
不純な動機
其れは、社会人歴一年半が経過した頃であった。
色相定期検査に引っ掛かって、其処からはあっという間に真っ逆様。色相悪化が認められた途端、社会の外れ者として扱われ、会社は
解雇、気持ちが追い付く暇すら与えられぬまま収容所へと収容され、一般社会から隔離されてしまった。色相悪化の要因は、職場に対して適応障害を起こしていた事である。何とも単純且つよく見られる事であった。
初めは、サプリでこれ以上の数値悪化を防ごうと試してみたけれど、結果は言わずもがな。セラピーなどを受けるも悪化の一途を止められずに犯罪係数は上昇し続け、最終的に定期検査で引っ掛かり、とうとう社会から不適合者として弾き出されるに至った。
己が収容された収容所は、在住地域から比較的近場に在った所であった。上下左右全て白の寒く冷たい殺風景な世界の箱という専用個室に閉じ込められて、唯一外と繋がる入口のみが透明な硝子製となっており、常に監視の目が光っているような場所。どうしてそんな場所に軟禁されなくてはならないのか。其れは、社会不適合者と社会に判断されてしまったからだ。一度収容されてしまっては、色相が好転でもしない限り外界へ出る事は叶わない。まるで、監獄とも言える場所に等しかった。まぁ、本当の檻は別にあって、其処の方がもっと息苦しい場所なのだろうが、訪れた事などないので所詮は想像上の偏見によるものである。
一人暮らしのワンルームより少し狭い空間の箱の中は、其れは大層窮屈且つ退屈な場所だった。何をするにも制限が掛かり、色相の悪化に繋がる事は推奨されないの一点張りで満足に好きな事も出来ない。趣味の音楽鑑賞や読書ですら満足に出来ないのだから、ストレスは溜まる一方に決まっていた。しかし、人間というものは順応していく生き物である。自分が何も出来ないと悟ると、途端にやる気を失ったように医者や担当の者に素直に従うようになった。これまで社会で自由に生きていた時のようには過ごせないのだ。全てに諦観して無気力に生き始め、どうせこの先お先真っ暗な事は変わらないのだから何をしても同じだろう。そんな風にすら思い始めて、ただ
只管同じ事を繰り返す毎日を送るだけの生活を続けていた――或日。変化は訪れた。
収容所へ収容されて暫く振りの来訪者が現れたのだ。相手は、なんと監査官――公安局からの訪問者であった。何とも寂しい箱の中へ収容されたばかりの数ヶ月程は両親の何方かが稀に顔を見せに来ていたが、其れも日が過ぎる毎に半年に一回来るかどうかへと減り、最終的には足が途絶え、今や誰も己を訪ねる者など居なかったのだ。そんな己に、警察の人が何の用なのか。社会的に何の罪も犯していない善良の市民の一員として生きてきた人間に、一体何の用があると言うのだろうか。
職員の人に呼ばれるがまま、専用の面談室へと案内され、室内へと通される。対面式となっている硝子の向こう側へ視線を投げれば、きっちりかっちりとした如何にもお堅そうな雰囲気の男の人が一人、此方が硝子前にある椅子へ座るまでを待っていた。
通された部屋に存在する一つだけの椅子へ大人しく腰掛けて正面を向くなり、その人は口を開いた。
「初めまして。俺は、厚生省公安局刑事課三係所属監視官の狡噛慎也だ。今日は貴女とお話したくて、話す場を設けてもらった次第だ。貴女が、露罹未有さんだな……?」
「公安局の方が直々にご指名とは……。失礼ですが、私なんかに何の御用でしょうか……?」
不信感を面に出して問えば、両肩を竦ませてちょっとだけ困った風な空気を醸し出して言葉を返してきた。
「如何にも“疑っています”といった感じの反応だな。想定内の反応だが……まぁ、そう警戒しないで欲しい。別に、貴女を罪に問いたくて来たとかって訳ではないので」
「では……一体何故?」
「此処に収容されて何度か適性検査等を受けている事と思うが、貴女には執行官の適性が出ている事はご存知で?」
「まぁ……一応、話だけなら聞いてますけど……。何の罪も無いのに、いきなり社会不適合者として弾き出されて退屈極まりない箱の中へ詰め込まれたんですよ? 今更社会貢献活動しろだなんて、虫が良過ぎやしませんか? 期待されたとしても、どうせそんな大層な事はこなせませんよ、自分。なんたって、普通に就職して働いていただけで色相が悪化して籠の鳥と化したんですから……。今更何が出来るとも思えません」
「――露罹未有、2083年XX月XX日生まれ、身長156cm、血液型はA型の21歳、女性。■■県■■■市出身、■■■町■■■■番地在住。■■県立■■■高校を卒業後、■■■■専門学校■■■■■科へ進学。その後、シビュラ判定の下、B判定の出た■■■薬局へ事務員として就職。入社して半年経った辺りから定期検査にて色相悪化が見られ、サプリやセラピーなどの治療を受けるも効果は出ず。悪化の一途を辿った結果、犯罪係数の規定値を逸脱し、此処■■■収容所へ収容された……で、合っているかな?」
「……分かっててわざわざ確認取るとか、煽りみたいに聞こえて凄く不愉快なんですが、わざとやってます……?」
「すまない。職業柄、必要な行為なんでね。念の為の確認をさせてもらったんだ。気に障ったのなら悪かった」
そうやって生真面目にも謝罪の言葉と共に軽く頭を下げた監視官だと言う男は、姿勢を正して再び真面目な口調で以って口を開く。
「改めて用件を述べると……貴女さえ良ければ、俺達の下で働く気はないかと誘いに来たんだ」
「つまり、勧誘に来たって事ですか……? 自分相手に?」
「あぁ。残念な事に、我々の業界は万年人手不足でね。業種が業種なだけに辞めていく人間が多い為、適性が出ている人間が居るなら一人でも多く引き入れたいと考えているんだが……どうか考えてもらえないだろうか?」
「えぇ……そんな初対面でいきなりそんな今後の人生を左右されるような事訊かれましても、ホイホイ頷ける訳ないじゃないですか……っ」
「勿論、貴女が考える時間が必要と仰るなら、その通りにしよう。今日のところは、一旦保留という事で、近い内にまた勧誘しに来る事にするよ。ただ……俺個人の意見を述べれば、貴女は執行官に向いていると思っている。これまで貴女が生まれ過ごしてきた記録を見るだけでも、優秀な人材だと見受けられる。だからこそ、今回声をかけてみる事にしたんだ」
「はぁ……」
いまいち男の考えている意図が読めずに怪訝な顔を浮かべていれば、必要な事は告げ終えたのか、硝子の向こう側で席を立った男が去り際に此方へ向いて一言呟く。
「色好い返事を待っている。また来るよ。次は二週間後に来る予定だ。其れまでにじっくり考えていてくれ。今度来た時は、是非とも良い返事を期待しているよ」
そう言い置き、去って行った男の背を暫くぼんやりと眺めた。その内、係の者に退室を促され、大人しく面談室を出て行く。
人生で初めての事であった。自分の才能を求められて必要とされるという事が。これまで、何気無く流されるように生きてきて、適性の出た進路を選んできただけの人生で初めての事だったのだ。そんな些細な切っ掛けが、己へ変化を
齎した。
気付けば、思考は明後日な事を考えていた。
(今、会った人……めっちゃ良い声やったなぁ……。あんな良い声を毎日近くで聞きながら働けるとか、控えめに言って最高では……?)
根拠など何も無い、何処となくヲタクの匂い漂う思考回路に至った、そんな不純な答えに辿り着いた結果。次回の面談時、初対面時滅茶苦茶警戒心MAXだったのから一変して、すっかり態度を軟化させていたのである。
「先日振りとなるが……あれから少しは考えてもらえただろうか?」
二週間前に面談した時と同様に生真面目な青年という感じのまま、再度の勧誘に訪れた男は言った。其れに、己は次のように応えた。
「えぇ。たっぷりじっくり二週間の間考えて、決めました」
「では、その答えをお聞かせ願おうか」
「はっきりと申します。私、その執行官への勧誘を受け入れます」
「本当か!? ッ……失礼、つい勢い余って身を乗り出してしまってすまない……。その、思ったよりもすんなり受け入れられたもんだから驚いて……っ。その、何故YESと答えるに至ったのか、理由をお聞かせしてもらっても……?」
「理由は本当に単純ですよ。貴方の声がとても良かったからです」
「はっ……? 俺の、声が良かったから…………??」
「はい。私、声フェチな者でして、貴方みたいな素敵な声の持ち主のお側で働けるという事でしたら、喜んで公安局の狗にでもなって差し上げましょう。……ねっ? 単純明快な理由でしょう? まぁ、此れを理由に執行官になるだなんて、凄まじく不純な動機に思えるでしょうけど。でも、言い換えれば、其れくらい頭の螺子が外れてなきゃやってられないお仕事だと思うんですが……私、何か間違った事言ってます?」
「いや……確かに、言い得て妙ではあるが…………。何か、先日会った時と随分態度が違う気がするんだが、俺の勘違いだろうか?」
「ふふふっ……いえ、たぶん勘違いではないと思いますよ。私自身でも驚いてますから。自分の変化というものに」
そう言って、卓の上に優雅に両手を組んでニッコリ微笑むと、豆鉄砲でも食らった鳩みたいな驚きの表情を貼り付けてぱちくりと瞬きを繰り返す。
取り敢えず、両者共に利害の一致で手を取り合うという事で話は進む方向へ運び、必要書類へのサインやら何やらの手続きを行い、現在己が収容されている収容所を退所する手続きも同時に進行した。
後は必要最低限の荷物のみ詰め込まれた鞄一つを持って出所するとなった時に、迎えに来たという公安局の方々へ告げられる。
「紹介しよう。此方、俺より
刑事としては大先輩に当たる征陸智己執行官だ。訓練所を卒業後アンタの同僚となる人で、アンタを勧誘しに来た時の同行者でもある」
「征陸だ。これから宜しく頼むぜ、お嬢ちゃん。よくぞ俺達からの勧誘に頷いてくれた。礼を言う」
「どうも、初めまして。これから貴方の後輩となるであろう、露罹未有です。まぁ、訓練所を無事卒業出来たら、の話になりますが……どうぞ宜しくお願い致します」
「うん。なかなか良い目をしているお嬢ちゃんだな。此れは期待出来そうだ。なっ、コウ……?」
「あぁ」
「にしても、彼女が例のトンデモな理由で執行官を目指すに至った子だとは、パッと見思えないが……本当なのかね?」
「本当だよ。嘘だと思うなら、本人に直接訊いてみれば良い」
顔を会わせるなり紹介を受けた先輩執行官である壮年の男の人――征陸執行官より疑問の目を向けられて小首を傾げたのちに、これより己の上司となるのであろう狡噛監視官を見れば、そう言われた。よく分からなくてコテンと再び首を傾げて次の言葉を待つ。すると、何となく微妙な顔をしつつ片頬を掻きながら征陸執行官から一つ質問を投げかけられた。
「あー……っ。失礼承知で申し訳ないんだが、アンタ……執行官の勧誘を受けた時の受け答えの際に、狡噛監視官に向かって“貴方の声がとても良かったから執行官になります”と言ったと聞いたんだが……本当か?」
「はい、確かにそう言いましたね。しっかり記憶しておりますよ」
「マジか……?」
「マジです」
きっぱり嘘偽り無く答えれば、己の方を思わずといった風に指差した征陸執行官が狡噛監視官の方を見て言葉を漏らす。
「……なぁ、コウ……」
「“変わった奴だ”って言いたいんだろ、とっつぁん……? 俺もその時同じ事を思ったさ。だが、同時に“面白い奴だ”とも思ったよ」
「はぁ〜……ッ。こりゃ将来大物になるかもしれねぇなぁ〜」
「お褒めの言葉として受け取っておきますね」
そう返せば、ニヒルな笑みを浮かべた征陸執行官より握手を求められた。其れに対し、素直に応じて軽く握り返せば、歴戦の猛者といった感じの分厚く固い掌に握られる。成程、確かに此れは大先輩と言って差し支えない評価だろう。そう認識して、次に狡噛監視官とも握手を交わす。
「退所おめでとう。これからは、仕事仲間として宜しく頼む」
「此方こそ。不束な若輩者ですが、どうかご鞭撻の程宜しくお願い致します」
征陸執行官と比べて如何にも若造といった感じの掌に握り返されて、しかし、この掌を持つ人がこれから己の上司もとい飼い主となるのだ――との意識を持って頷き、離す。そうして、己は狭い箱の中から再び外の世界へと出て、新たな檻の中へと収まるべく、訓練所施設へと目指す。卒業後は晴れて正式に執行官となり、文字通り公安局の狗と化すのだ。執行官という首輪を付けられて、社会貢献活動という名義の下、犯罪者達を狩る猟犬として。
――一年の訓練過程を積み、卒業認定を受けて公安局の捜査一課三係への配属となり、これから同僚となる者達の前へ一歩踏み出し宣言する。
「本日付けより、刑事課三係へと配属となりました、露罹未有です! どうぞ、宜しくお願い致します……!」
敬礼をビシリと決め込んで宣言し終わると、某収容所を退所した日にも会った二人が同じ笑みを浮かべて応えてくれた。
「改めまして、監視官の狡噛慎也だ。宜しく頼む」
「執行官で同僚の征陸智己だ。これから宜しく頼むぜ、お嬢ちゃん」
「はい……っ! ところで、初対面の時から思ってましたけど、征陸さんもとても素敵なお声をされていらっしゃいますよね……? 深みのある渋さが年相応の色を出していて、とても良きだと思います……!」
「初対面の時から思ってたが……お嬢ちゃん、やっぱり変わってるなぁ〜。はははっ。だがまぁ、声を褒められて嫌な気はしねぇわなぁ。ありがとさん」
「いえ……! でも、個人的にはやっぱり狡噛監視官のお声が一番素敵だと思います! ので、そんな素敵なお声の下で働けて、私は幸せです……っ!!」
「あのなぁ……っ、そういう事は思ってても口に出さないものだろう……」
「すみません。でも、事実ですので……」
「はぁ……。まぁ、仕事に支障出さない程度なら別に良いが……」
「勿論、そのつもりです。これから上司として、また、飼い主として、ご指導の程宜しくお願い致します! 狡噛監査官……っ!」
「……調子が狂いそうだ……」
そんな再会を果たした後、月日は流れ行き……。
某事件を切っ掛けに色相悪化が見られた己の上司であった狡噛監視官は降格。収容所へと収容され、その後、己と同じように執行官の適性を受け、収容所を退所後に訓練所へ入所。一年後程には規定過程を卒業し、己の後輩という立場にて執行官として舞い戻ってくるのである。
嘗ての頃と所属は変わり、己の居る刑事課一係へと配属された同僚の男は口を開く。
「狡噛慎也だ。これからは同僚として宜しく頼むぜ、未有」
すっかり雰囲気の変わってしまった彼であったが、根っこは変わっていないのだと察して返す。
「うん……やっぱり何度聞いても良い声してるや」
「ははっ……アンタは
何時会ってもソレだな。俺の声が好きだとか何だと抜かすのはアンタくらいだ。相変わらずで安心したよ」
「だって、事実ですもん。狡噛の声が一番落ち着く」
「そうかい……」
「狡噛なら
屹度すぐに戻ってくると思ってたよ」
「そいつぁ、有難い信頼なこって」
「立場が変わったところで私の態度は変えるつもりはないから、敢えて言うね。おかえりなさい、狡噛」
「……嗚呼……ただいま、未有」
こうして、今度は同僚としての付き合いは始まるのである。
まぁ、此処から更に親密度が上がって愛称という名の渾名で呼ぶようになるのは、また別の話だ。
執筆日:2024.05.19
加筆修正日:2024.06.26
公開日:2024.06.26
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