま引き籠り…結果、元々拗れていた父親との関係が悪化。父親との口論の末、激昂した彼女はそのまま荷物を纏め家出…現在一切の連絡が取れない状態で行方が分からなくなっているそうです。此れ等は全て、捜索願いを出した露罹さんの母親から得た情報です。ちなみに、補足ですが…彼女は家出する少し前から度々廃棄区画付近を彷徨いていたとの事だそうですので、現在彼女が居ると見られる地域もその辺りに絞って当たってみるのが早いでしょう。一応、後で廃棄区画周辺近くに設置してあるカメラも確認してみますが…そもそもの彼処一帯は防犯カメラなんて物も無ければ、ドローンも入れない様な場所です。希望は薄いと見て良いでしょう。地道な聞き込み作業となりますが、頑張って彼女を見付け保護しましょう。――多感なお年頃故に、周りの影響を受けやすい…その分、色相の変化もしやすい。故に、現在の彼女の色相がどのような状態にあるかも心配です。下手をすれば、手遅れにもなりかねません。一刻も早い保護から親元への帰還が望まれます。改めて、宜しくお願いします」
「了解した。…で?組分けはどうする?」
「一先ず、現地に着いたら、二チームに分かれて聞き込みを行いましょう。征陸さんと天利さんは僕に、昏田君と花井さんは狡噛監視官に付いてください。――其れでは、出動です!」


和久の奴の指示に従って皆腰を上げて動き出す。

対象の女の子が居んのは廃棄区画かもしれねぇなんてなっちゃあ、こりゃ厄介そうな話だな。

俺は内心そう思いながら、護送車に乗り込む為駐車場へと向かっていると、隣に並んで歩いてきていた天利がぽつりと呟いた。


「何でわざわざ廃棄区画だなんて危ない場所に向かったんですかね…?彼女」
「さあなぁ…若い娘さんが考えるこたぁ俺には分からんよ」
「下手すりゃ色相が濁るとか以前の問題、身の危険だってあるのに…大丈夫ですかね?私達より年下の女の子なのに…心配です」


天利の言う事は最もだった。

廃棄区画なんて場所には、今俺達が居る表側の世界と違ってきちんとした秩序なんてもんは保たれていない。

あるのは、独自に築かれた社会と人間性だけ。

其処にシビュラの様な統治制は無い。

そんな場所で既に五ヶ月もの間過ごしていて、何事も無いなんて事は無いだろう。

恐らく、俺達警察の人間が接触する事にすら危険性を孕んでいる程精神は不安定に揺らいでいる筈…。

迂闊に近付くのも危うい気がした。

進んで家出を実行する様な子だ、そういう後ろめたい事に対する行為にも躊躇い無く行動に移せる行動力があるタイプの子だ。

そんな人間を下手に刺激なんてした暁には、碌な行動に出かねない。

出来るだけ慎重に事を運んだ方が良い様に思えた。

目的地に向かう道すがらの移動中、和久から追加の情報がもたらされた。


『現在捜索対象である彼女についての件で一つ言い忘れていた事がありました。彼女は家出する際、自宅に在った原付バイクに乗って出て行ってしまったそうですので、移動手段がある分、彼女の行動範囲も広がる事になります。つまりは、此方も其れなりに捜索範囲を広げて当たらなければならないという事です』
「はあっ!?」
「マジか」
「はぁ〜…っ、今時の子にしちゃあ珍しい話だなぁ。原付バイクだなんて物は、どっちかというと俺達の時代の者が乗る代物だろう?何でまたそんな古臭い乗り物が在ったかねぇ」
『彼女の叔父に当たる方の趣味だったそうですよ。現在、その方は既に亡くなられているそうですが、遺されていた其れは彼の形見として彼女の家が大事に保管していたそうです。そして、彼女は其れを現役で移動手段に使っていたとの事らしいですね。いやはや、此れには僕も驚かされました』
「いや、全っ然笑えない冗談ですよ、和久さん…っ」
「なかなかにアグレッシブな女の子だったんですね…!未有ちゃん!」
『…しかし、原付バイクと言えど、運転するには免許が必要な筈。まさか無免許だなんて事は…、』
『その点は心配しなくても大丈夫そうです。彼女は16歳の時に正式にきちんと免許を取っているそうですから。大型二輪の免許取得にはまだ年齢が足りなかった事に大層残念がっていたとかとも聞きましたが』
「意外とまともだった…」
「こりゃあ…なかなかに行動力のある娘さんな様だなぁ、和久。こいつぁちっと骨が折れる件かもしれんぞ?」
『承知の上ですよ。皆さんも、今お伝えした事を踏まえて聞き込み、捜索に当たってください。良いですね?』
「了解です」


通信が切れて、視界は薄暗い空間に戻る。

難儀な問題に直撃した様な予感がした。

そして、俺のその予感は見事的中する事となる。


―廃棄区画周辺の聞き込み調査、及び対象の捜索を始めて数時間が経過した。

しかし、彼女の存在に関する情報は一切出て来ず、行方を探ろうにも手掛かりが少な過ぎて途方に暮れていた。

一応、其れなりの範囲に広げて聞き込みをしていたのだが、虚しくも成果は0ゼロに等しかった。


『いや、もうコレ端っから無理じゃないっすかぁ…っ!?向こうに原付っていう足がある時点でこっちのが不利っすよ!!』
「ゔぅ゙…っ、流石の私も此れだけ歩き回って聞き込みしたのに何も出てこないってなるとヘコみますぅ…っ。というか、疲れちゃいましたぁ〜っ」
「何となくこうなるんじゃないかってな気はしてたがなぁ…参ったね、こりゃ」
『現在当たっている地域での彼女に関する情報は0です。引き続き、次の地域での聞き込み調査に当たる必要があります』
「まぁ、今件の場合、地道に聞き込みしていくしか方法はありません。彼女が滞在しているのは、此所、廃棄区画内の何処かになるんですから。街灯スキャナにも頼れません」
「ひやぁ〜っ、気が遠くなりそうです…!」
『一先ず、一度合流して作戦を練り直しませんか?』
「其れもそうですね…。では皆さん、一度合流地点へと戻って作戦会議と致しましょう。其所で今一度情報を確認し合いますよ」


開いていたデバイスの通信を切って、和久の指示に従い合流地点へと戻る。

散々歩き回ったせいもあるが、此れだけ聞き込みしても成果が全く出なかった事による疲労も窺える落ち込んだ顔を皆下げていた。


「どうしますか、和久さん…?」
「そうですね…取り敢えず、今しがた調べた地域内には居ないと思って良いでしょう。――となると…、他の地域を当たってみるのは勿論ですが、闇雲に探し回っても時間が掛かるだけに終わりそうです。少し範囲を絞って考えてみましょうか。彼女についての足掛かりになる情報が必ず何処かに転がっている筈です。其れらしき目撃情報を探っていきましょう」


指示を仰ぐコウに、和久が情報を整理しながら次なる手を打つ為の方針を告げる。


「まぁ〜…まだ捜索始めて初日だからなぁ。最初からそんな上手く行くとは思ってねぇよ」
「其れは…刑事としての勘、――いや、経験から基づくお話ですか?」


すかさず問うてきた和久の奴に、俺は頷いて返してやった。


「まぁな。人探しっつーのは、簡単そうに見えて意外と難しいもんさ。特に、今回の様なケースはな。家出してからの情報が少な過ぎる上に、何より捜索願いが出されたのが遅過ぎる。家出してから時間が経ち過ぎてりゃ、そりゃ探し出すのも容易にゃ行かなくなるもんだ。……まー、最悪、“もう死んでる”なんて事も頭に入れて考えとかなきゃならんかもな…。其れだけの時間が経ち過ぎてる。幾ら自分の身を守れる術を身に付けてたって、こんな何が起こるか分からん様な場所に長期間居りゃあ何があったって可笑しくはねぇし不思議でもない。相手はまだ年端もいかねぇ子供、其れもか弱い女の子だ…出来れば最悪のケースは避けたいところだが、今の現状では何とも言えんよ」
「そんな……っ、」


事実を述べただけだが、その現実の厳しさと重みに改めてぶち当たったのか、動揺を隠し切れない様子でコウがショックの表情を浮かべた。

まだ新米の監視官にとっちゃあ、ショックな事なのかもなぁ。

だが、甘い事を言ってられないのも事実だった。


「…征陸さんの仰る通りですね。常に最悪のケースに至っていた場合の事も頭に入れつつ、改めて捜索に当たっていきましょう。――花井さん」
「はい。和久さんから新たに貰った情報を元に捜索及び聞き込み範囲を絞ってみました。次に当たるべき地域は、彼女が家出する前からちょいちょい訪れていたと思しき古本屋近辺です。彼女は、今時の子には珍しく紙の本を好む子だったそうらしいので、度々廃棄区画へと立ち入っていたのもその為では…?」
「成程な…。今の世の中に溢れている書籍は、大抵が電子書籍の物ばかりだ。紙の本は手に入りにくい」


花井が提示して見せた地域を地図にマークして、此れから当たるべき範囲を絞った地域の分布図を確認する。

此れで、さっきまでよりは聞き込み範囲も絞れるだろう。

和久の指示で再び二手に分かれ、聞き込み調査を再開する。

花井が示した地域を元に調査を進めていくと、漸く彼女の目撃情報と思しき情報が出た。

どうやら、古本屋近辺に絞ったのが正解だったらしい。

彼女と思しき人物を見掛けたという目撃情報から彼女の行動範囲と移動ルートが分かり、そこから更に情報を絞って捜索に当たった。

すると、古本屋近辺で屋台を出していた店主から最も有力な情報を得た。


「あぁ…あの子なら、確か彼処の店に出入りしてたと思うよ。何やら配達屋みたいな事もしてたからね」


店主から聞き出した場所へ向かってみると、其所は、若干傾いている古ぼけて薄汚れた小さな狭い建物だった。

小さく看板が掲げられているのを見るに、個人が経営する様なこじんまりとした店なのが分かる。

少し離れた所から店先を覗き込むと、中は軽く飲食が出来る様な構造となっていた。

差し詰め、小さな定食屋か何かをやってる飲食店と言ったところだろうか。

その店から、がらりと引き戸を開けて誰かが出てきた。

件の少女と思われる人物であった。

彼女は俺達の存在には気付かずに、店先の裏手に停めてあった原付バイクの元へと向かって歩いていく。

俺達は互いに頷き合い、穏やかな空気を纏って彼女に近寄っていった。


「すみません…、少々お尋ねしたい事があるのですが、宜しいですか?」
「―はい…、」
「有難うございます。実は、我々は公安局の者でして…今、とある方の捜索願いを受けて聞き込み調査を行っている最中だったんです。――此方の写真の方に見覚えはありませんか…?」


和久が先頭を切って進み出て、なるべく彼女を刺激しない様に気を付けて様子を窺いながら核心に迫る事を問うた。

此れから何か配達に出る予定だったんだろう、手に持っていた荷物を後ろの荷台の中に詰めかけているところへ例の彼女の顔写真を提示して見せた。

途端、顔色を変えた彼女が露骨に警戒心を強めた態度を取り、俺達から距離を取ろうと一歩身を引く。


「貴女が…この写真の人物である露罹未有さんでいらっしゃいますね?」
「…警察が私に何の用ですか」
「貴女に捜索願いが出ています。我々は、貴女の身元の確認と保護を行いたいだけです。どうか、ご同行願えませんでしょうか…?」
「捜索願い…?ハ…ッ、今更何のつもりだっての。私はもうあの家とは縁を切った。だから関係無い。保護される必要も無い」
「しかし…事実、貴女のご家族から捜索願いの申請を受けています。つまり、ご家族から心配されているという事なのですよ」
「そんなの、どうせ上っ面だけの話だ。世間体が気になるからとかどうので連れ戻そうとしてるだけだろ?はっきり言って嫌だね。あんな家に誰が戻るかよ…っ」


言葉節から滲み出る拒絶と嫌悪感に、こりゃ随分と複雑な事情があったんだな…と理解した。

荒み切ってるが故の行動から家出という選択を選んだ道筋に、彼女の暮らしていた環境が垣間見えた気がした。

憎しみすら抱いた様な目で俺達を睨め付けてきた彼女がまた一歩と後退した。

その一歩分の距離を、和久が詰める。

其れが切っ掛けになっちまったのかもしれない。

次の瞬間、彼女は俺達に向かって激怒した。


「貴女自身の事情も押して図るべきだとは思いますが、我々も我々の使命があって此所に来ています。どうか、我々と共に来ては頂けませんか…?」
「断る…ッ!アンタ等の事情なんて知ったこっちゃないね!私はもう二度とあの家には戻らないって決めたんだ!!捜索願いが出されてようがいまいが関係無い!!私は此所で生きる…っ!!もう放っといてくれ!!」
「露罹さん…っ!」
「待て、和久…!此れ以上下手に刺激しちまったら何仕出かすか分からんぞ…っ」
「ですが、このまま彼女を放っておく訳にもいきません…っ」


叫び散らす様に言って逃げ去った彼女を追い駆けかけた和久を咄嗟に引き留め、告げる。


「此所は俺に任せときな」


こういう時、昔の刑事時代の経験が役立つってもんだった。

和久を諭し、俺達は嬢ちゃんの走り去った後を追って、嬢ちゃんが逃げ込んだ先の店内へと足を踏み入れた。

店の中へ入ってみると、思った以上に狭い店内と白髪混じりの爺さんが俺達を出迎えた。


「何なんだ、アンタ等…」
「突然すみませんねぇ。実は、俺達はこういう者でして…」


この店の店主だろう、草臥れた薄汚れた服を着た爺さんに公安の者である証を提示して見せる。

其れを一瞥するだけで何も動じない様子の爺さんが口を開いた。


「公安局…シビュラの狗っころか。そんなんがウチに何の用だい?言っとくが、ウチはアンタ等が暮らすお外様の世界に迷惑掛ける様なこたひとっつもしてないぜ」
「いやぁ、正確にはオタクさんが面倒見てるお嬢さんの方に用がありましてね…?此方に居るお嬢さん、ご家族の方から捜索願いが出てるんですわ。まだ成人にも満たってない娘さんを心配するのは、親御さんなら当然の話でしょう?そうでなくとも、一人で居る子供を見掛けたら、その親元に返してやりたいと思うのが普通でしょうや。その為に俺達は此所まで来たって訳なんですわ。ご理解頂けませんかねぇ?」


廃棄区画だなんてこんな場所だからこそ、恐らく彼女の身を一時的に保護する形で面倒を見てたんだろう。

俺よりも幾分か年嵩の皺だらけで険しい顔を僅かに顰めた爺さんが、奥の厨房らしき方を見遣った。


「儂は、ただ仕事の手伝い手が欲しかったのと、強姦に襲われかけていたあの娘こを放ってはおけなかったから目の届く範囲に置いていただけだ。無理強いして労働させる為に此所に置いてるんじゃねえ。受け入れると決めた時点で最後まで面倒見るって決めてんだ…。余所者は口出ししねぇでくれねえか」
「だがしかしなぁ、世の中そういう風にはいかんのですわ。彼女にはちゃんとした保護者が居る。なら、在るべき場所に返すのが道理ってもんでしょう?」
「道理が何だろうと儂は知らん。あの娘が帰りたくないと言うのなら、無理に返す事も無いだろう。どうせ、この数ヶ月ずっと何の音沙汰も無く放置してたんだ。今更の話だろう?親と名乗るなら、其れなりの誠意を見せてからにしてもらいたいね。その親っつったっても、色相でしか人を見ない碌でなし野郎だ。戻ったところで何の解決にもなりゃしねえさ。儂は、あんな気の良い優しい娘が此れ以上無駄に傷付く姿は見たかねぇんだよ。――分かったんならとっとと帰りな。飯食いに来た訳でも客でもねぇ奴に此れ以上話す事は何もねえ」


昔ながらに頑固で堅い頭した爺さんだった。

しかしながら、完全に見放した様でいて、実のところは彼女の為を思って言っているのだから食えない。

冷徹な様に見えて、意外と良心的な爺さんの元に保護されてるんなら、一時的とは言え預けたままでいても良いのかもしれない。

―というよりは、現状そうするしか最善策は無かった。


「―…しょうがねぇ、今日のところは引き上げましょう」
「えっ!?征陸さん…っ!?」
「な、何を勝手に言っているんですか…!」
「まぁまぁ、此所は穏便に済ませるって事で一旦引き上げようや。説得ならまた来りゃあ良い。…其れに、この爺さんの元になら一時的に預けてても大丈夫だろ。悪い様にはしないみてぇだからな」


慌てる二人にそう言って、再び爺さんの方へ向き直る。


「そういう事ですんで、また来ますわ。次の時は、ちゃんとお客としても来ますんで、宜しくお願いしますね」


納得がいかない和久と戸惑い気味の天利の奴を連れて店を出た。

その日は、もう嬢ちゃんの顔を見る事は叶わなかった。

店を出た後の流れは、コウ達のチームに連絡を入れて合流地点へと向かう事になった。

その道中で、和久からは猟犬を取り締まる監視官らしくお咎めの言葉を貰った。


「…もう、勝手な判断は困りますよ、征陸さん?」
「いやぁ、すまんすまん。なるだけ穏便に事を荒立てたくはなかったのと、あのままじゃあきっと会話も膠着状態で平行線を辿るだけになりそうだったからな。ああでも言わんと納得してもらえんと思った故の判断だ。勝手をした事は悪いと思ってるよ」
「でもでも、本当に良かったんですか…?あのまま未有ちゃん置いてきちゃって」
「なぁに、そう心配は要らんよ。あの爺さんが付いてる限り、嬢ちゃんの身の安全は保証される」
「うん…?どういう事なんですか?全く分かんないです〜っ」
「あの爺さん見てて気付かなかったか…?なかなかに食えないだけじゃなく、一切隙を見せようともしなかったぞ。ありゃ、そんじょそこらに居る爺さんなんかじゃない。只者じゃねぇよ、あの爺さんは。恐らくだが、其れなりに腕の立つ手練れだろうな。下手な真似打ちゃ荒事起こされるぜ…?」
「成程…そういう事でしたか。其れならば致し方ありませんね。今日のところは撤収する事に致しましょう。彼と彼女への説得は、また後日改めて訪問するという事で」


俺が纏めた話に納得した様子の和久が溜め息を吐きながらも頷く。

合流地点へと戻って他の奴等とも情報を共有したところで、今日のところは撤収、宿舎へと戻る形となった。

彼女を保護するのは叶わなかったが、完全に保護出来る流れにまで持っていくにはなかなかに難航しそうな気がした。

気を長く持たなきゃならん話となりそうなのは、確実だった。

さて…、此れで次訪問した時にすんなり事が進むかと言えば其れは否となりそうで、暫くは頭を悩ます事になりそうで俺も溜め息を吐かざるを得ないのだった。


執筆日:2020.11.20
公開日:2021.03.25

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